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行動決定の原理 2 犯罪の行動決定と予防に効果がある対策 [刑事事件]



1 犯罪も熟慮の末に実行しているわけではなく、気が付いたら罪を犯していたということが多いこと 及びその意味
2 二次の情動と犯罪 多くの人はなぜ犯罪をしないか
3 二次の情動が働くなる要因
4 別考慮が必要な職業的犯罪と犯意の持続 犯罪環境
5 犯罪予防の有効な策

1 犯罪も熟慮の末に実行しているわけではなく、気が付いたら罪を犯していたということが多いこと 及びその意味

新聞の犯罪報道を読むと、おそらく多くの人が「なんでそんな馬鹿なことをするのだ。こんなことをしたらどうせすぐにつかまるし、ニュースで顔や名前、住所までもさらされてしまうだろうに。」と感じることが多いと思います。

しかし、刑事弁護をして感じたのは、圧倒的に多くの場合、犯罪を行った人は、それらの事故にとっての不利益を、「そこまで考えていなかった。」状態で犯罪を行っているようです。例外的に盗みをして生活をしているような、反復継続して犯罪を常習にしている人は、また別考慮が必要です。これは後から述べます。まずは圧倒的多数のそこまで考えないで犯罪を実行する場合を考えます。

万引きなどが典型例ですが、弁護の過程で本人から聴いても、自分がいつ万引きをしようと考えはじめたのかよくわからない人がほとんどです。自分の気持ち(意識)についてのメタ認知が無いという言い方もできるかもしれません。だけど、自分の行為(①対象物を定めて、②周囲を気にかけて見つからないように緊張して、③商品を手に取ってバッグに入れて、④外に出たところを職員から呼び止められる)は記憶しているのです。但し、④の段階でふと我に返り、自分が万引きという窃盗を犯していることを強く自覚するというパターンが本当に多いです。①から③については、記憶はしているけれど、①から③の時点ではあまり「自分の行為が意識に上っていない」という表現が近いようです。意識下で脳が勝手に行動をしているような、そんな感じです。

「自分は万引きをしていない。誰か他人が自分を罠にはめようとして自分がやったことにして商品を自分のバッグに入れたのだ。」という言い訳が少なくないのですが、そのように感じていることは理由が無いわけではないようです。

殺人なども同じ場合が多いのではないでしょうか。①殺害対象の人間を定める、②人の死ぬような危険な行為を行動決定する、③人の死ぬような危険な行為を実行する、④相手が苦しんだり、死んだりして自分がしたことに気が付くという流れで、①から③については、やはり無意識下で脳が勝手にやっていたという感じのことが多いようです。攻撃意志が強固ではない場合は、相手の被害を見て攻撃の意思が無くなり、蘇生活動をしたり、救急車を読んだり、あるいは危険から脱出させたりする行動をすることが実際は多いです。(控訴審の弁護をしていて気が付くことは、弁護士が「中止未遂」の主張を案外忘れていることです。)

一方的な殺人ではなく、相打ちのような場合、自分の行動(上記①から③)が記憶から欠落していることもありました。実際に自分がやったことを「覚えていない」ということは裁判上不利になりますし、そのことを十分伝えましたが「覚えていない」と言い続けていましたので、やはり覚えていないのでしょう。但し記憶に残らなかった時間はほんの1秒程度のことだと思います。

思い立ってから即時に実行できる犯罪類型では、このような「脳が勝手にやった」犯罪という一群がありそうです。

不可解な交通事故、業務上横領、万引きその他、一般市民が犯してしまいがちな犯罪に多いかもしれません。

このような犯罪は、厳密にいうと自由意思に基づいて行われるわけではないし、自由意思によって行為前に抑止することは実際にはなかなか難しいことです。しかし、「厳密に言えば自由意思の制御が不可能だった」と弁護をしても、無罪にはなりません。無罪有罪の判断基準は純理論的なものではなく、国家政策で決まるもので、国家意思の考慮要素としては刑罰の威嚇による犯罪抑止と、被害者や一般人から見て悪いことをしたら処罰されるべきだという「応報」と言われる観念も考慮されて決まるものだからです。

但し、純粋に予防の観点からすれば、この種の犯罪は、刑罰の威嚇はあまり効果が無く、予防の観点からはむしろ刑罰よりもその人たちの生活環境を改善することの方が有効だとは思っています。

2 二次の情動と犯罪 多くの人はなぜ犯罪をしないか

ところで、「どうして犯罪を実行したのか」ということを考えるにあたっては、「どうして多数の人は犯罪を実行しないのか」ということこそを考えるべきだと思います。犯罪を実行しないシステムというものがあり、この犯罪をしないためのシステムがうまく作動しないから犯罪を実行してしまうという考え方をしてみようと思います。

1)多くの幼児は罪を犯さない

例えばスーパーマーケットで、自分の好きなキャラクターがデザインされたお菓子があって、どうしても食べたいと思っても、多くの幼児は親の目を盗んで勝手にとって食べません。これはどうしてでしょう。

色々な説明方法があると思うのですが、私の説明方法は以下のとおりです。子どもは、そのような自分の家の外の物は、「親から与えられるものだ」という認識を強く持っているのではないでしょうか。自分は外から物を調達する立場ではないという認識があるということです。だから、欲しくても自分でこっそり取らないで、顔を真っ赤にして床に寝転がって、親に対してねだるわけです。

まあ、親が子どもが勝手にとらないように目を光らせているということはあるかもしれません。

2)社会の一員から脱落したくない 「二次の情動」

犯罪を実行するときに、それをすることによる様々な不利益、①自由を拘束される、②自分に対する社会(報道された範囲、及び、自分のこれまでの付き合いのある人間関係)の評価が低下する、③損害賠償を請求されるなど、を「考えないで」実行するというのが犯罪を実行する場合の多数派のようです。そうだとすると、犯罪を実行しない場合も、そこまで「考えた上で」犯罪を実行しないというわけではなさそうです。

例えば、<店の前を歩いていたら自分の欲しい服が売られていた。手に入れたいけれど、お金が無い>という場合、いちいち「これを盗んだら犯罪による不利益が生じるから盗まない」ということを考えてはいないでしょう。ただ、「お金が無いからあきらめる」ことが通常だと思います。

「盗まない」という意識による選択をして決定をしているのではなく、「『盗む』という選択肢がそもそも意識に出現していない」と考えることが私たちの感覚にもあっているのではないでしょうか。

ではなぜ選択肢が出てこないのでしょう。もちろん、法律で禁止されているからとか、不道徳な行為であるとか、お店の人に迷惑をかけるからとかいろいろ思い浮かびますが、そのような「意識による価値評価」をしているわけではなさそうです。

「無意識のうちに脳が勝手に処理している」と考えることが自然なのではないでしょうか。つまり、①欲しい、②お金が無い、③盗めばすぐに手に入るというアイデアは、意識はしないけれど脳の中で駆け巡っているのだと思います。しかし、④それは社会的に自分を不利にするからだめだという「本能的な打消し」が起きているということが私の仮説です。これらは無意識に処理されているので、意識には上ってきません。

人間は群れを作る動物です。言葉もない時代から群れを作っています。言葉が無ければ自分達の意思を外から拘束する「ルール」が存在するということは無理な話です。本能的に、社会的評価を落とす行為が何かを知っており、それを無意識下で思いついたら、本能的に(脳が勝手に)その行為を抑制するシステムが人間の脳に組み込まれているという説明の仕方を提案するわけです。このシステムを「二次の情動」と私は呼ぶことにします。

「二次の情動が健全に働いている場合、人間は犯罪行動を起こすことは無い」のではないかという仮説がここでの結論です。

ちなみに一次の情動とは、身体生命の危険を脳がキャッチした場合に、危険を避けて身体生命の安全を図る無意識のシステムです。動物全般に備わっているものです。野生動物が炎を見たら怖くて近づかないとか、何かが飛んで来たら危ないと思って腰をかがめるとかそういう自然に行動している原理です。

3 二次の情動が働くなる要因

それでは二次の情動が働くなり、犯罪を選択して行動決定してしまう理由はどこにあるのでしょう。

1)側部抑制
 
二次の情動が働かなくなる一つのパターンは、「二次の情動は一度に一つのことにしか働かない」という場合です。生理学の用語を用いて「二次の情動の『側部抑制』」と言うことにします。

二次の情動は、自分を取り巻く人間関係の中に自分の立場を維持しようとするシステムです。人間の心が生まれた今からおよそ200万年前(狩猟採取時代)の人間関係は、生まれてから死ぬまで一つの群れ、同じメンバーの少人数の群れしかありません。一つの人間関係の立場だけを考えればそれで万事解決する環境だったので、二次の情動も一つの関係に関して発動しさえすれば、他の関係では発動しないという仕組みで良かったのです。ところが、現代社会は複数の群れに人間は所属しています。すぐに思いつくだけでも、家族、学校、職場、地域、国等々、人によってはもっと様々な団体に所属しているわけです。

だから、職場での人間関係で情動が高まって葛藤が強ければ、そのことで二次の情動がフルに使われてしまい、家庭との関係での二次の情動が働きにくくなるということが起きていそうなのです。

継続的人間関係(例えば家庭や職場とか)での二次の情動が強すぎて、お店(店員と客である自分)という人間関係が希薄な場面では二次の情動が十分に機能しない状態になっているということがありそうです。一つの人間関係において二次の情動が目いっぱい使われていると二次の情動によって本来無意識に選択肢から落とされるべき万引き行為は、落とされないで選択肢が残ってしまい、さらに制御もできずつい万引きをしてしまうという流れがありそうです。弁護人として本人たちから話を聞くと、この流れがしっくりくる説明のようです。

私は万引きという犯罪類型に興味を持ち、意識的に弁護をしています。その中で感じたことがあります。万引きをした人は、ストレスを強く感じている場合が多く、その最も多い類型が「孤立」でした。高齢者の万引きでは、少なくない割合で一人暮らしが多いようです。次に多いのは不条理な扱いを受けていると感じることです。「なぜ自分だけが不運なのだろう。」と考えることと犯罪が強く関係しているようにいつも感じます。

貧困が原因になることもあるのですが、どちらかというと、貧困による生物的機関というよりも、貧困の社会的なみじめさ、疎外感という心理に対する影響が強く作用するように感じています。

2)一次の情動優位

二次の情動相互間のバッティング(複数の人間関係で自分に対する否定評価があっても、一つの人間関係だけが意識に上るということ)を述べましたが、一次の情動によって、二次の情動が働かなくなるということもあるようです。つまり襲われたので身の危険を感じてやり返すというような場面です。

このような場面では、正当防衛や緊急避難という違法性を無くす制度があるのですが、危険を招いた者に対する逆襲については要件を緩和して罪を問わないことを徹底するべきだと思います。この考えを法律化したのが盗犯防止法(盗犯等防止に関する法律)です。

また飢えをしのぐための窃盗というものがあるのですが、これは無罪にはなりません。ただ、一次の情動が勝るために二次の情動が機能不全になった例としては参考になると思います。

3 ストレス以外の情動の機能不全を招く疾患

よく知られているのですが、ある種の病気というか体調の変化が犯罪の理由として説明されることがあります。病気などによって不安や焦燥感が高まってしまい、二次の情動が機能不全になってしまって、犯罪行動という選択肢を排除できないでいる状態です。自分の何らかの(病的、生理的、その他の)変化によって、「特定の人間関係における自分の役割が果たせなくなった」という意識が強くなり、二次の情動を圧迫しているという印象を受けることがあります。

もしそうであれば、職を失うとか、大けがをしてこれまでとは同じ様に仕事ができなくなり収入が不安定になった場合も、やはり二次の情動が高まってしまい、不合理な選択肢を脳が勝手に排除するということができなくなってしまう可能性があるということになると思います。

こういう場合があれば、家族など周囲は本人を安心させ、本人に対して自分たちという絶対に見捨てない仲間がいるというメッセージを伝えて、安心さることに努めることが必要なのかもしれません。

4 別考慮が必要な職業的犯罪と犯意の持続 犯罪環境

積み残していたのは職業的な犯罪、特に常習犯罪と犯意を生じてから周到に準備をして犯罪に至るように犯意が持続している犯罪です。

1)二次の情動による抵抗を打ち破る一回目の犯罪と二回目の犯罪との違い
 
二次の情動がよりよく働くのは一度目の犯罪の時です。逆に言うと一度犯罪を実行してしまうと、繰り返してしまうことが少なくありません。具体的経験は、その犯罪の選択肢を想起しやすくなるようです。万引き、侵入窃盗、すり等の窃盗罪、業務上横領事案、あるいは放火や偽計業務妨害罪等がすぐに思いつきます。

一度その犯罪を実行してしまうと、変な表現ですが体がその行為を覚えています。そうすると、無意識で例えば万引きをしようという選択肢が浮かびやすくなってしまうし、それを実行に移してしまいやすくなるという説明がリアルだと思います。犯罪行動の選択と言っても、抽象的な選択ではなく、どこそこの(今その店にいるならこの場所で)、具体的な商品(今その店にいるならこの商品の子の手前に配置されている商品)を、具体的に手でつかんでバッグに入れるという具体的な選択肢が出現しなくてはなりません。もしこの具体的な選択肢が出現してしまっているならば、無意識下で万引きは実行できてしまいます。

1回目の犯罪では、二次の情動が機能不全になっているとはいえ、ある程度力が残存していますから、選択肢が具体化するにはそれなりの抵抗があったはずです。ところが二回目の犯罪では、二次の情動がある程度残っていたとしても、一度二次の情動を打ち破って犯罪を行ったことによって、二次の情動の力が十分働かなくなり、犯罪の選択肢が出現しやすくなり、かつ、消えにくくなっているという説明が可能なのではないでしょうか。

2回目の犯罪は1回目よりも無意識の抵抗が小さくなるという言い方をすることがあります。だから、1回やって悪いことだと分かったからもう二度としないだろうと安易に考えて合理的な対策を立てないことは間違いです。1回目だからこそ二回目の内容にきっちり対策を立てることが必要です。有効な予防策を立てる必要性が高いし、予防策の効果が上がる確率は高くなると思います。

2)犯罪環境という考え方

様々な事情で働いて収入を得ることができず、当人たちの間では「生きていくために仕方がなく」万引きなどの窃盗をしている人たちがいます。あるいは、犯罪組織に身を置いてしまい、言われるがままに犯罪を繰り返す人たちもいます。

犯罪をしたその時点だけを見れば、この人たちは冷静に、熟慮をして、準備をして、計画を立て犯罪を実行するわけです。これは二次の情動とは関係ないのでしょうか。この種の犯罪は、全体の犯罪から見れば少数です。しかしこの一群の説明ができなければ、理論は完成しないようにも思えます。

この人たちも、「二次の情動の機能不全」が起きていると説明することは可能だと思います。最初に二次の情動を打ち破ってしまって、犯罪を実行してしまった後、さらに犯罪を重ねていくと、もはや二次の情動は働くなる傾向にあるのだろうと思います。即ち、もはや守るべき自分、関係を維持すべき自分の人間関係が消滅したという感覚です。大変恐ろしいことですが実際にあるように感じます。「もういいや」という感覚です。

特に、夫婦ぐるみで、あるいは家族ぐるみで、あるいは仲間を形成して仲間ぐるみで、そのような二次の情動が消滅してしまうと、犯罪自体を後ろめたいものと思っていないような感覚で計画を立てて行動しているような印象を受けることがあります。この場合は、家族ごと社会から孤立している場合だという表現がぴったりときます。

また、犯罪集団に身を置いてしまうと、そちらの人間関係が最優先になってしまい、そちらの人間関係の中で自分の立場を維持するために、群れの外の人間を容赦なく攻撃する類型の犯罪を実行するようです。少年事件では典型的な事件類型です。仲間の一人が別のグループの人間からひどい目にあった、それではみんなで復讐しようというのが典型的なパターンです。自分たちの仲間を守ることが自分を守ることに直結しているかのような行動をしてしまいます。

窃盗常習者の事件を弁護したことがあるのですが、100件くらい住宅に入って金品を盗んで何か月か生活していたという事案でした。最初のうちは、冷蔵庫の食料を盗み食い(まさに)していたのですが、だんだんと預金を心掛けるようになってゆき、生活の安定を目指すようになったというわけがわからない行動パターンになっていました。この人は、当初濡れ衣を着せられて職場から非難を受けて仕事をやめさせられて、家族も失って生きる気力がなくなり、家に引きこもっていました。さすがに体が動かなくなってきたという極限状態に近い状態で、捕まってもいいという投げやりな気持ちで盗みに入ったらうまくいってしまい、繰り返していくうちにうまくいかなかったことに備えて貯金をするまでになってしまったようです。

肝心なことは最初の二次の情動が働かなくなった理由として、それまで自分が大事にしていた人間関係を、次々に失い、およそ人間関係全般、社会の中での自分の立場というものがどうでもよくなってしまったというところに本当の原因を求めるべき事案だったのだと思います。

私は、このように犯罪の選択肢を排除できなくなるという二次の情動が働かなくなるその人の環境を「犯罪環境」と言っています。どんな犯罪者でも生まれつきの犯罪者はめったにいません。この犯罪環境が必ずあります。この犯罪環境から抜け出すためにどうしたらよいかを本人と一緒に考えることこそ弁護人としての重要な役割だと考えています。

5 犯罪予防の有効な策

1)犯罪後の再犯の予防
ⅰ)刑罰について

犯罪を予防することだけを考えるなら、必ずしも処罰をすることは必須ではないように思います。但し、処罰があるということで、様々な道徳などのルールの中で強いルールなのだという意識づけには有効かもしれません。

しかし、本来人はまっとうに、穏やかに暮らしていれば犯罪を選択しません。また、犯罪を選択して実行するのは、実際は無意識の状態ですし、二次の情動が機能不全に陥っている事情がある場合です。「刑罰があるから犯罪をやめよう」と考える時間ないしきっかけが無いことが多いです。刑罰を重くすれば犯罪が総数として減少するということは無いというのが実感でもあります。受ける刑罰の重さまで考えていないから犯罪を行うわけです。

どちらかと言えば刑罰は、悪いことをすれば処罰されるということを知らしめて、応報感情を満足させたり、社会の安心を作っているという役割の方が大きいのかもしれません。それも国家という秩序を維持するために必要なことだと思います。

ⅱ)叱責より理由の探求

例えば万引きなどは窃盗ですから犯罪です。このことを知らないから万引きをする人はこれでの弁護士人生で扱った事件では一人もいませんでした。家族も万引きは悪いことだから一時の気の迷いだからもう二度としないだろうということ、万引きをしたことに対する、叱責、非難、嫌味などで終わりにすることがしばしばみられます。

しかし、一時の気の迷いは、これまでお話ししてきた通り再現してしまいやすいのです。やってはいけないことを知っていてやっているので、やってはいけないということを繰り返してもあまり意味はありません。

叱責をするのではなく、二次の情動が機能しなかった理由を突き止めて、それに応じた対応をするということが必要であるということになるわけです。

ⅲ)二次の情動の回復

 ひとたび二次の情動が機能不全になり、警察沙汰になり、広く報道をされてしまうと、社会的存在でいることをあきらめてしまう場合が少なくありません。社会的評価が下がったことは仕方がありませんが、二次の情動を回復させる必要はむしろ高まっています。二次の情動を高める工夫についてお話しします。

① 将来に対する希望
執行猶予になるとか刑期を終えるなどして社会復帰をした後の、生活の喜びというものを提示することによって将来に対して明るい気持ちになることが最終目標だと思います。「ここで逮捕されていろいろなことを考えられたので、逮捕されなかったよりもよりよい人生を歩めるかもしれない」という希望をもてることができれば、犯罪環境からも抜け出すことができます。

この目標は信頼関係の構築など、前提事項が多いし、自分自身で目標を持つことが必要なので、弁護人がただ提案すればよいというものではありません。

② 二次の情動の後付けの具体化

本能的に発動する二次の情動は、なかなか言葉では説明しづらいことがあります。「本来ならばここでこうすればよかった」と後付けではありますが、一応の正解パターンを考えることで、これから先の人生における二次の情動を発揮しやすくなるはずです。

例えば、被害者の心理的被害や困った事態になったことを具体的にイメージでき、話しができるようになること。これは現実に起きたことではなく、おきそうなことをシミュレーションできればよいのです。そうして、次に選択肢が来るときにすぐにそれを打ち消す意識が生まれることが期待できるようになります。

その犯罪がなぜ処罰されるのかということをなるべく具体的に思い描くことが有効だと思います。

③ 犯罪環境の自覚
 自分がなぜ考えなしに犯罪に及んだのか、「どうして止めることができなかったのか」ということを考えてもらいます。その人が犯罪環境にいたわけですから、自分にとっての犯罪環境とはどういうことだったのかということに気が付いてもらうことが有効です。その上で環境を変えること、例えば実家に戻ることで、二次の情動を妨げることができるようになることもあります。ここも抽象的ではなく、具体的に止めることができなかった要因を考えてもらうことが必要です。

④ 将来の生活の構築
犯罪環境など二次の情動が機能不全に陥らないためには、やはり今後の生活のどこに気を付けて生活するかということが必要です。具体的に実行できなくては意味がありません。だから③の考察の中で気持ちが緩んでいたとか気持ちが弱かった、流されていたという言葉にとどまっていたのでは将来設計はできません。③の考察が具体的であればあるほど、将来の生活設計は簡単に構築することができるでしょう。

2) 犯罪の前後を問わない予防
ⅰ)孤立の解消

ここで言う「孤立」とは、その人がこの世の中で、すべての人間関係で一人きりになることではありません。ある一つの人間関係で孤立するだけで、その人はこの世の中で孤立しているという意識を持ってしまうようです。二次の情動は一つの群れだけで一生を終えていた時代(狩猟採取時代)に進化によって獲得していたものですから、複数の群れで生きている現代社会においても、一つの人間関係での孤立を過大に受け止めてしまうことは十分な理由があるわけです。

家庭では円満な人間関係であったとしても、職場でひどい目にあっていると、家族の気が付かない間に孤立感を深めてしまっているかもしれません。

弁護の過程では、本格的に再犯を防止するために、その人の様々な人間関係を調べる必要があります。場合によっては生い立ちにさかのぼっての調査も有効です。これはそれほど難しいことではなく、本人は、無意識にその関係の不具合にこだわりつづけているので、自分の口から話してもらいさえすればわかることが多いです。ただ、興味を持って調べられるかどうか、そのことに気が付くかどうかにかかっています。

孤立の解消が最大の犯罪予防になると考えています。逆に言うと、普通の人がひどい孤立をしてしまうと、思わぬ犯罪を選択してしまう危険があるのだと思います。その人がどうしてよいかわからない状況に追い詰めることは、犯罪以上に否定的に評価するべき事柄だと思います。ある人に何かを改善してもらいたいときであったとしても、その人を追い詰めるようなやり方はしてはならないということです。もしその人が家族や職場の仲間だとすれば、この仲間からは外さない、否定はしないという意思を明示して改善を提案し、一緒に考えていくことが正解なのだと思います。

過剰すぎる正義は他者を追い込み孤立されることがしばしばみられます。また過剰すぎる責任感は自らを追い込み孤立させることがしばしばみられます。

ⅱ)貧困の解消
かつてのように、貧困であるから生きるために盗むという事態は少ないのではないでしょうか。絶対的貧困ではなく相対的貧困はむしろ拡大しているかもしれません。

貧困自体が、かつてよりも低く社会的に評価されてしまい、貧困自体を犯罪視するかのような意識を感じることもあります。これでは、犯罪をしたことが無くても、貧困に陥ったことによって自分が社会の一員として認められていないという意識を持ってしまう傾向が生まれやすくなります。

二次の情動が機能しなくなっているケースでは、「精神的に不安定になって働くことができず収入が無くなった場合」、「犯罪歴があるため職に就けないで収入が無い場合」、あるいは「薬物依存のため生活が破綻して貧困に陥っている場合」等のケースを担当しました。先ほどの、不条理な解雇によって精神的ダメージを受けて再就職活動ができなくなるケースもありました。

貧困それ自体が犯罪を誘発するというよりも、貧困に陥ったことで社会の一員として扱われていないという疎外感が二次の情動を圧迫して犯罪の無意識の選択を行わしめているようです。

自然な感情から「自己責任」という考え方が生まれることは仕方がないことかもしれません。必死になって、あるいはプライドを捨てて収入を得ている人から見れば、「薬物なんてやめて働け」、「万引きする度胸があるなら就職して働け」という気持ちになることももっともです。

ただ、その人たちも、貧困を選んで貧困に陥ったわけではなく、抵抗する方法が無く犯罪環境にはまってしまうということが実際です。理解はしたくないとしても、犯罪予防の観点からは、貧困による弊害を社会で防止していくという発想が求められるのではないでしょうか。

犯罪が多発して自分の身を守らなければならないということこそが、犯罪環境になっているということもあると思います。

罪が行われ、被害者が出た場合に起きる応報感情と、被害者を出さない予防政策は両立するものです。両立するということは別個に考えなければならないということを意味します。児童虐待などで、この応報感情に支配されて、強硬な、処罰的な対応ばかりが構築されて、結局有効な予防策が構築できず、児童虐待を防げないということであっては意味が無いのです。私は、被害を予防することを最優先にして政策を考えるべきだと思います。

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