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一方当事者に偏った朝日新聞編集 目的をもって作り出される左派右派対立構造へのすり替えに警戒しよう 暇空茜氏問題は公正な財政支出と情報開示という民主主義の根幹に関する問題である。 [弁護士会 民主主義 人権]


もはや一つの一般社団法人の問題ではなくなってしまった感のある女性被害者等支援事業会計問題。このブログでは、あまり他者の紛争の中に入っていきたくないのが本音ではある。しかし、次から次と勉強の要素が出てきて、また黙っているべきではない事態が生まれてしまう。

先日毎日新聞の署名記事を批判したばかりだが、今回は朝日新聞の署名入りコラムがでてしまった。毎日新聞の記事とは比較にならない偏向記事であり、事実に基づかない報道がなされていると感じたので、言及することとした。

おそらく若者は新聞というメディアに見切りをつけるだろうという危惧を抱いた。

こらむの要旨は、暇空茜氏が、ネット民を扇動して被害女性等支援をしている一般社団法人を攻撃しているということ、しかも攻撃がゲーム感覚で行っており、かつ、陰謀論による攻撃のようであるとしているのである。

確かに、一般社団法人代表の個人名を出す時に、「共産党と強いつながりのある」という枕詞をつけていた。これには問題があると思ってはいた。これでは、受け手が左翼的思想を持っていると自認している場合は、何らかの反発が生じる可能性が出てしまう。左翼的立場の人たちから反共産党や反左翼の人を扇動するものの言い方であったと言われても仕方がないかもしれない。

しかし、実際には、暇空氏は、一般社団法人の活動を妨害したり、驚異や不快感を与える活動をすることを厳に戒める発信をしていた。あたかも朝日新聞のコラムのような報道がなされていることを警戒していたかのようである。それはこの問題を知っている人たちはよく知っている有名な話である。違法、不当な行動をいさめていたのが暇空氏なのに、攻撃を扇動しているという朝日新聞のコラムは、前述の事情があったとしてもやはり事実に反する報道というべきであろう。

また、朝日新聞のコラムでも言及しているように、暇空氏が一般社団法人から訴えられたことに対抗する費用として6千万円を超えるカンパが集まり、一定の知識層も広く支持している。もし、空想の敵を想定してのゲーム感覚の攻撃をしていると思われればそれほど高額のカンパに現れる支持が集まるはずはない。

また、暇空氏の言うところの一般社団法人の背後に「なにかグループ」という集団がいることは、東京都監査委員会が指摘するようなずさんな会計処理があるにもかかわらず巨額の公金が一般社団法人にわたっているという事実からも十分推測できることである。2018年までは東京都は原則的な会計処理を求めていたのにも関わらず、それがその後崩れてしまったということから、何らかの圧力が都の会計原則を後退させて、東京都が極めて非常識な支出をしたという結果を事実として招いているのである。一番言いたいことは、暇空氏は既に特定の一般社団法人の批判にとどまっていないということである。公金支出の実態という問題に目を向けている。ところがこのタイミングで、毎日新聞や朝日新聞が、事態を矮小化する記事を連続して上げ始めたという流れを見る必要がある。

朝日新聞の最大の問題は、東京都監査委員会の監査結果の矮小化である。毎日新聞もこの矮小化をしている。監査結果の読み方については既に紹介した通りである。肝心なことは、監査請求が「請求が妥当ではない」という結論に至ったとしても、それは暇空氏側が不当性を立証しきれなかったということであり、一般社団法人側に不当がないことが証明されたわけではないということである。また、本来は都の公金支出の問題であるから、監査委員会が指摘するような領収書が存在しないような支出に対して、公金を支出することが不当な公金支出ではないのかということが監査委員会の判断から漏れているということが最大の問題であり、今後訴訟において論点になるであろうということである。

Colabo問題から前向きに考えるべきこと 1 東京都若年被害女性等支援事業の監査結果の読み方と今後の訴訟の行方
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2023-01-11

これを知らないでか、あるいは知っているのに意図的にか、朝日新聞のコラムでは過小評価がなされている。朝日新聞の編集はそれにもかかわらずこのコラムを掲載したことになる。

もう一言だけ付け加えると、一般社団法人擁護派の用語の理論の特徴として、当該一般社団法人は善行を積んでいるから攻撃をするなという論理が強調されていることである。「目的は手段を浄化する」というマキャベリズムがここでも繰り返されていることを指摘しておく。

朝日新聞コラムの一番の問題は、暇空氏を支持する側がアメリカのQアノンであり、彼らは民主主義派を攻撃しているという図式を作ろうとしていることである。会計の不適切処理や単純ミスとして不問に付すことができない請求自体は東京都監査委員会ですら認定しているのである。根拠のない陰謀論ではない。また、これほど会計がずさんでありながら、数千万円から億という税金が特定団体に支出されているということの理由、つまり通常の委託事業や補助事業と明らかに違う扱いがなされている理由を明らかにする必要はある。当該一般社団法人ではない誰かが関わっているならばそれを明らかにするということは民主主義の根幹の問題である。陰謀論とは全く違う。

確かに現在この問題を取り上げているのは、特定思想のないプロのユーチューバーの外は、保守的メディアが多いことは間違いない。しかし、これは保守系メディアが取り上げるというよりも、左派系メディアが取り上げないということの方が正確な表現であると感じる。もっとも非組織的で自由な左派系メディアというものがあるのかという問題がないわけではない。

冒頭の特定政党と関連付けての批判が行われてきたことや左派系メディアが取り上げないということを利用して、朝日新聞がコラムを掲載したように、今回の問題を左右対立構造の中の出来事に落とし込む動きがあることには注意しておく必要がある。私は毎日新聞と朝日新聞のコラムを読むことによって改めて理解したが、これが55年体制の茶番劇だったのであろうということである。

そこでのポイントは、人間は人間同士の紛争に巻き込まれたくないという素朴な感情を持っているということである。もちろん私のこの記事のように、理不尽な対立があれば参戦しようという意識をもつ者もいるが、それは多数派にはならない。55年体制という秩序は、紛争を激化させることによって、大多数の国民の政治参加を消極化してきたという役割があり、それはこのようにして作られてきたのだろうかという疑念が芽生え始めた。あわせてその際の左派系メディアの役割にも気づかされたような気がする。

まとめると
通常の補助事業や委託事業では、一円の単位までの会計処理の問題が自治体から指摘されて、すべての領収書の提出が求められるほど、会計原則には厳格である。それにもかかわらず、どうして本件一般社団法人ではそのような会計処理が求められずに公金が支出されたのかという問題が現に存在する。

そしてそのような都と一般社団法人の関係が明らかになると思われる都のメールが、暇空氏が開示請求した段階では黒塗りされて開示されることによって、その文書が存在していたことを示していたにもかかわらず、年が改まった段階では、1,2か月間の間で破棄したと都が言い出し、情報開示が拒否されたという問題もある。

今回の問題は左派勢力が長年にわたって追及していた地方自治体の会計に関する原則と情報開示という、行政行為の可視化、公平公正さの問題という民主主義の根幹に関する問題である。その情報開示や公金支出の在り方の実態解明を一般社団法人の善行を理由に妨害することを左派勢力が行うことは、自分たちの立場の否定に他ならない。

左派という言葉の定義の問題があるが、人権や平和、あるいは平等という憲法の大原則を行政効率や経済効率よりも優先させるという特徴があったのではないだろうか。それらの政治的姿勢よりも、組織の論理を優先させ主張をするのであれば、左派とは何なのか、左右対立という二項対立の図式の本質とは何なのか、我々は改めて考える必要がある。



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