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Colabo問題から前向きに考えるべきこと 1 東京都若年被害女性等支援事業の監査結果の読み方と今後の訴訟の行方 [弁護士会 民主主義 人権]



 1月4日に暇空茜氏の監査請求について、東京都監査委員会は監査結果を発表しました。東京都に対して是正措置が命じられるという衝撃的な内容でした。住民監査とは、地方自治法242条に定められている制度です。簡単に言うと、公金の使用に関して地方自治体に違法、不当があるかどうかを調査、判断し、違法、不当がある場合には是正命令が出されるという制度です。

 この監査請求はハードルが高く、めったなことでは請求が認められることはありません。実際に東京都では舛添知事の時代以降6年間にわたり監査請求が認められることがありませんでした。請求自体は毎年数件あったようです。

 ハードルが高い理由は、監査請求という制度の設計にあります。自治体が行政の支出について違法不正がないことを証明するのではなく、住民である請求人が、公金の使い方に「違法」、「不当」があることを示さなければならないことが第一のハードルです。何しろ、一般住民である請求人は公務の外にいますから違法や不当の証拠を持っていません。これという証拠がなく監査請求をした場合は、監査委員会は、「違法、不当の証拠がなく、請求は妥当ではない」と言って請求を拒否します。だからなかなか監査請求は通りません。地方自治体の財政に関する行為ですから、そもそもあからさまな違法不当な行為は行われません。もしあからさまな違法不当な行政行為があれば、監査請求がなされる前に自浄作用で正常に修正されていることが通常の事態でしょう。

しかし、ハードルを高くする必要性もあります。不当な監査請求が乱発されてしまえば、都の財政支出がストップしてしまい、地方行政がうまくいかなくなるからです。行政効率と合法妥当な行政行為という対立しかねない要請をうまく調整する必要もあるわけです。
 
今回の監査委員会は、東京都から独立した組織なのですが、メンバーを見ると、与党の都議会議員2名も入っています。都のトップである知事と同じ意見の人が、都の行政行為の監査を行うメンバーだということも少し心配がないわけではありませんね。

 こういう高いハードルがあるのですから、監査請求が通るということはめったにないことです。暇空さんの丹念な情報開示請求からの手続きの流れは、まさに法の趣旨に則った正当な監査請求であったことを強く物語っているというべきです。

 暇空さんの監査の理由が一部認められなかったのですが、暇空氏の主張が存在しないものだと監査委員が判断したという論理は成り立ちません。存在しなかったという判断をしたのではなく、要するに資料が不足して証明できなかったということにすぎません。監査委員会は、決め手となる証拠を新たに調査することなく、暇空さんの監査事項のいくつかは「相手の回答(表3)からすれば問題があるとはいえない」ということで、違法、不当とは認められないとしたにすぎません。

しかし、監査委員会の監査結果によると、その記載事項の裏付けについては会計原則に基づいた調査がなされていない(領収書が無いことが多いという指摘あり)というのですから、会計上は限りなく疑わしいということになってしまうと思います。だから監査委員会が監査請求のいくつかに妥当性が無いと判断しても、例えば裁判の判決のようにそのような事実が無かったということを認定したわけではないということは理解する必要があります。

一般の方は、監査と言うことなので、日々の会計書類や領収書などの裏付け書類を調査したうえで理由がないと監査委員会は判断したと思われることでしょう。しかし、今回の監査委員会の監査結果はその裏付け書類が無い不適切な会計書類をしていたというのだから、裏付け調査ができなかったということですから、単に相手の回答書が真実だとしたら請求根拠がないと言ったと読まざるを得ません。

回答書を見ただけでも不当な支出があるという結果が示されたことは大変深刻なことです。領収書を残さないという不適切な会計処理は、極めて深刻な指摘しています。

 但し、こういう住民監査制度の立て付けを理解した上でも、今回の監査結果は、割り切れない文章が続いています。別々の人がそれぞれの個所を起案したような違和感があります。端的に言えば領収書がない等の不適切な会計処理であるにもかかわらず不当な公金支出としない理由があるのかという疑問が生まれるわけです。

 これもいくつか理由が考えられます。
第1に、請求者(暇空さん)が「コラボの不正会計を監査しろと」言う体裁の請求をしたと読める節があることです。そもそも監査請求は「都の行政行為」に違法、不当があるので是正しろというものです。主語は「東京都が」にしなくてはならないわけです。これが今回の請求ではコラボが不当な会計処理をしているから監査しろというように読めてしまうために、「コラボの会計報告に対して東京都が支出したのであり、その会計報告に書類上問題が見当たらないために、東京都の行為には違法、不当が無い」という監査結果の論理にすることができた要因かもしれません。

第2に、それを監査委員会が積極的に利用したのではないかという疑念があります。もちろん監査委員会は、請求人の請求書の内容を通りやすいように修正してあげる義務はないでしょうから、それが問題とは言えないかもしれません。しかし、住民監査請求は、一般住民が行う請求です。住民監査請求が制度化された地方自治法の趣旨に照らせば、その趣旨に照らして必要な監査を行った上で、適切な会計処理をしない団体に多額の公金を支出した東京都の妥当性を監査するべきだったのではないかとも考えられます。個人的な主観、感想ということになりますが、あえてこれをしなかったことは、監査委員会が世の中の非難対象を東京都からコラボにすり替えているような印象を持ってしまいました。

 私の勘違いでなければ、本来東京都が監査されるべき内容は、「領収書などの裏付けのない会計報告に対して、予算通りの支出をすることに不当性は無いのか」という問題だと思うのです。特に支出金額が多額であることに比較してあまりにもチェック体制がずさんではないかということが論点であるような気がするのです。

 暇空茜さんは、監査請求に対して行政訴訟を行うということです。既に弁護士も確保しているということのようなので、委託支援事業の支出原則に照らした東京都の支出行為の問題に裁判所の判断が入ることになるのだと思われます。監査委員会はこうなることを避けるために、是正措置を命じた監査請求結果としたはずです。最初の原則論的な説明部分(違法不当が証明できていないとする部分)があったために、訴訟になってしまったという印象を持ってしまいました。

次の問題は(ブログ上は前の記事になりますが)、ではどうして委託支援事業に対してずさんな支出が行われ続けたのかという問題を考えてみます。

余計なことを言うと、今回も、請求者立証の原則をフルに生かして、請求棄却の結論にしようという動きがあったのではないかという懸念があります。監査結果の文章は途中までこういう流れのように感じます。しかし、これを問題なしとするのは会計原則上問題が大きくなります。特に弁明自体が不当会計であるとされたという、いわば民事法上の「自白」をしているにもかかわらず、請求棄却はあり得ません。会計の専門家、法律の専門家としては、それは自分自身のプロフェッショナルを否定することになり、できないでしょう。部分的に弁明自体が失当ということであれば、監査請求を通さざるを得ません。監査請求を通すならば、不適切な会計処理にも言及せざるを得ません。注目されることは、東京都が2月28日までに、会計資料を整理して裏付けを調査、発表し、必要な公金返還手続きをするということです。ここがどこまできちんとなされるかが焦点です。コラボ自身の弁明自体が不当と認められた点に限定して調査が行われる危険があります。注目するべきポイントはここだと思われます。


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