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Colabo問題から前向きに考えるべきこと 3 批判対象の相手の人格を否定しないことこそYouTube文化を守ること 挑発にならない有効な支援こそが必要であること [弁護士会 民主主義 人権]



私はたくさんのことをユーチューブから学んでいます。特に最近は楽器のこと、興味のある音楽のこと、美術その他とても重宝して勉強させていただいております。もし、時間を作って先生のもとに習いに行かなくてはならないなら、こんなにいろいろな楽器演奏の楽しみは得られなかったことでしょう。YouTube文化は、できるだけ発信者の意図通りに自由に運営していただきたいということが切実な願いです。

今回の若年女性等被害者支援事業についても、ツイッターをいちいち読むことが困難であるので、ユーチューブのまとめ動画は本当に便利でした。

ただ、逆にいろいろな心配も出てきました。

多少熱が入ることは仕方がないとしても、中には仁藤氏に対する批判が中傷、子どものいじめみたいになっているものがあることがとても心配です。他人を呼び捨てにすることも抵抗があるのですが、それを超えてののしりの連呼などはその前までは感心して聞いていても、結局ドン引きしてしまいます。

ここで批判派の人たちに改めて確認していただきたいことがあります。統計の先生の分析では、コラボに対する敵対発信が多くなったのが、11月29日の弁護団の記者会見がきっかけになっているとされていたことです。同じようにこれからこの問題を知ろうという人たちが、一部のコラボ批判者の無駄に過激な動画やツイッターを見たならば、弁護団の記者会見を見た私たちの反応のように、良くてかかわりを持たないようにしようとする、逆にコラボ擁護派になるという効果が出てきてしまうだろうということです。

どうやら動画の再生回数を伸ばしているチャンネルは、このことをよく心得ていて、最低限度の線を守って発信しているようです。一般視聴者としては、批判的な言動を見聞きしたいという要求の中にも、できる限り安心しながら情報を受けたいという要求がどうやらありそうです。

さらに、過激な表現によって、困ったことになることを警戒するべきだと思います。

第1に、仁藤さんに対しては、私はいまだに彼女に悪意はないのではないかと信じたい部分が強くあります。これがどういうことかというのが前回の記事です。たとえ悪意があったからとしても、インターネットでの非難は数が多くなり、それを読む批判対象者本人は、世界中が自分を攻撃しているというような感覚を持ちやすくなります。批判にあたっては最低限の線をきちんと引いて批判するべきことを整然と批判すればよいのだろうと思います。

第2に、いずれ出されるだろうコラボの言い分は「担当の都の職員の了承の下で行ったから不当ではない」という主張です。そうだとすると、今度は都の職員に対する攻撃がおこなわれ、特定の職員の個人的問題にすり替えてしまう「誰か」の陰謀もあるかもしれません。インターネットによる犠牲者を出さないことを考えて行動をしていく必要があります。インターネットによる犠牲者を出すことによって得をするのは、「何か」であり、「誰か」です。

第3に、これらの最低限のルールを実践することは「YouTubeに対する規制の口実」を作らせないということにも大きな意味があります。
ここで誰かがYouTubeのなんらかの犠牲となると潮目が変わってしまいます。恣意的な基準を外部から作って、曖昧な判断の元で特定の誰かにとって不利益になる表現活動が排除されることが心配です。ユーチューブ文化が生き残るために、ユーチューバーという職業が永続するためにも、発信者側でも友情をもって相互努力をする方が良いと思われます。

最後にこの批判をあおっている人たちについて一言苦言を述べたいと思います。
それは現状の自称「コラボ支援者」の一部の人たちです。

確かに、コラボ批判者の一部に、仁藤氏に対する無意味で過激というか、子どものいじめみたいな批判があることも確かです。しかし、暇空さんにカンパをする人々や、動画再生数を上げているユーチューバーは、大部分が合理性のある批判の視点で活動をしているように感じられます。

それにもかかわらず、擁護派は、「コラボの被害女性支援は正しい、必要がある。だから、批判は女性に対する攻撃だ。」という論理?がほとんどなのではないでしょうか。これはまずい。「目的は手段を浄化する。」というマキャベリズムは、かつて暴力革命を正当化する理論だということで、保守派が左翼はこのように考えているという攻撃をした論法でした。現在コラボを否定している人で支持を集めている人たちは、押しなべて(多少枕詞のように)被害女性支援は否定しないことを先ず表明しています。あくまでも数千万円から一億を超えるような資金を回しているのに、不適切な会計処理をしているということを問題にしているわけです。

この点を無視しての先ほどの論法ですから、「被害女性支援をしている人は会計処理を不適切にしてもかまわない」という主張として、受け手は受け止めざるを得ないのです。金額からすれば些細な処理ミスということはできません。

肝心な会計処理について何も擁護していないのですから、擁護になっていないともいえるでしょう。支援をしている外形をとっていながら、何ら本人のためになることをしていないということです。本人を紛争対立のるつぼに押しとどめていると客観的には見えてしまいます。

男女共同参画事業で、出てくるキーワードが「あなたは悪くない」です。まず最初に被害者認定をして、無責任に全面肯定をして、夫だったり、家族だったりを加害者認定をします。そして、家族から本人を分離させることが一つのスキームです。配偶者暴力相談が典型です。今回も仁藤さんに「あなたは悪くない。あなたは被害者だ。」というパターンの支援をしているのでしょう。しかし、それは仁藤さんに何らのエンパワーメントもしていないように思えてならないのです。被害者とされる人が本当に建設的に歩んでいくためにどうしたらよいかという肝心なことを考えず、事案の個別性を無視してマニュアルに沿った処理をしているわけです。

同じメンバーの方々が起こした事件が、草津町長のレイプでっち上げ事件でした。この時も虚偽のレイプ被害を書籍化してしまった女性町議を、「支援」ということで応援して、大騒ぎをして、女性町議を引くに引けない事態に追い込みました。現在女性元町議を支援する会は休止を宣言したそうです。

元町議の女性の話を吟味も何もしないで、本人談で被害者であるから加害者を攻撃するという形の支援がなされました。書籍では町長室でレイプされたと記載しているのに、刑事告訴では強制わいせつだと話が変わりました。共産党(男性)を含む町議会議員は、この元女性町議を除名処分としました。ところが県が除名取消という裁決をしてしまい(理由付けが曖昧だった)、町議は議員の資格を維持してしまいました。そこで町民がこの元町議をリコールして解職が圧倒的賛成で成立しました。そうしたら支援の人たちが草津町全体を「セカンドレイプの町」と宣伝する活動を行ってしまったのです。寄ってたかって女性を攻撃する街だということが理由だそうです。しかし、レイプ犯だと虚偽の出来事を書籍化するということはどれほど非道なことでしょうか。本人や町長を支持している人たち、何よりも町長の家族に対して深刻な精神的打撃を与えることです。その内容も極めて破廉恥です。結局告訴の段階でレイプは無かったということを元町議は認めた形になって、主張が二転三転したことを理由に、町民の方々はリコールに賛成したように伺いました。リコールする住民の気持ちは察するに余りあります。また、そのような町民の民意に対して「セカンドレイプ」の町という発信を公にすることは民意を馬鹿にしていることではないでしょうか。そもそもファーストレイプが無かったのですからセカンドレイプなんてありえません。
結局元町議は支援の結果引くに引けなくなりました。しかし、あらゆる法的救済は否定されました。町長は当然ながら不起訴となり、元女性町議だけが起訴されるという結果になりました。この段になって支援者は支援を休止したとのことでした。こういう支援者の人たちは、なぜか権力には弱く、解決のために権力に依存する傾向も顕著です。でも、非道な宣伝を行った支援者たちは誰も謝りません。町長に対しても、町民に対しても、無責任に躍らせた元女性町議に対してもです。むしろ自分が被害者であるかのような言辞をする人たちがいてあまりにも無責任だと思いました。

被害の真実性を吟味しないで、発言に寄りかかり、相手を加害者と認定して攻撃する。男女参画の論法が、コラボ問題でも引き続き行われているわけです。その効果は仁藤さんを擁護することにはつながらず、紛争を激化して仁藤さんを紛争の現場に押しとどめているだけだと私には感じられます。

攻撃される方が悪いか攻撃する方が悪いかという二者択一的な考えはさっさとやめるべきです。仁藤さんをこれ以上紛争の渦中に陥れないことを第一に考えるべきではないでしょうか。それこそが若年女性被害者の救済に直結することだと私は思います。

コラボ側の人たちにお願いしたいのは、結果として批判者を挑発することをやめていただきたいということです。今回の出来事は、図らずしも、批判を受ける人は受けるなりの理由があるということを世に知らしめる結果になったと思います。

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Colabo問題から前向きに考えるべきこと 2 不適切会計処理が認定されても悪びれない理由を善意で解釈することによって男女参画委託事業の問題が浮き彫りになってくること、 [弁護士会 民主主義 人権]


今回のコラボ問題で驚いたことは委託事業であるにもかかわらず、都が会計チェックをきちんと行わないで膨大な委託費を支出していたことです。私が関与していた委託支援事業や補助金事業では、きちんと会計処理をしていますし、活動実績をする場合でも実際に行ったという裏付けになる報告書を作成しています。あまりにもリアリティのない報告書はダメ出しが出るようです。もちろん領収書も一つ一つきちんと添付しています。これらの手続きがあまりにも面倒くさいので、補助金を受けるのをやめた団体もありました。

代表の仁藤さんも、2018年のツイッターで、支援事業になる前はこれまで通り活動できると聞いていたのに、いざ委託支援事業になってみたらあれやこれや会計処理を厳密に行わなくてはならず大変だというつぶやきをしていました、この気持ちはよくわかるのです。

ここからわかることは東京都も2018年ころまでは常識的な、他と変わらない通常通りの委託事業の手続きを要求していたことです。そして今回の監査結果からわかることは、その後この原則論が骨抜きになって運用されていたことが示されました。

上の仁藤さんのツイッターを理由に当時の当時の都議会議員などが仁藤氏の要望の趣旨に沿った働きかけを都に行っていたと、現参議院議員の方がユーチューブで説明していました。このユーチューブでの説明では、会計チェックに手心を加えるようにその議員が都の担当職員に働きかけたと解釈しかないように感じます。そうだとすれば、それは都の地方行政、地方財政を脆弱させる行為であり都議会議員としてはあるまじき行為をしたという評価になるでしょう。それでもこの現在は参議院議員の方はそのような深刻な自己反省をしているわけではなさそうなので、そういう働きかけではなかったのかもしれませんが、そうだとすれば正確にどのような働きかけをしたのか説明するべきではないかと思われるところです。

また、この方のユーチューブでは、2018年にコラボに協力していた時には、コラボは一党一派に偏った団体ではないから協力したということをおっしゃっていました。ところが、2022年の参議院選挙では、代表の仁藤さんが公然と共産党候補者等の投票を呼び掛けていたことを理由に、当時は知らなかったから協力したことは仕方が無かったことだというような説明をされていました。今回のネット上のコラボの話題は暇空茜という人物の努力の結果であることは間違いありませんが、しかし事実上「誰か」のガードが下がってストレートが連打されているような印象も持ちます。もしそうであるとすれば背景として同じような政治的な事情があるのかもしれません。

ただ、一都議会議員が働きかけたからと言って会計の大原則を骨抜きにするような行為を東京都が行うとは考えらえません。この現在参議院議員の方は、自分だけでなく他の都議も同様の働きかけをしたと言っていましたが、多数で押し寄せたとしても東京都職員はこのような無理難題から行政を守るのが仕事ですから担当者レベルで大原則をやめたとは考えられません。自分の責任問題につながります。誰しもトカゲのしっぽにはなりたくないわけです。

そうだとすると、東京都のトップなり、国とのパイプを持っているなりした「誰か」がいて、都議会議員の人たちの圧力を利用して、会計原則を骨抜きにするように都の幹部に指示を出し、都の職員もその指示には従わざるを得なかったということが真相だと考えるのが自然な話だと思うのです。ずさんなチェックは政治問題として実現してしまったわけです。この「誰か」は、現在強いつながりを指摘されている団体ではないと思うのです。都の行為の大原則を骨抜きにすることができる立場の「誰か」であるはずです。(暇空さんの指摘される「なにか」にそれほど強い力はあるように思われません。「なにか」と都の両方を動かすことができる「誰か」がいたというのは陰謀論でしょうか。)

都が自ら会計原則を曖昧にしたことをうかがわせるもう一つの補助線があります。
それが今回の住民監査請求についての一連のコラボ側の反応です。不適正会計処理を指摘されたり、本来委託費で賄ってはならない費用を委託費で請求している形になっているという重大な指摘を受けても、全く悪びれる様子もないことです。

この感情については、なんとなくわかる気がします。強がって主張しているわけではなく、主観的には自然な感情なのだと思います。つまり、「自分たちは、当初の約束通り自由に自分が思うように活動してきただけだ。その後(つぶやきによる会計原則の骨抜き後)も都の担当職員との打ち合わせ通り、指導を受けたとおりに会計処理を行ってきた。自分たちは隠し事をしないで都のお墨付きの活動をやってきた。」ということなのでしょう。それなのにどうして否定評価を受けなければならないか理解できないということならば、その気持ちは理解はできます。

私はおそらくこういう流れがあったのだと思います。多くのまじめなコラボ「会計」批判者も同じ論調だと思いますが、仁藤さんが初めから都の会計チェックをずさんなものにして不当な利益を得ようとしていたとは思っていません。東京都に監査請求をして数年ぶりに請求が通った暇空茜さんも現在ではコラボ叩きという意識はほとんどなくなっていると思います。もっと大きなものを見ているのだと感じられます。

仁藤さんのツイッターの愚痴を現実化して地方財政の大きな例外を作ることにした力は「誰」なのかということこそ目を向けるべきです。と言ってもそれが何なのかについては皆目見当が付きません。

ただ「誰か」の人たちの行為の目的の合理性というか正当性というかについては想像することができると思います。つまり女性の地位の問題について、国が何か政策をしなくてはならないのだけれど、何をしてよいのかわからない。それでも事業をしなくてはならない場合どうするか。有識者会議を立ち上げて、それらしい知識や経験のある人を集め、意見を聞いて、政策の正当性をアッピールして、その内容で実施するというパターンです。ただこういうパターンでも、有識者会議のメンバーには立場が異なる人がたくさん入り透明性が確保されます。また、有識者会議の参加者にそのまま委託を行うのではなく、公募を行い、入札によって業者が決まり、業者を通じて委託事業が行われます。この委託事業に有識者が協力することは通常のことです。

ところが、現状の国、国からの予算が付く地方自治体の一部の事業ではこの透明性や一般事務の専門性の仕組みが無く、審議会で政策を作って、予算規模について意見を述べて、そのメンバーのうちのどこかが高額で委託事業を受注するということがあります。

こういう場合、政治家は自分の頭で政策を考えないで、委託をした団体に丸投げをします。それも、与野党全会一致で法律まで作って事業を進めるのです。各事業の方法論はいくつもあるはずなのに、その団体の方法論だけに莫大な予算が付くという感じです。このことについては、以前にこのブログで話しているところです。「全会一致は疑えというパラドクス」は国会でも当てはまるようです。そしてどうやら、こういう全会一致の場合の野党は、全体の会議でその行動を運用するのではなく、一部の有力な幹部が性急に独断で全会一致に参加するように決定してしまうという裏もありそうです。そして、実際運用が始まれば、専門的な委託先団体が政策のイニシアチブをとり、国の役人の担当者は専門的な知識を持たないように新たな担当者が配置転換で頻繁に交代するような場合もあるようです。そうすると、完全に丸投げになり、必要な会計チェックも行われにくくなるのではないでしょうか。有識者会議に参加した団体が国や地方自治体から直接事業委託を受ける形式の事業は総点検する必要がありそうです。

コラボは、若年被害女性等支援事業で突出して実績があるため事業の目玉のような存在だったのでしょう。もしこのコラボが、「会計処理が面倒くさいから委託を受けない」と駄々をこねるいうことになると、事業そのものが無くなってしまうと「誰か」が感じたのだと思います。その「誰か」が「なにか」を通してコラボに委託事業から撤退させないように働きかけ、都にも会計チェックを現状程度に骨抜きにするように強い働きかけをしたのだと思います。コラボとしても、これこれこういう形でよいから委託を続けてくれと実際に東京都から言われて、OKが出されたと思ってその通りにしていたとすると矛盾が無いように思います。その一端を示したメールが情報開示で出なかったメールなのかもしれません。すべて都にオープンにやっているから違法も不当もないはずだという論理は実によく理解ができます。おそらくその「誰か」のお墨付きがあったために、絶対に問題が無いと思ったのは自然な流れだと思います。

このように正義感に燃えて、自信をもって事業を行っているとき、特にパイオニア的な事業を行っているときは、一般常識というものに目が向かなくなる傾向があるようです。
今回の監査結結果からも、コラボに公金を使っているという意識が希薄であることは十分伝わってきます。委託事業だけではない法人の会計などについての費用を委託事業の費目に挙げているのは、単なる事務処理上のミスではありえず、考え方の問題です。高額な食費、旅費を会計処理上公金で賄ったことにしたことは、もちろんそれなりの言い分があるわけですが、これが公になったならば反発を受けることは当然予想しておくべきだったと思います。

なぜ、こんな当たり前のことができずに、世間知らずの状態が放置されたのかということが問題です。この辺りは、仁藤さんを支える人の中に良識のある人がいてその人が仁藤さんにきちんと説明できなかったということを意味するのだと思います。そういう人間関係であったことが図らずしも、現在の状況から推測できるわけです。数千万円から億を超える収入を回す団体に、会計の専門事務職がいないということは致命的な問題ですが、誰も指摘しなかったのでしょう。

また、こういう会計の専門技術がない人たちの根拠となるのは、最大はお金を出す地方公共団体のお墨付きですが、もう一つのありがちな相手の影響があります。それは先輩組織の会計指導です。適切な会計処理を指導するのではなく、とれるものは多くとりなさいという指導がなされて、自分の不適切会計を教えてくる組織を目にしたことがあります。おそらく、ここで「なにか」が大いに影響を与えていたことは十分想定できるところです。

それにしても、「なにか」にも都にも影響力のある「誰か」が本当に誰で、どのような目的でコラボの離脱を恐れるほど被害女性等支援事業の実施に固執したのでしょうか。私は一つは外圧なのではないかとにらんでいます。日本の女性の立場の劣位に対するどこかからの批判があり、その批判をかわすために女性の地位向上の事業に莫大な予算を割いているという体裁を取り、予算を支出する実績というアリバイを作りたかった「誰か」がいるのではないかということです。

国は、男女賃金格差については手を付けなくなり、雇用機会均等政策もおざなりの状態です。そちらで動かない分、他の男女参画政策で予算を使わなければならなかったということなのではないかとにらんでいます。

以上のように考えると、仁藤さんも利用されていたのではないかという思いが私には残ってしまうのです。

男女参画事業の一つとして若年女性等被害者支援事業が行われているのだと思いますが、男女参画事業の目玉は配偶者暴力救済(DV救済)にあります。

最後にDV政策と本件の政策の共通項だけ指摘しておきます。
同じように女性だけを被害者として固定して、つまり男性を加害者として固定することを前提として政策が運用されている。
一方の話だけで被害者として他方を加害者として家族分離が行われる。
どのような支援、救済方法なのか、きちんと国民に知らされておらず、政策の被害者の声が圧殺されている。

特によくわからないのは、東京などの繁華街にたむろしていて、救済が必要な人は何も虐待の「被害者」に限らないし、女性に限らないはずなのです。

どうして被害を受けた人限定なのか、ここがよくわかりません。

DVの場合も、DVを受けないと支援をしてもらえない、だから些細なことでもDVに仕立ててしまうという問題点が生まれるように思っています。この辺りはまた別にお話ししようと思います。


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Colabo問題から前向きに考えるべきこと 1 東京都若年被害女性等支援事業の監査結果の読み方と今後の訴訟の行方 [弁護士会 民主主義 人権]



 1月4日に暇空茜氏の監査請求について、東京都監査委員会は監査結果を発表しました。東京都に対して是正措置が命じられるという衝撃的な内容でした。住民監査とは、地方自治法242条に定められている制度です。簡単に言うと、公金の使用に関して地方自治体に違法、不当があるかどうかを調査、判断し、違法、不当がある場合には是正命令が出されるという制度です。

 この監査請求はハードルが高く、めったなことでは請求が認められることはありません。実際に東京都では舛添知事の時代以降6年間にわたり監査請求が認められることがありませんでした。請求自体は毎年数件あったようです。

 ハードルが高い理由は、監査請求という制度の設計にあります。自治体が行政の支出について違法不正がないことを証明するのではなく、住民である請求人が、公金の使い方に「違法」、「不当」があることを示さなければならないことが第一のハードルです。何しろ、一般住民である請求人は公務の外にいますから違法や不当の証拠を持っていません。これという証拠がなく監査請求をした場合は、監査委員会は、「違法、不当の証拠がなく、請求は妥当ではない」と言って請求を拒否します。だからなかなか監査請求は通りません。地方自治体の財政に関する行為ですから、そもそもあからさまな違法不当な行為は行われません。もしあからさまな違法不当な行政行為があれば、監査請求がなされる前に自浄作用で正常に修正されていることが通常の事態でしょう。

しかし、ハードルを高くする必要性もあります。不当な監査請求が乱発されてしまえば、都の財政支出がストップしてしまい、地方行政がうまくいかなくなるからです。行政効率と合法妥当な行政行為という対立しかねない要請をうまく調整する必要もあるわけです。
 
今回の監査委員会は、東京都から独立した組織なのですが、メンバーを見ると、与党の都議会議員2名も入っています。都のトップである知事と同じ意見の人が、都の行政行為の監査を行うメンバーだということも少し心配がないわけではありませんね。

 こういう高いハードルがあるのですから、監査請求が通るということはめったにないことです。暇空さんの丹念な情報開示請求からの手続きの流れは、まさに法の趣旨に則った正当な監査請求であったことを強く物語っているというべきです。

 暇空さんの監査の理由が一部認められなかったのですが、暇空氏の主張が存在しないものだと監査委員が判断したという論理は成り立ちません。存在しなかったという判断をしたのではなく、要するに資料が不足して証明できなかったということにすぎません。監査委員会は、決め手となる証拠を新たに調査することなく、暇空さんの監査事項のいくつかは「相手の回答(表3)からすれば問題があるとはいえない」ということで、違法、不当とは認められないとしたにすぎません。

しかし、監査委員会の監査結果によると、その記載事項の裏付けについては会計原則に基づいた調査がなされていない(領収書が無いことが多いという指摘あり)というのですから、会計上は限りなく疑わしいということになってしまうと思います。だから監査委員会が監査請求のいくつかに妥当性が無いと判断しても、例えば裁判の判決のようにそのような事実が無かったということを認定したわけではないということは理解する必要があります。

一般の方は、監査と言うことなので、日々の会計書類や領収書などの裏付け書類を調査したうえで理由がないと監査委員会は判断したと思われることでしょう。しかし、今回の監査委員会の監査結果はその裏付け書類が無い不適切な会計書類をしていたというのだから、裏付け調査ができなかったということですから、単に相手の回答書が真実だとしたら請求根拠がないと言ったと読まざるを得ません。

回答書を見ただけでも不当な支出があるという結果が示されたことは大変深刻なことです。領収書を残さないという不適切な会計処理は、極めて深刻な指摘しています。

 但し、こういう住民監査制度の立て付けを理解した上でも、今回の監査結果は、割り切れない文章が続いています。別々の人がそれぞれの個所を起案したような違和感があります。端的に言えば領収書がない等の不適切な会計処理であるにもかかわらず不当な公金支出としない理由があるのかという疑問が生まれるわけです。

 これもいくつか理由が考えられます。
第1に、請求者(暇空さん)が「コラボの不正会計を監査しろと」言う体裁の請求をしたと読める節があることです。そもそも監査請求は「都の行政行為」に違法、不当があるので是正しろというものです。主語は「東京都が」にしなくてはならないわけです。これが今回の請求ではコラボが不当な会計処理をしているから監査しろというように読めてしまうために、「コラボの会計報告に対して東京都が支出したのであり、その会計報告に書類上問題が見当たらないために、東京都の行為には違法、不当が無い」という監査結果の論理にすることができた要因かもしれません。

第2に、それを監査委員会が積極的に利用したのではないかという疑念があります。もちろん監査委員会は、請求人の請求書の内容を通りやすいように修正してあげる義務はないでしょうから、それが問題とは言えないかもしれません。しかし、住民監査請求は、一般住民が行う請求です。住民監査請求が制度化された地方自治法の趣旨に照らせば、その趣旨に照らして必要な監査を行った上で、適切な会計処理をしない団体に多額の公金を支出した東京都の妥当性を監査するべきだったのではないかとも考えられます。個人的な主観、感想ということになりますが、あえてこれをしなかったことは、監査委員会が世の中の非難対象を東京都からコラボにすり替えているような印象を持ってしまいました。

 私の勘違いでなければ、本来東京都が監査されるべき内容は、「領収書などの裏付けのない会計報告に対して、予算通りの支出をすることに不当性は無いのか」という問題だと思うのです。特に支出金額が多額であることに比較してあまりにもチェック体制がずさんではないかということが論点であるような気がするのです。

 暇空茜さんは、監査請求に対して行政訴訟を行うということです。既に弁護士も確保しているということのようなので、委託支援事業の支出原則に照らした東京都の支出行為の問題に裁判所の判断が入ることになるのだと思われます。監査委員会はこうなることを避けるために、是正措置を命じた監査請求結果としたはずです。最初の原則論的な説明部分(違法不当が証明できていないとする部分)があったために、訴訟になってしまったという印象を持ってしまいました。

次の問題は(ブログ上は前の記事になりますが)、ではどうして委託支援事業に対してずさんな支出が行われ続けたのかという問題を考えてみます。

余計なことを言うと、今回も、請求者立証の原則をフルに生かして、請求棄却の結論にしようという動きがあったのではないかという懸念があります。監査結果の文章は途中までこういう流れのように感じます。しかし、これを問題なしとするのは会計原則上問題が大きくなります。特に弁明自体が不当会計であるとされたという、いわば民事法上の「自白」をしているにもかかわらず、請求棄却はあり得ません。会計の専門家、法律の専門家としては、それは自分自身のプロフェッショナルを否定することになり、できないでしょう。部分的に弁明自体が失当ということであれば、監査請求を通さざるを得ません。監査請求を通すならば、不適切な会計処理にも言及せざるを得ません。注目されることは、東京都が2月28日までに、会計資料を整理して裏付けを調査、発表し、必要な公金返還手続きをするということです。ここがどこまできちんとなされるかが焦点です。コラボ自身の弁明自体が不当と認められた点に限定して調査が行われる危険があります。注目するべきポイントはここだと思われます。


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