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「性格の不一致」が離婚原因になることがないことと本当の意味、そして弊害 [家事]

離婚調停の申立書のひな型には、
離婚理由をチェックする欄があります。
不貞や暴力と並んで
性格の不一致というチェック項目があり、
あたかも性格の不一致が離婚理由として認められているようです。

しかし、法律家のディープな会話として、
(あまり、公的とか、表向きにならない会話)
性格の不一致が離婚理由にされることはおかしい
とささやかれているのです。

理由はいくつかあります。
第1に、どんなに夫婦だって言っても
性格が一致する夫婦はそうそういないだろうということ。
性格が一致しなければ離婚理由になるとすれば、
世間の夫婦はみんな離婚理由がある
ということになってしまいます。

そもそも育った環境が違う二人が
共同生活を行うのが結婚ですから
性格が違って当たり前です。
育った環境が同じの兄弟だって性格は違いますし。

また、対人関係学において性格とは、
群れの中のその個体の役割を体現したもの
その時々の環境に応じた状態であり、
永続する属性ではないと考えられています。

性格の不一致が離婚理由になってはいけない理由は、
上記の対人関係学の考察とも関係しますが、
夫婦ないし家族においては、
それぞれの構成員の性格が異なることに
メリットがあるということです。

単一の性格の集団は、
多様な困難に対応できず、
簡単にコロニーの崩壊をもたらせてしまいます。

粘り強い性格の人も大切ですが、
あきらめやすい性格の人もいなければ
不可能に向かった頑張りから逃げることができません。
強硬な態度が功を奏することもあれば、
受身で柔軟な対応が命を救うこともあるでしょう。

異なった性、多様な性格、長所や短所
いろいろな人間が
家族の利益を共同で図っていくことが
集団のアドバンテージです。

また、そのような意見の違う人たちが
いつまでも一緒にいることだけを一致点として
共同生活を送ることを体験することは、
子どもの将来にとって、
人間関係形成にとても役に立ちます。

それにもかかわらず、
性格の不一致があることを理由に
裁判所が離婚の判決を書くことは
道理にかないません。

結婚等制度が不安定になってしまいます。

あるいは、嫌な夫から別れる手段になるかもしれませんが、
それは、
気に食わない嫁を追い出す論法として
伝統的に使われてきたことを見逃してはなりません。

そうは言っても、
性格の不一致を持ちだして離婚を要求するのは
やはり女性が多いようです。

では、そこで言う、彼女らの
離婚原因としての性格の不一致とは何でしょう。

よく聞くことは以下のようなものです。
一言で言えば、
結婚生活がつまらない、楽しくないということです。

さらに具体的に聞いていくと
・ 共通の趣味がなく、共同行動ができない
・ 価値観が違う、善悪のポイントが違う
・ 行動の動機が違う
・ お金を使うポイントが違う
・ 自分の行動をいつも否定するので、戦々恐々と過ごしている
・ 一緒にいたいときにいてくれない
・ 一人でいたいときにいる

大体こんな感じですか。
自分の行動が制約されるということが
どうも多いようで、
自分で自分の身を守れないという
植物ではない動物の共通遺伝子を
発動してしまうポイントであるようです。

しかし、これらは、
共同生活を送ることに未熟なことのあかしで
修正することが十分可能である事情です。

一つは、
相手と自分の意見を調整することができず、
どちらかの意見が他方を屈服させるしかないという考えです。

決定原理が男の大きな声か
女のヒステリーということになってしまいます。

議論の仕方として
結論を置いておいて、
なぜそういう主張をするかという
問題の所在を二人で大事にすることで解決するべきです。


また、相手に依存しているということがあります。
自分では何も意見を言わないで、
なんでも相手に決めてもらおうという態度をとっているくせに
相手の決定が気に食わないと
相手を否定するという子どもじみた生き方だということになります。

うっかりすると、
そういう批評家になってしまう危険は
しかしながら常に潜んでいるかもしれません。

言葉をしゃべれない赤ちゃんの時の
記憶が残存しているのかもしれません。

対して重要でもないことでも
相手の決定に従うのが嫌という
超未熟な考えもついつい頭をもたげます。

夫婦や家族は
どうするべきかという発想から
相手がどうしたいのか
ということで決定するということ、

相手に意見を変えてもらいたいなら
自分の話し方を変えて、
相手に自分のいけんを選んでもらうような
工夫が必要なのでしょう。

そういう、
夫婦生活の知恵というものを
誰も伝えないので
現代の夫婦は無防備な状態にさらされています。

ましてや性格の不一致が離婚原因になるみたいな
家庭裁判所の様式は、
無防備な夫婦をさらに危険にさらしているものであり、
ぜひ改めるようにしていただきたいと考えています。

長時間労働、パワハラで自死に追い込まれた件の謝罪の会に立ち会いました。 [労災事件]

長時間労働とパワハラで私と同年代の方が
妻子を残して自死に追い込まれた事件の
損害賠償請求の代理人をしています。

和解がととのいつつあるのですが、
和解の条件として、
正式な謝罪と
将来に向けた過労死防止措置と遺族に対する配慮の
申し入れを行うから真剣に検討するように
というものを上げました。

これを受けて企業体の側が、
ホテルの一室を用意して
会をもうけてくれました。

全国組織の本社と支社の
相応の身分の方が来て、
謝罪をしていただきました。

こちら側は、遺族と私で
申し入れ書を作り渡しました。
骨子は、
長時間労働等過労死認定基準に該当する出来事を
排除すること
パワーハラスメントが起こる要因の排除
労働者が家族と生活するという事実を
大切にしていただくこと
偏見にさらされている自死遺族の心情を理解し
誤解を招く言動を行わないということ

出来事排除の趣旨は、
過労死と言われる心臓疾患、脳疾患心筋梗塞は
自覚症状がないまま進行してしまうこと
このため、自分や家族は症状の進行がわからない
病気を進行させる客観的な環境を改善することしか
防止の方法がないこと

パワーハラスメントは、
上司個人の性格の問題にするのではなく
ノルマの問題や、
計画的業務命令となっているか
上司が困難を抱えていないか
等のやはり環境的整備が必要だ
ということを述べました。

家族とともに生きるということについては
最近、このような要望書を作るときに、
よく入れさせていただくのですが、
過労死、過労自死が起きる時
パワハラももちろんですが、
相手の労働者の人間性が捨象されているのです。

具体的にどのようなことが人間性かというと
一つの切り口として
みんな、家族や友人やつながりの中で生きている
そういう立場やメンツというものをもつことが
人間というものだという意識、
こんな罵倒されている姿を
妻や子に見せるわけにはいかない
悔しかったり、辛かったりする背景に
自分のつながりの中での緊張関係が生まれる
ということにつながるということが一つなのですが、

もう一つ、
家族ぐるみで、支え合うということの大切さを
訴えるということが、
むしろ遺族が要望されることが多いです。

自死遺族に対する配慮ということですが、
どうも、第三者は良かれと思っていろいろ述べてしまうのですが、
解釈のしかたによっては、
自死をしたこと自体が不祥事であるとか
もっとつらい労働をして自死をしていない人がいるという言葉は
その人に比べて弱いとか
そういう風に受け止めてしまうものだということを
具体的な出来事を上げて述べさせていただきました。

この概要を私の方で説明した後
ご遺族が心境を語りました。
率直に素直な気持ちを語られましたが、
淡々とお話されて、とても立派でした。

むしろ淡々と語られたことが
相手方の心にも響いたようです。

使用者側の対応も立派でした。
ご遺族の負の感情の吐露も
使用者側の対応によって、安心して話ができたから
ということもあるのでしょう。

言い訳をするのではなく、
故人がいかに立派で、業績があり、
責任感が強く、意志が強かった
ということに力を入れてお話をされていました。

いろいろと辛いお話を聞かなければならかったのに
全て受け止めていただきました。

何よりも、
今回の事件をきっかけに
職場のシステムがだいぶ変わったというのです。
予想を超えた対応で感心しました。

ご遺族のお話で印象的だったのは、
一つは、社員研修で、自分の事件について
あるいは過労死のメカニズムについて
お話してほしいということと、

原職のご家族に、
申し入れのことについても周知してほしいということでした。

その後は、色々な思いを抱えていたとは思うのですが、
故人の生前のエピソードなどについて
打ち解けてお話を交わしました。

この場に立ち会って、
あるいは申し入れ書を作成しながら感じたことは

人を採用して働いてもらうということは
宝物を預かるということかもしれないなということです。
みんなみんな人と人とのつながりの中で生きている
宝物です。
お預かりしたものは、
定年まで大事に扱わなければならないし
毎日、家族の元に大切にお返ししなければならないものだと
つくづく感じました。

また、相手方が立派な対応されたので、
ご遺族の表情も和らいでおり、
第三者である私は、
その場では怒りの感情を失っていました。

その代わり
ただ、ただ、過労自死という形で人が亡くなったことが
取り返しのつかない悲しい出来事だという思いが強烈に高まり、
怒りの感情が失せたことによって
逃げようのない辛さ、苦しさを感じました。

怒りを抱くことが、
悲しみを和らげる効果があるということを
改めて感じました。

この日は雪が降っていました。
帰宅したころには夜になっていました。
街灯に照らされて、次から次から
暗闇の夜空から降り落ちる雪を見ていました。

命の営みは、
このように降り続く雪のように
悠久の時を通じて繰り返されるものなのかもしれないと感じました。

雪が落ちて溶けて、また降り落ちては溶けて
ただそれだけのことかもしれないのですが、
ただそれだけのことがとても愛おしく
崇高なことのように感じました。



対人関係学:震災から生まれた自殺予防の基礎理論 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

対人関係学 震災から生まれた自死予防の基礎理論
                     
技法分類 行動学

考え方:人間の感情は、個体が生存し種を保存するために不可欠な、
遺伝子に組み込まれた環境に対する反応である。

根幹の感情(生存の継続を希求する仕組み)

<動物>としての感情・・・自分の身を自分で守りたい
     いざとなったら自分の身を守る行動が
できないかもしれないという不安 
危険感覚の阻害、行動の自由の不自由感
(自力救済の行動要求)
<人間>としての感情・・・群れに帰属していたい。
   自分の行動あるいは群れの他の構成員の言動によって、
自分が群れから追放されるかもしれないという不安
(帰属の要求)

自力救済の行動要求不全
   忙しさから自分の行動の自由がないと感じる場合
   (過労死、過労自死)
   他人の支配を受けているため自分の判断での行動が
許されないと感じる場合(配偶者加害、カルト集団の洗脳)
   細部に至るマニュアルがあり、自分の判断によって行動できない
と感じる場合(過労死過労自死)
   公権力、自分より地位の高い者、多数によって、
抵抗不能であると感じる場合、
(公権力による弾圧、パワーハラスメント、指導死、いじめ)
帰属要求不全
    自分の健康が気遣われない(暴力)
      自分の人格が尊重されない
     正当な評価がなされない(成果賃金の不具合)
      具体的な指摘のない否定的評価
      自分の欠点、弱点、不十分な点に否定的評価が下される。
      群れの決定過程に参加できない
      一段低い立場のものと評価される
      自分の何らかの失敗
      仲間の損害を未然に防止できなかった
      自分が仲間の中に安住するためには仲間のための役割が必要で、
そのための必要な役割を果たせなくなった。

帰属要求不全の具体例
    社会という群れ  自分あるいは自分の家族だけが、
他の人たちよりもみすぼらしい状況にある。
    マンション    自分の部屋の周囲だけが、
ひび割れが多いのに、修繕してくれない
    みなし仮設    自分たちだけに情報がこないため、
損をしているようだ。
    職場という群れ  自分が評価されずに、自分よりも
働いていない同僚が評価されていることからすると、
自分は会社に不要な人間だと評価されているのではないか


自力救済の要求不全と帰属要求の不全の効果
    不安を感じ続けることになる。
  = 身体生命に対する危険が迫っているように交感神経が活性化され続ける。
  → 危険が係属しているか安全になったかという
二者択一型の思考になじみやすくなる。
複雑な思考、将来的な推測、相互譲歩、次善の策への発想の転換等
柔軟な思考が停止ないし低下する。
    確実に安全であることを志向するため、悲観的な思考が支配されやすくなる。

命題のリフレイン
  「このまま苦しみ続けるか死んで楽になるか。」
      ↓
  具体的な自死の方法を観念してしまうと、
思いとどまることが困難になる(自己制御力の著しい低下)

別角度からの考察
  群れから疎外され続けていくと、
自分が大切にされていないという意識が継続することになり、
自分自身も自分を大切にしようという意識、
人間は尊重されなければならないという意識が低下する。
死への閾値が下がる。

解決のための理論

1 客観的に要求不全があれば、
当然に、危機意識や不安という反応が起きるものだとして考える。
「大丈夫ですか」という問いかけは無駄で有害。
受け手は「大丈夫だ」という答えを要求されていると感じる。

2 疎外感覚を生み出す客観的条件を改善することこそが心のプライマリケア
  そのためには、疎外を感じる事情はどういうことか
絶えず問い続けること。人間とは何かが根本的な考察対象。

3 孤立こそが死の閾値を下げて、帰属要求不全を助長する最大の危険因子

4 逆に、居心地の良いコミュニティで尊重
(欠点、弱点、不十分点、失敗を責めない、嘲笑されない、
批判されない、むしろ群れの他の構成員が補ってくれる)
されていると、他の不安も解消されていく。
死の恐怖さえも和らぐ。
0の先のプラスを目指すということ。

5 怒りは、不安解消行動である。
怒りの言動に心を動かすよりも、怒りの根源にある不安を推察する。
そして、言いあてて、共感を示す。

6 安易な慰め、あなたは悪くない、死ぬほどのことはないという発言は、
その人の苦しみを否定すること。
援助者が、当事者の苦しみに共感したくないという突き放した対応。
 
不合理な自責の念すらも、その人にとっては絶望を回避するためのメカニズム。

7 大切なことは、「私はあなたを決して見捨てない。」ということを伝えること。

【事件報告】日本国籍のない在日外国人の父親を確定する訴訟の方法 実務家向け [事務所生活]

極めて珍しいと思われる訴訟をしましたので
報告をします。
もしかしたら、解決をあきらめている方も
いらっしゃるのではないかと思ったからです。

但し、法律的に必ずこうなるというものではなく、
けっこう阿吽の呼吸があることなので、
お含みおきいただきながらお読みください。
その意味で、あえて不正確な表現を使っている個所もあります。

事案は、後に韓国籍を取得したけれど
出生時朝鮮国籍だった方の件です。

この方の母親も父親も朝鮮国籍で後に韓国籍に変えています。

母親が、かつて朝鮮国籍の方と結婚していました。
この時、受理証明書を区役所から交付を受けることによって
母国法でも正式な婚姻とされるようです。

ところが事情があって離婚をしたのですが、
離婚届を出したにもかかわらず、
役所はこれをきちんと受理せず、放置していたようです。
このため、後に離婚届け受理証明書の交付を受けることができませんでした。

その約1年後に母親がやはり朝鮮国籍の男性と再婚し、
役所は婚姻届けを受理しました。

そうして、当事者が出生したのですが、
離婚をしたことが受理届けによって証明できないために
形の上ではお母さんが重婚状態になっていたため、
父親について法的に確定できないという事態になってしまいました。
(本当はこの扱いにも疑問があります)

事情があって、判決によって父親を確定する必要が生じたことから
当事務所に依頼にいらっしゃったということになります。

<訴訟の名称>

ここで日本法のおさらいですが、
日本国籍を有する者が重婚した場合の父親を定める方法は民法で定められており
父を定める訴え(773条)で解決します。
(曖昧をそのままにしています)

これは、子どもと母親の二人の夫との間に
嫡出子推定が法律上働いてしまうからです。

ところが外国籍の場合は、戸籍もありませんので
773条の場面ではないということになります。

このため、一般的な確認訴訟を提起しました。

<被告>

この場合、被告は、父親を巡って争いがある相手ということになります。
(733条の場合は、二人の夫が被告となる。)
国が紛争当事者だとすると
家事審判手続き法の規定により、検察官ということになるようです。
(やや微妙な問題をそのままにしています)

<準拠法>
さて、次にというか、前提的問題となるのは
外国人の親子関係を、どこの国の法律で裁判をするか
という問題になりますが、
これは、法の適用に関する通則法28条、29条
で出生地の法律ということになります。

<朝鮮国籍の場合>
出生の時に朝鮮国籍である場合とてつもなく困難な問題が生じます。
この場合、朝鮮を北朝鮮だとすると
北朝鮮の家族法が日本紹介されていないからです。
存在すらもわからないので、準拠法に使うことができません。

このため、
韓国法を準拠法とするべきだと主張しました。
その理由
1 朝鮮の国籍は、日本が併合していた時の国名であるから
  北朝鮮を指すものではないこと。
2 母親の出身地が現在の韓国であるから韓国とするべきである。
3 当事者全員の主観でも北朝鮮ではなく韓国籍であり、
  実際に韓国籍に変えたこと。
  それ以前に、北朝鮮を国籍とするという
  意思決定がないこと
などです。

このあたり法律的に正しいのか怪しいのですが、
実務では、えいやあと大韓民国法を根拠法とする
運用がなされているようです。

まあ、その他にもいろいろなことを乗り越えて
無事、判決によって父親が定められました。

大変参考になった文献として
第3版 「在日」の家族法 日本評論社

過労自死と離婚の関係 死ななければ良いってもんじゃない [労災事件]

過労自死は、
過労によって精神的に追い詰められてゆき、
極端な視野狭窄と悲観的な考え方に支配されてしまい、

例えば、

この仕事、ここが不合理だから
こういう風に修正するように提案してみよう
等と言う建設的な選択肢をもてなくなり

この仕事苦しいから退職して、
別の仕事を探そう
という選択肢もなくなり、

「このまま仕事で苦しみ続けるか
 死ぬか」
ということばかり考えるようになり、
自死に至るということになります。

生きる力が根こそぎ奪われてしまった結果が
過労自死です。

このように追い込まれる原因として、
一つに睡眠不足があるわけですが、
それは時間外労働の量で決まるとされています。

一か月177時間労働だとして、
その他に100時間追加で働くと
一日の睡眠時間に5時間を確保することが難しくなる
と統計上算出されています。

つまり、一日100時間働くということは、
9時から6時の仕事の場合
週休二日を維持したとしたら
毎日5時間の残業ですから
11時まで残業をするということです。
そうして帰宅すると
12時を過ぎる人も大勢いらっしゃるでしょう。

そうして8時前に出勤していく。

たまの土日は寝ダメをして
昼過ぎに起き出すとしたら、
ほとんど単身赴任ですね。

仮にウイークデーは4時間の残業で
10時過ぎに帰るとすると
土曜日も5時間出勤ですから
日曜日はほとんど休息です。

これが150時間の残業となると
土日もほとんどつぶれるでしょう。

さて、先ほどの視野狭窄と悲観的見通しの支配ですが、
これが極端に推し進められれば自死に至りますが、
自死にならないまでも、
睡眠不足と仕事上の不具合で、当然起きてしまいます。

普通に生活しても多少精神的な波がありますから
それに睡眠不足が加わると、

自分が何らかの攻撃を受けているのではないかという
過剰な警戒心が常時発動されてしまいます。
安心を獲得できないという症状です。

そこに、100時間を超える仕事が押し付けられるのですから
それなりにトラブルや
日常、その人の人格を考慮しない扱いの労務管理がなされているわけです。

どうしたって、
自分は大事にされていない
働く仲間として尊重されていないという疎外感も高まります。

簡単に言えば、うつ病のような状態になってしまいます。
それが極端に高まれば自死ですが、
それに至らなくても、

毎日の感情が失われます。
家族がテレビを観て笑っていても、
一人ポツンとつまらなそうにしている
そもそもテレビを観ない。

買い物や外食に出かけようと誘っても
外に出たがりません。

何か口を開くと
くよくよと、悲観的なことばかり言います。
聞いていて大変つらくなります。
しかも、その内容が言いがかりのように
「あなたによって、自分が見捨てられるだろうと」
突き詰めて行けばそういう話になります。

自分は不幸だ不幸だと
さもあなたが原因で不幸であるかのような
発言になることもあります。

(本当はそういわれている人が一番安心できる人なのです。
 厄介なことに本人はそれに気が付いていません。)

住宅事情にもよりますが、
帰ってきて、まっすぐ自室にこもり、
下手をすると食事も自室でとるようになります。

家族としては、
自分が拒否されていると思うようになることは当然です。

また住宅事情によっては
寝室に戻らず
ソファなどで寝ていたりします。

うっかり、離婚したいのかと尋ねると
よくわからない等と言いだしてしまい、
離婚も考えているようなそぶりも見せます。

ますます家族は自分が否定されているような感覚を
もってしまいます。

家族の方も
会話も成り立たなければ、共同行動もなし、
それがいつまで続くかだんだんと気が遠くなり、
毎日が楽しくなくなり、
自分の人生って何なんだろうと
思うようになるでしょう。

愛すべき図々しい家族は、
自分の落ち度なんて考えませんから
本人がおかしくなっているということに気が付きます。

気が付くのですが、
「疲れているんだろうな」
ということで終わってしまいます。
それほど長時間働いているのですから
それはそれで正解ですが、
肉体的につかれているのではなく、
精神的につかれているのです。

病院に行くなり、なんらかの働きかけが必要な状態ですが、
お医者さんの休養するようにという指示を守らず
長時間労働をそのままにして
向精神薬だけを大量に服用していくと
極めて危険な状態になることは想像に難くありませんね。

さて、うつは伝染するということは、
夫が過労うつ病に罹患して、
そのうつ病に気が付かない家族が
自分が否定され、傷つけられている
仲間として尊重されず、離婚を切り出されそうだ
となると、
こちらもうつ状態になっていくことをいいます。

このまま夫婦として苦しんでいくか
死ぬか
みたいな視野狭窄と悲観的な考えで
さらには、
「それは精神的な虐待だ」
とか、それだけをいうしか能のない人たちから
頓珍漢なアドバイスを受けて、
自分は虐待されていると
恐怖を植え付けられてしまうわけです。

過労自死、過労死の存在する職場には
死に至らない無数の離婚事件を抱えています。

死ななければ良いというものではなく、
生きるための組織行動としての
職場の改善を考えなければなりません。