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家族再生を目指すならば、調停でやっていけないこと、心構え(暫定版) 共感チャンネル2 [家事]

一度壊れた家族、夫婦を再生させることはなかなか難しく、どうすればよいかというノウハウは、確立されていないどころか、検討すらされていないということが実情ではないでしょうか。敢えてこれに挑戦するのは、ひとえに子どもたちの健全な成長に役に立つと考えられるからです。このため、無謀であることを重々承知の上、挑むわけです。また、不十分ながらも成果はそれなりに出始めています。この理論が将来的にはもう少しマシになることを信じて暫定版としました。

再生の役に立つ方法は難しいのですが、やってはいけないことは簡単です。
一言でいえば、相手を心理的に圧迫する結果になることです。
心理的に圧迫するとは
・困惑させること
・恐怖心を抱かせること
・屈辱を与えること
等の自分の調停行為が相手に伝わることによって、相手を嫌な気持ちにさせることです。

どういう行為が、これらの結果を生み出してしまうかということですが、
一言でいえば、相手を否定することです。
・相手の行為の否定  同居時の行為の否定 いかにだらしないか等
           別居の否定     連れ去りは許さない等
・相手の考えの否定  子どもはゆっくり遊ばせることが良いとか逆とか
           お金をもっと貯金した方がよいとか逆とか
           相手が選んだ調度品や食べ物の趣味とか
・感情の否定     怖いわけがないとか、苦しいわけがないとか
           子どもを攻撃することに理由がないとか
・発言の封殺

 せっかくの調停というチャンスの場があるのに、相手の悪口ばかり言って、売り言葉に買い言葉で対立をあおってしまっていたのでは意味がありません。例えば、再同居という結果、面会交流という結果を求めようとしているなら、そのために必要なことを行い、デメリットとなる行為はしないということを徹底するべきです。
なぜか、逆方向の行為をしてしまい、調停になっても、自分が一方的に相手を評価する立場だというような振る舞いをしてしまっていることが多くあります。これにはなかなか気が付きません。例えば同居中、夫が一方的に妻の行為を評価し、ダメ出しばかりしていると、妻は自分が支配されている気持ちになると同時に、他者を一方的に評価してダメ出しをするという行為パターンを学習してしまいます。ある時、夫を一方的に評価して子どもを連れた別居が起きる危険を高めているわけです。

相手を一方的に評価したり、結果として相手を心理的圧迫してしまったりする理由の一つには、調停の目標が定まっておらず、相手の主張に反応するだけだったということがありますが、表題のとおり今回はこれを想定しません。それでも、家族再生を願って調停に臨んでいるにもかかわらず、相手を攻撃してしまうということを考えるべきなのです。
代理人として感じることは、相手を攻撃してしまう理由として自覚すべきことは、無意識、無自覚に自己防衛をしてしまうということです。これは無理もないことなのです。妻から離婚を申し立てられたり、妻が子どもを連れて別居したりということがあれば、本能的に家族の役に立ちたいと思っている人間は、それらの妻の行為は自分の全人格を否定する行為と受け止めます。そうすると本能的に自分を守ろうとしてしまうのであり、それは生きものとして当然であり、普通の反応だということになります。
しかし、その本能に任せて、自分が正しく相手が間違っているという姿勢を見せてしまうと、調停委員との関係も不利になります。調停では、調停委員に中立以上になってもらう。ということが鉄則です。それにもかかわらず、独断的な言動をしたり、過剰な自己防衛や責任転嫁、大声などの感情的な対応をしていたら、デメリットしか生まれません。但し、こういう反応は自然な反応ですから、つい出てしまうものです。信頼できる代理人に同行してもらい、ブレーキをかけてもらうということをお薦めします。だから調停委員とけんかするのは、代理人に任せておきましょう。

やってはいけないことから、何をするべきかを逆に考えてみましょう。

単純に言えば、自己防衛をしないということ。「棄身飢虎」というお釈迦様だったか聖徳太子だったかの言葉があります。自分を棄てるところに活路を見出すということです。なかなか難しいことですが、本当のピンチならばこれで切り抜けるしかありません。
しかし、自己防衛は生物の反応です。条件反射的な反応です。なかなか防衛行為をやめることは難しいです。抽象的には、夫婦間に対立構造を持ち込まないということです。例えば妻は自分と敵対していて自分に対する攻撃をすると思うと、妻の行動の一つ一つに危機感を感じてしまいます。そうすると石を投げられてよけるように、いちいち反応をしてしまうわけです。その反応、反射をあえて制御するということですから難しいことですし、抽象的にやれと言われてできるものでもありません。
そこでプラン1とプラン2をたてて、さらに1+2という3段階のプランを考えてみました。

プラン1 対立構造ではなく、家族という一つのチームに不具合が生じているとして考える
 例えば、妻が子どもを連れて別居したということであれば、本来一緒にいるべき家族が分離しているという不具合が生じているということになります。サッカーの作戦ボードのように考えていきましょう。自分を含めたチーム状態を客観的に評価してみるのです。
 家族には夫さん、妻さん、子さんがいるとします。
妻さんが子さんを連れて家から出たという客観的な状況があるとします。
夫さんはまた家族で暮らしたいという希望があります。
妻さんは、それを拒否しているということになります。

そこで、その妻さんの理由は何なのか整理してみます。
妻さんの主張は、夫さんの行為A、B、Cを同居拒否の理由としてあげたとします。
この理由に対する夫さんの反論は以下のものです。
Aについては、その行為は存在するがやむを得なかった。
Bについては、事実無根である。
Cについては、その行為は存在するが、妻さんが悪いからだ

次に考えることは、妻さんは、夫さんのこの主張を受け入れるかということになります。
妻さんが受け入れないならば、主張は対立してしまうということになります。
これが客観的な対立状況です。

妻さんに夫さんの主張を受け入れろと結果ばかり要求してもそれは受け入れられないでしょう。むしろ逆効果となることが多いでしょう。
この硬直状態と言う現状を変えるためには、可変要素を見つけてうまく修正することです。対立状況の中、相手が変わることが期待できなければ、自分が変わってみせるしかありません。
対立構造を解消するほぼ唯一の手段は可変要素を自分だと認識し、自己の行為を修正する。これに尽きるわけです。自分を修正することによって家族というチーム状態の修正を試みるわけです。ではどのように修正するか。とりあえずプラン1の作戦ボードをそのままにして、プラン2を検討しましょう

プラン2 相手の価値観と感情を共有し、相手を安心させる
自分の行動のモチベーションや、人間の評価を、社会的なルールに依存してしまうことが、特に男性の場合多くあります。道徳だったり、社会的常識だったり、あるいは法律や正義だったりということです。しかも、この社会的ルールに依存していると相手を一方的に評価をしていることが多いようです。
 もう少しきれいに掃除をするのが当たり前だろうとか、きちんと部屋を片付けることが常識だとか、もっとやりくりを工夫するべきだとか、スマホばかりしている、オークションばかりしていて、教育上悪いとかですね。その主張は、第三者から見ると「確かにこれはひどい」と頷けることが多くあります。

特に子どもが生まれると、子どもの視点、子どもを守る視点が強くなります。ここで注意するべきことがあります。現代の人間は、仲間を守ろうとするとき、守ろうとしているその仲間以外の人間を敵だと感じてしまうということです。敵である以上、配慮のかけらも無くなり過酷なことをしていることが多いのです。いじめにしてもパワハラにしても、このような現代の人間的傾向を反映していますが、その説明はまたの機会にします。いずれにしても、子どもが生まれると、先の社会的ルールの依存が大きくなってきてしまいます。常識を強く振りかざして評価してしまった結果、そのことによって生じた相手の苦しさ、悲しさに気が付かないということがあります。子どもの前で叱責されることは大変な屈辱です。対人関係的危険を強く感じて防御の姿勢に入ってしまいます。しかし、「子どものために」という意識は、相手の感情に対して無頓着にさせてしまいます。

 この結果、過酷な行為をしているかもしれません。
 そもそもできないことを強要しているかもしれません。それまでは気にならなかったことが子どもが生まれたことで気になってしまい、「やれ」という態度になっているかもしれません。 また、出産によってホルモンバランスが変化し、一時的にできなくなっているということもよくあります。迅速な行動が苦手になる場合もあるようです。つまり、本人に責任がないかも知れないことで、相手を責めているかもしれないのです。たとえるならば、無理なノルマを強要するパワハラみたいなものです。「できない?やると言っただろう?じゃあどうするんだ。できないと大変なことになるよなあ。わかっているよな。どうすればよいかなんて俺に聞くな。」ということをあなたは相手に言っていないでしょうか。仕事はともかく、家庭ではできなくても仕方がないのです。そういう方と結婚したのはあなたです。相手ができないことはあきらめるしかありません。あきらめた上で、少しずつ改善する方法を探しましょう。

 よくここで家族の中の働き手の方が言うことは、「仕事で疲れているんだから」というタームです。一件もっともなことを言っているようですが、これはあくまでも会社の論理です。家庭の中に入れてはいけない社会ルールです。家庭生活ごときができなくなるほど生気を搾り取られる働き方に疑問を持たなければならないのです。このタームを口にするくらいなら、もっと楽な仕事に転職するか、収入が見込めないけれどどちらを選ぶということを相談しなければならないはずなのです。異論はあると思いますが、調停ではそう考えましょう。

 相手の気持ちになって、相手の言い分をすべて通そうとすると1週間で精神的な破綻をきたすというデータもあるので、ほどほどでよいようです。

必要なことは、過去の出来事など主張が対立しているエピソードがあったとき、その時
・相手は困っていたかもしれない
・相手は不条理だと思ったかもしれない
・できないことを強要されていると思ったかもしれない
・子どもの前で顔をつぶされたと思ったかもしれない
・自分が否定されて追い出されるのではないかと怖かったかもしれない
・大好きなあなたから軽蔑されるという不安があったかもしれない
そしてかわいそうなことをしたかもしれない
その可能性を、罪悪感を抱くべき可能性を肯定する
そういう発想が生まれればそれでよいのだと思います。
自分たちの外にある社会的ルールではなく、相手の感情をモチベーションにする、相手の感情を肯定するということの訓練がプラン2ということになります。

そして、プラン1+2です。
硬直していた客観的状況、あなたの行為ABCについての再評価をしましょう。
A やむを得なかった
   → もっとうまくやる方法があったのではないか。
B 事実がない
   → そういう事実は客観的には存在しないが、妻さんからすればそういう風に受け止めたの ではないか、そういうことがあったような気持ちになったのではないか。
C 相手が悪い
   → 相手の弱点を自分が補う方法があったのではないか。無理や不可能を相手に強いたのではないか。
このような再評価を可能な限りしてみることができれば、次のプランです。

プランX 相手を安心させる実践

 調停が開催されることは大きなチャンスです。全く会えなくてどこにいるかわからないという事態を見ていると本当にそう思います。

 さて、相手が離婚を求めている時の多くは、相手はあなたと一緒にいることが嫌だということですが、無自覚にですがあなたを安心できない存在だという精神状態になっていることが殆どです。そんな馬鹿なと思った人も、それでも普通に同居していたと言いたい人も、プラン1+2を習得すれば、別の可能性が見えてきているはずです。そこでいう相手の感じている安心できない感覚、端的に言えば危険とは、身体生命の危険ではなく、自分が否定されるのではないかという心理的圧迫を感じているということです。

「記憶」という用語を使って言えば、あなたが安心できる人間だという記憶が再生できない状態なのです。それが、あなたは私を否定したり、傷つけたりする人間だという、危険の記憶に置き換わっているようです。あなたがとるべき方法は、相手の危険の記憶を安心の記憶に上書きして置き換えていくことしかありません。安心の記憶とは、どんな時でも自分の弱点、欠点、不十分点を、責められない、批判されない、笑われないということです。

もちろん相手が嫌がる行動をしないという鉄則があります。この場合は沈黙は金です。
安心させる行動を積極的にするということになります。この場合は、沈黙は役立たずです。

前提とするのは、相手方の感情や対立ポイントについての正確な情報の入手です。調停や相手方代理人とのやり取りで、積極的に情報収集をしましょう。反発心を抑えて、相手に言わせるようにしなければなりません。カチンとくることばかりですが、一旦は受け入れて持ち帰りましょう。
その上で、自分の代理人等と、情報の精査をすることが必要です。例えば、相手は言いすぎますから、叩かれたと言っていますが、どこかにぶつけて痣ができたと本当は言いたいということも結構多くあります。あるいは、こちらとしてはそんなつもりはなかったけれど、相手がこういう傾向にあるならば、それは、相手が言うような出来事だと受け止めた可能性があるとか、なんせ二人の間の出来事ですから、もう一つの情報源はあなたです。自己防衛を辞めて、プラン1+2を実践すれば、可能性は見えてきます。

そうして、肯定できる部分を徹底的に肯定する。探し出して肯定するわけです。行為は肯定できないけれど、感情は肯定できるというならばはっきりと肯定しましょう。包括的にすべて認める必要は一切ありません。主として感情を肯定することがポイントです。また、できる譲歩は全て譲歩しましょう。譲歩できないところは、なぜできないか、断捨離の気持ちで再確認しましょう。そして、肯定や譲歩をせっかくしたのならば、それを相手に伝える努力をしなければもったいないということになります。また、ポイントは事実関係の争いは対立ポイントとして温存することはやむを得ませんが、感情の有無の争いは争っても仕方がありませんので工夫して肯定しましょう。評価、感情のポイントは深入りしないということも考えなければなりません。

相手に伝える努力は、一つは調停委員を通じて伝えてもらうということです。本気度とか、真剣度は文章ではなかなか伝えられませんので、調停委員の先生にこういう態度でしたよと言ってもらうしかありません。

もう一つは陳述書というか、上申書というか、反省文などの書面です。実質的にはラブレターということになります。ラブレターを書いているという自覚をもてばある程度何を書くべきか、どのように書くべきなのかということが分かります。
相手を安心させるために書くということです。「責めない、批判しない、笑わない」ということは、こういうことをしないということなので、なかなか積極的に表現することはできません。むしろ、感謝と謝罪をすることによって安心させるという方法をとることも必要でしょう。
まず自分のために書くわけではないということ。

反省する際に、深刻に反省すればよいというものではなく、相手の心に届かなければなりません。暗い深刻な反省ばかりでは読む方が辛くなります。ラブレターなのですから未来に向って書くということが基本でしょう。この時も、相手に嫌な思いをさせたという謝罪は必要かもしれませんが、どちらかというと、自分が悪かったというよりこういう風に行動を修正すればよかったという方がよいように思うのですが、それは相手の反応を想定するということが必要でしょう。とにかく、今度は責めない、批判しない、笑わないということを伝える工夫ということになるかもしれません。つまり、プラン1+2の再評価を上手にちりばめていくことが求められています。

そうして、将来的なビジョンを示せればなお良いということになります。特に女性は、気まずさをリセットする能力を評価する傾向にあるように感じます。

また、過去の悪い出来事ばかりではなく、楽しかった出来事を再確認するということも安心の記憶への上書きとして使えますし、これは同居していた人のアドバンテージです。相手との楽しい出来事を共有していることは圧倒的な強みです。相手は楽しかった記憶がなかったわけではなく、思い出せないだけだからです。問題は書き方です。簡単に楽しい記憶はよみがえりません。ディズニーランドに行ったよねというだけでは、歩き疲れて辛かったとか、途中で雨に降られて寒くなったとかいう記憶だけがよみがえるかもしれません。具体的に書く必要がありそうです。ダメだと思っていたけれどイベントの抽選に当たって大喜びしてくれたとか、記念撮影していたらミニーマウスが一緒に入ってくれたとか、そこまで思い出して相手の記憶の再生を手伝うことが効果的なようです。

 感謝のエピソードも有効のようです。男性の場合、大体がお弁当や食事がおいしかったとか、手間暇をかけてもらったとかそういうことが多いのですが、それでよいと思います。相手が努力したことをきちんと評価し、感謝することは重要だと思います。

 ラブレターと一番違うことは、誰かに読んでもらうことです。押しつけがましくなっていないか、自己防衛や相手を批判しているように読めてしまうことが無いか、よく意味が通じているか、かえって負担にならないか等、チェックをしてもらうということは大事です。

 最後に、再生に向かって頑張る、ダメでも最後まで努力をしてみるという決意が生まれたら、それを支持する人とだけ相談しましょう。一番悪い悪魔のささやきは、「相手に屈服して言いなりになるのか、一方的に自分だけ悪者になって良いのか、自分だけ反省するなんて不公平じゃないのか」等々です。困ったことに、善意や正義感からのアドバイスです。しかし、家族の中に対立構造は持ち込まない、フォア・ザ・チームの気持ちでチーム状態の不具合を修正する、相手は自分に安心さえしてくれればリターンは必ずある、そういう強い気持ちと、それを励まして後押ししてくれる仲間を大切にしましょう。

 とりあえず、戦略はジャブを打ち続けるようなもので、決め手に欠けることが最大の弱点です。しかし、相手に安心してもらうということは、そういう気の長い行為なのだと思います。どこに決め手となるパンチがあるのか、どこに有効な打ちどころがあるのかは、残念ながら今後の課題です。また、それはおそらく、それぞれのご家庭の個別事情になるのではないかと現状では思っています。

 とにかく、家族再生を志した場合、上記の努力に無駄な努力はないと思います。離婚が回避できなくても、面会交流が実現し、充実につながるということが多く見られます。そうすると、面会交流の機会に、相手を安心させる活動を続けるチャンスができたことになります。但し、精神的な負担に耐えられるかということもチェックが必要です。再生という方針は支持していても、精神状態を気にかけて作戦放棄の選択肢を提示できる仲間の存在があることが望ましいことも実情です。

 家族の在り方は実に様々です。こうでなければいけないという態度をとらず、かつ、将来に向けて今できる活動、今必要な活動を行うという視点が大切であると思います。

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