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現代社会が生きづらいことの意味と、家族強化が有効である理由と、その方法について 家族を大切にして幸せになるとはどういうことか [進化心理学、生理学、対人関係学]

<なぜ生きることは苦しいのだろう>
<楽しく生きるためには家族が有効だ>
<現代型家族の作り方>

<なぜ生きることは苦しいのだろう>

この世の中が快適で楽しくて仕方がない
と感じ続けている人はいないでしょう。

テレビ、インターネット、街の話題では
いじめ、虐待、不登校、パワハラ、セクハラ、リストラ、過労死、離婚、配偶者虐待、虚偽DV 。親子断絶、貧困、借金、倒産、性犯罪、ヘイト、無差別殺人、戦争、テロと
「社会病理」の話題が途切れることはありません。

こういった「社会病理」の原因は難しいことではなく
人間の心が満たされないために精神的に不安定になっている
ということから起きています。

では、心が満たされないということはどういうことでしょうか。
これは、現代社会が、人間の心が適応できない環境になっているということです。
人間は水の中には住めません。
水の中では呼吸ができないことなどが原因で、
水の中には人間の体は適応していないからです。

これと同じように、心も
現代社会に適応していないから、苦しいのです。

では
心とは何でしょうか。
現代社会とは何でしょうか。

心というものに、いろいろな意味を込めるのは自由です。
それを否定することはしませんが、
苦しさを感じる心は、それほど難しいものではありません。

心が成立したのは今からおよそ200万年前のことだとされています。
そのころの環境に都合がよいように心が作られたのです。
それは、当時、文明はもちろん、火も言葉もなかった時期に
無防備な人間が群れを作って生き延びるために必要なシステムが
心だったのです。

つまり、人間の心の本質は誰かと一緒にいたいという人間の性質です。
その裏返しで、誰かと一緒にいないときに不安になり、
一緒にいる仲間から一緒にいられなくなると感じると
やはり不安になるというシステムです。
逆に、ずうっと同じ仲間で仲良く一緒にいられると
安心感や喜びを感じるというわけです。

群れから離れなくてはならないと感じるきっかけは
自分が群れに迷惑をかけるといった主に自分の行動が原因の場合と
自分が悪くなくても群れの自分以外のメンバーが
自分を仲間として認めていないと感じることです。
(これを対人関係的危険を感じると私は表現します。)

200万年前の人間は
生まれてから死ぬまで原則として同じ群れで生きたので、
仲間の個性を尊重し、弱点も欠点も失敗さえも
許しあって、補い合っていたのだと思います。
対等平等で、弱いものを保護して仲間と守ってきたのです。
そう確信できるのは、
そうしないと弱く無防備な人間が、
厳しい自然環境の中で生き延びることができなかったと思うからです。
仲間と自分と全く同じに大切にしていたので、
利害が対立することもなかったと思われます。

人間の心は、そのような環境の中で作られたので
その時の仲間相互の関係がなければ
自然に苦しくなってしまうのだと思います。

ところが現代社会の人間は多種多様な群れに同時に所属しています。
家族、職場、学校、地域、趣味のサークル、友人関係
あるいは、通行人や販売店での一時的な人間関係もあります。
自分の利益を他人に譲れば
感謝されるどころかどんどんつけあげられることだってありますし、
とんだとばっちりを受けて傷つくことも多くあります。

利害が対立している様々な群れに同時に帰属する社会
これが現代社会です。

一時的な人間関係も含めて
つい反射的に、この人間関係から外されるなんて感じていたら
きりがなくて、それこそ心がいくつあっても足りない状態です。

実際、私たちは、慢性的に、持続的に
対人関係的危険を感じ続けて、緊張し続け、
心が消耗しかかっている状態だと思います。

この緊張がストレスです。

このストレスのゆくつく先は、
まともな思考ができなくなり、
危険から脱出することだけが最優先課題となってしまい、
死ぬことによって危険を感じなくしたい
つまり自死につながるわけです。

自死に至らなくても
あるいは社会病理的な行動をしなくても
私たちの心は現代社会の中で苦しんでいます。
自死や社会病理は、氷山の一角で
水面下では多くの人たちが苦しんで、
心を消耗させています。
自死や社会病理の予備軍が蔓延している状態ではないでしょうか。
そうでなければ、未来を問うに諦めてしまった人たちが
蔓延してきているのかもしれません。

この心と環境のミスマッチについては
対人関係学のホームページで詳しく説明しています。
心と環境のミスマッチ 詳論
http://www7b.biglobe.ne.jp/~interpersonal/concept.html

現代社会は、心が苦しくなる理由があったわけです。
しかし、私たちはこの社会で生きていかなければなりません
もっと快適に、つまり幸せに生きるための方法はあるのでしょうか。

<楽しく生きるためには家族が有効だ>

現代社会で幸せに生きるためには
家族の力をつけることが現実的な解決方法です。

行きずりの人間関係を含めて全部の人間関係で心が満たされるということは
すぐにできることではありません。
どこか一つに人間関係を核にするべきです。

家族は、寝食を共にする最も基本的な人間関係です。
傷ついた人間が帰る場所であり、
特に夜間という人間の体の修復のための時間を共有する関係です。
もっとも200万年前の群れに近い関係です。

父、母、子どもという関係を単位に家族が形成されたのは
それほど古いことではありません。
しかし、人間の子どもは、父と母がいて、
二人から愛情を注がれて生きていく自信とノウハウを得ています。
現代社会でもこれは変わりません。

無責任に家族を解体するなんてことを言っている人たちは
それに代わる心を満たす人間関係を提起しておらず、
生身の人間の生きるということをまじめに考えているとは思えません。
特に子どもが健全に成長するということの大切さ
最も弱い者を守るという人間らしい考えに至っていません。

さて、様々な対人関係の中で傷つき、苦しんでも
帰るべき家族があるならば、
極端な話、家族以外の人間関係を取り換えればよい
という実感を持つことができます。

家に帰れば自分を守ってくれる家族がいる
個人として欠点を含めて尊重してくれる家族がいることが実感できれば
自分はずっと家族に迎え入れられる存在なのだと
心が安心することができます。

これが望ましい心が強くなるということです。
巷で言うところの心が強くなるとは
危険を感じにくくするということであり
デメリットが大きすぎるので注意が必要です。

こういうと、
すべてなれ合いの関係を作るのかという
浅はかな批判がくることがあります。
こういう批判をする人は人間を成長させるのは
誰かが無理をさせることだと信じているようです。

しかし、人間が成長するときは、誰かに強制される時ではなく
自分で目標をもって、自分から向かっていくときです。
帰るべき家があって
自分が尊重されている存在だと感じていれば
自分の将来に対しても希望が生まれてきます。
夢を持つことができ、夢を成し遂げるために困難を克服するという
力が生まれてくるのです。

自分が家族に支えられていることの喜びと感謝があれば
他人にも優しくする方法を知っているということにもなります。

では、家族をどのようにすれば、幸せな人生が送れるのでしょうか。

<現代型家族の作り方>

私は、弁護士としての職業柄
家族が壊れた場面に多く立ち会っています。
その多くは、何か問題行動があるというよりは、
普通の家族であり、
タイミングが悪かったり、横やりが入ったり、
そういう普通の出来事の中で家族が壊れていっています。

どうやら現代社会では
普通の家族の状態では壊れてしまう危険性が高いために
家族を強くすることを意識的に行わなければならないようです。

心が不安にならない関係を作ればよいという結論は見えています。

心が不安にならないというのは、
どんなことがあっても、自分は家族から追放されない
という安心感です。

家族がお互いに、
相手の弱点、欠点、不十分点を
責めない、笑わない、批判しない
ということが基本です。

しかし、これは、なかなか難しいことです。

弱点、欠点、不十分点は
もちろん誰しも持っているものなので、
理性的に考えると、責めない、笑わない、批判しないということは
それほど努力しないでできそうなのですが、

自分の心が弱っているときは、
相手の弱点、欠点、不十分点は
自分が尊重されていないために、相手がわざとそうしているのではないか
というように悪く考えてしまって
不快を示したり、怒りを持って対応したり
してしまうようなのです。

自分を守ることが
相手を責めることと同じことになることが
人間関係の難しさです。

相手を尊重するためには
暴力を振るわないということも当然のことです。
暴力は、肉体が傷つく以上に
自分が仲間として尊重されていないという強烈なメッセージになるので、
心がより深く傷ついてしまうのです。
この当たり前のことがわからない人が多すぎるように常々感じます。

それから大事なことは、
家族間のトラブルの多い原因が
他の人間関係である職場や、学校などの
人間関係のトラブルをひきずってきて
家族に八つ当たりをするというものです。

むしろ外であった嫌なことは
本当は、客観的な事実として報告したほうが良いようです。
そうして、共感を示してもらう。
それだけ得だいぶ救われるようです。
男性はこれが苦手な人が多いようですが。

打ち明けられたほうは、ともかく聞く
そうして、「ひどいね」とか「たいへんだったね」とか
共感を形で示す。
これが大切です。

イライラのまま家族に持ち込むと、
家族の何気ないことが
自分を攻撃しているようにとらえてしまい
言わなくてもよい言葉を言って
相手を傷つけたり、怒らせたりすることが出てくるようです。

家族は仲間なのだということは
苦しみを共有することで
それは事実を報告して、感情を共有すること
その形を作るということかもしれません。

中々難しいことは、
誰がこういうことを始めるかということです。
自分だけ一方的に相手を尊重して
自分が尊重されなければ損をしている
と感じることが次のハードルのようです。

夫ないし妻という大人の構成員は
この自分だけ損をしているという感覚を捨てましょう。
捨てるしかないです。
まず自分がやって見せて
そして真似をさせなければどうしても出発はしないものです。
結局は自分が幸せに生きるための手段ですから
先行投資とでも考えましょう。
人間と家族を信じましょう。

このテーマはこれからも繰り返し検討して述べていきますが
あと二つだけ。

一つは、完璧を目指さないことです。
10割譲っていたら頭がおかしくなるらしいです。
3割くらいを目指しましょう。
3割意識して行えば
家族はこちらの変化に気が付きます。
あなたの提案自体はアッピールしたことになるでしょう。

もう一つは、家族の外にサポート機関をつくることです。
こんなブログでは全く影響力が足りないです。
誰でも気軽にアクセスできる方法で
実行できるノウハウを蓄積して研究ができればよいと思います。

さて、「幸せになりましょう」とか優雅な問題提起の表現になっていますが、
事態は、本当はひっ迫していると感じています。

家族解体思想の過激派が、私たちの家庭を虎視眈々と狙っています。
家族を強化するどころか
家族こそ解体して女性を解放しようとしている人たちが画策していて
その人たちの活動と
家族に会えなくなって苦しんでいる人たちの数が
見事な形で比例しています。

複雑で、個人が尊重されない社会の中で
人々の心が消耗して
もの後を感じなくなり、あきらめてしまう人たちが増えているようです。

死に物狂いで、歯を食いしばって生きるために
家族を自然の状態に放置しないで
私たちの生きやすいように改善していく
それこそが必要なのだと思います。

無責任な家族解体論者は
どうやら机上の空論ないし自己満足の主張ということで
現実に生きている人間の心には無関心なようです。
特に、子どもの健全な成長ということに関しては
何も考えがないようです。

それはつまり、
現代社会の社会病理についても関心がないようです。

家族の解体ではなく
現代社会とその中の人間の心に適合するように
家族を改善していくことこそ
まじめな、人間味のあるあるべき議論なのだと思います。


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