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PTSDの損害賠償の勉強  損害賠償実務の主張のために 記憶のメカニズムから [進化心理学、生理学、対人関係学]



1 問題設定

PTSDという精神障害は、とかく議論のあるようです。
私は、その精神医学的な議論及び治療には興味がありません。
あくまでも、PTSD であると診断された患者さんの
損害賠償請求をするにあたって有効な程度の
理解をすれば足りるので、そういうお話です。

PTSDの定義、症状については末尾に掲げておきます。
PTSDとは | 日本トラウマティック・ストレス学会 (jstss.org)
様より

問題は、心的外傷を起こす出来事と、症状との関係なのです。

いずれにしても、PTSDを発症する前提として
命や安全に関する重大な脅威、危険の体験ということが必要とされています。

どうしてこのような重大な脅威があった場合、
症状としての
・侵入症状
・回避症状
・認知と気分の陰性変化(抑うつ)
・覚醒度と反応の著しい変化(過覚醒)
が生じるのかということが今回の問題です。

もっと言えば、
PTSDという診断名だとしても
事情が違えば、症状も違って当たり前なのではないか。
個性等による違いはあるにしても、
脅威や危険の認識、程度の認識が重大になればなるほど
症状が出やすく、大きくなるのではないか
という問題提起なのです。

裁判官のPTSDの判例研究があるのですが
この点についてあまり考慮されていないように思えたので
少し考えてみたいということなのです。

ここで言う、脅威や危険というのは
あくまでも本人の認識です。

例えば、ビルの屋上から小さいけれど重量物が落下してきて
(もしぶつかったら確実に死ぬような場合)
本人の体ぎりぎりに落ちてきたとしても
本人がそれに気が付かないで素通りすれば
PTSDにならずに日常生活を営み続けることでしょう。

例えば、近くで動物を見られる動物園で
檻の柵越しにライオンを見ていたとして、
実は柵が壊れていて、
ライオンが襲おうと思えば襲えたけれど
たまたまライオンがその気が無くて難を免れたという場合でも
本人が柵が壊れていることを知らなければ
楽しい体験で終わったことでしょう。

逆にテレビ番組の悪ふざけで
本当は下に防護ネットがあるけれど
断崖絶壁だと思わされて突き落とされたら
そして、周囲がみんな自分の命に関心が無いようなそぶりをされると
PTSDが生じる場合もあるのではないでしょうか。

2 事例の紹介

私がこれまでPTSDと診断された方に弁護士としてかかわった事件のうち、
検討の素材として以下の3つの事件を紹介します。

<事例1>
刑事弁護人として強制わいせつ致傷事件で
被害者と示談をした事件なのですが、
事件は雨の日で、
住宅地から少し外れたバス停で深夜一人で降りたところ
あとをつけられて暴行を受けたという事件でした。
当初誰も助けがこず、
ある程度長い時間もみ合って、抵抗をして
ようやく解放されて逃げ帰ったという事件なのですが、
数か月たっても、
雨が降るだけで、抑うつ症状となり、家から出られなくなり、
その時の恐怖感が、感覚的によみがえってくるというものでした。

<事例2> 
強盗事件で、深夜、若い女性が、手足を縛られ
バールのようなもので脅かされて
数十分監禁されて、犯人が出て行った後は放置され
しばらくして解放されたという事例でした。
外に出ようと扉を開けたところで襲われたということもあり、
ドアなどの外側に何か悪い者がいるという感覚に襲われる等
PTSDの様々な症状が出現した事例です。
その後も、安全責任者の謝罪もなく
放置された事例です。

<事例3>
当初統合失調症だと診断された事例です。
左側から災いが起きるということ言いだしておびえていたのが
妄想だと診断されたのです。
遠いところから、私のところに相談に見えて、
話を聞いているうちに、
職場で左に座っている人が、突如精神疾患の症状が出てしまい
理由も前触れもなく、その人を思いっきり殴打したそうです。
非正規労働者ということもあったのかもしれませんが、
殴られた方が手当ても同情もされず
殴った方ばかりみんなケアを始めてしまったという事情があったようです。
顔の痛みは徐々に引いたのですが
不信感というか、納得できない思いが徐々に強くなっていき
左から災いが起きるというようなことを言い始めたそうです。

その後、医師と相談して減薬して
普通に日常生活を送れるようになったとのことでした。

統合失調症を新しい医師は否定することはなかったのですが
私は一種のPTSDだと思います。

その他にも、強烈ないじめ体験(学校、職場)などで
PTSD症状と同様な症状が出現しているという
相談を何件か受けたことがあります。

きれいに侵入症状、回避症状、抑うつ症状、過覚醒の症状が
確認出来て驚くことがあります。

この時の侵入症状は、具体的な記憶がよみがえるというよりも
その時の感覚、絶望感、恐怖感、孤立感、屈辱感という
感覚がダイレクトによみがえるということを
皆さんおっしゃっておられました。
その時の状況を思い出さなくても
感覚は、今この場で起きているかのように
鮮やかによみがえるとおっしゃるのです。

なお、悪夢に苦しむということもよく聞くことです。

3 記憶のメカニズムからの検討

少し検討しましょう。

私は記憶のメカニズムの観点から考えていきます。
私たちの記憶は何のためにあるかということです。
記憶があるとどういうことに役に立つかということですが、

最も素朴な話としては
危険があった場合に、
危険の起きる理由(原因、場所、危険を起こすメカニズム等)
を理解していれば
敢えて自分から危険に近づくことをしない
ということが基本なのだと思います。

これは動物一般の話なのでしょう。
(逆にえさのありかを覚えるのも記憶の効用でしょう)

但し、人間は、弱い動物ですから
敢えて危険に接近することによって
他の動物を出し抜いて、種を残してきたということがあります。
わかりやすいのは火です。

他の動物は火を怖がりますから、安全のために火を利用できたでしょうし
火によって食料を加工することによってよいこともあったでしょう。

火の外に石器なども同様に
危険を上手にコントロールする文化なのだと思います。
動物を引き裂くことには便利ですが、
使い方を間違うと人を傷つけてしまいます。

私は、また、
個体識別ができないほどの多くの人数の人間と群れを形成することも
危険ないし危機感を伴う生活スタイルだと思っています。

このように人間は
危険だということで逃げてばかりいることはできず
利用できる危険を覚えて、利用の仕方も記憶して
危険と共存してきたのだと思います。

危険があることはストレスに感じることですが
ストレスをため込んでは生きていくこともできなくなるでしょう。
危険と共存するためには
日常生活に必要な危険を
認識の中で危険の無効化をする工夫が必要だったと思います。
ストレスにしない、ストレスを軽減して無害にするということです。

表面的には、
危険の限界、危険のメカニズム、危険回避の技術を理解し、
危険のようで、危険が無いという感覚をもつことだと思います。
但し、これはいわゆる「腹に落ちる」状態に達しないと
なかなか危険の感覚を無効化できないでしょう。

その無効化している仕組みがレム睡眠時の
記憶のファイリングだと思うのです。
過去の記憶と照合し、位置づけをして
それほど危険性が無いことを腹に落とすわけです。
危険を回避する方法があるから
むやみやたらにおびえる必要が無いと腹に落とすのでしょう。

ちなみにこのファイリングができず、
ファイルからこぼれてしまう出来事が
悪夢であろうと思っています。

ちなみにを繰り返して申し訳ありませんが
どうして、侵入という症状において
その時の情景を思い出すのではなく
その時の感覚を思い出すかというと
おそらく、その危険の感覚というのは
意識ではないのだからだと思うのです。

人間においても危険を認識した後の
危険回避行動の反応は、
つまり生理的反応は、
危険を意識するよりも前に起きているというらしいのですが
おそらく、この生理反応が
PTSDにおける記憶の正体なのだと思うわけです。
それなので、意識に対する働きかけだけでは
なかなかPTSDの治療は進まず、
無意識に対する働きかけが必要になるのではないかと
そうにらんではおります。

つまり、危険のメカニズムや危険回避の方法を
頭でわかったとしても、それは意識の改革には役に立つでしょうが
生理的反応の記憶は消えないからです。
将来的には、この生理的反応の記憶にも手当てができるようになると思いますが、
現状でこれができないならば
別の発想でPTSDを克服することを目指すことが合理的だと思います。
PTGという発想ですね。

このようなオーソドックスな危険の感覚の無効化
認識における危険の無効化の外に

単純な馴化、忘却等があるでしょう。

例えば自動車は、相当の重量物であり、
それがゆるゆると近づいて衝突するだけで
人間は死ぬような危険物ですが、
交通ルールというものを設定してはいますが
すぐ近くを高速で通過しても
それほど怖くなくなっていきますね。

自働車によって負傷したことが無いという経験の積みかさねによって
自働車の危険性に対する感覚が鈍麻しているわけです。
これが馴化ですね。

嫌な人がいて、仕事上どうしても付き合わなければならず
苦痛で不快でたまらなく、
仕事が終わってしばらくは、電話が鳴るたびにびくびくしていても
やがて付き合いが全くなくなると
その人自体を忘れて快適に生活したり
その人から電話がかかってきても
普通に話ができるようになるわけです。

こうやって、人間は、
危険の感覚を軽減させ、無害化することによって
自働車の無い地域まで逃げ込むことも
取引相手が絶対来ない地域まで逃げ込むこともせず
これまで通りの環境の中で
日常生活を送ることができるわけです。

PTSDとは、
出来事が大きすぎて、記憶の処理ができず
危険の感覚の無効化をすることができない状態
ということになりそうです。

危険の感覚が存在するために
常に危険に備えるということを反応として行っているわけです。
これが過覚醒状態ではないでしょうか。
眠ってしまうと危険が現実化してしまうと思えば
無防備に眠ることなどできなくなるのは当然です。

学校や職場に行けば
理由も分からないのに、自分が攻撃されるというのであれば、
活動自体をしたくなくなり、
家に引きこもろうとするのは理にかなっていると思うのです。

トラウマを起こした特定の危険を回避したいと思うのですが、
どうして、どのような原因でその危険が発生したか理解できない場合は
むやみに危険があると感じてしまうでしょうし、
雨の日に襲われという記憶があれば
襲われないために雨の日になれば警戒するということは当然でしょう。
意識の記憶ではなく、感覚の記憶のために
不合理だと分かっていても、危険に身構えてしまうわけです。

何か整髪料の匂いと襲われたことを関連して記憶していれば
整髪料のにおいを感じただけでその時の危険がよみがえっても不思議ではないでしょう。
但し、その整髪料を付けた人物が犯人であるか
襲われた直前にその整髪料をつけた人と会っただけなのか
それはわかりません。

そして、その記憶が、危険回避のためのメカニズムだとすれば
どうして危険が生じたのかは不明でも
・危険事態が大きな危険ではない
 (蚊に刺されたとか)
・危険を感じていた時間帯が極めて短い
 (一瞬ヒヤッとしたとか)
・危険が簡単に回避された
 (事故を起こしそうだったけれど、ハンドリングで回避した)
等の危険回避の方法を経験した場合は
危険の感覚の無効化が起こりやすくなるのではないでしょうか。

だから、有害なことは
危険回避可能性が無いという絶望感なのでしょう。
人間における絶望感は極めて有害で
人間の思考上絶望感回避の方法が
幾重にも張り巡らされているようです。

絶望感を抱きやすいのは
回復手段が無いという認識ですが、
孤立感というのも絶望を抱きやすくするようです。
人間は、誰かに助けてもらえるという
無意識の期待を持つもののようです。
犯人にすら助けてもらいたいという気持ちになることがあるようです。

これは動きの中で見ると
その危険の感覚を感じている時間が長いということも
要素になるようです。

絶望感を長く感じ過ぎた場合
記憶のファイリングが起こりにくくなるということは
あり得ることだと思います。

自分の危険が回避されたという実感が持てない場合も
絶望感を抱く事情になりそうです。
ビルの下を歩いていたら、屋上から物が落ちてきた
足がすくんでしまって逃げられなくなり
もはやこれまでと気を失って倒れたら
自分のすぐ隣に落下したというような場合。

4 暫定的結論

PTSDが起こりやすく重症化しやすい要素

1 身体生命に重大な危険が発生したこと
  (私の立場では、これは、対人関係的に重大な危険が生じた場合も含まれます。ただ、その程度などについては今後の検討が必要でしょう。)
2 危険が現実化しつつあるということを認識していること
3 危険を回避したいと思っても回避が不可能であるという絶望
  孤立、原因不明、機序不明での危険の現実化はこれを高める。
4 危険が現実化して、回復不可能だという認識が一定時間持続すること

1,2の危険の程度が大きくて、危険以前の日常生活が送れなくなる程度のことが起きれば、PTSDは発症しやすく、症状は重くなりやすいのではないか。

1,2の要素が大きくなくとも
3,4の要素が大きい場合はPTSDになりやすいのではないか。

可能性として、事例2のように、暴行が身体生命への不可逆的なほどの重大な危険がなくとも、その後の危機回避可能性が無いという認識(機序不明、孤立)が連続して起きればこれらのことが事後的に起きてもPTSDの危険が発生するのではないかということも考えています。

また、交通事故の事例では、PTSDというかどうかわかりませんが、
事故を見ている人の治療は長引く傾向にあります。
以下の場合は、危険が現実化したこと及び危険を回避する方法が無かったとしてPTSD様の症状になることもありうるのかもしれません。
側方からの衝突事故を横目で見てしまった場合、
バックミラーで追突をしてくる自動車を見たが回避できなかった場合、
センターラインをはみ出して衝突してきた事故の場合

上記の事情が無くてもけっこう多いのは、追突事故で、
あとから保険会社から被害者にも過失割合があるとか、
ぞんざいな口を利かれて具合が悪くなり、
治療が長引くというケースです。
これが事例の2と同様のパターンなのかもしれません。

加害者側の保険会社は
被害者を気遣って、優しい言葉をかけて親身になることで
治療の長期化を防ぐことができるのではないかと
また、示談期間の短縮化ができるのではないかと
常々感じているところでもあります。


PTSDとは | 日本トラウマティック・ストレス学会 (jstss.org)

PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは

<原因ないし定義>
実際にまたは危うく死ぬ、深刻な怪我を負う、性的暴力など、精神的衝撃を受けるトラウマ(心的外傷)体験に晒されたことで生じる、特徴的なストレス症状群
をいうそうです(DSM-5)。

<症状>
侵入症状
トラウマとなった出来事に関する不快で苦痛な記憶が突然蘇ってきたり、悪夢として反復されます。また思い出したときに気持ちが動揺したり、身体生理的反応(動悸や発汗)を伴います。
回避症状
出来事に関して思い出したり考えたりすることを極力避けようしたり、思い出させる人物、事物、状況や会話を回避します。
認知と気分の陰性の変化
否定的な認知、興味や関心の喪失、周囲との疎隔感や孤立感を感じ、陽性の感情(幸福、愛情など)がもてなくなります。
覚醒度と反応性の著しい変化
いらいら感、無謀または自己破壊的行動、過剰な警戒心、ちょっとした刺激にもひどくビクッとするような驚愕反応、集中困難、睡眠障害がみられます。

上記の症状が1ヵ月以上持続し、それにより顕著な苦痛感や、社会生活や日常生活の機能に支障をきたしている場合、医学的にPTSDと診断されます。
なお外傷的出来事から4週間以内の場合には別に「急性ストレス障害Acute Stress Disorder: ASD」の基準が設けられており、PTSDとは区別されています。

PTSDとは | 日本トラウマティック・ストレス学会 (jstss.org)
より。

ちなみに、ICD―10では、症状は6か月以内に出現しなくてはならないとされているようです。



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