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夫婦の満足度が夫が高くて妻が低い理由を考えてみた 対人関係学の視点から 仲間に貢献したいという人間の本能とその由来 [家事]



統計によると*後掲
配偶者のいない男性は、どの年代でも配偶者のいる男性に比べ
精神的健康がかなり悪く、
一方女性は配偶者の有無で差がない
男性の方が結婚の満足度が高く、相手方のケアにも満足している。
配偶者に対する愛情も男性の方が女性よりも高い
とのことです。

これに対して伊藤裕子先生の分析は(日本の夫婦 金子書房)
男性の方が女性よりも結婚に対する期待が低い
人格的かかわりを女性に求めない
快適な生活が維持できれば満足する。
結婚に恩恵を受けているのは男性の方である。
その背景として、精神的ケア・情緒的ケアは
もっぱら女性が男性に対して行うという実態がある
ということになるようです。

その分析は分析として、
対人関係学的には、
少し別角度での考察が可能だと思っています。

対人関係の中で満足を感じるとき、幸せを感じるときというのは
どういう時かという問題です。

満足を感じるのはいろいろあると思いますが
自分が仲間に貢献していることを実感しているときに
満足を感じるということがあると思います。

そうではなくて、
仲間の誰かから表立って感謝を述べられたり、
自分が特別扱いされたり
自分の失敗を責められないでフォローされたり
自分の不十分点を補ってもらったりという
相手の行動によって
満足を得たり、幸せを感じたりということもあることは事実です。

そうではなくて、
自分が群れに貢献しているという実感を得ることも
強烈に満足や幸せを感じるのが人間だと思うのです。

純粋な利他行動というわけでなくても良いのですが、
こうやって人間は
仲間に貢献できたことに喜びを感じることができたために
仲間に貢献する行動を起こすことができて
言葉が無くても群れをつくることができたわけです。
群れをつくるためのモジュールとしての心というわけです。

男女の違いなく、こういう感情があると思います。
例えば感謝などは嘘があるかもしれない。
フォローや助けは、
仲間が自分を重荷に感じているかもしれないという
自分を見下しているのではないかという
疑心暗鬼が生まれている場合はあり得ることなのですが
自分が仲間に貢献しているということを感じることは
文句なく満足を与えるものだと思います。
(だから良かれとしたことで攻撃をされることは
精神的ダメージが大きくなるわけです)

ところが現代社会の夫婦では
この満足を感じる環境的問題を要因として
男女差があるわけです。

今回私が言いたいのは、まさにここです。

男性は、外で働いて収入を家計に入れる
ということで、分かりやすく貢献している実感を持てます。
だから男性は満足度が高くなるわけです。

これに対して女性は、
賃金格差や雇用形態の違いのために、
夫と比べると家計に入れる収入は低くなることが多いですし、
家計に入れないことも多いようです。
これでは働いて収入を得ても貢献ということでの満足は
感じられないでしょう。

しかし、現在の風潮として、
収入を家計に入れるという観点が仲間への貢献の中心だ
という価値観そのものに問題があると私は思います。

だから収入を伴わない家事育児することでは
家事貢献を感じにくくなっている
これこそが問題だと思うのです。

一昔前は
夫が外で働いて収入を入れ
妻は収入に文句を言わず、感謝し、
妻は家事育児を行い、
男子厨房に入らずということで料理に文句を言わず
家事のことに口を出さないということで妻に感謝をする
それは家事育児に社会的価値が認められていたということだと思います。

ところが現在では、
家事労働に対して価値をおかないという社会的風潮が出てしまい、
どんなに家事をやっても称賛されません。
一番悲惨なことは
自分自身が貢献しているという実感を持てない
ということだと思います。

確かに夫も妻の家事育児に対して感謝をすることが少ないかもしれませんが
妻本人も自信が持てないということが悲惨なのです。
私は家事育児をやっているということで
もっと威張っても良いと思いますし、
男性が家事育児を担当して
女性が収入を得てくるということだって
本当はどちらだってよいはずなのです。

それができないのは
家事育児が収入を得るよりもかなり低い社会的評価
しかなされないということにこそ問題があるように思われます。

また、先生方が情緒的ケアというのは、
おそらくコミュニケーションの性差によるものだと思いますし、
柏木先生ご自身もそれは指摘されています。
男性的コミュニケーションが事務連絡が主体なのですが
女性的コミュニケーションは仲間でいることの快適さ、安心感が目的となる
ということもあるわけです。

できるだけ家庭の中では女性的なコミュニケーションを
男性も身に着けるべきだということが私の持論なのですが
女性の方も
男性の真意を確認すればよいじゃないかとも
たまには思えてくるわけです。

それはともかく、
女性を安い労働力として生産現場に進出させようという
政策的観点からのメッセージが多すぎると
実際の家事労働(無償有償を問わず)を低い価値のものだとする風潮を生み
妻が家庭に満足をすることが難しくなっているのではないかと
そう考えることができるようになりました。

家事は男女どちらがやっても
どのように配分してもご家庭で決めればよいことです。
賃労働の方が家事労働よりも価値が高いという意識を持っていることに
気が付かないと
知らず知らずのうちに賃労働をさせないのは不平等だ
みたいな
男性的価値観を承認する主張しか出てこないのだろうと
そんなことを思いました。



稲葉昭英 結婚・再婚とメンタルヘルス ケース研究 276号
稲葉昭英 夫婦関係の発達的変化 (現代家族の構造と変容 全国家族調査による計量分析)
伊藤裕子・相良順子 愛情尺度の作成と信頼性・妥当性の検討 中高年気夫婦を対象に 心理研究83

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PTSDの損害賠償の勉強  損害賠償実務の主張のために 記憶のメカニズムから [進化心理学、生理学、対人関係学]



1 問題設定

PTSDという精神障害は、とかく議論のあるようです。
私は、その精神医学的な議論及び治療には興味がありません。
あくまでも、PTSD であると診断された患者さんの
損害賠償請求をするにあたって有効な程度の
理解をすれば足りるので、そういうお話です。

PTSDの定義、症状については末尾に掲げておきます。
PTSDとは | 日本トラウマティック・ストレス学会 (jstss.org)
様より

問題は、心的外傷を起こす出来事と、症状との関係なのです。

いずれにしても、PTSDを発症する前提として
命や安全に関する重大な脅威、危険の体験ということが必要とされています。

どうしてこのような重大な脅威があった場合、
症状としての
・侵入症状
・回避症状
・認知と気分の陰性変化(抑うつ)
・覚醒度と反応の著しい変化(過覚醒)
が生じるのかということが今回の問題です。

もっと言えば、
PTSDという診断名だとしても
事情が違えば、症状も違って当たり前なのではないか。
個性等による違いはあるにしても、
脅威や危険の認識、程度の認識が重大になればなるほど
症状が出やすく、大きくなるのではないか
という問題提起なのです。

裁判官のPTSDの判例研究があるのですが
この点についてあまり考慮されていないように思えたので
少し考えてみたいということなのです。

ここで言う、脅威や危険というのは
あくまでも本人の認識です。

例えば、ビルの屋上から小さいけれど重量物が落下してきて
(もしぶつかったら確実に死ぬような場合)
本人の体ぎりぎりに落ちてきたとしても
本人がそれに気が付かないで素通りすれば
PTSDにならずに日常生活を営み続けることでしょう。

例えば、近くで動物を見られる動物園で
檻の柵越しにライオンを見ていたとして、
実は柵が壊れていて、
ライオンが襲おうと思えば襲えたけれど
たまたまライオンがその気が無くて難を免れたという場合でも
本人が柵が壊れていることを知らなければ
楽しい体験で終わったことでしょう。

逆にテレビ番組の悪ふざけで
本当は下に防護ネットがあるけれど
断崖絶壁だと思わされて突き落とされたら
そして、周囲がみんな自分の命に関心が無いようなそぶりをされると
PTSDが生じる場合もあるのではないでしょうか。

2 事例の紹介

私がこれまでPTSDと診断された方に弁護士としてかかわった事件のうち、
検討の素材として以下の3つの事件を紹介します。

<事例1>
刑事弁護人として強制わいせつ致傷事件で
被害者と示談をした事件なのですが、
事件は雨の日で、
住宅地から少し外れたバス停で深夜一人で降りたところ
あとをつけられて暴行を受けたという事件でした。
当初誰も助けがこず、
ある程度長い時間もみ合って、抵抗をして
ようやく解放されて逃げ帰ったという事件なのですが、
数か月たっても、
雨が降るだけで、抑うつ症状となり、家から出られなくなり、
その時の恐怖感が、感覚的によみがえってくるというものでした。

<事例2> 
強盗事件で、深夜、若い女性が、手足を縛られ
バールのようなもので脅かされて
数十分監禁されて、犯人が出て行った後は放置され
しばらくして解放されたという事例でした。
外に出ようと扉を開けたところで襲われたということもあり、
ドアなどの外側に何か悪い者がいるという感覚に襲われる等
PTSDの様々な症状が出現した事例です。
その後も、安全責任者の謝罪もなく
放置された事例です。

<事例3>
当初統合失調症だと診断された事例です。
左側から災いが起きるということ言いだしておびえていたのが
妄想だと診断されたのです。
遠いところから、私のところに相談に見えて、
話を聞いているうちに、
職場で左に座っている人が、突如精神疾患の症状が出てしまい
理由も前触れもなく、その人を思いっきり殴打したそうです。
非正規労働者ということもあったのかもしれませんが、
殴られた方が手当ても同情もされず
殴った方ばかりみんなケアを始めてしまったという事情があったようです。
顔の痛みは徐々に引いたのですが
不信感というか、納得できない思いが徐々に強くなっていき
左から災いが起きるというようなことを言い始めたそうです。

その後、医師と相談して減薬して
普通に日常生活を送れるようになったとのことでした。

統合失調症を新しい医師は否定することはなかったのですが
私は一種のPTSDだと思います。

その他にも、強烈ないじめ体験(学校、職場)などで
PTSD症状と同様な症状が出現しているという
相談を何件か受けたことがあります。

きれいに侵入症状、回避症状、抑うつ症状、過覚醒の症状が
確認出来て驚くことがあります。

この時の侵入症状は、具体的な記憶がよみがえるというよりも
その時の感覚、絶望感、恐怖感、孤立感、屈辱感という
感覚がダイレクトによみがえるということを
皆さんおっしゃっておられました。
その時の状況を思い出さなくても
感覚は、今この場で起きているかのように
鮮やかによみがえるとおっしゃるのです。

なお、悪夢に苦しむということもよく聞くことです。

3 記憶のメカニズムからの検討

少し検討しましょう。

私は記憶のメカニズムの観点から考えていきます。
私たちの記憶は何のためにあるかということです。
記憶があるとどういうことに役に立つかということですが、

最も素朴な話としては
危険があった場合に、
危険の起きる理由(原因、場所、危険を起こすメカニズム等)
を理解していれば
敢えて自分から危険に近づくことをしない
ということが基本なのだと思います。

これは動物一般の話なのでしょう。
(逆にえさのありかを覚えるのも記憶の効用でしょう)

但し、人間は、弱い動物ですから
敢えて危険に接近することによって
他の動物を出し抜いて、種を残してきたということがあります。
わかりやすいのは火です。

他の動物は火を怖がりますから、安全のために火を利用できたでしょうし
火によって食料を加工することによってよいこともあったでしょう。

火の外に石器なども同様に
危険を上手にコントロールする文化なのだと思います。
動物を引き裂くことには便利ですが、
使い方を間違うと人を傷つけてしまいます。

私は、また、
個体識別ができないほどの多くの人数の人間と群れを形成することも
危険ないし危機感を伴う生活スタイルだと思っています。

このように人間は
危険だということで逃げてばかりいることはできず
利用できる危険を覚えて、利用の仕方も記憶して
危険と共存してきたのだと思います。

危険があることはストレスに感じることですが
ストレスをため込んでは生きていくこともできなくなるでしょう。
危険と共存するためには
日常生活に必要な危険を
認識の中で危険の無効化をする工夫が必要だったと思います。
ストレスにしない、ストレスを軽減して無害にするということです。

表面的には、
危険の限界、危険のメカニズム、危険回避の技術を理解し、
危険のようで、危険が無いという感覚をもつことだと思います。
但し、これはいわゆる「腹に落ちる」状態に達しないと
なかなか危険の感覚を無効化できないでしょう。

その無効化している仕組みがレム睡眠時の
記憶のファイリングだと思うのです。
過去の記憶と照合し、位置づけをして
それほど危険性が無いことを腹に落とすわけです。
危険を回避する方法があるから
むやみやたらにおびえる必要が無いと腹に落とすのでしょう。

ちなみにこのファイリングができず、
ファイルからこぼれてしまう出来事が
悪夢であろうと思っています。

ちなみにを繰り返して申し訳ありませんが
どうして、侵入という症状において
その時の情景を思い出すのではなく
その時の感覚を思い出すかというと
おそらく、その危険の感覚というのは
意識ではないのだからだと思うのです。

人間においても危険を認識した後の
危険回避行動の反応は、
つまり生理的反応は、
危険を意識するよりも前に起きているというらしいのですが
おそらく、この生理反応が
PTSDにおける記憶の正体なのだと思うわけです。
それなので、意識に対する働きかけだけでは
なかなかPTSDの治療は進まず、
無意識に対する働きかけが必要になるのではないかと
そうにらんではおります。

つまり、危険のメカニズムや危険回避の方法を
頭でわかったとしても、それは意識の改革には役に立つでしょうが
生理的反応の記憶は消えないからです。
将来的には、この生理的反応の記憶にも手当てができるようになると思いますが、
現状でこれができないならば
別の発想でPTSDを克服することを目指すことが合理的だと思います。
PTGという発想ですね。

このようなオーソドックスな危険の感覚の無効化
認識における危険の無効化の外に

単純な馴化、忘却等があるでしょう。

例えば自動車は、相当の重量物であり、
それがゆるゆると近づいて衝突するだけで
人間は死ぬような危険物ですが、
交通ルールというものを設定してはいますが
すぐ近くを高速で通過しても
それほど怖くなくなっていきますね。

自働車によって負傷したことが無いという経験の積みかさねによって
自働車の危険性に対する感覚が鈍麻しているわけです。
これが馴化ですね。

嫌な人がいて、仕事上どうしても付き合わなければならず
苦痛で不快でたまらなく、
仕事が終わってしばらくは、電話が鳴るたびにびくびくしていても
やがて付き合いが全くなくなると
その人自体を忘れて快適に生活したり
その人から電話がかかってきても
普通に話ができるようになるわけです。

こうやって、人間は、
危険の感覚を軽減させ、無害化することによって
自働車の無い地域まで逃げ込むことも
取引相手が絶対来ない地域まで逃げ込むこともせず
これまで通りの環境の中で
日常生活を送ることができるわけです。

PTSDとは、
出来事が大きすぎて、記憶の処理ができず
危険の感覚の無効化をすることができない状態
ということになりそうです。

危険の感覚が存在するために
常に危険に備えるということを反応として行っているわけです。
これが過覚醒状態ではないでしょうか。
眠ってしまうと危険が現実化してしまうと思えば
無防備に眠ることなどできなくなるのは当然です。

学校や職場に行けば
理由も分からないのに、自分が攻撃されるというのであれば、
活動自体をしたくなくなり、
家に引きこもろうとするのは理にかなっていると思うのです。

トラウマを起こした特定の危険を回避したいと思うのですが、
どうして、どのような原因でその危険が発生したか理解できない場合は
むやみに危険があると感じてしまうでしょうし、
雨の日に襲われという記憶があれば
襲われないために雨の日になれば警戒するということは当然でしょう。
意識の記憶ではなく、感覚の記憶のために
不合理だと分かっていても、危険に身構えてしまうわけです。

何か整髪料の匂いと襲われたことを関連して記憶していれば
整髪料のにおいを感じただけでその時の危険がよみがえっても不思議ではないでしょう。
但し、その整髪料を付けた人物が犯人であるか
襲われた直前にその整髪料をつけた人と会っただけなのか
それはわかりません。

そして、その記憶が、危険回避のためのメカニズムだとすれば
どうして危険が生じたのかは不明でも
・危険事態が大きな危険ではない
 (蚊に刺されたとか)
・危険を感じていた時間帯が極めて短い
 (一瞬ヒヤッとしたとか)
・危険が簡単に回避された
 (事故を起こしそうだったけれど、ハンドリングで回避した)
等の危険回避の方法を経験した場合は
危険の感覚の無効化が起こりやすくなるのではないでしょうか。

だから、有害なことは
危険回避可能性が無いという絶望感なのでしょう。
人間における絶望感は極めて有害で
人間の思考上絶望感回避の方法が
幾重にも張り巡らされているようです。

絶望感を抱きやすいのは
回復手段が無いという認識ですが、
孤立感というのも絶望を抱きやすくするようです。
人間は、誰かに助けてもらえるという
無意識の期待を持つもののようです。
犯人にすら助けてもらいたいという気持ちになることがあるようです。

これは動きの中で見ると
その危険の感覚を感じている時間が長いということも
要素になるようです。

絶望感を長く感じ過ぎた場合
記憶のファイリングが起こりにくくなるということは
あり得ることだと思います。

自分の危険が回避されたという実感が持てない場合も
絶望感を抱く事情になりそうです。
ビルの下を歩いていたら、屋上から物が落ちてきた
足がすくんでしまって逃げられなくなり
もはやこれまでと気を失って倒れたら
自分のすぐ隣に落下したというような場合。

4 暫定的結論

PTSDが起こりやすく重症化しやすい要素

1 身体生命に重大な危険が発生したこと
  (私の立場では、これは、対人関係的に重大な危険が生じた場合も含まれます。ただ、その程度などについては今後の検討が必要でしょう。)
2 危険が現実化しつつあるということを認識していること
3 危険を回避したいと思っても回避が不可能であるという絶望
  孤立、原因不明、機序不明での危険の現実化はこれを高める。
4 危険が現実化して、回復不可能だという認識が一定時間持続すること

1,2の危険の程度が大きくて、危険以前の日常生活が送れなくなる程度のことが起きれば、PTSDは発症しやすく、症状は重くなりやすいのではないか。

1,2の要素が大きくなくとも
3,4の要素が大きい場合はPTSDになりやすいのではないか。

可能性として、事例2のように、暴行が身体生命への不可逆的なほどの重大な危険がなくとも、その後の危機回避可能性が無いという認識(機序不明、孤立)が連続して起きればこれらのことが事後的に起きてもPTSDの危険が発生するのではないかということも考えています。

また、交通事故の事例では、PTSDというかどうかわかりませんが、
事故を見ている人の治療は長引く傾向にあります。
以下の場合は、危険が現実化したこと及び危険を回避する方法が無かったとしてPTSD様の症状になることもありうるのかもしれません。
側方からの衝突事故を横目で見てしまった場合、
バックミラーで追突をしてくる自動車を見たが回避できなかった場合、
センターラインをはみ出して衝突してきた事故の場合

上記の事情が無くてもけっこう多いのは、追突事故で、
あとから保険会社から被害者にも過失割合があるとか、
ぞんざいな口を利かれて具合が悪くなり、
治療が長引くというケースです。
これが事例の2と同様のパターンなのかもしれません。

加害者側の保険会社は
被害者を気遣って、優しい言葉をかけて親身になることで
治療の長期化を防ぐことができるのではないかと
また、示談期間の短縮化ができるのではないかと
常々感じているところでもあります。


PTSDとは | 日本トラウマティック・ストレス学会 (jstss.org)

PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは

<原因ないし定義>
実際にまたは危うく死ぬ、深刻な怪我を負う、性的暴力など、精神的衝撃を受けるトラウマ(心的外傷)体験に晒されたことで生じる、特徴的なストレス症状群
をいうそうです(DSM-5)。

<症状>
侵入症状
トラウマとなった出来事に関する不快で苦痛な記憶が突然蘇ってきたり、悪夢として反復されます。また思い出したときに気持ちが動揺したり、身体生理的反応(動悸や発汗)を伴います。
回避症状
出来事に関して思い出したり考えたりすることを極力避けようしたり、思い出させる人物、事物、状況や会話を回避します。
認知と気分の陰性の変化
否定的な認知、興味や関心の喪失、周囲との疎隔感や孤立感を感じ、陽性の感情(幸福、愛情など)がもてなくなります。
覚醒度と反応性の著しい変化
いらいら感、無謀または自己破壊的行動、過剰な警戒心、ちょっとした刺激にもひどくビクッとするような驚愕反応、集中困難、睡眠障害がみられます。

上記の症状が1ヵ月以上持続し、それにより顕著な苦痛感や、社会生活や日常生活の機能に支障をきたしている場合、医学的にPTSDと診断されます。
なお外傷的出来事から4週間以内の場合には別に「急性ストレス障害Acute Stress Disorder: ASD」の基準が設けられており、PTSDとは区別されています。

PTSDとは | 日本トラウマティック・ストレス学会 (jstss.org)
より。

ちなみに、ICD―10では、症状は6か月以内に出現しなくてはならないとされているようです。



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「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言は、むしろ女性を称賛する結果になるという理由。民主主義的な価値観に照らして考えよう。 [弁護士会 民主主義 人権]


要は、
会議に時間がかかって何が悪い
ということなんです。

確かに森氏の発言は、女性蔑視といるでしょう。
しかし、女性対男性の構図だけで見ていると
その先にある本質的な危険性が見えなくなってしまいます。

森氏の発言は、ある価値観を前提としています。
それは
会議は効率よく素早く終わるべきだ。
そのために理事は協力し合って発言を控えるべきだ
というものです。

しかし、これは、民主主義の価値観とは対立する価値観です。

民主主義を多数決と同義と考える方もいるようですが、
それは最終的意思決定過程です。
議論の過程では、
例えばなんらかの制度を作るという場面では
その制度のメリットを示して提案がなされますが、
様々な立場の発言者が、様々な立場からデメリットのあることを提示します。
(ここからが民主主義なのですが、)
できるだけメリットを発揮できるようにしながら
デメリットをできるだけ回避したり、軽減させたりしていく
こういう話合いが民主主義です。
(今の国会運営を民主主義のモデルとしてはいけません)

多様な立場の人が、それぞれの立場からの発言をし
話し合ってよい制度を作るということです。

これが民主主義的価値観だと私は思います。

だから民主主義的価値観の下で行われる会議は
時間がかかって当たり前ですし、
時間がかからないことは不自然だと思います。

この反対が独裁的というか、上意下達的方法論ということになるでしょう。
典型的には軍隊です。
差し迫った危険があるのに悠長に議論などをしている場合ではないので
このような意思決定過程が有効だということになると思います。

もちろん、純粋に民主主義的価値観と軍隊的価値観を貫く
ということも非現実的で
民主主義的価値観に立っても議論のための議論は回避するべきで
何らかの結果を出さなければならないため多数決が行われるわけです。

軍隊とは言っても、そもそもの戦略は合議で行ったりするわけです。

しかし、この軍隊的価値観が
日本では様々な組織に戦後も残存していて
結論を早く出すということに価値をおくことが多くあります。

企業戦略でも
短期的な売り上げ目標が強調されすぎると
軍隊的価値観が優先されていくことは
企業で働いている人なら実感されることでしょう。

現在ではこのような意図的にクリティカルな状況を作るという
労務管理は徐々に傍流になっているようです。

だから、女性理事が入ると時間がかかるということは
民主主義価値観からすると、(私に言わせると)
女性の理事は頑張っているなということがわかるのです。

そう言うと森氏のように考える人は
女性の発言は、会議を進める内容ではなく自己顕示欲だ
というのかもしれません。
しかし、そのようなルールを知らない人が理事に選任されるということは
考えにくいと思います。
単に、提案者の提案を前に進めないことに反発しているのではないか
と勘ぐってしまいます。
そもそもおよそ女性は主としてそのような発言をするというなら
それは全くの差別そのものでしょうね。

それに比べて、森氏の発言からは
男性理事の惨状が見えてくるではないですか。
理事という求められた役割から
提案を豊かなものにするための
自分の選出された母体の立場からの発言が
あまり見られないということを意味するように思えてなりません。

忖度するのに男性も女性もないのでしょうが
軍隊も男性が中心でしたから
男性は、もしかしたら権威に迎合してしまいやすい
軍隊的価値観になじみやすい性質がある人が多いのかもしれません。
上が提案したのだから、それに賛同するのが自分の役割
と空気を読みすぎているのかもしれません。

だとすれば
国民の税金を使って議論をするなら
バンバンと意見を出す女性理事をもっともっと増やすべきではないか
そう思えてくるわけです。

つまり、森氏の
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」
と言われたならば
だから女性をもっと増やすべきだと言えば良いのだと思います。

それが、この発言は女性蔑視だと
それはそうかもしれませんが、それで批判が終わるのであれば
それは、会議は時間をかけないで行うべきものという
森氏の価値観と価値観を共有しているように思えてなりません。
軍隊的あるいは男性的価値観を無批判に踏襲して
あるべき価値観に照らして女性に価値が無いという発言だと
そういう批判に思えてならないのです。

これでは
男性は上の言うことに従う傾向にあるという
男性差別の価値観が発言の中にあるということを見逃し、
そもそも理事会が民主主義的な価値観に反する価値観を求めている
という問題の本質に切り込めないのではないか
という危惧を持ちました。

報道を受けた議論の流れは
それを如実に表していると思います。


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子どもたちではなく業者の利益を図る制度ができる危険性がある。共同親権法制の期待が悪用される危険について [家事]



婚費や養育費が調停で決められた場合
弁護士が報酬を受け取ることを非難する声がある。
これはおかしい。
先ず、婚費や養育費が支払われないという現実がある。
そして請求するにも自分では請求できないから弁護士に依頼する。
弁護士は仕事をして、その結果お金が入れば報酬を受け取る。
何一つおかしいことはない。
もっとも、その金額があまり大きくなくて、
報酬計算をすることが面倒だし、費用対効果を考えて
報酬を請求しない弁護士が多いだけである。
月100万円の婚費が支払われれば
私だって報酬を請求するだろう。

私は、婚費が確実に子どもに全額わたるために
義務者の依頼者に、相手から請求を受ける前に支払いを申し出ることを勧めている。
多くの依頼者が請求前から支払を始めている。
そうすると婚費調停が起きない場合も多い。
婚費調停が起きなければ、弁護士に報酬を払うこともないわけだ。

(ちなみに、婚費を払えということが信義則に反する事例で
 配偶者分相当額の婚費の支払いを拒否して
 審判にして争うということは行っている。)

道理の無いことで怒っていると
現在進められている親子法の改正作業の危険性を見落とすことになるため
あえて苦言を呈した。
もしかするとこれからは、
身を引き裂かれるようにして支払っている養育費が
紛争が無くても一部がコンスタントに業者の利益になる
という法改正が起きる危険があるからだ。
しかも面会交流というか共同養育が絵に描いた餅になる危険もある。
このことを説明したい。


一般に
国民のニーズをきっかけに議論、法制化が始まるが
蓋を開ければ一部の人たちの利益が図られるだけ
という事態はこれまでもあったからだ。

上川法務大臣の理念通り事が運べばよいが
そうはならない危険な事情が現実には存在している。
業者のニーズというのがその危険な事情である。

実際に養育費で利益を得ようとしている業者から1年前に話を聞いた。

その業者は、養育費の取り立て事業を始めるというのである。
私は疑問をぶつけた。

業者が養育費の額を交渉したり、支払いを促すのは
弁護士法違反であるからできないのではないか
ということである。

それに対して業者は、
既に、調停が成立していたり、公正証書で支払い契約がある場合に
督促や差押の代行を行うのだというのである。
債権回収会社(サービサー)ということなのだそうだ。
確かに金融関係で債権回収会社の行為が認められているが
これも弁護士会としては、非弁活動としてもっと反対するべきだったのだ。
それはともかく、

すべての養育費が支払われるべき離婚件数に比較して
調停が成立しているケースは圧倒的に少ないし、
公正証書で離婚契約書なんて作成しているケースはさらに少ない
それで商売になるのかと尋ねた。

それに対して業者は、
これから、離婚の際に離婚契約書を作るようになるのだとはっきりと言った。
そこで、養育費の金額も書類で明示するというのである。
どうやら強制執行認諾約款付きの公正証書を作成することになるというのだ。
つまり、裁判をしなくても給料や銀行預金を差し押さえることができる
特別の契約書を作ることになるようだ。

私は尋ねた。
そのあなたたちの費用はどこからお金が入るのだ。
養育費の請求をする親はお金がないだろう。
自治体がすべて援助するのかと。

これに対して業者はこう説明した。
業者は、離婚契約書の、養育費の支払い側の保証人になるというのである。
そして、支払われない養育費を立て替えて、同居親に支払い、
支払い義務者の別居親から保証人として回収するというのである。
そして、その保証料を
支払われる養育費の中から毎月徴収するというのである。

おそらくこれからは、養育費支払義務者は
家賃の支払いと同じく
業者の依頼者口座に養育費を支払い、
毎月に支払いが滞らないか業者に管理されることになりそうだ。
支払われた養育費から業者が保証料を徴収し
差額を同居親に送金することになりそうだ。

例えば、月7万円の支払いの離婚契約書を作れば
7万円のうち、例えば7000円とか1400円とが
保証料として引かれてしまうということになる。
別居親が爪に火を点す用にして出している養育費の
一定部分が業者のもうけになる。
養育費の未払いが起きなくても
業者は利益を得ることになる。
これが5%の3500円だとしても
千件を受け持っていれば
3,500,000円の月の売り上げになる。

子どもたちは親からの金額を全額は受け取れなくなるのである。

当事者が自助で養育費の支払いを確保することになる。
実際は別居親の負担となる。
自治体は多少の援助や優遇を業者にするだけで、
行政サービスとして離婚家庭の保護をしているとアッピールできる。
そして、貧困家庭への援助(児童扶養手当)の支出が抑えられるなら
自治体の支出は減ることになるので
これほどうまい話はないと自治体は飛びつくだろう。

私は、実務的経験から、絵にかいたような貧困解消は期待できないと思う。

先ず、養育費を払わないのは払わない事情があることが多いからだ。
職が無くなったり、賃金が減額されたり、
事故や入院で金が無くなるというケースも少なくない。

こういうケースで、差押しようにも
差し押さえる金はない。
賃金を差し押さえようにも
就労していないので差し押さえることができない。
つまり費用倒れに終わるだけだ。
子どもに渡らない保証料はなんだったのかということになるだろう。

お金があるのに払わないケースとしては
再婚して子どもが生まれたなどのケースもある。
そうなると、養育費の金額が事情変更ということで減額される。
差押をしたばっかりに
養育費が減額されるというケースも増えるだろう。

結局、自分の意思で子どものために
真面目に養育費を払う人たちが支払うだけだと思う。
しかし、新しい制度ができてしまうと
本来全額子どもが受け取っていたはずのその養育費の
いくらかの割合は
子どもたちに届かないで業者の収入になるという違いは生じる。

結局子どもたちの利益にはならない制度設計になると私はにらんでいる。

そこで気になったのは
上川法相の記者会見の際に、
おそらく上川発言とは別枠で
役人の解説を載せた思われる記事があったことである。

共同親権制度の創設という言葉ではなく、
離婚時に面会交流の方法を定める合意書の作成を
これから検討するのだという記事を覚えていらっしゃるだろうか。

もしかするとこの程度のことが
今度の共同親権だということになるかもしれない。
要は、離婚契約書を作成することが主眼であり、
その主たる目的は、業者が養育費の一部を
自分の利益にするためだということが心配なのだ。

共同養育の内容は養育費を確実に支払うこと
と矮小化される危険があるということだ。
養育費は合意書ができれば差押ができる。
面会交流は強制執行ができないままにされるということになれば
合意書なんて作成しても共同養育は絵に描いた餅になってしまう。
これでは現在と何ら変わりはない。

こうなってしまう危険があるということが
今日私が言いたいことである。

業者の思惑で、現在の離婚合意書義務付け制度が法制化されるのならば
子どもたちの未来はどんどん陰っていく。

法制審への諮問を無条件に歓迎してはならないのだろう
法制審議会の議事録は、みんなで読まなくてはならない。

法制審議会のメンバーに
人材派遣会社や債権回収会社、保証会社等の役員が入っていないか
注目する必要がある。

子どもを食い物にする貧困化ビジネスは阻止しなければならない。

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婚姻費用の算定表の一つのリアルケース 連れ去り別居を国が認めるなら、国が支払いの補助をするべきではないのか。 [家事]

婚姻費用の算定表の一つのリアルケース 

ご本人と相談して公開

ケース概要
夫30歳代 公務員 年収約580万円
妻30歳代 民間  年収約290万円
14歳未満の子ども3人

別居の形態 突然の連れ去り別居 
DVの有無 なし

算定表に基づいて月12万円から14万円の
婚姻費用の支払いを求められて調停を申し立てられた
(改正前は10万から12万円)

夫のリアル収入
月収手取り27万円くらい
ボーナス月2回 手取り100万~110万円くらい
(令和2年12月のボーナス支給額は減額になった)

夫のリアル支出

住宅ローン    6万6千円
太陽光ローン   1万5千円
生命保険終身   1万2千円
  個人年金   1万円
  医療保険     7千円
  火災保険     4千円
(ここまで        11万4千円)
電気代        5千円
水道代        5千円
灯油代        3千円
NHK         2500円
通勤・自動車   2万円
電話       1万6千円
食費       3万円
散髪代(仕事)    3千円
(ここまで         8万4500円)

二つの合計約20万円

年間の支払いは、固定資産税、自動車税、自動車保険、2年に一度車検代


支出は、本当に最低限のものである。
リアルには、これに衣服費、社交費用(会社の友の会などの慶弔費用)が不可欠な費用として加算される。
さらには、病院代が実際にかかっている。
趣味のお金、例えばCD代とか、雑誌購入費用とか、文化的な費用、飲み会費用等は一切計上されていない。

なお、子どもと妻が扶養から外れると
手取り額は月21万円くらいになるとの職場の説明があった。

保険の効かない事故や、電化製品の購入、家屋の修理費などが支払われる余地が全くない。

なお深刻なことは、子どもたちに会いに行く旅費が出ない。誕生日プレゼントを買う余裕もないということ。

父は婚姻費用を支払いたいと考えていて、
調停前の現段階でも既に相当部分できる限り支払っている。
数万円足りないくらいで、既に支払っている。
それもこれも子どもとの面会をするために、
できるだけ母親と争わないという方針があったから。

しかし、
婚姻費用を払うと(払えれば)、面会が事実上できないならば
婚姻費用を無理して支払う気力が出てこないのはわかる気がする。
払わなければ、職場の賃金差押をしてくるという腹なのだろうけど
その時に職場に居続けられるかどうか黄色信号ということが実情。

なんのために働くかわからなくなった状態のため。

さて、皆さんは、どうアドバイスするのでしょうか。
頑張って働いて会えなくてもお金を送り続けろというのでしょうか。

子どもの貧困を救うために養育費の支払い額を改定したというけれど
そのことだけを考えるのであれば、
そもそも自由な別居を認めないことが一番ではないか。

自由な別居を認めるならば
認める国や自治体が補助をする必要があるのではないか。

この算定表のとおりにこれからも変わらないならば
結局父親の稼働能力が終了してしまい
子どもへの養育費が滞る事態が
多発するのではないかという危惧がある。

別件で、婚費の一部(妻分相当額)を支払わないという争いをしているが
これは妻側の別居の経緯があまりにもひどいから
通常の連れ去り別居で信義則が認められるという展望は
あまりにも弱くて暗い。

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