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Colabo問題から前向きに考えるべきこと 2 不適切会計処理が認定されても悪びれない理由を善意で解釈することによって男女参画委託事業の問題が浮き彫りになってくること、 [弁護士会 民主主義 人権]


今回のコラボ問題で驚いたことは委託事業であるにもかかわらず、都が会計チェックをきちんと行わないで膨大な委託費を支出していたことです。私が関与していた委託支援事業や補助金事業では、きちんと会計処理をしていますし、活動実績をする場合でも実際に行ったという裏付けになる報告書を作成しています。あまりにもリアリティのない報告書はダメ出しが出るようです。もちろん領収書も一つ一つきちんと添付しています。これらの手続きがあまりにも面倒くさいので、補助金を受けるのをやめた団体もありました。

代表の仁藤さんも、2018年のツイッターで、支援事業になる前はこれまで通り活動できると聞いていたのに、いざ委託支援事業になってみたらあれやこれや会計処理を厳密に行わなくてはならず大変だというつぶやきをしていました、この気持ちはよくわかるのです。

ここからわかることは東京都も2018年ころまでは常識的な、他と変わらない通常通りの委託事業の手続きを要求していたことです。そして今回の監査結果からわかることは、その後この原則論が骨抜きになって運用されていたことが示されました。

上の仁藤さんのツイッターを理由に当時の当時の都議会議員などが仁藤氏の要望の趣旨に沿った働きかけを都に行っていたと、現参議院議員の方がユーチューブで説明していました。このユーチューブでの説明では、会計チェックに手心を加えるようにその議員が都の担当職員に働きかけたと解釈しかないように感じます。そうだとすれば、それは都の地方行政、地方財政を脆弱させる行為であり都議会議員としてはあるまじき行為をしたという評価になるでしょう。それでもこの現在は参議院議員の方はそのような深刻な自己反省をしているわけではなさそうなので、そういう働きかけではなかったのかもしれませんが、そうだとすれば正確にどのような働きかけをしたのか説明するべきではないかと思われるところです。

また、この方のユーチューブでは、2018年にコラボに協力していた時には、コラボは一党一派に偏った団体ではないから協力したということをおっしゃっていました。ところが、2022年の参議院選挙では、代表の仁藤さんが公然と共産党候補者等の投票を呼び掛けていたことを理由に、当時は知らなかったから協力したことは仕方が無かったことだというような説明をされていました。今回のネット上のコラボの話題は暇空茜という人物の努力の結果であることは間違いありませんが、しかし事実上「誰か」のガードが下がってストレートが連打されているような印象も持ちます。もしそうであるとすれば背景として同じような政治的な事情があるのかもしれません。

ただ、一都議会議員が働きかけたからと言って会計の大原則を骨抜きにするような行為を東京都が行うとは考えらえません。この現在参議院議員の方は、自分だけでなく他の都議も同様の働きかけをしたと言っていましたが、多数で押し寄せたとしても東京都職員はこのような無理難題から行政を守るのが仕事ですから担当者レベルで大原則をやめたとは考えられません。自分の責任問題につながります。誰しもトカゲのしっぽにはなりたくないわけです。

そうだとすると、東京都のトップなり、国とのパイプを持っているなりした「誰か」がいて、都議会議員の人たちの圧力を利用して、会計原則を骨抜きにするように都の幹部に指示を出し、都の職員もその指示には従わざるを得なかったということが真相だと考えるのが自然な話だと思うのです。ずさんなチェックは政治問題として実現してしまったわけです。この「誰か」は、現在強いつながりを指摘されている団体ではないと思うのです。都の行為の大原則を骨抜きにすることができる立場の「誰か」であるはずです。(暇空さんの指摘される「なにか」にそれほど強い力はあるように思われません。「なにか」と都の両方を動かすことができる「誰か」がいたというのは陰謀論でしょうか。)

都が自ら会計原則を曖昧にしたことをうかがわせるもう一つの補助線があります。
それが今回の住民監査請求についての一連のコラボ側の反応です。不適正会計処理を指摘されたり、本来委託費で賄ってはならない費用を委託費で請求している形になっているという重大な指摘を受けても、全く悪びれる様子もないことです。

この感情については、なんとなくわかる気がします。強がって主張しているわけではなく、主観的には自然な感情なのだと思います。つまり、「自分たちは、当初の約束通り自由に自分が思うように活動してきただけだ。その後(つぶやきによる会計原則の骨抜き後)も都の担当職員との打ち合わせ通り、指導を受けたとおりに会計処理を行ってきた。自分たちは隠し事をしないで都のお墨付きの活動をやってきた。」ということなのでしょう。それなのにどうして否定評価を受けなければならないか理解できないということならば、その気持ちは理解はできます。

私はおそらくこういう流れがあったのだと思います。多くのまじめなコラボ「会計」批判者も同じ論調だと思いますが、仁藤さんが初めから都の会計チェックをずさんなものにして不当な利益を得ようとしていたとは思っていません。東京都に監査請求をして数年ぶりに請求が通った暇空茜さんも現在ではコラボ叩きという意識はほとんどなくなっていると思います。もっと大きなものを見ているのだと感じられます。

仁藤さんのツイッターの愚痴を現実化して地方財政の大きな例外を作ることにした力は「誰」なのかということこそ目を向けるべきです。と言ってもそれが何なのかについては皆目見当が付きません。

ただ「誰か」の人たちの行為の目的の合理性というか正当性というかについては想像することができると思います。つまり女性の地位の問題について、国が何か政策をしなくてはならないのだけれど、何をしてよいのかわからない。それでも事業をしなくてはならない場合どうするか。有識者会議を立ち上げて、それらしい知識や経験のある人を集め、意見を聞いて、政策の正当性をアッピールして、その内容で実施するというパターンです。ただこういうパターンでも、有識者会議のメンバーには立場が異なる人がたくさん入り透明性が確保されます。また、有識者会議の参加者にそのまま委託を行うのではなく、公募を行い、入札によって業者が決まり、業者を通じて委託事業が行われます。この委託事業に有識者が協力することは通常のことです。

ところが、現状の国、国からの予算が付く地方自治体の一部の事業ではこの透明性や一般事務の専門性の仕組みが無く、審議会で政策を作って、予算規模について意見を述べて、そのメンバーのうちのどこかが高額で委託事業を受注するということがあります。

こういう場合、政治家は自分の頭で政策を考えないで、委託をした団体に丸投げをします。それも、与野党全会一致で法律まで作って事業を進めるのです。各事業の方法論はいくつもあるはずなのに、その団体の方法論だけに莫大な予算が付くという感じです。このことについては、以前にこのブログで話しているところです。「全会一致は疑えというパラドクス」は国会でも当てはまるようです。そしてどうやら、こういう全会一致の場合の野党は、全体の会議でその行動を運用するのではなく、一部の有力な幹部が性急に独断で全会一致に参加するように決定してしまうという裏もありそうです。そして、実際運用が始まれば、専門的な委託先団体が政策のイニシアチブをとり、国の役人の担当者は専門的な知識を持たないように新たな担当者が配置転換で頻繁に交代するような場合もあるようです。そうすると、完全に丸投げになり、必要な会計チェックも行われにくくなるのではないでしょうか。有識者会議に参加した団体が国や地方自治体から直接事業委託を受ける形式の事業は総点検する必要がありそうです。

コラボは、若年被害女性等支援事業で突出して実績があるため事業の目玉のような存在だったのでしょう。もしこのコラボが、「会計処理が面倒くさいから委託を受けない」と駄々をこねるいうことになると、事業そのものが無くなってしまうと「誰か」が感じたのだと思います。その「誰か」が「なにか」を通してコラボに委託事業から撤退させないように働きかけ、都にも会計チェックを現状程度に骨抜きにするように強い働きかけをしたのだと思います。コラボとしても、これこれこういう形でよいから委託を続けてくれと実際に東京都から言われて、OKが出されたと思ってその通りにしていたとすると矛盾が無いように思います。その一端を示したメールが情報開示で出なかったメールなのかもしれません。すべて都にオープンにやっているから違法も不当もないはずだという論理は実によく理解ができます。おそらくその「誰か」のお墨付きがあったために、絶対に問題が無いと思ったのは自然な流れだと思います。

このように正義感に燃えて、自信をもって事業を行っているとき、特にパイオニア的な事業を行っているときは、一般常識というものに目が向かなくなる傾向があるようです。
今回の監査結結果からも、コラボに公金を使っているという意識が希薄であることは十分伝わってきます。委託事業だけではない法人の会計などについての費用を委託事業の費目に挙げているのは、単なる事務処理上のミスではありえず、考え方の問題です。高額な食費、旅費を会計処理上公金で賄ったことにしたことは、もちろんそれなりの言い分があるわけですが、これが公になったならば反発を受けることは当然予想しておくべきだったと思います。

なぜ、こんな当たり前のことができずに、世間知らずの状態が放置されたのかということが問題です。この辺りは、仁藤さんを支える人の中に良識のある人がいてその人が仁藤さんにきちんと説明できなかったということを意味するのだと思います。そういう人間関係であったことが図らずしも、現在の状況から推測できるわけです。数千万円から億を超える収入を回す団体に、会計の専門事務職がいないということは致命的な問題ですが、誰も指摘しなかったのでしょう。

また、こういう会計の専門技術がない人たちの根拠となるのは、最大はお金を出す地方公共団体のお墨付きですが、もう一つのありがちな相手の影響があります。それは先輩組織の会計指導です。適切な会計処理を指導するのではなく、とれるものは多くとりなさいという指導がなされて、自分の不適切会計を教えてくる組織を目にしたことがあります。おそらく、ここで「なにか」が大いに影響を与えていたことは十分想定できるところです。

それにしても、「なにか」にも都にも影響力のある「誰か」が本当に誰で、どのような目的でコラボの離脱を恐れるほど被害女性等支援事業の実施に固執したのでしょうか。私は一つは外圧なのではないかとにらんでいます。日本の女性の立場の劣位に対するどこかからの批判があり、その批判をかわすために女性の地位向上の事業に莫大な予算を割いているという体裁を取り、予算を支出する実績というアリバイを作りたかった「誰か」がいるのではないかということです。

国は、男女賃金格差については手を付けなくなり、雇用機会均等政策もおざなりの状態です。そちらで動かない分、他の男女参画政策で予算を使わなければならなかったということなのではないかとにらんでいます。

以上のように考えると、仁藤さんも利用されていたのではないかという思いが私には残ってしまうのです。

男女参画事業の一つとして若年女性等被害者支援事業が行われているのだと思いますが、男女参画事業の目玉は配偶者暴力救済(DV救済)にあります。

最後にDV政策と本件の政策の共通項だけ指摘しておきます。
同じように女性だけを被害者として固定して、つまり男性を加害者として固定することを前提として政策が運用されている。
一方の話だけで被害者として他方を加害者として家族分離が行われる。
どのような支援、救済方法なのか、きちんと国民に知らされておらず、政策の被害者の声が圧殺されている。

特によくわからないのは、東京などの繁華街にたむろしていて、救済が必要な人は何も虐待の「被害者」に限らないし、女性に限らないはずなのです。

どうして被害を受けた人限定なのか、ここがよくわかりません。

DVの場合も、DVを受けないと支援をしてもらえない、だから些細なことでもDVに仕立ててしまうという問題点が生まれるように思っています。この辺りはまた別にお話ししようと思います。


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