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長時間労働の弊害を孤立という観点から考えてみる。うつ症状が出やすい労働形態とは。 [労災事件]



長時間労働は、心臓疾患、脳疾患、精神疾患が労働と関係があるか否かを考えるにあたっての重大な要素として、労災、公務災害実務では扱われています。長時間労働をすると必然的に睡眠時間が短くなります。睡眠時間が短いことは心臓疾患や脳疾患に統計的に影響力が認められています。精神疾患においても、専門家会議などで長時間労働と精神疾患発症は関係があるという結論になっています。だから、長時間労働の有無が重要な要素になるわけです。

これまで長時間労働の弊害は、睡眠時間の短さにつながるという観点から主として論じられてきました(上記の通り)。精神疾患との関係も、睡眠時間が短くなれば、情動の安定を図るためのレム睡眠が出現しにくくなり、不安や焦燥感が出現しやすくなる、このため精神疾患が発症するという結びつけが可能だったと思います(実際はここまで原理的な議論は無い)。

私は、長時間労働と「孤立」が結び付き、その延長線上にうつ、メンタル不調の発生を考えるべきではないかと考えるようになりました。

こう考えるようになったきっかけ二つあります。一つは独居老人の認知症の進行です。もう一つはコロナ禍のメンタル不調の問題です。どちらも、統計的ないし学問的に裏付けられているものではないのが残念です。どちらかというと、その中にいた実感というようなものです。

簡単に言いますと、一人暮らしをしている老人で、日常的に誰かと話をしていない、あるいは他人との会話が少ない老人は、認知症が進行しやすいということを実感させる出来事がありました。一般にも、「頭は使わないとボケやすくなる」とか、「手先を動かさないとボケる」と言われているようです。これも、孤立との関係で説明できると思います。手先を無目的に動かすということは人間はできないようですから、実際は何か目的をもって動かす者であると思います。例えば何か組み立てをするために工具を動かすとか、一緒に楽しむためにマージャンのパイを積むとかです。なんかの成果を誰かと共有するからこそ頭を使うし、手を動かすのではないでしょうか。自分が快適に生活するために手先を動かすということもあるのでしょうが、やはり自分以外外の誰かの評価があれば、より張り合いになると思うのです。動物を飼うということでもよいのでしょうが、根本的には人間関係の中で尊重されていたい、仲間から頼りにされていたいという意識がある場合により例えば手先を動かす等の行動をするのだと思うようになったのです。

だから、一人だけで生活していると、徐々に、生きるための必要に応じた最低限の活動しかしなくなるのではないかと危機感を持つようになりました。そうしているうちに精神活動が徐々に低下していって、全般的に精神活動が静止に向かっていくような感覚を持ちました。全く他人ごとではありません。

もう一つはコロナ禍で、他者とのコミュニケーションができない大学1年生などに「コロナうつ」みたいな状態が見られているようです。これは事例の報告を受けただけであまり突っ込んでは理解していないのですけれど、おそらく、パソコンを通じてのコミュニケーションだけだと、自分が仲間の中で尊重されているという実感が得られないために、本来そのような仲間としての実感を得たいという要求があるけれどもそれが実現しないことから、不安や焦燥感が生まれるのではないかと考えています。

つまり、人間は、誰かとのつながりの中でより活性化して生きる活動ができるようにそもそも作られており、つながりが実感できず安心できないと不安や焦燥感を覚えてしまい、それ持続していくと精神活動の意欲が少しずつ低下していくということなのではないかと仮説を立てられるのではないかということです。

ここで長時間労働を考えてみた場合、たとえ家族がいて空間的には家族と一緒に暮らしていたとしても、このような人間のつながりを実感できなくなる原因になるのではないかと考えてみたのです。それどころか、今あるつながりを長時間労働が原因で逆につながりを壊す方向での活動をしてしまうという要素があるのではないかということを提案したいのです。

家族と同居している人であったとしても、朝早く家を出て夜遅く家に帰ってくる場合は、一日中家族と会話をしないということがありうることです。特に子どもが小さい場合は妻もくたくたになって寝ていることが多いですから、妻とさえも会話ができません。何日も寝顔しか見ていないということもありそうです。

労働者本人もつかれていますから、妻から何か相談事を持ち掛けられても親身になって感情を共有することもできません。ついつい外で働いている自分に配慮をしてくれと、ついつい「あなたは働いていないだろう」というそぶりをしてしまうこともあるわけです。これは相手を馬鹿にしたりしているのではなく、外で働いている自分に配慮してほしいという感情が主であると私は思います。

1週間に休日が1日でもあればよいのですが、長時間労働になるほど、その休日を自分の睡眠にあてなくてはならないでしょう。また、昼頃起きてきてホームセンターやスーパーマーケットに買い出しに行くとかせいぜいそんな感じで1週間が終わってしまいます。家のことをやろうやろうと思って着手できないまま時が過ぎていくのかもしれません。

給料を家に入れるときも、通帳を預けておいて家族がキャッシュカードで引き落とすところも多いのかもしれません。

長時間労働が続くと睡眠不足になりますが、睡眠不足になると自分が攻撃されているのではないかとい過覚醒状態(過敏な状態)になってしまいます。またいろいろなことが面倒になるのですが、結局は考えることが一番しんどくなり、それぞれが結論を言い合うような殺伐とした環境となるでしょう。家族が物価高に対して愚痴を言っても自分の稼ぎが悪いというように、何か自分が責められているような感じとなります。会社でも、何か不具合が生じると会社から否定評価されているのではないかという危機感を覚えるようになります。イライラするようになれば、せっかくの家族との会話の時間に八つ当たりするような言葉遣いになりやすくなるようです。

そうしていくうちにだんだん家庭の中で精神的に孤立していくかもしれません。積み残した自分の家事を思い役割感が未消化のまま蓄積されていくかもしれません。徐々に居場所がなくなっていく可能性が出てきてしまいます。

家庭の中にいるからこそ味わうような孤立感を強く感じるようになるのも危険なことです。家族なんて持たないで一人暮らしでいて、実家に帰れば親兄弟が迎えてくれるという幻想を持ちながら一人で暮らしているほうがまだ希望が持てるかもしれません。

単身赴任の場合も同じように、家族の中にいる自分という実感が生まれにくいかもしれません。見知らぬ土地での一人暮らしは、知り合いもいないことから他者と触れ合う機会が少なくなるでしょう。何か趣味でも持たない限り、徹底的な孤立を味わうかもしれません。

こうして孤立状態が継続すると、悲観的な考えも優位に立ちますが、やがて精神活動をしようとする意欲がなくなってしまう可能性があるのではないでしょうか。頑張れなくなるわけです。

長時間労働、単身赴任、不規則労働(交代制勤務)、長時間拘束労働などでも同じような孤立感を抱くようになる危険があると思います。人間工学というのか、心理学的な問題から働き方を考える必要性がありますし、労働災害の発生を予防する必要性があると思います。人間らしい労働というのは、適度に休憩を持ち、適度に睡眠をするだけでは足りず、適度に他者とのかかわりの中で安心して暮らすことが必要なのだと思います。この点をもって提案していくような研究を期待しているところです。



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