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和解の弁護士技術とゼロサム・バイアスを実務に役に立つものにするための必要事項 [進化心理学、生理学、対人関係学]



ゼロサム・バイアスという言葉も雑誌ニュートン2023年2月号に載っていました。名前は聞いたことがあるのですが、私の読んだ認知心理学の教科書や社会心理学の教科書には説明されていなかったようです。

簡単に言うと、「誰かが得をするならば誰かが同じだけ損をする」とつい考えてしまうという錯覚、あるいは思考ミスみたいな感じでしょうか。

色々な現象がゼロサム・バイアスで説明されているようです。

A 労働者に対する使用者の査定が低評価の場合は、誰かを優遇しようとするために自分の査定が低くされた
B浮気をされたことの被害は、自分に対する愛情の部分が浮気相手に向かったために損をしてしまった。
C 相手が10万円得することは自分が10万円損することだと和解の時に思うこと
D 移民が増えれば本国人の働き場所が減る

共通することは、会社の評価に基づく賃金準備資金(A)、人間が他者にそそぐ愛情の量(B)、和解の席上の損得(C)、国民と移民の働き場所の絶対量(D)といういわばパイは固定されていて、相手がパイを取ればその分自分がもらえるはずのパイが少なくなる、パイを奪い合うという考えをつい持ってしまっているということが前提となっているということです。

この考え方は真実ではなく間違った結論に至る考え方ということで「認知バイアス」という言われ方をします。例えば会社の評価(A)は、本当はどうなのかわからないけれど総量が決まっていると勝手に思い込むというはなしですし、人間の愛情(B)はそもそも総量が決まっているわけではないですし、和解の席の損得(C)は金額だけの問題ではないし(これは最後に詳しく説明します)、移民が増えれば仕事も増えるかもしれない(D)等の検討が必要なのですが、つい頑固にそうは考えないで自分の損は誰かの得と考えてしまう傾向があるというわけです。

ただ、「ゼロサム・バイアス」等という言葉を使ったばかりにかえってミスリードをしてしまうということもありそうです。

根拠がなくそう思うという意味ではバイアスと言ってよいのかもしれませんが、それが必ずしも誤りではない場合もありそうです。会社の評価なんてトップシークレットでしょうから、本当は誰かの評価が上がれば誰かの評価を下げなくてはならない、という具合に評価に関する秘密の通達がある会社もあるかもしれません。そもそも浮気をしないで安心させることこそ愛する二人の約束事のはずですし、損害を何らかの理屈で説明しないと損害賠償が取れないことからこちらに愛情が注がれる量が減少したと説明しているにすぎないことが一般的な使われ方です。それをゼロサム・バイアスなどと言って否定してしまえば、浮気をしても損害がないなどというとんでもない言い訳に道を開いてしまうような気もします。和解の話は、後に回します。移民の問題も、おおざっぱに言えばゼロサムかもしれませんが、移民の規模にもよるのでしょうが、移民反対の一つの理由にすぎず、またゼロサムという言い方は理由付けの表現であって、移民が就職する分だけ就職先が減るというようなことを実際は考えていないかもしれません。もっと複雑な話なのではないでしょうか。

この時点でも、事例のA、B、Dに関しては、必ずしもゼロサム・バイアスという言葉は必要がなく、使うことの弊害があるような気がしているわけです。本当は是正するべき事象についての主張を根拠なく否定してしまう便法として使われる危険もありそうです。ゼロサム・バイアスという言葉が出たときは、一応警戒して聞く必要がありそうです。

ゼロサム・バイアスの理論の最大の問題は、これは人類が進化の過程で獲得した考え方だというような説明がされるところです。文明発祥以前は資源が貧弱であったため、限られた食料を迅速に奪い合わなければ生きていけないために生き残るために他者の利益を自分の不利益に関連付けて考えるようになったというのです。

この根拠づけは間違っています。

人間の心が成立した時期は、認知科学のコンセンサスとして現代から約200万年前くらいだろうとされています。その時の環境は食料の総量が限定されていて奪い合うことが必要だったとか、奪い合っていたという知見はありません。ここが間違っているわけです。確かに当時は収納施設も作れず、冷蔵技術等の保存技術もなかったでしょう。しかし、現在よりも温暖な気候であり木の実など豊富にあり、それなりに人間が狩ることのできる小動物もいたようです。なによりも人間が少ないために人口密度が極端に低い状態でした。だから、奪い合うという事態が常態だということは無かったようです。

そもそも少ない食料を奪い合っていたならば、人間は弱い個体、病人や子どもから栄養失調で死んでいったでしょう。群れは先細りになり、肉食獣からは襲われやすくなり、獲物は捕獲しにくくなります。群れ全体が死滅していたでしょう。人類は種として絶滅していたでしょう。

また進化人類学の見地からは、人間が心を獲得した200万年くらいの人間の群れは完全平等だったのだろうとされています。私は上記の群れの存続の観点からの理由付けを支持します。また、共感、共鳴によって、群れの仲間の空腹は、自分が空腹で苦しんでいるかのように、なんとか解消させたいと思ったことと思います。奪い合おうという気持ちに、そもそもならなかったと思います。

このような観点から、ゼロサム・バイアスが仮に存在するのであれば、このバイアスが発生する場面は限られているということが私の意見です。つまり、群れの仲間という感覚を持たない状態の相手、即ち敵対している相手との関係では、共感が遮断されるので、相手の利益は自分の損害だという気持ちが起きてしまうのだと思います。例えば肉食獣に仲間が襲われれば、肉食獣は食料を確保できるが、自分たちは大事な仲間を失うという関係にあるということです。ここで大切なことは、ゼロサム、即ち自分の損失と相手の利益が釣り合っているというような思考をしているわけではないということです。相手に利益が生まれること自体が自分の生存を脅かすという意識なのだろうと思います。

さあここで、ようやく和解の際のアドバイスの話になるわけです。

これは調停の技術と言っても良いと思います。技術というか考え方ですね。

例として、申立人が100万円を請求していて、相手方が1円も支払わないと対立している場合ということで単純化して考えましょう。
色々と話が進んで相手も50万円ならば支払うということで和解の話が進むとします。

金額をめぐって争っているのですから、申立人と相手方は典型的な対立関係にあると言ってよいでしょう。敵対する場合、人間の多くは相手の心情を考えて、相手なりに合理性があるのかもしれないと考えをめぐらすことは困難な状況になっています。普段は温和で思いやりのある人でも、紛争の局面において、敵対する相手方に対しては考え方が変わることは当然です。実際は、ゼロサムというよりも二者択一的な思考、二分法の誤謬という感じに単純化して考える状態になってしまっています。和解などしないで判決で白黒つけるという方法論になじみやすい思考パターンになっているということが言えると思います。

もちろん和解をすることだけが望ましいということを言いたいわけではありません。
私が言いたいことを以下の通りまとめてみます。
1)決断をするのはあくまでも当事者本人であり、弁護士や調停委員ではないということ
2)しかし当事者は和解の考えになじみにくい状態にある(本人の性格如何ではなく、置かれた環境、状態から)
3)当事者本人は判決を選択した場合のデメリットが考えられない状態であり、この手当てをしなければ、当事者本人が判決を選択したと言えず、代理人が放置をしたために判決を選択させてしまったということになってしまう。(このため代理人の仕事は、本人の意見を否定するのではなく、自由意思を回復させて本人に本来の選択肢を提示することなのだろうと思います。)

という心配があるため、和解という選択肢と判決という選択肢との距離を等しくおいて、本来の自由意思で選択してもらう必要があるだろうということなのです。

この点弁護士によって、考え方の違いが大きいようです。私は、事態は当事者が自分自身で決めるべきだと思いますので、それぞれの選択肢のメリットデメリットを正確に理解してもらいたいと考えています。

当事者としては本当は元々の請求額が取得できるはずだと思っていますし、それは感情的にだけでなく理屈の上でも間違っているわけではなくそれなりの根拠があっての請求です。だからその金額から受取金額が下げられることは納得がゆくことではなく、自分の損だと考えやすいことは当然です。相手方を敵対視しているわけですが、それは代理人や調停委員も同じ立場ならばそうするということは前提として当事者を先ず理解しなければなりません。また、その理解を積極的に示すことも大切なようです。

但特に代理人は、当事者ではないけれど当事者の利益を図らなければなりません。当事者と同じ感情で視野狭窄の状態であれば第三者である意味がないということになるでしょう。

代理人や調停委員は、和解の成り行きや判決の成り行きを正しく予想するためにも、こちら側の心情と相手方の心情の双方を理解して、和解の機運があるならば和解という選択肢を提案しなければならないと思います。

先ほど和解をしたくないことについての理解を示す方が良いということを言いました。ここが和解を助言するときのポイントになりそうです。ここを説明します。

本人ならば和解したくないだろうということは簡単に推測ができます。和解を勧める代理人もそのことを知らないということはありません。しかし、和解したくないと知っていながらそれを肯定しないということは、当事者本人にとっては、和解をしろと強い態度で言っているように感じるでしょう。自分の感情、思考パターン、人格を否定された気持ちになるかもしれません。ここを積極的に肯定する発言をしないと、その時は和解のメリットを選択して和解したとしても、後から代理人から強引に和解を迫られたという気持ちになるのかもしれません。

要するに和解という選択肢を実質的に考慮できないのは、敵対モードになって視野が狭くなっているところに原因があるということです。そうだとすれば、感情を肯定することによって、自分には理解してくれる味方がいるということで安心してもらう必要があります。その上で、別に考慮することがあるという流れがスムーズな流れであり、理にかなっていることになると思うのです。「わたしもそう思う。約束を守らないで終わりになることは納得できませんよね。そりゃあそうです。でも、それを貫いてしまうと、かえって損をしてしまう危険もあるという別考慮をしないと、損が確定してからあの時和解をしておけばよかったということになるのです。損を拡大しないようにするという視点を加える必要があります。」等という流れですね。そこで判決のデメリットやリスクを説明してゆきます。

そしてデメリットやリスクを説明するだけでなく、メリットを説明していくという流れになるでしょう。早期解決や敗訴の危険、執行をしなくて済む等のメリットを説明して一緒に考えていくことになります。

ただ、熱心で依頼者思いの代理人ほど、依頼者を損させないように、経済的だけではなくメンタルも含めて被害をこれ以上拡大しないようにということで、熱心に和解を勧めてしまい、依頼者との感情が遊離してしまう危険があります。こうなってしまうと極端な話、依頼者にとっては和解を迫る弁護士こそが敵対相手だという感覚になってしまいます。

先ず、自分がどのようにするべきなのにどういう状態なのかというメタ認知を弁護士はしなくてはなりません。ただ、夢中で説明しているとそのことに気が付かないまま説得を続けることがあります。

一つの方法として、和解を勧める場合は、顔の表情を作って共感を示すということです。あえて笑顔を作って和解したくないという感情を肯定することを意図的に行うということです。笑顔を作るというと難しくなりますが、「目を細めて口の両端を上に持ち上げながら話をする」ということです。自分の感情と異なる表情をすることによって、自分の感情の現在地がこの表情と異なる場所にあることを知ることになります。そうなると、理性が発動しやすくなり、先ずは肯定、別考慮の事情の情報提供という流れを作りやすくなると思います。

単にゼロサム・バイアスがあるという大雑把な考えは和解技術の役に立ちません。ゼロサム・バイアスが妥当する場面を限定して、ゼロサム・バイアスがどのようにして起きてどのような失敗をするのかということまで考慮することによって、ようやく実生活で役に立つようになると思った次第でした。

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