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夫婦の仲を安定させるためのポイント ふたりが真面目過ぎることがけんかのタネだったという話 [家事]



<真面目さと夫婦喧嘩の流れ>

昨今、マッチング系アプリによっての結婚が増えているようです。母数が増えれば、一定割合離婚問題が増えるのも仕方がないことかもしれません。だから、今回お話しすることは、マッチングアプリ特有の問題ではないのかもしれません。ここはだれか考えてください。なんにせよ、予めつまずくポイントを押さえておいていただき、末長い幸せなご家庭を築かれることを願っているわけです。

そのような現場の事情を踏まえて言うと、昨今の夫婦喧嘩の特徴は、
・ お互いが真面目過ぎるということ
・ 自分の真面目さを相手にも求めてしまうこと
・ 自分の真面目さが受け入れられないと自分が拒否されているのではないかという被害意識を持ちやすいこと
・ 一度被害意識を持つと、安心できなくなり、相手の些細な言動を気にしてしまうこと
・ 気にしてどうしようもないとすぐにあきらめて、キレてしまうこと
・ キレた自分を見せたことによってますます不安になること

そして思い込みDVになって、子どもを連れて別居、第三者から見れば病的な拒否が起きるという構造をよく目にするようになりました。

<まじめすぎる実例>
・ 箸の上げ下ろし
これ冗談ではなくて、箸置きに箸をおくとか、おかわりをよそったしゃもじの置く場所とか、押し入れに入れた布団の端をそろえるとか、本人の年齢に不相応なことにこだわる人(主として妻)がいます。妻が家事を努力してこなしていることは夫も認めています。ただ、あまりにまじめすぎると、他人に対しても合格のハードルが高くなるようで、相手が努力してそこまでしていてもなかなか合格とされないようです。相手の努力に感謝の気持ちが持てなくなるという弊害があります。結局、全部自分でやらなければならなくなるおそれもあります。また、相手の悪意のない失敗を見過ごすこともできなくなるようです。

・ 夫婦のルール、あるべき姿、格言等
私の担当した中では、一般論を守ろうとする姿勢が強すぎるのは男性の方ですが、女性も第三者に理解できないこだわりがある方もいます。いずれにしても、それはお互いが長く共同生活をやっていくための「方法論」にすぎません。目的ではないのです。それなのに、その方法論を実践しなければすぐに夫婦の仲が崩壊するかのように、自分の方法論を厳格に守るように要求して、うるさがられるということが結構あります。例えば、家に一緒にいる時間は近くで同じことをするべきだとか、そういうことを頑固に言ってけんかになることがあるようです。言い出しにくいことも言葉にしないことを責めるのは男性が多いような気がします。その日その日で体調が違うし、昼間にあったストレスフルの出来事を落ち着かせるために一人で過ごしたいということもあります。放っておいてほしいときは放っておくことがむしろ長く共同生活をするコツのようなものかもしれません。

何か不具合があったら冷静に話しあおうなんてことを取り決めするのですが、いざエキサイトしている場合にはなかなかそんな悠長な約束は覚えていないものです。それでもどんな時でも冷静であれと要求するのは男性の方が多いかもしれません。

・ 論理性、公正性、正義みたいなもの
これは男性側が気にするところですが、妻が前に言ったことと違うことを言った場合に強く問題にすることからけんかが始まることもあります。まじめな人は、特に若い男性は、相手の一言を大切に受け止めすぎてしまい、それを自分が忠実に実行しているものですから、別のことを言われるとはしごを外されたような気になるのかもしれません。だんだん話半分に聞くポイントみたいなものを覚えていくのですが、ここまでふてぶてしくなるまでには年月がかかるようです。若いうちは真っすぐであることが美徳だと思うのですが、まじめすぎると相手は苦しくなるようです。

<真面目さから二人の仲を大切にしすぎる弊害>

これ等の真面目さの弊害は、二人の夫婦生活をいつまでも続くものにしようという気持ちから生まれるようです。その方法論にすぎないものを過度にこだわって本末転倒になるところから生まれるようです。その真面目さからくるのか、真面目さに行き着いた結果なのか、方法論にこだわる理由には二人の仲が壊れることについての不安があります。

真面目過ぎて、それを相手にも求めてしまい、相手がその水準に達しないと、二人の仲が終わるのではないかという不安が生まれてしまいます。この不安に取りつかれてしまうと、第三者からすれば気にするほどではないいろいろなものが、崩壊の前触れのような気がしてくるようです。

うっかり出張の日を伝達忘れていたり、うっかり先に食事をしてしまったりということが、自分が軽んじられているような深刻な受け止めをすることがあります。また、プレゼントを渡されるのですが、ケチられていると思って不安になるのは、女性が多いようです。夫としては一緒に食べようとして買ってきたのに、妻はプレゼントだからそれを自分だけがもらえるものと思っていて、夫も一緒に食べだすと幻滅するとかという些細な食い違いもよく見られます。小学校の道徳の時間のテレビで、プレゼントはケチってはだめだと言われたことを思い出します。男性の不満で観られるのは、食事の内容に配慮されていないとか、妻が一人で出かけてしまうということなどがあります。自分が入院とかして大変な時に面会時間外とはいえパチンコに行って悠長に遊んでいることを怒るのは妻の方です。

夫が仕事の関係で「うつ」っぽくなってふさぎ込んでいると、そういう事情で無口っぽくなっているということを十分に説明されないと妻は自分に不満があるから話さないのではないかと心配が大きくなっていったということも実際にありました。

一方が信じている「夫婦関係の在り方」に、他方が協力してくれないということでも、不安が大きくなるという事例が、これは男女あまり差が無くあるように感じます。一方が一人になりたいときは、他方は一人にされるということもあり、心細さが大きくなってしまうのでしょう。その流れはわかるような気がします。

干渉しすぎても煩わしくなり、かかわらな過ぎても不安になるということです。また、その感じ方は人それぞれです。その時の調子によっても違うようです。単純に決めつけることをせず、よく観察をし、一つ一つ修正や説明をすればよいのだと思います。

<不安をぶつけてしまう>

夫婦の仲が終わりになるかもしれないと思ったときにとる態度は二つです。一つは落胆してしまうパターンで、もう一つが攻撃するパターンです。しかし、いつまでも家庭の中で引きこもることは難しいので、最終的には相手を攻撃してしまって紛争になるということですから、最終的には相手を攻撃するというもう一つのパターンに流れ着くことが多いかもしれません。相手からするとどうして怒っているか、どうして攻撃するのかわかりませんから、逆切れだと感じてしまうようです。

最初に落胆するパターンだと、徐々に不信感が強くなっていって、それまで楽しくて仕方がなかった二人の時間が、全て噓だったと記憶が塗り替えられていく様子が、離婚訴訟で証拠として出された日記からありありと浮かび上がることもありました。最初に相手を好きすぎて、二人の仲を大切にしようと思いすぎて、自分の思いを受け入れられない場合のパターンですね。思い込みDVのパターンに強くなじむように思われました。

小出しに怒りをぶつけてくるパターンとしては、自分が相手に対して求めていることを相手が完璧に実践するという結果が確認できるまで、女性はヒステリックに、男性は暴力的に、逆切れして相手に求めてしまうということもあります。この場合は、相手の精神的ダメージが大きくなります。相手からすると何を怒っているのかわからずにとにかく自分が攻撃されてしまい、話し合いもできず、取り付く島もないという状態で、絶望を抱きやすくなるようです。

強硬に自分の希望を相手に実現させて安心感を獲得しようとしているようにも感じます。しかし相手がそれを実現したとしても、相手が自分から自発的に行ったものではないので、満足感は一瞬のもので、かえって自分が低評価されることにつながると感じますので、むしろ不安を強めてしまい、相手に対する強制をいつも行ってしまうような悪循環に陥るようです。

また、男性も女性も、自分の行為が相手にどのくらいダメージを与えているか正しく認識できないようです。自分の行為は当然のことで、正義だという意識から、徹底的に主張することを抑制することができなくなるのかもしれません。自分が攻撃されていると思っていますから、自分の反撃で相手がかわいそうだとは自然には思えなくなっている状態になるようです。

<先ず、夫婦、家族の目的の一つをはっきりさせること>

幸せの形は人それぞれです。こうでなければならないというのはないかもしれません。ただ、人間である以上、その性質から逃れられないことがあります。叩かれたら痛いし、熱したフライパンに触れば熱いと感じるようなものがあるわけです。それは、家に帰ったならば、安心してリラックスしたいということです。

人間の生理的な構造から、昼間に活動をして夜に休息することが想定されています。活動をするために、精神は研ぎ澄まされて緊張をしやすい状態になっているのです。夕方頃からこの状態は逆転して、緊張をほどいて穏やかな感情になることが最も自然な活動形態です。そしてぐっすり眠って昼間の緊張で傷ついた血管などを自然にメンテナンスするようにうまくできています(概日《サーカディアン》リズム)。

人間が他の動物に比べて長寿である理由は、このサーカディアンリズムが発動しやすい環境を構築したからだと私は思います。つまり、群れを作り、主として男たちは昼間に緊張を高めて食料を探しに出かけ、外敵から身を守って、その間女性たちも子どもや老人を守りながら植物採取をした。そして夕方になって二つの部隊が合流してより安全な体制となって安心をして夜を過ごした。これによって、昼間はより緊張しやすい状態で身を守り、夜はリラックスができる状態で緊張によってミクロ的に傷ついた血管や神経を修復していったことで、長生きができたのだと思います。これができないで緊張しっぱなしの状態ですと、今でいう過労死が起きやすい状態になり、長生きができなかったでしょう。そうすると、繁殖をしても子どもが成長する前に親が死んでしまい、人間は自然消滅していたはずです。

わたしたちは生き残ることができた祖先から遺伝子を受け継いでいるため、生理的にも心理的にもこのスタイルで生活できることが、自然に快い状態を感じるようになっているのだと思います。

つまり、家族、夫婦の役割は、一緒にいるときに、安心してリラックスできる状態を、「お互いが意識して作る」ということなのだと思います。一緒にいれば緊張を緩和させることができるという人間関係を作るということですね。

人間ができる相手に対する安心感を与えるときの安心感とは、人間関係が終わりになるかもしれないという緊張を感じなくさせること、つまり安心させることになるでしょう。このような緊張や不安は、人間は特に理由もなく感じてしまうもののようです。だから、終わりになるようなそぶりをしないというような「マイナスになることをしない」ということではなく、積極的に安心させるという「プラスになることをする」ことこそ大人の二人は行うべき行動だということになると思います。

安心させるためには、
二人の仲が終わることを自然に予感させることをしないことが前提なるでしょう。つまり自分は相手から低評価されていない、大事にされていると感じさせることです。低評価されているとか大事にされていないと感じると、二人の関係が終わりになるかもしれないと心配になることは自然なことだと思います。

相手が失敗しても責めない、相手に不十分な点があっても批判しない、欠点はできる限り目をつぶる。自分が代わってやれるところは代わって行うということをすればよいことになります。お互いがお互いの負担を軽くするような行動はプラスの行動ですね。

大事なことは、こういうことはお互いに行うことです。常日頃こういう態度でいることで、不安が少なくなり愛されているという自信が生まれます。相手が多少イレギュラーな行動をしても、自分が責められていると感じないで、相手を気遣うことができるようになります。

このように人間が自然に不安を感じてしまう動物であるため、それから複雑な社会構造からさらに不安を感じやすくなっていることから、人間関係は壊れやすいものだということを離婚事件を多く担当して思います。

それにもかかわらず、マニュアルのように結婚生活を長続きされるノウハウ本などを読んでしまい、何でも話し合うことが必要だとか、食事の後は必ずそばにいなければならないとか、秘密を持っては絶対だめだとかということになると、あるいは箸の上げ下ろしが完璧でないとかや非論理的な話はしてはならないとか、形式的な方法論にこだわってしまうと、肝心な相手を安心させるということができなくなり、無駄な緊張感ばかり与えてしまうことになってしまいます。朝から晩まで家族だけで生活できるならまだよいかもしれませんが、家族以外の職場や友人関係があるのですから、切り替えのための一人の時間ということも尊重するべきです。そして、なにか感情的になっていたとしても、暴力などに及ばない限り、そういうときもあるという余裕が持てる人間関係を構築できれば一つの幸せの形は続くと考えています。

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