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若年被害女性等支援事業の本丸はDV被害女性支援事業だという須田慎一郎氏の発言の行方を見守る その二つの事業の奇妙なまでの共通性を考えてみる [弁護士会 民主主義 人権]



現在インターネット上では、東京都の若年被害女性等支援事業の公金支出が大問題となっています。しかし、この国のメディアも政治も、東京都の公金支出の問題を取り上げようとしません。かえって、このブログでそれぞれ記事にした通りに朝日や毎日は、個人の署名入り記事でつまり腰を引かせながら、事業を委託された一般社団法人擁護する記事を出して、肝心の東京都の財政支出について問題として取り上げることをタブー視しようとしている状態です。つまり、本来は東京都の公金支出の在り方の問題であるのに、「それを問題とすることは弱者攻撃である」という論調を作り出して、東京都が攻撃されることを防止する結果となる行動をしているということです。「Qアノン」もじった揶揄が大新聞でつかわれていますが、これは、朝日新聞や毎日新聞が擁護しようとしている対象が一般社団法人やNPO法人ではなく、その背後にある「なにか」だということを陰謀論だと警告して反射的に思考停止にしようとしているからだということに他ありません。そうでなければそのような他者の名誉を害するような表現をたとえ署名記事だとしても朝日新聞や毎日新聞が掲載するとは思えません。また、一団体が、次に述べる特権的な公金支出の対象と偶々なったということも常識的に考えてあり得ません。朝日新聞や毎日新聞は特定団体をかばおうとしているわけではないのです。

ジャーナリストの須田慎一郎氏だけがさらに発展し、そのマスコミなどがかばっている本体が、くだんの一般社団法人ではなく、被害女性支援事業、特にDV被害者支援事業が本丸であることに言及し調査を進める旨表明されています。大いに注目したいと思っています。

東京都の若年被害女性等支援事業の公金支出の問題の本質は、そもそも事業を委託して活動をする前から前渡しで年間数千万円に上る多額の支援金を受託事業者に交付して、その後領収書などの支出根拠の裏付けも調査せずに、未使用委託費の返還も求めないというところにあります。
通常の委託事業や補助事業では、このような扱いはなされていません。きちんとした事業計画を策定して、委託金の金額根拠を具体的に明らかにして費用が確定され、かつ、その費用が実際に支払われたことを領収書などで確定し、また実際にその事業が行われたことを報告書で提出して、初めて年度末に後払いでお金が交付されるということがほとんどだと思います。

東京都によると、このような例外的な委託支援事業の資金交付は、公法的契約だというのですが、国の方はこのような契約類型は聞いたことが無いと言っているようです。どうして、女性支援事業だけが公法的契約の締結対象となるのか、どこでそのような承認がなされたのか、そもそもそのような契約の対象とするべきなのか現在注目が集まっているわけです。

このような莫大な公金の前渡しが正当化されることについては、不可能ではないとしてもずいぶんハードルが高くなると思います。一つは、とても素晴らしい事業、必要不可欠の最優先事業であるから、活動をしやすいように前もって資金を渡す必要があるという必要性、有用性が認められることが前提となるでしょう。

「被害女性や若年被害女性の支援」という言葉を聞くと、誰しも反対できないような雰囲気が作られてしまいます。言葉のマジックです。私たちは、何をもって被害というか具体的な対象者の要件を実は知りません。また、どのような支援がなされているのかということについても何も知りません。それでも「被害者支援」と言うと何か崇高なもののように、脳が勝手に反射的に判断してしまうのです。本当にその支援を受けている人は被害を受けている人なのか
・ そもそも被害とはどういう被害なのか
・ どのような支援をしているのか
・ 本当に新たな不幸を回避するためにその支援は有効なのか

莫大な公金の支出にあたってこれらの要素については、支出をする東京都が把握していなければならないはずです。この点の報告が検証可能なほどになされていなければ、東京都が財政を支出することはできないはずです。また、ある程度情報が一般的に公開されて、都民や国民の事業承認がなされる必要があると思います。都民や国民の税金が支出されているからです。

これができていなかったというのが、令和5年1月4日に発表された東京都監査委員会の監査結果でした。

これができていない財政支出の危険性は以下のとおりです。
・ 活動報告書通りの事業がなされていなくてもわからない。
・ 被害者でない人間に対してサービスを提供していてもわからない。
・ 被害支援とは言えないことに多額の公金が支出されていてもわからない。
・ 公金が、委託の趣旨とは別の用途に使用されてもわからない。
簡単に思い浮かべるとこういう危険があると思います。

この種の公金支出問題の最初にあったのが、20世紀末期の市民オンブズマン活動です。地方自治体やそれぞれの機関において、接待費が認められていて、この接待費、つまり酒を飲んだということにして、実際は公金を支出しないで裏金としてためて、「何か」に使っていたということが大問題になりました。「官官接待」という言葉が大流行し、未だにパソコンに打ち込めば一発変換できる確立された日本語になっています。

ところが、官官接待の時はこぞって取り上げて自ら公文書開示まで行って記事にしたマスコミも、今回の東京都の公金支出問題は全く報道をせず、むしろインターネットで追及している姿勢を否定しようとさえしているのです。端的に言えば、マスコミはわずか20年くらいの間に様変わりしてしまったということになります。

ところで一般の方々であれば、被害者支援事業自体は素晴らしいのではないかと思われると思います。たとえ、その被害とは何なのかということをはっきり知らされなくてもそう思うと思います。いや知らされていないからこそそう思うのかもしれません。私はこの被害者という言葉に、弁護士としての仕事柄散々苦しめられてきた人を見ているからです。

それが須田慎一郎氏が本丸だと示唆されている、DV被害者保護事業に関することです。DV被害者保護事業についての問題点については、これまで「思い込みDV」をキーワードとして述べていますので、詳細は割愛します。簡単に言うと、DV被害者の中には相当の割合で、実際には暴力も受けていないし、精神的虐待というほど夫の行為が不適当だと評価もできない事案が多くあり、そのような事案でも子どもを連れて被害女性シェルターに逃げ込ませ、行方をくらませて、子どもを父親から引き離し、家庭崩壊とする危険があるということです。

実際にはDVがあろうとなかろうと「被害者」とされるのは、そもそもの制度設計に問題があるからです。なんと、ここで言う「被害者」とは、被害を受けた人のことではないというのです。また、「加害者」も被害者に加害行為をした人という意味ではないというのです。配偶者暴力を相談した妻のことを「被害者」と呼び、妻の夫等を「加害者」と呼んでしまうということが実態なのです。本当に被害があったのかどうかを調べることはしません。この日本語と異なる言葉の用法については総務省の事務連絡(平成25年10月18日付)で明示されています。

「被害者」と呼ぶことによって、実際に何があったのか知らなくても、支援措置が必要なことであるという印象を持ってしまいます。実際に行政窓口の担当者は、「加害者」とされた夫に対して敵対的な対応を行っていることが報告されています。全くDV等をしていない夫は、行政や警察からも敵対的な態度を取られ、犯罪者のように扱われて、全世界から孤立したような感覚をもってしまうことで、精神的に大打撃を受け、治療が必要な状態になってしまうことが多いのです。被害意識を持たされて、常に身構えている状態を作り出され、このような過剰に敏感な状態だから同居期間中も精神的虐待にあたるような行動をしたのだろうと言われてしまいますので、まさに踏んだり蹴ったりです。

支援の内容は、被害者である妻を夫から引き離してシェルターに入れ、その後も居場所を隠し、その上で離婚訴訟を提起することが中核です。少なくない事案で何の罪もない子どもたちは自分の親とも友達とも引きはされて、会うことができなくなります。被害女性支援であるから、それらはやむを得ない、正当であると人々の意識が作り上げられていくように感じます。「被害者支援」という言葉を聞くと、疑問を持つ力が奪われてしまう効果があるようです。

今回の東京都の若年被害女性等支援事業問題の感覚がデジャブーであるということはこういうことです。

一般のDV女性支援事業の公金支出の適否についてはまだ調査をしていないので、その点についてはわかりません。しかし、DV女性支援事業の中核は、夫の元から女性を引き離すというところにあります。夫にも話をして家族再生を目指そうというものではありません。引き離した先には何があるか、一定の割合で実家を頼れない、頼りにくいという事情のある女性がいて、それらの女性はシェルターに入ることになります。また、その後の生活の確立も必要になるでしょう。これを税金で行うとなれば、莫大な費用が掛かりますが、それらの事業は委託を受けた事業者が行い、その事業者に事業費用が支払われる仕組みがあるのかもしれません。おそらく須田さんが指摘しているのはこのことなのだと思います。しかし、そもそもの入り口、女性の悩みを問答用無用で家族分離につなげていく事業が、シェルターという女性保護施設の需要を人為的に高めているということは注目するべきだと思います。

また、DV女性支援事業についても、これほど長年行われているのですから、公聴会などにDV支援事業についての問題点に立ち会っている専門家が呼ばれてその弊害を是正する意見を述べる機会が作られても良いように思います。しかし、どうやら制度設計に呼ばれる審議委員や意見聴取者は、現状の制度を推進しようとしている人が中心なのではないでしょうか。この点についても若年被害女性支援事業の構造と酷似しているのかもしれません。

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