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パワハラの落とし前のつけ方 現代版黄金律の構築の必要性2 [労務管理・労働環境]



パワハラがなぜ悪いのか。当たり前という回答はありうるかもしれません。しかし、私のようにパワハラによる損害について弁護士としてやり取りをしている者にとっては、パワハラの本質がどこにあるかという仮説を立てることは、必要なことです。どこからがパワハラで、どこからが損害賠償の対象になるのかということは、「パワハラがなぜ悪いのか」ということを考えないままでは、とても頼りないぼやけた境界線しか引けません。

これまでの過労自死事案や精神疾患事案を見ると、パワハラそれ自体よりも、それが組織的に放置されているとパワハラを受けている人が感じることが、より精神疾患の発症の原因になるし、症状が重篤化しなかなか治らない原因だという感覚を持っています。

これはパワハラの本質が、パワハラを受けた者が「自分が努力をしたのに、その努力を否定された。」、「自分の能力や人格を簡単に否定された」と受け止め、自分が会社という人間関係の中で劣っている者、取るに足らない者、簡単に切り捨てて良い者だという否定評価をされたというように感じ、危機感を抱かせることにあります。孤立させることと孤立回復に対して絶望させることがパワハラの本質だと仮説を立てています。

そうすると、一人の人からパワハラを受けることによる孤立感や絶望感もさることながら、その自分に対しての否定的な評価がその会社全体の自分に対する評価だと感じてしまうことによって、より大きく、深くなる、より苦しくなることはあまりにも当然のことになると思うのです。

パワハラを受けた人から見ると、世界中から自分が孤立していて、自分は人間として扱われることが今後一切ないというような感じ方になるようです。
パワハラを見て見ぬふりをするということは、パワハラを受けた人がどんどん孤立感を深めて、絶望に向かっていることを放置することと等しいのです。会社はパワハラがあるかもしれないと思ったら、パワハラの対象者の孤立感を解消する手立てを取らなければならないと思います。

つまり組織は、パワハラがあれば、
1 それはしてはいけないことだと否定評価をすること
2 改善を具体的に指導して同種行為の反復をさせないこと
3 パワハラを受けていた人が自分が守られていると実感すること
が行われなくてはなりません。

これを放置すると、パワハラの被害を受けた人だけが病むだけでなく、組織全体が不必要な緊張感が支配的になり、殺伐とした組織になり、ミスが増えたり、自分の頭で考えないで上司の言われたことしかしなくなる、あるいは優秀な人材から順番に外部に流出していくということにもなりかねません。公務員の場合は転職をあまり考えませんので、精神的被害が深刻になるばかりではなく、第2、第3の被害者が生まれてしまい、職場の中に休職者が増大し、残された者の仕事量が増えるという悪循環に陥ってしまいます。

さて、それにもかかわらず、多くの企業では、コンプライアンスの部署がありながら、このコンプライアンスの部署がパワハラを無意識に隠ぺいしようとする行動をとってしまいがちです。コンプライアンス担当部署側の理由は何なのでしょう。
① パワハラの行為者(あるいはその後ろ盾)と対決することが嫌だ。
② パワハラがあるといううわさが外部に流出されると会社の評判を落とす
こんなところではないでしょうか。
そして、実際にどのように隠蔽するかというと
A)上司の言っていることは正論だからパワハラではない
B)業務に必要な伝達事項だからパワハラではない
C)そのぐらいは通常の指導の範囲内だ
D)あなたの言い分だけでパワハラだとは確認できなかった
という感じが多いように思われます。

これではだめなのです。何のためのコンプライアンス部署なのかわかりません。結局労働者が精神疾患を発症し、労災認定がなされ、事案によっては高額な損害賠償を支払い、裁判報道として会社の名前が世に知られてしまい、取引が先細り、優秀な人材が会社を後にするということにならざるを得ません。第2第3の疾患者が出れば、悪名は固定されてしまうでしょう。こんなコンプライアンス部署の従業員に給料を支払っているのは、無意味な話です。単に会社がコンプライアンスに取り組んでいます、予算もつけていますというアリバイ作りという意味にすぎません。

あくまでも、従業員が孤立感や絶望感を感じた場合は、事態を改善しなければならないのです。行為者がどういうつもりでそれをやったかではなくて、言われた方がどう感じるかということを基準に行動をしなければならないのです。

ここでもう一つパワハラが放置される重大な理由を指摘しなければなりません。それはパワハラ改善部署がコンプライアンス担当だという致命的な欠陥です。つまり、コンプライアンス担当部署は、その上司の行為が過去の裁判でパワハラだと認定された行為に該当しなければ放置してよいと考えているようです。もっともパワハラ研修自体がそのような実務からかけ離れた、裁判というより判決文だけを元にして組まれたプログラムばかりということで役に立っていないのです。

さらには適切な解決方法の知識とノウハウが無いということもパワハラが放置される原因になるでしょう。これはコンプライス担当部署が第一次的なパワハラ担当をしていることから派生する問題です。

つまりコンプライアンス担当部署がパワハラだと認定したならば違法であり、上司を懲戒しなければならないという手続きの流れになるために、担当部署はなかなかパワハラを認定できないということなのです。

会社としては、真黒なパワハラがあり懲戒処分の対象となる行為と、グレーゾーンであり処分の対象とはならないのではないかという行為と二種類のパワハラがあることになります。しかしその境界線は曖昧です。そうなるとついつい、極端なケースだけをパワハラとして認定して懲戒処分の対象とし、それ以外は放置するということになるわけです。しかもその極端な例というのは、パワハラ行為者に悪意があり、人格的問題があり、意図的に部下を追い込む行為であり、第三者から見てもすぐにひどい話だと感じられる行為ということになります。パワハラを受けている相手の感情はどこにも入りません。

これでは、パワハラを防ぐことはできません。

グレーゾーンを放置するから真正パワハラになり、人の命が失われるのです。そうなってからは取り返しがつきません。パワハラを本気になくそうとするならば、グレーゾーンを一つ一つ丁寧に解消していくほかはありません。パワハラを予防するということはそういうことです。そのような予防が企業を発展させていくことにもつながります。

後にパワハラ認定された上司だって、部下を精神疾患にしようとか自殺に追い込もうと思って行為をしているということは実際は多くありません。必要な指導を適切な形で行うことができないために、部下が孤立感や絶望感を感じるということがほとんどです。

その行為が部下にどのように映っているかの認識を共有することが第一です。つまり現代版黄金律である、「相手のしてほしくないことをしない」ということを基準とするべきなのです。その上で、改善の必要性に応じて、改善の適切な方法を一緒に考えるという流れになるにすることをまず考えることです。

そうやって、指導のスキルを底上げしていく絶好のチャンスとしてとらえなければもったいないということです。これは取引相手などにも応用の効くスキルだと私は思います。

つまり、自分が誰かに働きかけるときに、相手の気持ちを考慮して働き方を工夫するようにスキルアップするということなのです。現代版黄金律です。

相手の気持ちを考えるということは、簡単ではありません。しかしスキルや経験が増えれば、仕事の範囲であればそれほど難しいことでもありません。そのスキルアップをすることで組織力は確実に向上するのです。

スキルアップのためには、知識、ノウハウが必要であることもまた事実です。他人の気持ちなんて実際はわからないからです。そうだとすれば、他人の気持ちに気が付かなかったことをもって直ちに処分を検討するという流れはやめるべきです。改善を指導する過程の中で、社会人としてあまりにも非常識な対応をしていたのであれば、いたずらに企業秩序を乱したことになるので、その場合はそれ相応の懲戒処分をすることになると思います。パワハラ是正の論理と、処分の論理は次元を異にすると考えなければならないと思うのです。

大きな組織であれば、パワハラ改善の部署は一時的には労務管理の指導部門が担当するべきです。悪質で企業秩序違反が認められた時に、レポートをつけてコンプライアンスに回すということが合理的だと私は思います。

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