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疑似発達障害の起きる環境 誰もが置かれた環境によって相手の気持ちを考えられなくなる 現代版黄金律の構築の必要性3 [進化心理学、生理学、対人関係学]



ぜひ前々回のシリーズ1の記事を読んでいただきたくお願いいたします。
かなり要約してお話しすると、発達障害の人は話しかける相手に対して、その人の気持ちを考えて、こういうことを言うと嫌な思いをするだろうから発言をやめようとしたり、表現方法を工夫してなるべく傷つかないように発言しようとすることが苦手であること、その結果悪意が無いのに相手を傷つけたり、立腹させたりすることがあること、そして相手が傷ついていたり立腹していることに気が付かないし、傷ついたり立腹する理由もわからないということがあるということを紹介しました。

しかし、読んでいただいている方の多くは、これは発達障害の人だけの問題ではないことにうすうす気が付いているはずです。

例えば、いつもは相手の気持ちに配慮した話し方をされている方が突然相手の気持ちを考えないような話をすることがあるとか、職場では厳しすぎるパワハラぎりぎりの言動をする人が家庭では穏やかな家庭人であったりということがあると思います。

またご自分でも、いつもは相手の気持ちを考えているのに、自動車を運転して割り込みをされたときに激高して同乗者にびっくりされたとか、買い物をしていて急いで職場に帰らなければならないのにお年寄りがレジでもたもたしていることでイライラしたり、職場で不条理な扱いをされてイライラして帰宅したときにいつもはなんとも思わない子どもの発言が癇に障って思わず怒鳴ったりということがあるのではないでしょうか。

こういう時、相手の気持ちを考えないまま自分の言いたいことを言ってしまっているのではないでしょうか。

こう考えると、相手の気持ちを考えないで相手を傷つけたり不快にする発言をするということは発達障害だけの特性ではなく、条件によっては発達障害が無い人でもつい行動をしているということになると思います。

そもそも相手の気持ちを知るということはなかなか難しいことです。おそらく相手の気持ちを考えて行動をするということ自体が難しいことで、頭をフル回転させて考えなければできることではないのかもしれません。つい、相手の気持ちを無視するだけではなく、相手の気持ちを自分勝手に決めつけて逆方向の話をしてしまうということもありそうです。

相手の気持ちを知ることが難しいということであれば、「難しいことを考えることができない脳の状態」のときに、相手の感情にそぐわない言動をしやすくなるということです。思考が停止している状態や、思考力が減退している状態です。どういう場合に思考が停止したり減退したりして、相手の気持ちを考えないでつい相手不愉快にしたり、怒らせたりするか予め知っておくことで、不用意な発言を防止しやすくなります。

思考力の減退、停止が起きる典型場面が、自分を守ろうとしているときです。

何かから逃げようとしているときや何かを攻撃するときは、危険を無くすことだけを考えるようにできているため、相手の気持ちを考えるなどという余計なことをしないように作られているわけです。逃げなければいけないのではないか、攻撃しなければいけないのではないかと感じる事情がある時、つまり危険を感じているときに思考力が低下します。

身体生命の危険だけではなく、対人関係的危険、つまり自分が組織や社会という人間関係から孤立する危険、追放される危険がある時、もっと平たく言えば自分の評価が下がる危険のある時、立場が無くなりそうなとき、こだわっていることができなくなりそうなとき、自分の仲間を守ろうとする時、こういう人間関係的な危険を感じている時に思考力が低下して、相手の気持ちを考えることができなくなるようです。

具体例を挙げると、会社の部署の責任者であり、その部署全体のノルマが達成できなくなりそうだというときに、部下の気持ちも考えずに第三者から見れば罵倒にしか聞こえない言動をするということが典型かもしれません。取引相手との約束の時間がギリギリなのに、開いたエレベーターのドアの前で入ろうか遠慮しようかともじもじしている人を見ると、どっちかさっさと決めてくれと毒づきたくなるわけです。
先ほど挙げた例もすべて自分を守る必要性を感じている場合ですね。

この他に、体調が悪いとき、睡眠不足、副作用のある薬を服用した時、それから時間が無い等の焦りがある時も同様に複雑な思考ができなくなり、他者の気持ちを考えて行動するということができなくなるようです。

思えば現代社会は、相手の気持ちを考えて行動できなくなる事情にあふれているように思われてきました。

会社に行っても家庭に帰っても、本当に自分はこの人間関係で受け入れられているのだろうかということを常に不安に感じるという事情、会社からこんな業績では成績評価を下げるぞと脅かされたり、退職を迫られたりするという事情という事情のある人も少なくないでしょう。今の世の中、自分は安全だ、安心だ、大丈夫だと感じられない人間関係が多いのではないでしょうか。特に日本では他国に比べて時間に追われるということも多いようです。何かと寝不足になる事情も多いですね。自分以外の誰かが起きて活動をしているとなると、SNS等のインターネットをのぞいてみたくなってしまいます。また、昼間のストレスで眠れないということもありそうです。

そうだとすると、現代社会は、大人の発達障害の行動を起こさせる原因に満ち溢れていることにならないでしょうか。ついつい他人の気持ちを考えずに自分の言いたいことを発信してしまうということが起こりがちになっているのではないでしょうか。その結果、自分の所属する家族や職場での自分の立場がますます不安定になってしまっているわけです。まさに心無い言動が理由で不安になっているという二次被害のような人も出てくれば、悪循環が大きくなっていきます。

現代社会は、発達障害の特性の行動類似の行動が起きやすい社会だと思います。それにもかかわらず、空気を読むことが強制され、空気を読めない人が低い評価を受けているような気がします。それができない環境にありながら、強制的に緊張を強いられ、空気を読ませられている、とても生きづらい社会なのではないでしょうか。

人々は、常に自分の感情が他者から考慮されずに行動提起がなされるので、指図されている不自由感を慢性的に感じているのかもしれません。自分のことを自分で決められないという閉塞感を抱きやすいのかもしれません。自分の感情を考えずに問題敵されることに過敏になっている可能性もあるのかもしれません。

現代版の黄金律である
・ 相手のしてほしいことをしてあげる
・ 相手のしてほしくないことをしない
ということはますます難しいことになってしまいます。

だから黄金律だけを述べることは無責任なのでしょう。
・ 自分と他人が違うことを前提にして
・ 他人の感情を察して自分の行動を決めるという価値観、理想を掲げること
・ そして、他人の感情を考えることができる環境をできる限り調えていく
ということが本当は言うべきなのかもしれません。

できれば社会全体がこの価値観で回ることが人間の幸せのためには効果的だと思います。それができないのならば、せめて職場の中とか家族間とかで、そのような価値観を共通の価値観として共有する必要があるのだろうと思います。

せめて家族の中では、自分が大人の発達障害類似の事情を抱えているならば、むしろ家族を安心させようとする気持ちを持つようにすることが必要なのかもしれません。

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