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幸せでないと感じる大人は、幸せになるための行動をしていない人が多い 幸せになることは努力が必要だが、不幸せになることは簡単であることの理由 [家事]

幸せでないと感じる大人は、幸せになるための行動をしていない人が多い 幸せになることは努力が必要だが、不幸せになることは簡単であることの理由

弁護士としての職業がら
長年人間関係の紛争に多くかかわっています。

これまでもうすうす感じていて、確信に変わったことがあります。
例えば家族などの人間関係で紛争になり
不幸せになる人の多くに共通のパターンがあるということです。

現状では、人間関係が壊れて不幸せになることは
どうすることもできないことだ
という考えにもとづいた扱いが
裁判所を中心に支配的になっているように感じます。

でも、もし不幸せになるパターンがあるなら、
そのパターンをふまないことで
不幸せにならないで済む方法があるのかもしれない
そしてそれは案外意識さえすれば簡単なことではないかと思い、
ここでお話しする次第です。

不幸せになるパターンについて、結論だけ言うと
相手から幸せにしてもらうということだけを待っていて
相手が自分を幸せにしないことに怒っている人です。
自分から幸せになるための行動をしないで待っている人ですね。


これが子どもなら許されることでしょう。
親を幸せにしようと子どもが努力するということはないですから。
親なんてものは、放っておいても
自分の子どもをかわいいと思ってしまうので、
それだけで幸せになるものですから、
「生まれてきてくれただけでありがとう」でよいのです。

大人はそうはいきません。

現代の人間社会は
人が二人集まると利害対立が生まれてしまうので、
放っておくと紛争が始まってしまうようです。

これが人間の心が生まれた時代とされる、200万年前なら
生まれてから死ぬまでおんなじ人たちと生活していて
その人たち以外とは原則として出会いもしなかったのですから、
利益は全く対立せずに
平等に助け合っていけたようです。

200万年前は、
仲間の誰かが病気をしたりけがをしたりして動けないと
頭数が減ってしまうという、群れ全体の死活問題となるので、
弱い者と見たらみんなで守ったようです。
自分と群れの他人との区別もはっきりとはつかなったのではないでしょうか。

ところが現代は違います。

また、200万年前から現代の前までの多くの時代
人間は数十人の群れで生活していたことが普通であり、
今のような「若夫婦と子ども」という少人数の家族になったのは
ごくごく最近のことのようです。

今は夫婦がお互いの感情を、
お互いだけで落ち着かせなくてはならないのです。
これは大変なことです。
一方では相手に不満の感情を爆発させてケンカしたとしても
自分たちでその後始末をしなければならない
現代の孤立婚は、何かと無理が起こりやすい環境だと思います。


ひとたび夫婦の信頼関係が揺らぐと疑心暗鬼が生まれ、
自分は相手から大切にされていないのではないかと思いがちになり、
ふつうは気にならない些細なことが、
自分を嫌っている証拠のように思えてくるようです。
あれもこれもそう思えてきますから
だんだんと一緒にいることだけで苦痛となり、
家族を解消したいと思うようになっていくようです。


そうだとすると、では、
このような不幸せにならないようにするための行動、
幸せになる行動があるとすれば、何をすればよいのでしょうか。

答えは簡単で、
不幸せになる行動をしないこと
もっと言えば、逆をすればよいということになります。


相手に不満を抱かせないようにすること
怖がらせない、悲しませない、困惑させないということでしょうか。

そうはいっても、相手の気持ちが分からないことがあったり、
そういうつもりではないのにうっかり不満にさせることもあるので、
嫌なことを嫌だと自由に言ってもらえる環境を整えること、
それも必要になるでしょう。


ここで大切なことは、
「自分なら不満を抱くだろう行動をしない」のではなく、
「相手が不満を感じる行動をしない」ということです。
私はこれはされても気にしないから相手にもしてかまわないとか
相手がそれで不満に思うならば相手が悪い
とかいうのではだめだということですね。

例えば、
私は男で、男友達同士では
大きな声で、多少乱暴な言葉で話をするのが楽だ
だから、相手が女であっても、大きな声で話をしても
多少言葉が乱暴でも
それを不満に思わないでほしい
というような無茶を言わないということです。

多くの家事事件を見ていると
女性の多くは、大声や、乱暴な言葉は
本当に怖いようです。
やかましく反論していたとしても
それは怖くないことを意味しているのではなく、
こわいから必死になってやめてもらおうとしている
と言うことが、むしろ一般的だと言えるようです。

基準は「相手の気持ち」です。
自分の気持ちや道徳などの一般論ではありません。
一番身近にいて、いつも一緒にいる人の感情です。
実はそれほど難しいことではないはずです。
わからなければ聴けばよいですし。

またこれも完璧にやらなくてはならないということはなく、
例えば、つい大声で話をしてしまってから
ごめんごめんと謝ってから小さい声で言い直すだけでも
相手の心を尊重したことになるようです。


相手の不満に思うことをしないだけではなく、
それ以上に相手を
ねぎらうこと、気遣うことをする。
という方がやりやすいかもしれません。

体の具合が悪ければ分担を代わるとか、
何か努力をしたら尊敬を示すとか
自分のために何かをしてもらったら喜び感謝する。
相手の感情に沿うことをするということが
相手を人間として扱うということのようです。
せっかくあなたのために行動したのに
喜びも感謝もしないとへこむわけです。

毎日顔を合わせている時間中
相手のことを考え続けなくてはならないということではなく
そういうこともするということです。
プレゼントなんて言うのは一番わかりやすいのですが、
一緒に暮らしていたら、案外されてうれしいことが
もっと簡単にあるようです。

相手の感情を考えて
相手の喜ぶことをすることができる動物は人間くらいです。

相手がうれしいと喜んでいることが
自分もうれしいことだと思えるようになれば
それを考えることも楽しくなるでしょう。

そりゃあやるべきです。

夫婦しか大人がいない家庭が多いのですが、
大人が二人しかいないならば
相手が自分をどう考えているかと言うことが
心を左右する決定的な事情になっています。
逆に言えば相手が自分を尊重してくれているなら
幸せを感じることもできるわけです。

さてこのあたりまでお話をすると
自分から不幸になっていく人たちの反論が聞こえてきます。

「なんでそこまで卑屈にならなければならないのか。」
こういうお叱りは必ずうけます。

まるで相手を幸せにすることは損だと言わんばかりです。
自分は他人から幸せにしてもらう存在であり、
自分を幸せにしない相手にこちらだけ努力することは無駄なことだ
という発想を持ち続けているのであれば
事態を好転することは難しいかもしれません。

そのような価値観を持つことを否定することはしません。
どちらを選ぶかは個人の自由です。

さて、相手を幸せにすることで
どのような効果が上がるのでしょうか。

相手が疑心暗鬼になることが少なくなる
と言うことが一つの期待できる効果です。

疑心暗鬼になってしまうと
警戒感が過敏になってしまいます。
些細なことも、自分を攻撃しているのではないかという
意味づけをしてしまうことが起きてしまいます。

そうやって、自分が否定されていると感じることで、
自分を守ろうという気持になってきます。
ちょっとしたことで警戒して自分を守るために
必要以上の反撃をしてくることがあります。
何の気なしに口にしたことで
あげあしをとられたり、嫌みを言われたり
そういう経験はないでしょうか。
いちいち気が滅入る事情になりますね。

人は自分を守るとき
逃げるか、攻撃するかという二つの行動をします。
攻撃してくるときには
自分をあなたから守ろうとする動機が隠れています。

逆に自分が尊重されていると感じて
疑心暗鬼にならないですんでいるならば、
そういう無駄な攻撃はなくなります。

多少不満はあった場合であっても
あなたの善意は善意として受け止めるでしょう。

あなたが外食に誘ったときに
本当は洋食が食べたくても
和食でも心づかいの方に感謝できるようになるでしょう。

ところが疑心暗鬼になると
和食ならば行かないよなんてことになりかねません。
行こうとした店で、前に嫌なことがあったことが
思い出されてしまうことにもつながるかもしれません。

旅行に行こうとした場合でも
体力的に疲れるのに
あちらこちらで意見が対立するのはもっと疲れる
と言うことで拒否されて、面白くない気持ちになるわけですが、
疑心暗鬼にならなければ
とりあえず行ってみようか
という気持になる確率が高くなるでしょう。
楽しかった方の記憶を思い出しやすくなるものです。
期待をすると良いことを探そうとしてしまうものです。
相乗効果が期待できます。

こうなってくると
一緒にいても苦痛でないどころか楽しくなっていくと思います。

そうすることによって、
相手も疑心暗鬼にならず幸せになれば、
こちらに敵対的になるということは
起こりにくくなるものです。

また、こちらが気づかいすることによって
相手も同じような気づかいをすることが
ある程度は増えてゆきます。
自分が家に帰って
邪魔にされるどころか気遣われて、尊重される
一緒に楽しい時間を過ごすことができる。

例えばこれが一つの幸せの形だと思います。
一緒に住む相手を幸せにすることは
自分の幸せに直結することだと思います。

このプランがうまくいかないケースはいくつかあります。

一つは、自分がした努力よりも
相手がする努力の方が小さいという
形式的平等論です。

この考えは厄介です。

形式的平等をとるか幸せをとるか
どちらかを選ぶ必要があります。
どちらが余計に努力したかなんてことは
本当はわからないことです。

それを自分の方が損しているというのでは、
結局自分の方が少ない努力でリターンを多くしないと
不満が残る人だと厳しく評価されなければならないのです。

これは幸せになれません。
潔く、見返りを求めないで相手を幸せにすることが第一だ
と割り切る方が幸せになれるのです。

二つ目の幸せになるプランを阻害する事情は、

既に関係が悪化している場合です。

悪化しているときに
こちらから先に相手に奉仕するような形になるのは
いかにも悔しいし、
相手も疑心暗鬼に凝り固まっていれば
こちらの善意も疑ってしまいます。

でも、縁あって結婚したのであれば
結局は何とかなると思えるのです。
無駄だと思っても、
努力してダメだったというのであれば、
あきらめもつくというものです。

これが、相手が自分を幸せにすることを
待ち続けているだけならば、
恨みだけが積み重なってしまうようです。

自分は大人だから自分から相手に働きかける
そういうふうに思いを転換することは
とても画期的なことです。

そしてできるところから始める
飽きずに続ける
相手の厳しい反応は聞き流す。

こちらが相手より、より大人だから
相手の厳しい態度を許す、責めない、笑わない。

そうやって安心の記憶を刷り込んでいく。
こちらの努力次第ですが、
三日坊主では関係は変わらないと思うので、
1か月はがんばってみましょう。

そうすれば馴れてきますから
3か月は延長できるようになるでしょう。

なんでそういう気持悪いことをするのだと
尋ねられれば95%成功したようなものですから
この記事を見せてあげてください。

あとは一緒に幸せになりましょう。
夫婦がそれをすることは誰からも非難されることではありません。


幸せを阻害する事情はまだまだありそうです。

双方の体調の悪化ということがしばしば
疑心暗鬼の原因になることがあります。
できるだけ安心させる行動に出ることを
意識的に行う必要があります。

双方の職場が家庭を破壊するような職場である
と言うこともよくあります。
長時間労働で一緒にいる時間が少ないとか、
会社の飲み会が異常に長いとか
パワハラでもやもやした気分が家庭に持ち越されてしまうとか
収入を第一に考えるか、幸せを第一に考えるか
これは二人で考えなければなりません。
声に出して率直に話し合いをする必要があります。

なかなかの難敵は外野です。
実家とか友人たちですね。
外から見れば
なんでそんな卑屈なことをするのと
茶々を入れることになることは目に見えています。

これが現代社会の難しい所なのです。
心は200万年前からあまり変化していないと言われていますので、
同時に複数の群れからのリクエストを調整することは
なかなか難しいことです。
はっきり優先順位を決めるべきだと思います。
わたしは、家族を優先することが
幸せになるという究極目的に合致すると思っています。

親からすると
子どもが相手のご機嫌を取るようなことをするように見えて、
子どもに不自由な思いをさせているように感じるかもしれません。
友人たちはわざと飲み会に誘うかもしれません。

ご機嫌を取る相手が誰かで変わるのだということです。
仲間であれば
それは卑屈なことではなく人間の自然な行為なのだ
という確信を持ってください。

まああまり外野に教えない方がよいかもしれません。
でもうまく言ったら自慢してください。
君も幸せになれるんだよと教えてあげてください。



さて
今日は私も花でも買って帰ろうとしましょう。

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