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「心を込めて」なんてことは子どもがする独りよがり 「正直」の弊害について考える(常識を疑う) [故事、ことわざ、熟語対人関係学]



実際に人間関係の紛争をみていると
これが問題の住みかだということを思い知らされることが多くあります。

例えば家族との関係でも
心にもないことは言いたくないという人が多いです。
感謝もしていないのに感謝の言葉を言うとか
悪いと思っていないのに謝罪するということが
悔しくてとてもできないと言うのです。

(本当は私もそれはよくわかります。)

でも、言っても損はないのだけどなあと
第三者からははっきり見えていることで、
「なんで言ってあげないの」
と歯がゆくなることが実に多くあります。

どうも、「こころにもないことは言わない」
というドグマがこの世の中にはあるようです。

今回は、家族や友人、職場の同僚等の人間関係に関する
「言葉」について考えてみたいと思います。

「言葉は情報を伝達する手段である」
ということは、まあ、よいでしょう。
「情報」とは、事務連絡のようなものから
このブログのように考えたことだったり、
あるいは、自分の感情などでしょうか。

但し、どうも今までの考えは、
情報を発信する立場に立った場合の考え方なのかもしれない
と思うようになりました。

情報発信は受け止める側との共同作業なのだから、
情報を受ける側の観点が必要であるはずです。
どうもこれができないから
SNSのトラブルが起きているようにも感じられます。

つまり、相手に何を伝えたいのかということと
相手に何を受け止めてもらいたいのかということは
微妙に違うようです。

そして人間関係の不具合は
相手に自分が伝えたいことを中心に考えて
言葉を使うから起きているのかもしれない
ということなのです。

そうではなくて、
相手に受け止めてもらいたいことを中心に
言葉を組み立てていくということが大切なようです。
もう少しあからさまに言うと
言葉を発することによる効果を期待して
その期待した効果を実現するために言葉を組み立てる
ということになるのでしょう。

そうすると
全て真実のことを伝えることが必要でもなく
正義でもないということにはならないでしょうか。

例えばけんかをした場合の謝罪を例に考えましょう
そう深刻なことをした場合ではなく
謝ってすむ程度のけんかの場合の謝罪を考えてみます。
そして自分は悪くないと思っている場合のことです。

言葉が自分の気持ちを伝えるものだと考えた場合
謝罪はできません。
真実を語っていないからです。
嘘はダメだとなるわけです。

これに対して、
謝罪をすることの目的が
相手の機嫌を直してもらう
二人の人間関係を破綻に向かわせないためだというならば、
自分の気持ちがどうであれ
謝罪をすることが言葉の正しい使い方
ということになると思います。

言葉を発する目的にかなった言葉の使用だからです。

言葉を発信者側から考えて
「私はあなたに悪いと思っていない、だから謝らない。」
と言う場合と、受け手に対する効果を考えて
「申し訳ない。自分が悪かった。」
と言う場合の
メリットとデメリットを考えてみましょう。

正直者のメリットは、
自分の心に嘘を言わない。自分の感情に正直だということでしょう。
自分がとった行動を悪だと認めないことによって
将来の自分の行動を制約しないということもメリットとしてあるでしょうか。
(悪だと認めたことを繰り返すことはできないから)
デメリットは
相手の気分感情をさらに害すること
相手からすると、自分は相手をそれほど大切に思っていないのではないか
という不安を高めてしまうわけです。
そして、自分に対しての相手の評価を決定づけること
その結果二人の関係が悪化することでしょう。

うそつきのメリットは
二人の関係の悪化に歯止めがかかる確率が高くなること
その結果相手に対する攻撃感情が軽減すること
相手からの攻撃感情も軽減するでしょう。
(不安が解消されると相乗効果で安心感を獲得できるというわけです)
デメリットは、
自分の心に嘘を言って悔しい、苦しいということでしょうか。

正直者の良いところは
その時の気分感情を満足させることができます。
しかし、後々自分の立場が悪くなるでしょう。

また、自分のとった行動を悪と認めないことによって
後々自分の手足を縛るということはないかもしれませんが、
それが相手にとって不満であるにもかかわらず
相手がそれを後々文句を言わないということがあっても
それは、けんかをしたくないから言わないだけで
実際はかなりのストレスを抱えることで
関係悪化が進行することになるのかもしれません。

冷静に考えれば
正直者はメリットがなく
嘘つきこそ八方が丸く収まる
ということになりそうです。

子どもは正直者ですし嘘が下手です。
「心をこめてお話ししなさい」と教育するときは、
先ず、「心を言葉に合わせて修正しなさい。」
という指令も含まれているようです。
そうすることによってはじめて
言葉を発する目的が達成されるので
心をこめるということは、手段ということで理解できます。

大人は心をこめなくたって
謝罪することもできますし、感謝することもできます。
言葉に出した後で心がついてくればそれでなおよいでしょう。

大事なことは何を目的に生きるかということです。
子どもはこんなことを考えませんから
自分の感情を垂れ流すわけです。

正直者の生きることの行動原理は
自分の感情を大切にするというものです。
これに対して、これまで述べてきた嘘つきの生きる行動原理は
相手との関係性の継続が目的だということになります。

自分の感情よりも
自分と相手の人間関係の方を大切にする
そのためには
自分の感情よりも相手の感情を優先して考える
ということなのだと思います。

おそらくこれが
「大人」
というものなのでしょう。

おそらく、私の言ってきたことは
昔の日本では常識だったはずです。
いつの間にか
大人になり切れない大人たちの影響が
世の中に蔓延してきているのでしょう。

近代文学なんてそんなものかもしれません。
音楽を含めたポップアートなんてのも
自分に正直にということかもしれません。
もしかしたらそれらは子どもじみた甘えなのかもしれません。

そしてそれを受け入れやすい状態に
今の世の中がしているのだと思います。
それは、自分と相手との関係に自信が持てない
関係性に不安を抱きやすいという事情だと思います

子どもと大人の違いは、こんなところにあるかもしれません。
子どもは自分の感情を大切にし、
大人は、自分の属する人間関係大切にする
そういうことなのかもしれません。

そして、子どもは、大人の作った人間関係の中で幸せになることが
その役割なのでしょうが、
大人は、自分たちが幸せになるための人間関係を
自分で作ることがその役割なのでしょう。

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