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【先日も不合理で一方的な調停があったということからの吐き出し】夫婦問題は、具体的な離婚予防策を意識して実行して楽しい生活を送るか、一方的に子どもと引き離されて離婚して精神的ダメージを受ける上にこちら側の生活に響く生活費を強制執行の脅かしの下で支払う等の数々の理不尽を受け入れるか。結局そういう選択問題だということ。 [弁護士会 民主主義 人権]



どうやら、現代社会は、普通に暮らしていると、何割かの確率で、妻は夫に嫌悪感と恐怖を抱く。当事者からすれば外れくじを引いたような感覚になる。
同時に、妻は、夫の何気ないふるまい、当たり前の感情を行政や弁護士の力を借りてDVだと評価してもらう。この結果、ある時、夫が家に帰ったら所持品とともに、子どもも妻もいなくなっている。必死になって行方を捜そうと警察に問い合わせをしようとも、警察はお茶を濁したようなことを言って、取り合ってくれない。
先ず、ここまでが第1の不合理。
誰しも、このような近未来を予想して生きていない。その前に、何らかの提案が来るわけでもない。ある日ある時、突然それはやってくる。

第2の不合理は、あなたがいろいろ手を尽くそうとすると、行政では、あなたはDV「加害者」と呼ばれている。ここでいう加害者とは被害者に加害を加えたものではなく、DV相談をした妻の夫という意味である((総務省平成25年10月18日「DV等被害者支援における『加害者』の考え方について」)。それでも、市役所では、あなたは加害者という呼称で扱われるので、DV加害者という意識を職員たちは持つ。ただの「DV」という言葉があるだけなのに、あなたはとても激しいクレーマーだと思われ、執拗に違法な要求を繰り返してくるかのような対応をとられる。職員は、明らかにあなたに恐怖を感じ、恐怖を振り払うように、あなたに強硬な態度をとる。マニュアルには、「あなたと話すことはない。」と話せと書いてあり、その通り話すことによって、実直にあなたを怒らせる職員は多い。あなたは世間から、犯罪者として扱われているという感覚を持ち、社会的孤立に苦しむことになる。子どもが心配になり、妻の実家に行ってみると多数の警察官に取り囲まれ、ストーカー警告を受ける。離婚して10年ぶりに転居をするので連絡をしたら「つきまとい」としてストーカー警告を受ける。これは実際に起きていることで、私は話を大げさに言っているわけではない。

第3の不合理は、司法の場で起きる。あなたの妻は、婚姻費用請求、離婚請求、財産分与、親権を母親に指定すること、養育費、そして慰謝料を請求してくる。

婚姻費用請求は、常に認められ、あなたは支払わなければならない。特に住宅ローンがある場合が悲惨だ。住宅ローンを支払っていることは、支払金額の算定に考慮されないからだ。婚姻費用は、同居中と同じ程度の生活を維持する目的の費用なので金額が高額になる。しかし、二か所での生活をしているため生活諸経費は二倍かかることになる。あなたの実際の生活事情は通常全く考慮されず、あくまでも年収の額面(税込み)で決定されてしまう。高額の住宅ローンがある場合は、あなたはぎりぎりの生活を強いられることになる。子どものために生活費を払うことを嫌がる父親はいない。しかし、自分に相談もなく一方的に出て行って、その結果婚姻費用の支払いが必要になったというのに、出て行った事情は考慮されない。婚姻費用は、現実の生活を送るための費用であり、待ったなしに支払わなければならないという扱いである。そのために、不当な別居かどうかを吟味することは通常行わない。
あなたは、誰も待っていない一人の家に帰り、カップラーメンをすすりながら、婚姻費用を捻出している自分に気が付く。それでも、妻は、もっと収入があるはずだといきり立つ。それはそうだろう。一緒に暮らしているときは、残業をして、人の嫌がる仕事をして、家族のために収入を無理して高めていたから、今もその収入が維持されていると思っているからだ。一人暮らしで、可処分所得の大半を養育費や婚姻費用として差し出している人間は、そのような働く意欲など持てるはずがない。それが人間だと思う。子どもを通じて臨時の支出を要求してきても無い袖は振れない。さらに、連れ去り別居があると、うつ病の治療のために費用や、不思議と怪我をする人が多く、病院代がかさむことがよくある。

財産分与も、様々な不合理を感じる。何十年先の退職金も、まだ退職していないのに、退職金を受領したことを前提として同居期間相当分を支払わなければならない。大体多くの企業では、退職するまで会社が存続するのか保証はない。公務員であっても、賃金が切り下げられていけば、将来退職金額も切り捨てられる可能性もある。どこかでリストラされる可能性も考慮されない。そもそもまだ受領していない金をどうやって払えと言うのか。あなたは、どうして裁判所でこんなことを平気で命じるのだろうとつぶやいている。住宅ローンも同様である。離婚事件の少なくない事例で、住宅ローンを組んだ1年以内に連れ去り別居が起きている。執拗にねだられて家を建てたにもかかわらずである。結婚前からある財産も、それは結婚前からあるということを証明しなければ、半分支払えという命令が出る。その証明は通常難しい。

親権は、裁判所は母親に指定する。小さい子どもの場合は特に、乳幼児期に多くの時間を過ごした方に指定することが子どもの幸せだという考えを持っているからだ。産前産後に仕事を休んで子どもの世話をするのは母親が圧倒的に多いから通常母親が親権者となるのである。親権を外れた生物学上の父親は、子どもが児童相談所に保護される事態になっても、親権者ではないからと一切の情報の提供を拒否される。行政からは、父親ではなく、第三者の一般人という扱いだ。

それでも子ども顔が見たいと思い、面会交流を家庭裁判所に申し立てる。なんと会いたいという一心で、家裁の書記官や裁判官の論文を読んで勉強したりする。家裁月報や家裁紀要等を必死に入手して勉強する。そして、唖然とする。そこで語られていることは、家庭裁判所では一切通用しないのである。どうやらそんな文献は家庭裁判所の職員は読んでもいないようだ。就学前の子どもでも、会いたくないと語れば、子どもの意思だからと言って面会は禁じられる。長期間親に会っていない子どもは、実の親だとしても会うことに不安になることは当然である。安心の記憶ははるか昔の出来事だからだ。家庭裁判所では当然のことではないと知る。子どもは何年か会えていない父親に対しても、調査官に会いたくて仕方がないということが当然だと考えられているようだ。一番納得いかないことは、現在の子どもの感情を錦の御旗のように根拠として物事が決められているということだ。二つの意味で間違いだとされている。一つは、母親とだけ生活した時間が長く、父親と面会すらしない時間が経過したという事情から、子どもの意思が形成されてしまっているということを考慮していないこと。もう一つは、子どもは成長するということ、今は良くても将来的な影響が生じるということは多くの家庭裁判所の文献で明らかにされている。しかし、この点について考察をすることが行われないこと。父親とも生活したい子どもが無理やり引き離されて、問題行動を繰り返す例が実際に存在している。
家庭裁判所はどのようなルールで運用されているのか、弁護士に尋ねてもわからないという。

そうして、子どもとも会えないまま、離婚手続きが終わらない限り高額な婚費を支払い、離婚後も養育費を支払う。支払わなければ、給料の半分が差し押さえられるという。

ここまで書いてきたことは例外的にひどい話ではない。スタンダードな流れである。もっと悲惨な目にあっている人もいる。面会交流調停を申し立てたら、調停委員から、「なんで子どもに会いたいのだ。」と尋ねられた父親もいる。身に覚えのないDVを妻が裁判所に報告したらしく(その内容は夫は知りえない)、インカムをセットした裁判所職員が、裁判所内を夫が異動するたびに少し離れてついてくることもある。見張られていることが分かった当事者が自分は当事者として平等に扱われていると果たして考えるだろうか。現実の事例では、警備員を配置しても、離婚手続きにおいては妻は夫の暴力を主張しなかった。裁判官に抗議したところ、職員の安全を図らなければならないということ以外理由を説明されなかった。不平等は仕方が無いと言わんばかりだ。子どもをとられた母親の場合は、2メートル以内に付きまとわれたこともあった。

まだまだ理不尽はたくさんある。弁護士をしていて、自分の依頼者がこのような理不尽な扱いを受けることに慣れることはない。夜中に目が覚めてしまい、悔しくて眠れなくなることもある。法律やコンセンサスでそのような運用をするならばまだ仕方がない。依頼者に説明することもできる。そうではなくてフリーハンドの感覚で、人間の心がないがしろにされているような運用は慣れることがない。裁判所は判決や決定をしなければならない、つまり白黒決めなければならない機関である。ある程度の割り切りが生まれることは致しかないかもしれない。しかし、白黒は、正義と悪ではない。あくまでも訴訟上または手続上の決着に過ぎない。しかし、黒く塗りつぶされた方は、人間の感情を抱くことも許されないような扱いを受けていると感じられてならない。

このような扱いを受けて、子どもとは会えずに金だけは払い続け、自分は誰もいない一人の家に帰り、酒をあおって面白くもないテレビを観て寝る。相手は子どもの笑顔と成長を見ながら生きていると思うと、苦しさは倍増する。自分はどうしてこのような辛い思いをしなければならないのか、それほどのことを妻にしたのかということを問い続けることになる。しかしその答えは、多くのケースで出てこない。答えの出ない問いかけを自分に対して繰り返す。
ある人は、実績のあった勤めをやめざるを得ないまでに気力が無くなり、友人の世話になって仕事を与えられても長続きしない。そういう生活を繰り返し、10年前の自分の扱いを問い続けてきた。ある人は、離婚から10年たち、偶然知った子どもの連絡先に手紙を出したところ、ストーカー警告を受けた。ある人は養育費を支払い続けたにもかかわらず、子どもが就職したときだけ履歴書用の写真が同封された手紙がよこされた。私の知っている何人かの人は自死をした。こういう人たちは、結婚して生きる希望を持たされて、その希望を絶たれるという絶望を与えられたことになる。激しい落差を味わっている。

裁判や調停での妻の主張を見てもなお、そのように苦しい思いをしている男たちが、こういう目に合わなければならない理由があるとは思われない。多少気真面目過ぎたり、正直すぎるということはある人もいるかもしれないが、ここまでひどい思いをしなくてはならないということがどうしても納得できない。中には、本当に人格的な支配を目的として、服従を強いるような行動をするケースもあった。しかし、それはごく例外的なケースである。通常はそれなりに妻の嫌悪感情を誘引するような事情があったとしても、もっぱら夫に原因があった、というわけではないと感じられるケースが圧倒的多数だ。
そういう男たちの中には、裁判所やSNSで、攻撃的言動をする人がいる。些細な問題にこだわって、大要を把握できない人がいる。従前の性格はわからないが、大多数は、このような理不尽な思いをしたために、自分を守ろうとする意識が過剰になっていることが原因だと考えて矛盾はない。しかし、そのような理解をしようとする人はほとんどいない。通常は、元からこういう性格だから妻は離婚を決意するのだという評価をされてしまう。マイナスな面だけが額面通り受け取られて評価される。幾重にも理不尽な話である。

だから、である。
だから、こんな理不尽な思いをする人が一人でも減るようにしたいと考えている。何も事情も分からないくせに、父親を否定して、母親を苦しめた父親と会いたくないという子どもたちを作らないようにしなければならないと考えている。大人になってもこのような発言をするもと子どもと話をしたが、第三者としてもこのような元子どもたちは痛々しい。自分に自信が持てず、旧友と交わることができず、引きこもり、リストカットや拒食、過食で、精神科病棟の常連となる子どもを作らないようにしなければならない。
だから、離婚の芽をつぶすこと、病的に葛藤が強くなる時期の妻との接し方を確立し、安心感を与える家族関係を作る方法を提案し続けること、大人として家族の時間が楽しいものとするためにするべきことを考えて提案することに力を入れている。予防法学こそやるべきことだと考えている。

そして、これは、妻側にとっても、不幸を拡大しないもっとも簡単な方法だと考えている。

私のブログは、こういう動機で楽しい家族を作る方法を必死に考えて提案している次第です。

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