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【面会交流事例報告】 10年ぶりの父子の再会と4年ぶりの祖母との再会 祖父母と孫の面会交流の有効性 [家事]



弁護士が立ち会って長期間会うことができなかった親子が面会するということがあります。弁護士としては余計なことを考えずに、淡々に段取りをすませて、後は親子の邪魔をしないということがコツです。

ただ、長期間会えなかったけれど、せっかく会えることになったのだから、これからも継続して交流を続けてほしいので、いくつか事前にアドバイスをすることが必要にはなります。
試行面会マニュアル 別居親がやるべきこととやってはいけないこと
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2021-08-11
この記事の第4章に書いています。第1から3は飛ばして構いません。

むしろ、弁護士が苦労するのは、面会を実現するまでの活動です。

<10年ぶりの親子の面会の事例>

これは、別居から1年くらいしてから代理人になり面会交流の調停をはじめました。全く進展が無かったこと、今後も進展が見込まれないこと、間に入ってくれる共通の知人が現れたことから、さっさと調停を取り下げました。その知人さんの計らいで夫の代理人である私は奥さんと知り合いになりました。もちろん夫の代理人であることは伝えてありますし、知っています。奥さん側の相談に乗るような形で、接触する機会を増やしていきました。やがてお子さんとイベントで一緒になる機会を知人さんと私で作り、信頼関係を作り、毎年のクリスマスプレゼントの仲介から始まり、誕生日プレゼントの仲介などをするようになりました。

色々あった事案ですが、同居していた母親は子どもに対して父親の悪口などは言わなかったようですし、父親は全部自分が悪いというように考えが変わっていきましたので、後は母親の負の記憶だけが問題だったのかもしれません。10年たった今でも二人が顔を合わせることは困難なのですが、子どもは父親に会うことができました。生まれたばかりの時に別離していたので、初めて会う人みたいなものですが、子どもは興味津々で、前日に質問事項をメモしてそれに沿って質問をしていました。父親は紛れもなく父親としてお子さんに対応していました。

お子さんにとっては、自分にも父親がいるという実感を持てたみたいで、その表情からは充実感を見て取れました。

淡々と報告することにとどめようと思いましたがひとこと言わせていただければと思います。子どもと会えなくなった親御さんに言いたいことです。

決してあきらめてはならないということです。

できるだけ早い段階から、子どもの利益を中心に考える協力者についてもらい、相手を責めることなく粘り強く機会を作るようにするということです。相手は責められなければ、つまり子どもを連れて離れたことを責めなければ、自分を攻撃する必要性が一つなくなるのです。そうして粘り強く会う機会を働きかけていくということが大切です。

親はあきらめればそれでよいかもしれませんが、子どもあきらめるわけにはゆきません。確かに、子どもが成長する姿に立ち会えなくなることは取り返しのつかない損害です。しかし、子どもの方は、「自分にはもうひとり親がいる。その親に自分は愛されているはずだ。親と会ってみたい。」という気持ちでいるようです。親があきらめてしまうと、子どもも自分についてあきらめてしまうようになることがあります。自分に自信が持てず、自分なんて価値のない存在だと思うようになることもあります。但し、それからでも面会を実行することによって、自信を取り戻し、継続的に交流することによって大きな世界に羽ばたいた実例もあります。子どもにとっては、同居していない親も、間違いなくかけがえのない存在だと実感します。

<4年ぶりに祖母と面会した事例>

結局夫婦は離婚することになりました。この問題が生じる前からお子さんと私は面識があった珍しいケースです。それだけに不可解な離婚事件でありました。離婚を突き付けられた当事者の方々が、理解不能状態になって激しく混乱することが多いのですが、私の何倍も理解不能であり、答えを求めているということになるのでしょう。その不可解さの一端を垣間見ることができた事例です。

どうしても母親は父親に子どもを面会させることに抵抗があり、父親との面会交流はいまだ実現していません。それほど元夫に対する妻の負の感情は継続しているのです。しかし、祖母と孫は、父母が同居中から一緒に生活していた時期もあり、良好な関係でした。母親と夫の母との関係は私は知りませんでした。

面会場所には子どもと母親がいて、そこに祖母が訪れるというパターンでした。ここで感心するのは女性というのは、人間関係を潤滑にすることを生まれながらにして会得しているのだなあということです。これが、夫が子どもを連れ去って、妻の父親が面会に来たとしましょう。表立ってバチバチになるか、無言でバチバチになるかはともかく、不穏な空気になるのは間違いないと思うのです。私がどちらかならばきっとそうなるでしょう。なんせ自分の子どもと離婚した上に孫を取り上げた人間ですからね。

しかし、祖母は孫の母親に声をかけ、無沙汰をわび、面会に関する感謝を自然と口にしていました。男の方だと、口を酸っぱくして行っても感謝なんて口にしないと言う人が多いように感じます。理屈はどうであれ、原因を作ったのは自分ではないとしても、はるばる面会地まで来ていただいたということに感謝してもおかしくないのですが、なかなか口にすることができないのが男性のようです。

母親の方も無沙汰をわび、様々なことに感謝を述べ子どもを祖母のそばに行かせようとします。二人とも如才ないふるまいが素晴らしいと感じました。当たり前のように気が利いたプレゼント交換なども行われ、女性ってとても素晴らしいです。口を酸っぱくしても・・いややめておきましょう。

最初緊張していた子どもも、すぐに打ち解けたようです。私は黒子に徹して、勝手に驚いたり、感動したり、涙ぐんだりしていました。気配を消すことに専念していました。何も関与しなくても極めて良好に面会が進んでいきました。

<祖父母と孫の交流の有効性と手段の創設の必要性>

実は、最初の事例でも、祖母との面会交流が父親との面会交流に先駆けて行われていました。

子どもの母親にとっても、元夫と子どもとの面会交流や元夫との接触というのは精神的にしんどいようです。父親との面会交流にこだわることは、まさに同居元妻に面会交流をするかしないか二者択一を迫り、高いハードルを与え続けることなのかもしれません。しかし、夫の母であれば、離婚や別居の原因に深く関与していない限り、数段も抵抗感は小さくなるようです。全く無いというわけではありません。

子どもが父親側と接触するという具合に大きく考えれば、比較的実現しやすいという利点が一つあります。父親ではなくても父親側の人間と接触することは子どもにとって安心感が生まれるようです。

一つには自分には母親(同居親)以外にも多くの人間から大事にされているということを実感できるという効果です。

一つには父親(別居親)側が自分たちが父親と同居していないことに絶対的な怒りを抱いておらず、父親側の人間を会うことを許してくれた、また母親側も許してくれたという安心感を抱くことです。子どもにとっては、自分に何ら責任が無いにもかかわらず、一方の親と同居していないことに罪悪感を抱いていることが多いです。

もちろん別居親と会うことがより効果的ですが、別居親側の人間と会うことも大きな効果がありそうです。

そして、同居親側からも元配偶者との距離の近い人と接触することによって、元配偶者に対して抱くストレスに馴れが生まれるという効果もあるようです。次は元配偶者と子ども合わせてみようかという気持ちの突破口にもなりうる様です。突破口が大げさだとすると、風穴をあけるというか。

別居親にとっても、自分がそこまで嫌われていないという少しの安心感と、自分も子どもと会えるようになるかもしれないという希望が生まれるわけです。

裁判所では、祖父母の孫に対する面会交流を認めようとしない傾向があります。そのような話し合い自体が消極的です。審判によって裁判所が面会を命じる手続き無いということも大きな原因のようです。祖父母は面会を請求する権利が無いなどと言われることもあります。

実は両親に事情があり、実質的に祖父母に育てられたようなものだという子どもたちはたくさんいます。人間としての最初の信頼関係が祖父母との間に作られたと言っても過言ではない場合もあるのです。それにもかかわらず、両親離婚や片親との死別を契機に、子どもがそれまで当たり前のように自分のそばにいた一方の祖父母とも会えなくなってしまうと、子どもの精神的安定のよりどころが奪われてしまうことにならないでしょうか。

実際に祖父母と面会することは、実例を見る限り、子どもにとって良い効果があるようです。監護権の問題にしないで、扶養の問題とすればもう少し方法が切り開かれるかもしれません。しかし、祖父母と子どもの面会についての効果についての知見が裁判所にはないので、一筋縄にはいかないでしょう。ぜひ祖父母に接触する子どもの心理的効果について調査をしてほしいと思っています。

無条件に愛されるという経験は、どうしても祖父母の方が親よりも子どもに与えられることではないかと私は思います。無責任なかわいがりということも時には必要なことなのだと思うのです。どちらが良いかということではなく両方経験することが有効だということです。

ぜひ子どもの健全な成長のために、孫が祖父母に面会できる手段を創設していただきたいと思います。

あるいは法律や家庭裁判所に期待してはならないのかもしれません。祖父母と孫との交流も強硬手段ではなく、相手を誘導していく形で粘り強く働き替える必要があるのでしょうか。しかし、私たち中高年には時間があまり残されていません。


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