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くよくよしたりいかったりする前に、自分の行動の修正を考えると楽になるかも [自死(自殺)・不明死、葛藤]

他人の言動を気にする人の多くが、
「ただ気にしているだけ」
という場合が意外に多いのです。

くよくよ悩む人に限って、
ただただ悩んでいるようで、
苦しみのスパイラルに陥りがちの様です。

他人の言動によって、
落ち込んだり、
逆に怒ったりするということは、
その人との関係に
危機感を感じているということ
というのが対人関係学の主張です。

危機感とは、その人との関係が
壊れてしまうのではないか、
その人たちから自分が仲間はずれにされるのではないか
ということで、
この危機感を感じて行動を抑止したり修正することで、
人間は群れを作ることができわけです。
だから言葉のない時代からの
人間の生きる仕組みだったわけです。

だから、本来は、
くよくよ考えている時間はもったいない
ということになります。

その危機が、
自分の行動によって生じたのではないかと考え、
もし自分の行動をこう修正していたら、
自分も相手も快適だったかもしれない
という
今後の相手との付き合い方の修正の
絶好のチャンスなのです。

ここは、少し難しい思考が必要かもしれません。
大体は無防備な発言をしているのですが、
どの発言が相手の機嫌を損ねたのか、
見つける作業は、
相手の気もちを考えて検討しなければならないからです。

また、自分が修正する必要はない
と無意識に頑張ってしまうこともあるでしょう。

ただ、改める必要がある考えとしては、
赤ちゃんでなければ、
対人関係は、自分が構築することだという
意識を持つということです。

「自分が自由に何をやっても許される。
 相手が会わせてくれなければ困る。」
ということを無意識に志向している場合、
自分の行動を修正する
という発想がなかなか出てきません。
これは赤ちゃんだけが許される依存なのだと思います。

赤ちゃん的依存志向の場合は、
相手が自分に批判的だと感じると、
もうどうして良いかわからなくなり、
単に落ち込むか、
無かったことにしたり、
相手が悪いということにしたりするから、
解決が難しくなってしまいます。


本当はこうすればよかった
ということを思いついた後の話です。

こうすればということを
「本当に自分ができるのか」
ということも考える余裕があるとよいでしょう。

たとえば
夜中まで寝ないで頑張るとか
外のすべてを犠牲にして取り組むとか
できないことをしようとしてはいないか
ということです。

自分にとっての相手の大切さですが、
できないことをしようとすると
とても苦しくなってしまいます。

早晩行き詰まるでしょう。

次善の策を考える必要があるようです。

また、ベストは、
自分は、こういうことを修正したいけれど
自分の能力から言うとここまでが限界だ
どうしましょう。
と相談できることです。

大体は、
そこまでわかってくれたら
それだけでうれしいというか満足することが多いので、
無理しなくても済む
ということになるはずです。

しかし、相手が
自分ができないことを要求してくる場合は、

むしろ相手との人間関係の在り方を考えるべきです。

本当に、自分の行動を修正してまでも
人間関係を続けるべきなのか
という疑問を持つことがとても大切です。

どうしても人間は群れを作るという性質上
対人関係の不具合を必要以上に気にしてしまいます。
これは無意識に行われるので、
意識して選別する必要があるわけです。

100万年前くらいは、
人間は生まれてから死ぬまで
たった一つの群れで生活していたのですが、
現代は、
家庭、学校、職場、地域、研究会等
様々な群れに帰属していますし、
同じ群れに属さない人たちと
街ですれ違うばかりか、
同じ建物で居住しています。

それにもかかわらず、
一つの群れで一生を終えたときの
遺伝子的な感情が残ってしまっています。

ここは、意識的に、
検討をする必要があるわけです。

例えば、
街で、見ず知らずの人にぶつかって
怒られたような場合、
さすがに自分が悪い場合は、
謝る必要はあるでしょうが、
それ以上落ち込んだり、怒ったりする必要はないでしょう。

例えばスマホを見ないで歩く
という自分の行動を修正すればよいでしょう。

家庭で、パートナーから小言を言われた場合、
それはかけがえのない群れですから、
自分の行動の修正を考えるとよいでしょう。
ここでコツは、自分が悪かったから改める
という後ろ向きな考えに陥らずに、
パートナーとのより快適な関係のために
相手の言い分(多少依存的傾向も)を
受け入れる工夫をしてみる
ということも考えてよいと思います。

大体は、何が相手の気に障ったのかを
言い当てることによって、
それだけで、相手は落ち着くでしょう。
相手は、あなたの何らかの行動で、
「自分が尊重されていない」
と思っているだけかもしれないからです。

これが職場ですと、
上司の厳しい評価によって落ち込むことがあるかもしれません。

会社は確かに、生きていくために重要な群れです。
できるなら、転職のリスクは負いたくないですし、
群れに帰属したいという本能が現れてくる要素として、
毎日顔をあわせて、群れの意識が高まっているからです。

しかし、現代の会社が、どこまで群れの名前に値するか
大変疑問がある例が多くなりました。
本当に自分を仲間として認めているのか、
単なる、自分で考える便利な機会の一つと考えているのか
見極める必要があるわけです。

できないことをしなければならない
という態度なのか、
自分に責任が無いのに叱責されているのか、
ということが重要な判断材料になると思います。

会社の要求することを
無条件でやろうとしないで、
立ち止まって考える必要があると思います。

会社の代わりも、会社にとって自分の代わりも
あり得るということを忘れないでください。


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