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令和の夫(妻)のTIPS 8 負けるが価値 特に夫婦、親子の間では [家事]



家族再生をうまく進められない場合や、何の気なしにした言動が夫婦仲にひびを入れていくときの一つのパターンとして、相手と「張り合う気持ち」が捨てられないということがあるように思います。

この張り合う気持ちって、結婚前とか、新婚時にはあまりないような気がします。会ったとしても表面化しにくいようです。おそらく二人の気持ちは「わたしとあなた」という意識ではなく、自然と「わたしたち」という主語でものを考えているのかもしれません。しかし、これが続かなくなっていくようです。

張り合う気持ちが生まれることが多いのは子どもが生まれたときが典型です。「私たち」が夫婦をさすのではなく、「わたしとわたしの両親」の両親を刺すようになってしまう危険のある時期のようです。

ただ、実際には張り合う気持ちが無くても、自分がこんなことが得意だということを無邪気に言っているだけなのかもしれません。案外褒めてもらいたいだけかもしれません。それでも、それを聴く方の相手に張り合う気持ちが含まれていれば、相手は自分より高みにいることをアッピールしようとしているように感じられてしまうことがあります。

それにしても、自分自身を振り返っても思うのですが、現代日本に生きる我々は身内から低評価されることに過剰に敏感になっているのではないでしょうか。ささいなことを言われて、低評価だと無駄に感じてしまうとか、笑って住む話なのに重く受け止めてしまい、落ち込んでしまったり、むきになって反撃したりしていることはないでしょうか。

夫婦喧嘩の原因を聞くと、「ささいなことでけんかになった」ということは答えられるけれど、「具体的にどんなことでした」と尋ねても思い出せない人が多いのです。今にして思うと、忘れてしまうくらい(あるいは言いたくないくらい)そこまで敏感にならなくても良いことで張り合ってしまっていたのかもしれません。

そして、低評価されることに敏感な人に限って、その人のパートナーは相手の気持ちに配慮しないで自分の気持ちを率直に表現する人が多いようです。厳密に言えば、気持ちの上ではその人を批判したり低評価しているわけではなさそうなのですが、低収入に不満を述べたり、知識不足を笑ったりしてしまうのです。人を不愉快にさせる言動をしても、悪意が無いから相手が何を怒っているのかわかりません。だから「相手はよくわからないタイミングで怒りだす。」等と主張するのです。実際に具体例を聞くと、それは確かにあまりに鈍感すぎて、第三者から見ても、「わかっていてわざと傷つける言動をしているのではないかしら」と疑いたくもなるようなことが少なくありません。特に相手が大事にしていることについて容赦のない言動が起きることも少なくありません。

低評価されることが致命的に思われてしまう人間と、自分の優位を示すために相手を低評価するような言動をする傾向が、日本の夫婦にはあるのかもしれません。ここを自覚して修正することが家族を作っていくうえで肝心なのかもしれません。

昔の大人は、わざと負ける余裕があったような気がします。自分のことですが小学校に上がるかどうかの時に、父と相撲を取ってわざと負けてくれたことを覚えています。ある程度わざと負けたということをわかっていても、嬉しいことには違いがありません。また、わざとだとわかっていても自信がついたような気がします。もちろん父親は相撲が弱いなどと思いもしませんでした。

今の親子のコミュニケーションは、相撲というよりテレビゲームかもしれません。そこに大人と子どもの力差が少ないからでしょうか、あるいはゲームに夢中になってしまうからでしょうか。わざと負けてあげるという行為が減っているような気がするのです。

子どもに対してさえ張り合ってしまったのでは、夫婦間でわざと負けるということもできるわけがありません。

仲間に対して負けて見せるということは、現代日本においては、もしかするととても難しいことなのかもしれません。だから、どうでも良いことでさえも、張り合ってしまうし、負けを認めたくないという気持ちが先行してしまうのかもしれません。それによって、相手が自分を軽く見るようになるということは実際はありません。力量は最初から双方分かり切っていることだからです。その分野の力量が負けていても家族の一員としての価値は、実際は変わらないのだろうと思います。ここにも低評価を受けることに対する過剰な恐れが見え隠れしています。

現代日本においては、負けてあげる心の余裕は、とても希少価値のあることなのかもしれません。ここを意識して、自分が負けたということを表明し、相手を賞賛することを意識掛けることで、余裕と安心感のある家庭になるような気がします。

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