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令和の夫(妻)のTIPS 1  家族を意識して作る必要性 妻子の保護と意識 二人目の子どもの写真が少ない理由から必要性と可能性を考える。 [家事]



家庭円満は、神様に頼むのでもなく、放っておいてなんとかなるものでもなく、家庭の中の大人の誰かが「意識して作る」もののようです。そうでなければ、現代日本の家族は、気が付くと分解されていて、憎しみ合っているということが普通に起きてしまいます。

離婚手続きに入り、お互いに攻撃しあう事例のほとんどが、双方の言い分を聞いてもどちらが悪いわけではないと私には感じられます。ただ、知識が無く、また意見をする第三者の存在が無く、意識して幸せを作るという発想がないことが原因だとしか言いようのない事例がほとんどなのです。

悪意が無くても、家族にさみしい思いをさせるケースはよくあります。わかりやすいのが子どもの写真だと思います。今は動画でしょうか。一人目の子どものときは写真が膨大にあるのに、二人目以降はそれほどは無いというご家庭が多いのではないでしょうか。

この理由は、親になってしまえば考えなくてもわかることです。
それは、一人目の子どもは子ども自体が珍しくて視線がくぎ付けになっていることと、赤ん坊という格好の被写体ができたので、カメラでの撮影も新鮮でついつい写真撮影をしてしまうわけです。さんざん観察と撮影をしているので、二番目の子どもが生まれたころには、赤んぼ自体が初めてではなく意外性や発見が少ないこと、撮影行為自体に飽きてしまうこと、この二つが二番目以降の子の写真が少ない理由です。

(だから、一番目の子育てが大変で写真や動画を撮る余裕がない場合は、二番目の方が写真や動画が多くなるだけのことです。これは割と一番目の子どもにはわかってもらいやすいことです。また、一番目の子も二番目の子育てプロジェクトに参加している意識を持たせることでも解決できますし、一番目の子どもを二番目の子どもに隠れて持ち上げることも大切かもしれません。)

それだけのことなのに、例えば二番目の子どもは、自分が写った写真が兄や姉よりも少ないという客観的事実から、自分は兄や姉に比べて歓迎されない子どもだったのではないかと暗い気持ちになっていることがあります。子どもとは頓珍漢なところがあるし、それももっともなほど知識の量が少なすぎるし、自己中心的にしかものを考えられません。「あなたに愛情が無いわけではなく、二番目だから、もうめんどくさかっただけ。」という真実を語ることは子どもの心を解決しないどころか、もっと傷ついてしまうかもしれません。

これを回避するためには、一番目と同じように二番目もせっせと写真を撮る、特に一人で写る写真を意識して撮ることで解決できます。

さて、二番目の子どもの写真を撮らないことは「悪い」ことでしょうか。「悪い」ことではないでしょうが、写真が少ないと寂しがることを知っていれば「意識して二番目も多く撮ること」で回避できることです。これが「修正するべき」ことの内容となるわけです。

意識すれば、家族がもっと楽しく家庭生活を送ることができます。このシリーズは、何かをしてはいけないというよりも、そこに気を付けて意識すれば、もっと楽しい家庭になるということを考えていくシリーズです。

家族が仲良ければ家庭が楽しいですし、家庭が楽しければ人生豊かな気持ちになります。自分の「意識をすること」によってそれに貢献できれば充実感も得られるわけです。

さあ、後はあなたの選択です。


末尾* 現代日本はとんでもなく難しい時代だと、弁護士をしていてつくづく思います。私は昭和生まれなので、昭和、平成、令和と3時代を経験しています。その間に価値観や「社会の当たり前」の内容が、目まぐるしく変わっているように感じます。まじめな人ほど、新しい価値観を頭で理解してその通りにしようとしているようです。

これから10回弱くらいのシリーズを企画したのは、そんなまじめな人たちの家族が、社会から翻弄されて壊されないように、弁護士の仕事をしながら感じたことを紹介する必要性を感じたからです。


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