令和の夫(妻)のTIPS 6 無駄話コミュニケーションの勧め 「さあ話して」はもう危ない。 [家事]
離婚事件を担当してよく感じることがあります。確かにデリカシーが少し足りないかもなと思うけれど、決して悪い気持ち、攻撃する気持ちの言動ではないのに、相手がそれを悪く考え過ぎて、「自分が否定されている、攻撃を受けている」ととらえてしまう、この積み重ねで信頼関係が無くなっていくことが多いようです。
相手の言動で自分が否定されている、攻撃されていると思ったときに、「それはどういう意味だ」とざっくばらんに尋ねるとか、「それはむかつくぞ」とカジュアルに言えたなら、言った方も「これはこういう意味だ」と説明ができ、実は自分が悪く考えすぎていただけだということもわかるし、相手も「こういえばこう感じてしまうのだ」とわかり、行動を改めやすくなるし、改めようというきっかけができます。
この問いかけやリアクションが無いと、疑心暗鬼が入道雲のように高まり、徐々に離婚に近づいているようなのです。。
一言で言ってしまうと、コミュニケーション不足です。
コミュニケーションが不足しているので疑心暗鬼になり、不安になり、不安が蓄積されると不安を与えた相手に対しての嫌悪感、恐怖感が生まれてくるという流れのようです。
では、コミュニケーションはどうやって取ればよいでしょう。「さあ話しなさい。私は聞きますよ。」というのでは、なかなか本音を話せません。
本音を引き出すことがコミュニケーションをとる一つの要素だと思います。
ではどうやって本音を引き出すか。
方法論としては、ピンポイントで効率よく本音を聞き出そうとしないこと。これが一つですね。無駄な時間、無駄な会話をして、その中で話しやすくなるし、本音を言っても大丈夫かもしれないと思うようになるわけです。はずみで本音を言うこともあるでしょう。こう考えると広い目で見れば無駄話それ自体がコミュニケーションなのだと思います。
つまりコミュニケーションの要素の一つは、話をする時間を長くとるということなのだと思います。質より量が大切ということでよいのだと思います。
といってもがみがみと説教ばかりするのはコミュニケーションとは言いません。これはわかりやすいと思います。逆に、ある程度のことを言っても、否定されない、説教されないというのであれば、安心して話ができると思います。言い方のミスや文法がおかしいということに気になる人もいるかもしれませんが、とにかく良いように解釈して、どうしても厳密な意味が必要な事務連絡だけ聞き返せばよいのではないでしょうか。
つまりコミュニケーションの要素として、言葉の意味を厳密に取り扱わない。ただ、声のキャッチボールをすること、それ自体が基本なのだということです。意味がある会話はコミュニケーションとは言えない「事務連絡」です。
そして、否定されなければ、説教されなければ、自由に話をしても良いのだという意識が生まれてきます。ニコニコと話して、ニコニコと相槌を打っていれば、そのうち本音が出てくるわけです。
「ずいぶんまわりっくどいじゃないか」とがっかりした人は、もう一度最初から読んでいただくことをお勧めします。「そういうところ」なんだということです。
つまり、家族は事務連絡だけで生活をしていると、やがて疲弊してストレスが蓄積するものだということです。無駄話をしてニコニコしているならばそれが家族だし、家族が一番やらなければならない仲間を安心させるということの、人間らしい実現方法が無駄話コミュニケーションなのだと私は思います。
でも、真面目過ぎる人は、細部まで聴き取らないと気が済まないようです。「うんうん」、「ああそうだね」と適当にあいづちを打つことができない。私も若いときはそうだったかもしれません。今は、聴覚も年齢で衰えてきていますので、逆に聞こえなくて当たり前という意識で、よくわかっていなくとも肯定的なあいづちを打てるようになりました。視覚的にも老眼で細部まで見えないようになりましたが、見えないことを気にしなくもなりました。歳をとって衰えることは悪いことばかりではないようです。
「真面目過ぎる」という性格は家族という人間関係ではデメリット要素にもなるということなのかもしれません。