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【実証】目黒事件がわかりやすく教えてくれた、正義感と怒りがマスコミによって簡単に操作され、利用されている私たちの心の様相とその理由。支援者、研究者、そして法律家のために [弁護士会 民主主義 人権]

5歳の結愛さんが亡くなった事件は、新幹線殺人事件や米朝会談で、早くも下火になっているようです。まるで、この事件の報道は役割を終えたような印象さえあります。
しかし、この事件は、事件そのものよりも、その後のマスコミや私たちの反応の方にこそ、大きな問題があることを浮き彫りにしました。

<死亡後の時系列が報道されない。>

第1報直後、1社だけは報道したという記憶があるのですが、事件後の時系列の問題です。
結愛さんが亡くなったのが3月2日です。義父が結愛さんに2月にした暴行に対して傷害罪で逮捕されたのは翌日3月3日です。義父は既に傷害罪では起訴されていました。3か月以上を経て、6月6日に実母が保護責任者遺棄致死罪で逮捕され、義父も再逮捕されたと報道がありました。奇妙なことは、報道では、実母が何月何日に逮捕されたのかについて報じないことが多いということです。いつ、どこで、誰が、どのようにどうしたという基本の事実報道がないがしろにされています。これが第一の不思議です。

しかし、私たちは、5歳の子どもの死という結果が衝撃的だったことから、逮捕日時が報道されないことについてはあまり気にしません。私も、事件報道直後は、そんなことは興味も関心も持てませんでした。

事件報道は、警察とマスコミと事実上の協定があり、警察発表をほぼそのまま報道しなければならないようになっているそうです。独自に裏をとっても、警察発表に疑問を持たせる報道はできないことになっているようです。
今回の事件は、既に結愛さんが死亡直後に、父親が逮捕されているのですから、マスコミはその事実を知っていたはずです。しかし、どの社も独自の取材をして事実を報道することはありませんでした。
そうすると、義父の逮捕から3ヶ月何をしていたのかについて疑問に感じなければなりません。
なぜ母親は逮捕されなかったのか。言葉でいえば慎重に捜査を進めていたということなのですけれど、再逮捕まで3ヶ月も父親が勾留されたということについては疑問がないわけではありません。

<あまりにもタイミング良く公開された手紙画像の意味>

その後、続報というにドンピシャなタイミングで、例の手紙が画像で公表されます。これは、結愛さんの苦境をアッピールすることにうってつけであり、それだけ両親に対する憎悪があおられました。
しばらくは私も手紙を正視できなかったのですが、文章を読んでみると、子育てをした経験がある人ならだれでも疑問を感じることも読み取っていくわけです。この手紙について、もし結愛さんが文案を考えて、文字にしたとするならば、5歳という年齢に照らして考えると、相当学力の進んだお子さんということになるでしょう。字も大変しっかりしていますが、何よりも文章校正がしっかりしすぎています。本人が考えて書いたものではない可能性があります。おそらく実際は、親から言われたまま書いたのでしょう。それにしても立派な字を書かれています。
しかし我々は、報道の見出しだけを見て、結愛さんが何とか許してほしいと思ってその思いを文字にしたと思い込んでしまいます。こんな手紙を書かせた両親に対する増悪が嫌が負うにも大きくなりました。

警察はこの手紙を公表をしていますが、いつ、どういう機会に書かされたのかについては説明がなされていません。冷静に考えれば、少なくとも衰弱している状態での筆跡ではないと考えることが自然だと思います。ところが、「暴行」、「ネグレクト」、「衰弱」というキーワードが先行していますから、我々の頭の中では、結愛さんが衰弱しながら、それでも容赦のない虐待がなされ、最後の力を振り絞って必死に許しを請う5歳時の姿がイメージされてしまいます。おそらくこういう事実があったなんてことは誰も言っていないのでしょう。しかし、この手紙の画像を発表したほうは、我々がそう思うことを想定し、狙って行ったと考えるべきです。加害者に対する憎悪をあおっています。

また、本来であれば、このような画像を公表することについては、弁護士や法律関係者は批判をするべきです。画像だけ公開して、文書作成の経緯について公表しないことは、誤った事実認識を誘導することにもなります。しかし、この点をついたのは、私が見る限り、ルポライターの杉山春さんだけでした。

母親の逮捕と義父の再逮捕が、事件発覚から3ヶ月後ですから、警察の方は相当な準備ができたはずです。もっと早く母親を逮捕することもできたのではないでしょうか。証拠の散逸などを考えれば、もっと早く逮捕するべきだったかもしれません。

<衰弱死の原因と胸腺萎縮の関係で考えるべき二つのストーリー>

また、マスコミが報道しやすいように、その次のタイミングで、結愛さんの胸腺の萎縮ということを発表します。繰り返すことになりますが、警察は3カ月前から捜査をしているのです。順次証拠が発見されたわけではなく、証拠は大量に警察にあったのです。マスコミが一度に報道してしまうと、情報量が多すぎるので、報道しにくく、波状に情報を提出することによって、受け手の情報処理も容易になります。つまり、いっぺんに情報を出すより、逐次出していった方が、実母と義父に対する国民の増悪が強くなるという効果があるのです。

ここで、疑問がわいてもおかしくないと思うことがあります。結愛さんの死因です。最後は敗血症になることは、むしろ死亡の場合は少なくないので、敗血症という病名によっては、何があったかを判断する決め手にはなりません。

問題は、胸腺萎縮と衰弱の関係です。

マスコミ報道からは、食事を与えられないで衰弱した結果、衰弱死したようなイメージが与えられます。しかし、別の可能性もあるのです。虐待は前提としてあることは良いとしても、胸腺が異常に萎縮したことによって、免疫機能が低下し、何らかの感染症が発症し(敗血症は感染を基盤として発症する急性循環不全)、食事がとれなくなって衰弱死したのではないかということも考えられるのです。どちらにせよ虐待が原因だということならば、それほどの違いがないことになるのですが、イメージが違ってきます。胸腺萎縮が先行して状態が悪化したのならば、夫婦は結愛さんの状態が悪化しているけれど、どうしてよいかわからないし、自分たちが虐待したことが発覚してしまうだから、病院に行くなどの手当てをしないまま衰弱死に至ったということになります。この場合の衰弱は急激に進行するかもしれません。しかし、胸腺萎縮が原因で免疫不全になったのではないならば、つまり、死ぬまで虐待を繰り返し、どんどん衰弱しているにもかかわらず虐待をさらに続け、結果として死亡させた。その時胸腺が異常に委縮していたということになったという可能性もあります。これは極悪な対応と言われても仕方ありません。違いは、「体重が平均より12kg低かった理由が、食事を与えないという虐待行為が原因なのか、胸腺萎縮による栄養摂取の機能不全が原因なのか」にあります。ずいぶん様相が変わるようにも思えるのです。いずれにしても、加害者の供述と医学的知見とのセットで真実が判断されなければなりません。

 しかし、マスコミ報道からは、虐待の繰り返しにより食事を与えず、結果として死亡時の解剖で胸腺が委縮していたという方のストーリーを私たちのイメージに植え付ける結果となっています。

 なぜ、警察は3カ月も使って準備を行い、マスコミを通じて、憎悪をあおる工夫をしたのかということが疑問になります。一般の方々はそんな疑問を抱かなくてもよいのですが、弁護士ならば当然疑問視しなければならないはずです。ところがこの指摘をしているのは、私が知る範囲では、虐待のルポライター杉山春さんだけでした。
 ここで、警察に悪意や違法な意図があったということを言っているわけではないのです。ここは注意していただかないと話がややこしくなるばかりです。純粋な正義感に基づく憤りということも十分考えられるところです。それぞれが役割を果たさなければならないということが主題なのです。

ただ、この報道は、裁判に大きな影響を与えてしまうわけですから、そのような疑問をマスコミは当然持つはずなのですが、私からは何もマスコミの悩みが見えてきません。そして、法律家や福祉関係者(自称も含む)からも、そのような疑問が上がってこないように感じるのです。このこと自体は、人権の危機ということになります。

<児相非難の行き着く先は。マスコミの程度の問題>

マスコミは、国民の怒りをあおり、その怒りの矛先を実母と義父に向けることと同時に、児童相談所にも向けます。介入するか介入しないか、どのように介入するかということについては、色々な要素を考慮しなければなりません。介入することによってのデメリットもあるからです。そこには悩みがあるのです。しかし、マスコミは、香川と東京の児童相談所の介入によって救えたはずだという論調を強調します。
今冷静に考えるとすぐにわかると思うのですが、このようにあおられた怒りの矛先が児童相談所に向かうことは、児童相談所が当然配慮しなければならないデリケートな問題を配慮せずに、ひたすら強行に出る、警察と連携しながらでも強硬に行うという結論にしか至りません。問題の所在を全く無視した二者択一的思考が横行しているということは大きな恐怖です。
現在でも、理不尽な国や自治体の介入で、家族が壊されて、修復不能な状態になって泣いている人、自死をする人、健全な成長が阻害されている人たちがたくさんいます。これはこのような二者択一的な政策による犠牲者たちです。二者択一的思考によって、犠牲者を増やし、それは、今度は自分や自分の子どもが犠牲者になるかもしれないのです。
マスコミが、そのような自覚を持たないで報道しているとすれば、それは、大変危険な存在になっているといわざるを得ません。

<虐待の原因を考えないということ>

マスコミの論調で際立っていることは、虐待が起きる要因を考えていないことです。これが致命的なエラーだと感じます。
その上で憎悪をあおっていくのです。そうすると、処罰だ、権力の介入だということに行きつくことは理の必然でしょう。どのようにして虐待を減らすことができるかということを考えているつもりになっていると思いますが、実際には、起きている虐待をどう処罰するか、どう死なないようにするかということしか考えることができない枠組みがすでに作られていることに気が付きません。私たちの正義感が、怒りで誘導され、複雑な考え、一歩引いた考え、根本的な問題を考える力が奪われていることに気が付かないのです。
言うまでもありませんが、虐待死は氷山の一角です。死ななくても、安心できる家庭を経験しないで大人になってしまうことが許されていいわけではないのです。しかし、原因を考えないで怒りに任せて単純な思考をしてしまうと、強い者、国家権力や警察に解決をゆだねたくなるというエラーが起きます。最終的には大いに頼りにするべきなのですが、先ずは、虐待を起こさない、軽いうちに解消する方法こそ考えるべきです。これは前回の記事でくどくど述べましたので、繰り返しません。
今回は、エラーに焦点を絞りましょう。

それでも、意見に全面的に賛成するかどうかはともかく、原因論について考える意見が少しずつ表明されています。自民党の三原議員は、色々と父親とのつながりの薄い子どもたちの母親を孤立させないことの大切さを訴えていますし、国民党の玉木議員は児相依存の傾向はあるものの、児相を責める前に児相の職員を拡充しようと訴えています。最悪の事態からは、少しずつ上を向き始める動きも見えてきました。(6月23日追記;玉木氏は死は児相の増員は下ろさないものの、親権停止や養育費の義務化等ドンドン議論が表面化しているようです。むしろ自民党の三谷氏は面会交流に言及する外、フェイルセーフの観点から政策を自民党で議論していることを紹介されています。)先ずは歓迎しましょう。そして議論が起きることを期待します。

最悪の事態について、TBSのサンデーモーニングで引用されていた主張について、若干触れましょう。
紹介された方は、自称児童福祉の実践者だそうですが、エラーの塊のような主張をしています。
先ず、例の手紙が、子どもが虐待から逃れるために自分で考えて書いているという印象操作を利用して、先ず読み手の増悪をあおっています。何も冷静な考察もありません。
次に時系列をあげますが、死亡後の時系列はありません。目的が死亡を回避するための振り返りだからだろうと思います。
しかし、虐待の原因について、全く考察がありません。あくまでも死なないために児相はどうするべきだったかという観点からの考察になっています。
そうして、児童相談所の権限拡大、警察との情報共有、それだけにとどまらず、裁判所による親権停止の拡大まで言いだしています。それらの問題の所在であるデメリットについては一切言及がありません。まさに二者択一的思考の典型です。虐待についての原因考察がありませんので、虐待が起きてから死なないためにどうするかという発想となるしかないのです。徹底しているというべきでしょう。

われわれ、自死予防、いじめ予防、パワハラ予防にかかわる者は、対策を講じる場合、死ななければ良いという発想に陥りがちだということを自覚しています。しかし、死ななければ良いというマイナスからゼロを目指す方法によっては、有効な具体的対策が立てられないことも知っています。嫌なことを防ぐのではなく、良いことを増やす、ゼロの先のプラスを目指すということで、初めて効果ある対策が立てられるという基本姿勢を持っています。

彼が、どう言おうと、それは彼の意見なので、とやかく言うのではありません。問題は、このようなエラーだらけの意見を取り上げ、結局は警察や権力の意図を体現する意見を肯定的に紹介するマスコミの程度の問題、あるいは、それがマスコミ自身の意図だとすると、その危険性について訴えたいわけです。マスコミだけでなく、人権活動家を自称する人たちまでもが、無批判にこのような権力の意見を体現するような意見を拡散しています。責任を感じて猛省していただきたいということが本当の気持ちなのかもしれません。そして、せめて杉山春さんのルポルタージュでも読んで、少しは虐待の原因を考えていただきたいと思います。あなた方がまじめに考えなければ、誰が虐待を防ぐ提案をするのか厳しく考えていただきたいと思います。

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トオリスガリノモノ

「実父の再逮捕」という文章がありますが、
正しくは義父でしょうか?
訂正よろしくお願いいたします。
by トオリスガリノモノ (2018-06-17 13:15) 

ドイホー

確かに一ヶ所間違っていました。ありがとうございます。訂正しました。
by ドイホー (2018-06-18 18:56) 

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