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家族解体思想になぜ保守政権が追随するのか 子どもに会えない親の苦悩は日本という国の客観的状態を反映しているということ [家事]

前回の記事で、
産後直後などの女性が不安になると
その原因は夫にあるとして
離婚に強引に誘導する政策を推進している人間の一定割合に
家族制度を解体しようとする極端な思想集団がいる
ということをお話ししました。

このような過激な思想ならば
美しい日本を取り戻すということを約束する
現在の保守政権が何とかしてくれるのではないか
と考える人たちがいるのはもっともです。

実際に、政権党内では
家族制度の解体に反対する勉強会も開かれていたようです。
日本会議という団体では、
団体の機関誌で連れ去り問題を何度か取り上げていただいており、
危機感を強く持たれているようです。

それにもかかわらず、相変わらず、
母親たちに対して、
あなたが不安を抱いているのは夫のDVが原因だと
個別事情を全く聴きもしないでそう吹き込んで
離婚件数を増やそうという行政やNPOの活動が定着し
ますます活発にさえなっているようです。

最近の子連れ別居離婚申立事件で述べられている離婚の理由は
見るに堪えないねつ造のオンパレードです。
たまたま知っているご夫婦の事例を見ると
針小棒大ではなく
火のないところに煙を立てているという状態です。
なかなか家族再生の糸口が見つからない事件が増えています。

どうして、美しい日本を取り戻すと約束した保守政権が
このような活動の継続を許しているのでしょうか。

それには理由がありそうです。

日常の夫婦のいさかいを
「DV」という、曖昧な言葉にすりかえて
強引に離婚にもっていくのは、前回述べた通り
家族解体思想に基づくある種の洗脳ですが、
他にも家族解体思想に基づく主張が
ネット世界に蔓延していることに気が付きました。

「三歳児神話否定論」と「母性神話否定論」、
それから、「賃金労働こそ人間の最高の価値論」です。

三歳児神話とは
本来の意味は、「三つ子の魂百まで」ということで
子どもは小さい時でも大切に育てるべきで、
ぞんざいに扱って性格がひねくれてしまうと
一生直らないということだったはずです。

世俗的な使い方としては、
小さい時からひねくれていたから
大人になってもひねくれているのは当然だという
揶揄(やゆ:悪意でからかう)する使い方が多いと思います。x

教訓的な意味としては
子だくさんの昭和の時代に
新生児に手間がかかるからといっても
上のおにいちゃん、おねえちゃんをぞんざいに扱うな
ということのだったはずです。

現在の三歳児神話は、別の意味に改変されています。

三歳児神話否定論者による三歳児神話とは
「三歳までは母親が働かないで家にいて
子どもの面倒を見なくてはいけない」
という極端に狭い意味の新説にすり替えられているのです。

これだけで誰かが都合のよいように作りだしたものだとわかります。

子だくさんの昭和の時代には
労働者の家庭の母親は専業主婦ですから
そもそも仕事を持っていた女性は少なかったのですし、
農家では、女性も働いていたので
働くなという意味を持たせようにも
それを受け入れる余地はありませんでした。
だから働くなという意味ではなかったのです。

子どもを大切に育てるべきだという言葉の意味が
母親は働かないで一緒にいるべきだ
という限定的な意味になったところが
新説の特徴です。

これと同じように
母性神話とは、元々は
母親は、自分の身を犠牲にしてまでも
子どもの命を守るものだ
ということがオリジナルの意味だったはずです。
母性というものは崇高なものだというものです。

ところが現在の母性神話否定論者のいう母性神話は
「子どもは父親ではなく母親が育てるものだ」
という内容にすり替えられています。

新説を作り、神話と名付けることによって
根拠のないものというイメージを作り
内容にすり替えて誰しも否定するようにしむける
論者の「ねらい」は共通しています。
それは、
「女性は子育てに時間を取らず、子どもを預けて仕事に出ろ」
というものです。
注意深く三歳児神話否定、母性神話否定の文章を読んでください。

そしてその多くは根拠がトンチンカンなものです。

ばかばかしい根拠の筆頭は
皇室も母親が子育てしないから日本の伝統だというものです。
皇室が母親が子育てしないのは帝王学にもとづくもので、
親子の情愛が生まれると政治に支障が出る(人質に差し出せない)という、
支配層の必要性にもとづいているものです。

少なくとも庶民には全く関係がなく
日本の伝統でもありません。

ちなみにこのような皇室の伝統に対抗するために
女官らの抵抗をはねのけて自ら子育てを行われたのが
上皇后様だったわけです。
こんなことはほとんどの日本国民は知っています。
論者は、女官たちとともに上皇后様の子育てを否定したいのでしょうか。

別の論者は
海外では保育機関で集団的に子育てした場合と
家庭内で育てた場合とあまり違いはない
というトンデモ説を根拠にします。

海外では産休、育休が充実しており
2歳ころまでは家庭で育てることができます。
その後に集団的な保育を実施しているのです。
このことを隠して誤導しているのです。

海外では、子育ての大事な時期ということをよく知っています。
これは、かつてイスラエルのキブツという仕組みの中で
生後すぐに親から話して集団で子育てしたことによって
子どもたちに否定的な結果がでたことを教訓化して反映していたり、

ボウルビーやエインズワースという科学的な愛着の理論に基づいて
親による子育てこそを励行しているわけです。
そしてそれが子どもの人権だとしているのです。

やみくもに親が子育てをしなくても大丈夫等と言う
データなど存在しません。

このような無茶なことを言ってまで
母親を子どもから切り離して賃労働に駆り立てようと
必死になっていることがわかります。

三歳児神話の否定や母性神話の否定は
私が目くじら立てて否定しなくても
子どもを産んだ母親ならば
簡単にそれを信じようとはしないでしょう。

ところが、
「もう一つの神話」によって
母親たちは賃労働に駆り立てられているのです。

それが「賃金労働こそ人間の最高の価値論」です。
(この名前は、さっき私が思いついて作ったものです。)

子育てよりも外で働いて賃金を得ることこそが
人間として最も価値のある行為だという考えです。

この考えに取りつかれている母親は多いのですが
なかなかそれを自覚することができません。
多くの子どもを産んだ女性の意識の中に
そのような考えが刷り込まれているのです。

母親たちは、焦りながら以下のように考えています。

「夫は働いていて、自分だけ子どもの世話をするのは不平等ではないか」
「自分だけ損をしているのではないか」
「自分は子どもの召使ではない」
あえて言葉にすればそういうもののようです。

そうして、外に出て働きたい
子どもの世話ばかりしたくない
という気持ちに駆り立てられます

それでも子どもに対する愛情もありますから
育児をしないで仕事に出ることに罪悪感を抱きます。

だからこそ、罪悪感を軽くするために
「三歳児神話の否定」
「母性神話の否定」に飛びつくわけです。

特にこの神話の否定に飛びつく女性は、
学歴の高い女性
社会的地位の高い仕事や他人のためにする仕事といった
やりがいのある仕事をしていた女性が多いのが特徴です。

こういう人たちが、実務的に見て
子どもを連れて別居することの多い職業の人たちなのです。

ただ、その賃労働こそが最高の価値だという考えは
自然発生的に生まれる考えではなく
誰かが少しずつ刷り込んでいるのかもしれません。

子どものためにより良い妊娠時の生活方法や子育ての方法を
インターネット等で検索しているうちに
少しずつ混ぜ込まれて刷り込まれているのかもしれません。

もっとも、女性においても賃労働が最も高い価値がある
という考えは
政府もあからさまに刷り込んでいます。
「女性が輝く」と政府が言う場合の意味は、
どうやら「女性も賃労働」をするという意味と同じようです。

家族解体論者たちも
このことを積極的に推進しています。
昔の男性が高い価値だと考えていた
働くこと、働いて収入を得るという価値観を
最優先の価値観だということを前提に
女性を家庭から賃労働に移行させることを主張しているのです。

不思議なことは
女性の賃金を男性並みに高くすれば
勝手に女性も働くようになるのですが、
男女賃金格差については
あまり積極的な行動が見られないことです。

政府が女性の中でも出産をした女性を
いち早く賃労働に復帰させたい理由は
労働経済政策にあります。
低賃金で生産性の高い女性労働者を
企業に流入させたいという政策です。

「輝き」という言葉で
いち早い母親たちの社会復帰を誘導しているわけです。

子どもが2歳になる前から働かそうとしているのです。
インターネットの神話否定論者も
政権与党とつながりのある人たちですから
学者等の肩書で「仕事」をしているということなのでしょう。

このことの賛否は今回の議論の対象ではありません。

私が言いたいことは、
家族解体論者の、夫婦を中心とした家庭から「女性を解放」することと
大企業の出産直後の母親を労働力として迎え入れたいという思惑が
結果としては同じ方向を向いてしまっているということなのです。
ここに保守的な政治家が天敵であるはずの家族解体論者と
結果として手を組んでいる理由があるのだということです。

三歳児神話否定や、母性神話否定に洗脳されることなく
子育てをしている母親を強引に働かせるための
最も効果的な方法とは何でしょう。

それは離婚をさせて母子家庭にすることなのです。

離婚をすれば養育費が多少入ったところで
それだけで生活はできません。
母親も働かなければならないのです。
仕事を選んでいるわけにはゆきませんから
放っておいてもどんどん企業に就職してゆきます。
2,3歳の誕生日を待たないで無認可保育所などに子どもを預けて
働かなければならないわけです。

下手に子どもを父親に合わせて
「子はかすがい」なんてことでよりを戻してはいけませんから
子どもを会わせないようにしている
なんてことは、考えすぎとばかり言えないような気がします。

そのためには、「それは夫のDVだ。」ということで
妻に夫に対する恐怖心や嫌悪感を定着することが有効なのです。

この考えは私の考えすぎの暴走理論かもしれません。
しかし、家族解体論者と労働経済政策は
ぴったりと目標が一致するのです。

離婚した女性に、厚い手が差し伸べられないのも
離婚して働けという目標が達成した後のことなので
「釣った魚に餌をやらない」ということでも
両者の思惑はぴったりと重なります。

このように子供を産んだ後の精神的不安定な時期に
夫から離れて片親となり
その片親も仕事で子どもと一緒にいる時間が少なくなると

当然愛着障害の危険が出てくるわけで
情緒不安定な子どもが量産されていく危険が生まれてきます。
あなたの子どもが不健全な育ち方をしても
いい加減な論拠を持ち出した神話否定論者たちは責任を取りません。

片親の収入ということになるうえ、
女性の低賃金、賃金格差が子どもの貧困を巻きます。
ますます健全な成長に対するハードルが上がってゆきます。

さらに、そういう経済状態の上
男性に対する恐怖心が消えませんので
少子化がさらに進んでいくわけです。

これらの心配が単なる杞憂に終わるならば
極論ということで歴史の検証によって排斥されるなら
それは喜ばしいことです。

しかし、良識で考えれば
家族解体、母親の早期の賃労働従事は
このような危険のあることで、
最も悲観的な結論は
日本のさらなる衰退です。

まさに亡国の政策です。

保守政治家たちは
このような危険についての勉強会をしているようなので
知らないでやっているという言い訳はできません。

家族が円満に生活を送り
子どもたちが笑って過ごすという
美しい日本という価値観は、

女性の企業への早期従事という政策によって
後景に押いやられているのではないかと
心配することは必要なことだと思うのです。

私はこれまで
理不尽な子連れ別居、虚偽DVとの戦いは、
子どもを守る戦いだと考えていました。

しかし、どうやら一人一人の子どもの健全な成長を守ることで
日本を守る戦いになっているようです。

家族再生を目指しつつ、
女性の夫への無駄な恐怖心や嫌悪感を解消することを目指しつつも
虚偽の部分や評価のすり替えの部分は
毅然とそれを正すべきです。

理不尽に子どもに会えない別居親の苦悩は
潜在的には子どもたちの未来の生きづらさ、未来の苦悩であり
日本という国の客観的な状態に対する国の苦悩なのではないでしょうか。

家族を守る行動が
日本を救うことにつながるということが
決して大げさではないと考える次第です。

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