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他人から精神的に追い込まれたことに気づくためのセルフチェックと対処方法 付録としての解説 傷つくのは仲間だと思うから 本能から理性にどのように転換するか [進化心理学、生理学、対人関係学]


<場面設定は対人関係に不具合=トラブルがある場合>

自分が精神的に追い込まれているということは
なかなか自分ではわからないものです。
「なんか苦しいな」とか、「しんどいな」とは感じていますが、
自分が精神的にすでに追い込まれているために
ものの見方感じ方が変容してしまっているとか
思考パターンが拘束されていて自由に考えられないとか
体調が悪いということさえも気が付かないことが多いようです。

もしも今自分が
精神的に追い込まれているのだとわかれば
その原因を探すなりして
解決しようとするのですが、
わからなければ解決しようとすることはできません。

何も対処をしないと自分をますます追い込んでしまい
四六時中、苦しんだり、傷ついたり、怒り続けたり
どんどん悪くなっていってしまいます。

私なりのセルフチェックと対策をご紹介します。

これは、脳や身体の不調で追い込まれている場合や
薬の副作用などでの追い込まれる場合ではなく
あくまでもだれか他人の行為によって
精神的に追い込まれている場合に限定した対処方法です。

<セルフチェックの方法>

セルフチェックの項目は
① 眠れない等、睡眠が快適ではない
夜中に一人で布団に入ると
その人とのやりとりを反芻するとか
妙に興奮状態となりいつまでも眠れない。
どうでもいいやと思えなくなってしまっている。
寝ているか寝ていないかわからない時間がある。
明け方に起きてしまい目がさえてしまう。

②食欲がなくなる。
おなかがすくということがあまりなくなり
何か食べるのだけど、おいしいという感じが弱まっている。
胃が膨らんだような感じがして抵抗感があり
食べなければ食べなくてよいという感じがしています。
これが激しくなると
その人と顔を合わせなければならない時に嘔吐をすることも出てくるようです。

③逃れられないという拘束感
精神的に追い込まれるまでは、
人間関係を断ち切るということを考えることができるようです。
退職しようとか、転校しようとか、その集まりに行くことをやめようとかですね。
ところが精神的に追い込まれてしまうと、
その人間関係から離脱するという選択肢がなくなるようです。
解決方法がわからず、ただ苦しみ続けるようになります。

④実際の被害よりも今後さらに拡大していくという見通しを持ってしまう。
例えば取引相手が加害者だとすると
その取引がなくなるだけでなくて
その人が某会社となり、他の取引相手に対しても働きかけるとか
会社に働きかけて自分の居場所がなくなるとか
将来的に自分は仕事を辞めなければならなくなるとか
どんどん被害が拡大していくことばかりを感じるようになります。
その人間関係だけの不具合であるのに
あたかも、自分が世界の悪訳(ヒール)になることが確実かのような
むやみな、無意味な悲観的な考えを持ってしまいます。

⑤加害者以上に、加害者の周囲の人間を恨むようになる。
この項目は、あまり説明されているところを見ませんが
精神的追い込まれた場合の特徴として、よくみられることです。
「自分の惨状を他人も理解するべきだ」という意識が強くなりすぎるようです。
援助を希望しているということなのですが、現れ方が不穏当になります。

本来であれば、自分を追い込む張本人に対して、怒りを向けるべきです。
しかし、張本人ではなく、張本人の周囲にいる人間に対して
張本人の行為を放置し続けていることについて怒りが向いてしまうようです。
加害者に対して怒りを持てない分
周囲の人に対する怒りの感情が向けられるというような印象を受けます。
周囲の人間にとっては他人事ですから、
他人のために張本人と感情的対立を生むことが嫌ですし、
今度は張本人から自分に攻撃が向くことを恐れますから
日頃他人には正義感を振りかざす人も
より仲間である張本人に対して異議を申し立てるということはなく
より他人である被害者を助けることはしません。

被害者は、張本人の周囲の日頃表明されている正義感に
過剰な期待を持ってしまいますから
自分のために何もしてくれない現実を見ると余計に落胆するわけです。

但し、その中にも、被害者の方に心情的に近い人もいて
精一杯の援助をする場合もあるのですが、
精神的に追い込まれている人は
援助行為の要求度も高くなっていて
それがその人の援助行為だということを評価できなくなっています。
無駄に傷つきやすくなっているし、
自分で孤立に向かってしまうという仕組みが生まれているのです。

自分が一番気が付きやすい項目は⑤かもしれません。
自分のトラブルの相手は誰か
その相手ではなく、相手の周囲の人間に対して
激しい怒りを持っている、あるいは激しいじれったさ
過剰な期待を持っているということは、比較的気が付きやすいのでしょう。

⑤に気が付いて、自分の異変を自覚して
④、③、②、①と気づきが進んでいくのかもしれません。

<自分が精神的に追い込まれていると自覚した次の対策>

1) 生命身体が安心であることを確認すること

精神的に追い込まれている人の体内では
あたかも間もなく自分は死の危険に直面することになる
ということと同じような生理的反応が起きています。

無意識にそのような心理状態になっているようです。
危険の程度についての判断が付かなくなっています。

ですから、まず自分が生命身体の危険がないことを自覚しましょう。
例えば深呼吸です。
深呼吸をするとなぜ落ち着くかというと
対人関係上緊張するべき事態があったとしても
まさに生命身体に危険がないということが自覚できるからです。

これは頭で考えるのではなく
全身を使って息を吸ったり吐いたりすることによって
自分の体を感じるということが肝心です。

だから、息を吸ったときのおなかや胸の体の動きや
吐いたり吸ったりするとき空気がのどや口を通る感覚を
十分感じることが大切です。
すると皮膚感覚が、「自分がいま安全な状態にある」
ということを自然に自覚させてくれるようです。

2)「笑って」みよう

もちろん笑うような精神状態ではありません。
でも、これも効果があると思います。
やるべきことは、安心できる場所で
口の両端を上に上げるという所作です。
可能であれば目じりを下げましょう。

劇的に心境が変化するようです。
体内で生理的反応が起きるようです。

3)感謝できることを探そう

どん底に追い詰められたときは
「自分に対する他者の援助が足りない」としか思われません。
何かに感謝できない状態になっています。
逆の行動をするということで巻き戻しをしているわけです。

「飢えていない」ことに感謝したり
「雨風がしのげる住居があること」に感謝をしたり、
あるいは、
「こんな自分を嫌がらずに一緒に生活してくれる家族に」
大いに感謝ができることに気が付くかもしれません。
(家族に申し訳ないと考えている人が多いと思いますが、
この「申し訳ない」を「ありがとう」に変換してみるのです。

そして、感謝ができることを見つけたら
さっきの笑う行為をその都度やってみましょう。

先ず形、心なんて後からついて来ればよいと思います。

4)自分が所属するべき、貢献するべき仲間はどの仲間なのかを考える

自覚することはありませんが、
現代人は、同時に多くの人間関係の中で生きています。

家庭、学校、職場、地域、社会活動、友人関係
それぞれ別々の仲間、人間関係です。

人間の心が生まれたときは、たった一つの群れだけに所属していました。
このため、どんな人間関係であったとしても
仲間だと考えてしまい、嫌われることを極度に恐れてしまうのです。

だからどうでもよい人間関係の不具合があっても
この世の終わりのようなすべての人間関係で
自分の評価が低下するような気持ちにさせられてしまうのです。

その結果、本来自分が大切にするべき人間関係において
あなたは、自分の果たすべき役割を十分果たすことができず、
本当の仲間を傷つけてしまうということがあるわけです。

どうでもよい人のために、
大切な人を傷つけてしまう
こんな理不尽な話はありません。
早速これを自覚して、不合理から抜け出しましょう。

対策編の1)から3)の行動は、
とらわれのあなたの思考パターンをニュートラルにして
頭を動かすことができるための準備運動みたいなものです。
さあ、ここから考えを始めましょう。

5)仲間を大切にする

仲間を大切にするというアクションを開始しましょう。
日常生活で、相手の嫌がることをしない、やってほしいことをやる
相手の弱点、欠点、失敗を笑わない、責めない、批判しない
そういうものがあれば自分が補うとともに
感謝と謝罪をはっきりと声に出して行う。
ねぎらうということもはっきり意識して、チャンスを待ち構えましょう。

将来的な問題では、
あなたを追い込める張本人と決別すると
仲間に不利益が加わるのではないかとそういう後ろ向きの思考から
自分が仲間のためにできることを考えて、増やしていく
という当たり前の考え方に転換をしていくということが大切です。

どうしても追い込まれていると悲観的な考えに陥りがちなのですが、
それは本能に任せて思考が停止しているからです。
理性をつかって考え始めるということが
ここからの作業の根本ということになります。


6)自分を攻撃する他人を仲間ではないときちんと自覚すること

あなたが、本当の仲間を自覚して、
本当の仲間と「理性的な仲間づきあい」をするとともに
本当の仲間以外の人間との関係を切り捨てていく
特に張本人は、仲間ではないということを強く自覚しましょう。
言葉に出して自覚することも効果的でしょう。

あなたに対して理不尽な攻撃をしてくる
しかも、反撃しにくいような攻撃をするというのであれば
そんな人間は仲間ではありません。

あなたの感情や利益を無視して
張本人本人やその周囲に利益を与えようとする場合は
まさに敵です。

理性で切り捨てて、なるべくかかわらなくすることが肝心です。

無視、受け流し、気づかないふり
何でも知恵を総動員して関わらないという方法を実践するべきです。


<解説編>特に読まなくても良いですが、読むと全編の内容が良く理解でき、実践しやすい「かも」しれません。

1) 人間が他人の行為によって精神的に追い込まれるのは、その他人があなたと何らかの人間関係があり、濃い場合が多いこと


人間が精神的に追い込まれる場合の多くは
自分と何らかの関係のある人から攻撃されている場合です。

通りすがりの見ず知らずの人から言いがかりをつけられても
よほど恐怖を味わう場合は別として
通り過ぎればその人の顔も忘れてしまうし
確かに不快な印象、嫌な印象は残りますが
精神的に追い込まれるほど引きずることは少ないはずです。

もっとも、通りすがりの見ず知らずの人に言いがかりをつけられる
ということ自体それほどないことですね。

より近しい関係の人から攻撃されると、
より精神的に追い込まれるということになるのではないでしょうか。

この理由は簡単で
人間は言葉を作る前から群れを作って生活することで
肉食獣から自分たちを守ることができて
協力して食料を獲得することができたのですが、
仲間から攻撃されることを恐怖として感じることができたため
攻撃されるようなことをしないで
群れにとどまろうとした
それで群れが形成されていたということに由来するわけです。
約200万年前には、この関係とこころが確立したといわれています。

当時は生まれてから死ぬまで、
ほぼ一つの群れで生活していました
また、30名程度の少人数の群れで生活していたとされていますから
生まれてから死ぬまで群れの仲間は同じメンバーで
運命共同体であり、
仲間から攻撃されるということはほとんどなかったはずです。

よほどの理由がある時だけ、
幼馴染や、生まれた時から知っている仲間を
攻撃するかもしれないという事態になったのでしょう。
だから、仲間から攻撃されそうになっている場合は
自分の落ち度も心当たりありますから
落ち度をカバーしようとして全力で修正行動をしたのでしょう。

それこそ、本能的な恐怖を背景として
なんとか仲間にとどめてもらおうと頑張ったのだろうと思います。

この仕組みは、人間が生きていくためには
合理的なものだったと思います。

また、このような仕組みがあっても
仲間を攻撃するということはめったに怒らず
今から200万年前には
人類は、肉食獣の攻撃や飢えにはおびえながらも
仲間の中にいることで安心することができ
比較的穏やかに生活することができたはずです。

ところが現代社会は、
先ず、何らかの関係のある人も膨大な数に上りますし
それぞれ別の家庭を持っていたり
別の会社に勤務していたり、
とても200万年前の一つの少人数の仲間というわけにはゆきません。
濃い仲間意識は持ちようがありません。

またその人同士の利害対立や
周囲がどちらに味方をするかということで、
関係のある人間を敵だとみなすことができるようになっています。
人間関係が希薄だということはこういうことです。

それでも人間のこころは200万年前とあまり変わっていませんから
どんな些細な人間関係でも
自分が攻撃されることには抵抗力が小さいのです。

ここでいう「攻撃」とは
「仲間から外す」ということで
その予期不安を感じさせる
「否定評価、低評価、落ち度など弱点をことさらあげつらうということ」も
同じ意味として攻撃と感じてしまいます。

人間は、こんなことで、
精神的に追い込まれ、破綻し
自ら死ぬ危険性のある動物なのです。

厄介なことに、200万年前と同じ心の状態ですから
一つの群れで一生涯を終えていたように
人間関係であればどんな人間関係からも
人間は無意識に、攻撃されたくないと思ってしまい、
否定評価をされれば、自分の行動を修正しようと思ってしまいます。

本能的な思考にとどまる場合は
相手は自分の味方のはずだ
それなのに攻撃をするのだから自分が何か悪いのではないか
自分が行動を修正するべきだと考えてしまいます。

しかし、現代社会は人間関係が希薄ですから
相手は自分の味方ではなく
あなたと本当は利害が対立しているかもしれないのです。
一方的にあなたに損害を与えようとしているかもしれない。
それなのに、人間の本能は
自分を責めてしまうように自分に仕向けるわけです。

だから、むやみやたらに人間関係を感じる本能を停止させ
意識的に理性を使って、人間関係を整理する必要があり、
理性を使って本能を停止させることもできることが人間の特徴
だという可能性も持ち合わせているわけです。

人間が相手を仲間だと思ってしまう本能が発動されるのは
「時間的に長い人間関係であること」
「距離的に近い関係であり、頻繁に接触する人間関係であること」
この二つがあれば本能は自動的に発動されてしまうようです。
単なる物理的条件に過ぎないのに、仲間という感情が生まれてしまう
ここに注意が必要だと思います。

2)一つの人間関係の不具合が他の人間関係に悪影響を及ぼすということ

嫌な気持ち、理不尽な気持ちを家庭に持ち込まないということは難しく
過敏になっている精神状態は、
悪意のない家族の行動に怒りを覚えたりすることもあるでしょう。
子どもに対して安心して楽しい家庭を提供することもできなくなります。

既に悲観的な思考パターンに陥っていますから
意味のない行動にも、自分を否定評価していると勘違いが起こり
自分を守るために相手に対してしなくてもよい反撃をするわけです。
専門的な用語で
イライラしているために八つ当たりをしやすい状態になっている
ということにしましょうか。

また、そのような自分の不遇を家族にいうことには
責任感の強い人ほど、無駄なためらいがあり、話し出すことができません。
ただ心配かけたくないということで
無駄に明るくふるまい、ごまかしをします。
これは精神的にかなり負担となり、さらなに精神を消耗させます。

このように、どこかに人間関係の不具合が起きると
どんどん不具合が広がっていきます。
人間関係の修復ができれば修復すればよいですけれど
修復できないで放置することによって病巣は拡大していくわけです。

そんな時は大切ではない人間関係を断ち切るという
外科手術をするべきだということになるのだと思います。

3)追い詰められていると、人間関係の離脱という選択肢が消えてしまう

精神的に追い込まれている状態であると
その人間関係から離脱するという選択肢を
なかなか選ぶことができない状態になっています。

また、あなたの責任感が
その人間関係からであっても、
離脱することは、やるべきことを投げ出すことだというような
無駄な真面目さがあなたの窮地を救うことを妨げることもよくあります。

しかし、その人間関係を維持しなくてはならないということは
単なる勘違いであることが多いのです。
人間はどんな人間関係でも大切に考えてしまう傾向があります。
責任を感じてしまうということですね。

しかし、それは200万年前は妥当した思考傾向ですが
現在では環境に適合しない過去の思考の場合が実に多くあります。

繰り返しますが
「時間的に長い人間関係であること」
「距離的に近い関係であり、頻繁に接触する人間関係であること」
この二つがあれば本能は自動的に発動されてしまうようです。

だから、あなたを追い込んだ張本人が
あなたを自分の仲間だとは思っていなくても
あるいは実質的には人間味のない人であっても
その張本人と長い付き合いであったりすると、
仲間だと思ってしまうようです。

そしてその人が、あなたの利益に従って動いてくれるはずだ
自分を攻撃しないはずだ
攻撃されるのはあなた自身に問題があるからではないかと
自動的に勘違いしてしまうというのが人間のようです。

そしてまじめな性格が、
ひとたび仲間だと思ってしまうと
その人との関係を守らなければならないと
本能的に思ってしまうのです。

4)本当はその人が敵である場合の多いパターン

本能的に仲間だと思ってしまうことを他ちぎるためには
こういう場合、仲間ではないと思うべきだということを
予めわかっていれば気が付きやすくなります。

あなたに損害を与えて他人に利益を与えようとするような人
誰かあなた以外の人、その張本人に限らず張本人が大切にしようとしている人
そういう人に利益を与えるために
あなたに、あなたに原因がなく損をさせることをためらわない人

その人があなたに対して攻撃する理由が
あなたへの嫉妬である場合。
あなたが能力を発揮することで自分の立場が悪くなる
ということであなたを貶めることによって
自分の立場を相対的に上げようとする人、
今の自分の立場を維持しようという
実に個人的なわがままということがほとんどです。

あなたがその人になびかないために
自分の立場に危機感を感じている人

あなたの利益や感情よりも
マニュアルや自分の決め事を優先する人

世間的な評価はともかく
こんなつまらない人たちによって苦しめられるなんて
馬鹿な話ですよ。

あなたはこの世に生まれてきて
そんなつまらない人間との仲で悩む必要はないのです。
そんなつまらない人のために命の危険にさらされる必要はありません。

そして、そんな人を批判もできない人の集まりなんて
さっさと離脱したほうが身のためだということになるでしょう。

あるいはあなたが新人であったり
何らかの理由があり不得意分野があるということで
あなたに対して攻撃的になる人間がいて
その攻撃を周囲が止めないならば
やはりその人間関係からは早々に離脱することが
精神的な健康を維持できるはずです。

家族以外は、離脱できない人間関係はない。
家族でさえも全く離脱できないということはない。
そういう世の中であることを逆手に取るということになるでしょう
最終的には一人で生きていくことも不可能ではない
そういう世の中が既に存在しているわけです。

ところが人間の脳は200万年前から変化をしていない
そのために苦しみが生まれてしまう。
しかし、なぜ苦しみが生まれてしまうか
そしてその苦しみが無駄な苦しみであると気が付くことができれば
精神的に追い込まれた状態から回復することができる
ということになるわけです。

5)方法論としての対人関係療法の考え方

そこから脱却するためには
人間のこころの仕組みと現代の人間関係の希薄さという
こころと環境のミスマッチということを意識して
本能的な思考にストップをかけなければなりません。
これが第1歩です。

この時参考になるのは精神療法の一つの方法論である
「対人関係療法」です。
水島広子先生という方が積極的に書籍を出版していらっしゃいますから
この療法について詳しく知りたい方は
自分に最も関係ありそうな本を読んでください。
とてもわかりやすく書かれています。

(本記事は対人関係学という立場で書かれていますが、
対人関係療法とは全く別の概念です。
あくまでも水島先生の本をお読みください。)

つまり、いくつもあるあなたを取り巻く人間関係の中で
あなたを攻撃している張本人のいる人間関係は
あなたが仲間だと思って大切にするべき人間関係なのか
ということを見極めることなのです。

そして、その本来大切にする価値のない人間関係で悩んでいることによって
あなたが本当に大切にするべき人間関係の中で
あなたが果たすべき役割を果たせなくなっているのではないか
ということを恐れるべきだと思うのです。
つまり、あなたにとって大切にするべき人間関係はなにか
ということを理性でもって考えなければなりません。

そして、大切さの度合いによって
解決方法を変えなければならないということになります。

あなたの最も大切な人間関係であれば
自分の行動を修正し、相手の行動の修正をも提案して
人間関係を修復するという解決方法が選択されるでしょう。

それほど大切な人間関係でなければ
その人間関係から離脱するという選択肢を持たなくてはなりません。
つまり、関係度によって対応、考え方を変えるのです。

6)その人の攻撃は繰り返される。スパっと断ち切ろう。

今回だけ攻撃されているのではなく
また同じようなことがあれば確実に相手は
あなた以外の人の利益のためにあなたを攻撃すると思うべきです。
そんな人との関係を継続しても
どこまで行ってもあなたは苦しくなるだけです。

スパっと人間関係を断ち切りましょう。
形式的には、関係を続けざるを得ないにしても
こころは仲間だと思う必要はありません。
敵だと思ってよいのです。

敵が近くにいると思うと
不愉快な気持ちにはなりますが、
味方ではなく敵だと思うことができれば
以前よりも精神的な負担は軽くなるはずです。

そのためにも、あなたの本当に大切な仲間は誰か
ということを明確にして意識しましょう。
あなたのまじめさや責任感は
仲間のために使いましょう。

その仲間に裏切られるなら
仕方ないと諦められる仲間こそあなたの本当の仲間です。


(付録)プロ野球の乱闘シーンでチーム全員が出てくる切実な必要性と人間らしさ

プロ野球で乱闘が起きると、
チームの全員がグラウンドに飛び出てきますね。
あれはとても重要な意味があります。

選手の一人が理不尽な思い(通常は危険な行為を相手からやられたという思い)
をする場合、自分の存在を否定するような行為をされたと
激しく感じているわけです。
そういう時には、仲間であれば当然に自分を助けてくれる
という期待が生じてしまいます。
これは人間が遺伝子上に組み込まれている感覚だと私は思います。

それにもかかわらず、
極端な話、誰もベンチから出てこなければ
自分には、自分を大切に思ってくれる仲間がいない
という意識を強烈に感じてしまうわけです。

これは精神的に極めて危険な状態になります。

特に、自分が攻撃されているという意識を持つと
仲間に対する期待も高まってしまいます。
逆に自分のために仲間が怒ってくれているということで
本人が落ち着いていくということも期待できます。

だから、その人の怒りが理屈に合わない自分勝手なものであっても、
チームとしてはグランドに飛び出さなければならないのです。
どこまで暴力をふるうかはともかく
飛び出していくことは、とても合理的で必要な行為なのです。

だから、「なんであんたが怒るのだ」というほどエキサイトしている
選手やコーチがいますけれど
これは人間としては仲間を助けるという気持ちからの行動ですから
本当はとても人間的な行動なのです。

仲間に助けてもらえないというだけで
かなり精神的に錯乱するような状態になります。
ましてや仲間から攻撃されると
平気でいられる人間というのは考えられず
大抵はひどく落ち込んだり、怒りを感じて眠れなかったり
そういう状態になってしまいます。

人間は、仲間から見放されるということに
耐えられない生き物のようです。



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