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調査官調査に対して子どもが別居親に「会いたくない」と言う理由 [家事]



例えば母親が子どもを連れて家を出て実家などに住みだして
子どもを父親に会わせない状態となってしまうと
父親の方は、面会交流調停といって、
子どもに会うためのというか、
子どもを父親に合わせて安心させるための
調停を家庭裁判所に申し立てます。

母親が子どもを連れて家を出て
父親に会わせないために
調停が申し立てられるわけですから
母親は父親に対して並々ならぬ
敵意というか、嫌悪というか、恐怖というか
マイナス感情を持っていて
子どもを父親に会わせたくないことが多いです。

そうすると、会わせるか会わせないという
消耗な議論になってしまうので、
家庭裁判所は
調査官という専門官に子どもの様子を調査させます。
子どもから意見を聞く手続きですが、
小学校低学年くらいまでは
子どもの意見を聞くというより
現在の様子を調査するということが多いようです。

それでも、子どもがそれ以上の年齢だとか、
積極的に発言をする意欲を示している場合は、
子どもが父親等別居親に会いたいかについて
発言させることがあります。

その時、よほどのことがない限り、
子どもは別居している父親に
「会いたくない」と言うものです。
あるいは「どっちでもいい」等投げやりな発言をします。

その発言が調査官報告として
記録に残りますから、
同居親は、鬼の首を取ったように
子どもを父親に合わせることは
「無理だ。時期尚早だ。」と拒否するわけです。

しかし、
子どもは別居親に会いたくないわけではなくとも
「会いたくない」と言うものだということを
心得ておく必要があります。

子どもが会いたくないといったということを理由に
子どもを別居親に会わせない等ということをしてしまうと、
自分が父親に会わないのは自分が会いたくないと言ったからだと
子どもに責任を負わせてしまうことになってしまいます。

これでは子どもが
将来的にも自責の念を抱き続けてしまう危険があります。
大人は、子どもの胸のうちを理解して、
障害がない限り子どもを別居親に会わせる努力をしなければなりません。
同居親は会わせたくなくても我慢しなければなりませんし
別居親は悔しくても同居親が少しでも安心して会わせるために
安心させる工夫しなければなりません。
裁判所や法律関係者は、
子どもの将来を考えて、別居親と健全な関係を構築するために
双方に強く働きかけなければなりません。

面会交流調停は子どものためにあるものですから、
大人の感情で子どもが別居親に会えなくなったら
取り返しのつかないことになる危険があります。
説得をしなくてはならない
ということになります。

さて、なぜ子どもは別居親に会いたくない
と言うのでしょうか。

一つは、現段階(調査時)の子どもの記憶の問題があります。

調査官調査の段階における
子どもの別居親に対する記憶は
当然ながら同居時のものです。
同居時の記憶とは、
父親と母親がいがみ合ってけんかをしているという記憶です。
子どもにとってはいたたまれないとても嫌な記憶です。

その時のことを再現したくありません。
自分の父親と母親が喧嘩をしている
何とも言えない不安な、恐ろしい気持ちになりたくありません。

その嫌な記憶は、父親に会うことを躊躇させます。

夫婦喧嘩は、大体は双方に責任があるのですが、
子どもはどちらが悪いかなんてジャッジはしませんし
させてはいけないわけです。

子どもは、実は母親と父親が別の人間だということを
はっきりと理解できているわけではなく、
二人そろって一組の「両親」というユニットだ
くらいの感覚を残していることが多いようです。
もともとどちらが悪いという発想にはなりにくいようです。

ただただ、穏やかに和やかにいてほしいという
結果だけを求めています。
子どもですから当然でしょう。

ここまでは分かりやすいと思いますが、
問題は、
同居時の嫌な記憶があるとしても、
同居している親と「一緒に暮らしたくない」
等と言う子どもはめったにいません。
別居親だけに拒否反応を示すわけですから、
ど素人は、「別居親が悪くて同居親が悪くない」
という判断をしがちです。

しかし、これは単純に同居しているか別居しているかの
それだけの違いを反映しているだけのことがほとんどのようです。

もともと子どもは、親というものに対して
緊張感と安心感を抱くものです。

基本的には、自分は親から見捨てられないという安心感を抱いており、
それでも、悪いことをして叱られると
恐怖感や不安感をもつものです。
そうやって、群れで過ごすルールを覚えていき、
ルールを守って過ごすことで
安心して生活をすることを覚えていきます。

このため、一緒に過ごしていれば、
多少叱られたり、あるいは逸脱行為があったりしても、
一緒にいる安心感も同時に味わうことができます。

虐待されている親に対してだって
一緒に住んでいることで安心感を得ています。
群れにいるということで安心感を持つ
人間の特性なのでしょう。
親の良いところを探してでも
安心したいのだと思います。

平成14年に広島で母親と祖母に虐待されて
10歳で死んだ女の子も
亡くなる直前に自分を虐待している母親に対して
「お母さんありがとう。大好きだよ。」という手紙を書いています。
この気持ちは本当だと思います。
だから痛ましいのです。

子どもは虐待されても
同居親に拒否反応を持てないということを
記憶しておく必要があります。

つまり、嫌なことはあるけれど
一緒に住んで生活を続けているのですから、
安心したいという本能が優先しますから
子どもは同居親に対して拒否反応を示すことが
なかなかないのです。
また、前回の記事のように、
同居親と一緒に住んでいるので、
叱られても何とかなっているわけですから
日々不安が解消されながら緊張を解決しているわけです。
それが一緒に住んでいるということです。

ところが父親の記憶は、過去のものです。

一緒に暮らしている人間に対する記憶ではないので
安心の感覚を持つ要求が生まれません。
同居バイアスがかからないと
別居親についての記憶は、
夫婦喧嘩をしているときの記憶となってしまうことは、
記憶というものが危険を記憶して
危険に近寄らないためのものだという
その本質からも理解できるでしょう。

特に母親が感情的になり、
父親が理路整然と母親を論破して
母親がさらに感情的になれば
子どもからすれば
父親が母親をイジメているという記憶にしかなりません。

また、厳格すぎる父親の場合は、
しつけが厳しいために
子どもたち自身が父親から叱責されて
困惑しているという記憶が先に立ってしまいます。

別居親の方が、自分についてのお子さんの記憶について
楽しい記憶が先ず出てくるだろうということは
記憶のメカニズムからするとあまりにもロマンチックで
現実味がありません。

したがって、別居している子供が抱いている
別居親に対する記憶は、
同居親を攻撃している目撃記憶、
叱られて困惑している困惑ないし恐怖記憶
つまり緊張の記憶がまず出てきてしまいます。

別居親がしつけに厳格で同居親がフォローする役割分担だった場合は
むしろ別居親と一緒にいないことが安心の材料だ
ということになっている場合も結構あるようです。

このときに、別居親に会いたいかと尋ねられたら、
まず、緊張の記憶が出てきますから、
「今は会いたくない」
ということが自然なことなのです。

実際はどうしても嫌というわけではないのですが、
緊張が先に立ってしまいますから
会うことが「しんどい」ということがリアルなのでしょう。

ここは前回の記事でも分析しています。
「長期休みの最終日が辛い理由」
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2019-01-28

さらには、子どもの後ろめたさという事情もあります。
早い子の場合は就学前の6歳くらいから、
子どもは、
同居親と一緒に生活していることが
つまり別居親と生活していないことが
後ろめたい気持ちになっているようです。

別居親と久しぶりに再会したとき
別居親に謝るお子さんを目撃することがあります。
とても痛ましい光景です。

動物は、無意識に自分を守るものですから、
この後ろめたさを合理化するために
別居親の落ち度を数え上げるということが
起きているのかもしれません。

一緒に住んでいる親については
安心材料を探すわけですから
ちょうど反対のことをしています。

このように、
同居親が、あるいは祖父母などの同居人が
同居親の悪口を吹き込まなくても
子どもは、別居親に「会いたい」とは言わないものです。

さらに同居親が別居をした後も苦しんでいるとか、
同居親が別居親に強い葛藤を抱き続けている場合、
それだけで子どもの別居親に対する拒否反応を
高めてしまうことはお判りでしょう。

何とか目の前にいる同居親を助けたいと考えることは
子どもの成長なのです。

別居親を攻撃することで、
自分の後ろめたさを正当化し、
同居親に同化することで、
安心感を獲得したいという本能が発動されてしまうからです。

もし、子どもが
別居親に会いたくないと言いながらも
同居親との楽しかった出来事を語りだしているのならば、
直ちに面会交流を始めるべきです。
本当は子どもは別居親と会いたいといっているようなものです。

同居していない親との
楽しい記憶は薄れていきます。
そうすると、
別居親の悪い記憶だけが残り
同居親をイジメていた絶対的悪の人に固定化されていきます。
ますます同居親をかばおうとして
同居親の気持ちを忖度するようになります。
よく言われるのは、
アイデンティティーが確立するべき
15歳のころ、
絶対的善の同居親と絶対的悪の別居親の
間に生まれた自分ということで
自己イメージが混乱してしまい、
自我の確立に支障がでてしまう
その結果、自尊心を持つことができなくなり
様々な問題行動を起こすようになってしまう
ということを心配しなくてはなりません。

もし、実際に、別居親が同居時に
子どもの意思を制圧するような暴力や脅迫をして
会ったとたんに子どもが精神症状を起こすというような
極端な場合でなければ、
早急に面会をして
悪いイメージを拭い去るだけでなく、
安心の記憶を取り戻させるべきです。

試行面会を早急に実施するべきです。
子どもが会いたくないと言って
その理由を夫婦喧嘩だというのであれば
間接的な虐待ということもできるかもしれませんので
面会阻害事由がある可能性があります。
試行面会を行うパターンに該当すると言えるでしょう。

即ち、調査官の立会いの下
いち早く試行面会を実施する必要があります。

通常は、父親が久しぶりの面会に感極まることがなければ
昨日も会ったように自然に会うことができれば、
子どもは、瞬時に安心の記憶を取り戻すものです。

父親が「やあ」と笑顔で話しかければ
それだけで、自分は許され、尊重されているということを
子どもが瞬時に理解できるからです。
安心の記憶を取り戻すことができるからです。

この機会は子どものこれからの人生にとって
何にも代えがたい、生きてゆくための財産になります。
この機会を奪うことは許されません。

同居親には申し訳ないのですが、
少し無理をしてもらわなければなりません。
裁判所関係者や法律関係者は
自然に同居親が同意をするという
ファンタジーを捨てて、
無理をさせる気構えを示さなければなりません。

実際の面会交流が実現する時は
調停委員や裁判官の強い説得があることが多いのです。

その代わり、同居親が安心出来る条件づくりを
こと細かく設定することは考えなければなりません。
相手を攻撃する姿勢は全面的に改めるべきです。
拉致だ北朝鮮だと自分が罵られて
ああ、自分が悪かったんだな会わせなくてはダメなのだなと
子どもを会わせようとするわけはないのです。
メールや電話で脅かされ、
自分が夫婦の問題を抱えているということを
SNSで拡散されたら
「もしかして会わせることは仕方ないのかも知れないな」
等と考えている人だって
「絶対に会わせない」と決意を強めるだけだと考えられないでしょうか。

別居親も同居親も
ご自分の感情を優先するのではなく
お子さんのために我慢してもらいたいと
切に願います。

(今回の記事は、通常言われている片親疎外の概念を
 なるべく使わないようにして書いています。
 実際はこちらが真の片親疎外のリアルかもしれません。
 通常の片親疎外の記事は、
 両親が別居してしまった後で、子どもが同居親をかばい壊れていく現象とその理由
 https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-06-10
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