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思い込みDVによる子連れ別居から妻のこころを奪還する方法 実務上よくみられる夫の逆効果になっている行動 [家事]



1 初めに夫が何をすると妻は遠ざかるのかを理解すること

  先ず、夫婦だけでなく、子どもも含めた家族再生を行う主体は誰かということを考える必要があります。それは残された夫しかいません。妻に「再生について協力しろ」と言っても効果は期待できません。妻は思い込みによって夫から離れようとしているからです。再生が困難な事例では、夫が客観的に見て再生に向かう行動をとることができず、むしろ別居後の夫の行為により断絶を促進してしまっていることがしばしばあります。

 家族再生の担い手は夫しかいないこと、夫が一人で家族再生のイニシアチブをとらなくてはならないこと、家族再生の方向に逆方向に動かないこと、これらを理解することがなかなか難しいということです。だから、自分が家族を立て直すということを決意することが初めの一歩なのでしょう。ただ、第三者から見ると、家族再生を目指すことが無謀にみえ、かえって傷つくばかりではないだろうかという心配する事案もあります。決意するかどうかは一人一人の人生観によるのかもしれません。

 まず理解するべきことは、そもそもなぜ妻は、夫から逃げたのかということです。再生に向けての対策を立てるにあたって重視するべきは客観的な事実ではなく、妻の主観です。妻の行動が不合理だということが論証されても妻は戻ってこないし、むしろ反発を強めるということがこれまでの教訓でした。妻の主観にうまく働きかけることが対策となります。
  思い込みDVの場合について説明します。
  
  思い込みDVについて説明します。

 妻には年齢変化などによって、これまでとは比較にならない不安や焦燥感を感じる事情が生まれてくることが少なからずあります。産後うつ、全般性不安障害、精神症状を伴う内科疾患、精神症状を伴う婦人科疾患、精神症状の副作用を伴う薬の服用、頭部外傷、脳卒中などの事情です。結構多いのは職場のストレスがこれに関与しているというケースです。

初めから妻には不安や焦燥感が生まれていて、その苦痛から何とか解放されたいという思いが強くなっているわけです。病院に行ってもなかなか解消されないのに、病気があることに気が付かないで検査さえしない場合も多いのではないでしょうか。病院に行って治療が始まっても、その不安や焦燥感の原因がこの病気や怪我にあるという説明は医師からは通常なされませんので、不安と不安解消要求ばかりがますます大きくなるのです。そんな時に女性の相談機関があると言われれば相談に行ってしまうことは無理のない流れだと思います。そこで、裏付けもなくマニュアル通り「あなたは悪くない。夫のDVのためにあなたは生きづらいのだ。」と言われれば、不安を解消したいという要求が高まっていますので、たまらず夫から逃れれば不安が解消するという希望にとびついてしまうということです。ここを前回詳しく説明したつもりです。

理由はどうあれ、妻の一番の願いは、安心したいということです。何かにおびえないで、責められないで、安心して暮らしたいという願いです。

あえて妻の視点(主観)だけから妻が離婚手続きをするに至る過程を見てみましょう。

妻は自分の精神的苦しみの原因が夫にあると思い込んでいます。だから苦しみから解放されるために逃亡するわけです。それにもかかわらず、夫は逃げた妻に対して働きかけてしまいます。一番嫌な「元に戻って来い」という要求が夫からなされるわけです。妻からすれば、「せっかく平穏に暮らし始めたのにそれを妨害するのか」という気持ちにしかなりません。それだけならまだよいのですが、夫から、逃亡自体が身勝手だとか、背信行為だとか、子どもに損害を与える行為だと批判されると、妻としては一番言われたくないことだけにその点に過敏になっていますから、文字通り神経を逆なでされるような気持になるわけです。まじめな妻ほど嫌になるわけです。

夫から話し合おうと言われると、妻にしてみれば夫に原因があるのだから自分の行動を改めるべきで、それを言わないで話し合おうということは、夫はまだ妻が悪いと思っていることをくどくどと言い連ねようとしているか、自分に対して責任を押し付けるのかという気持ちになります。妻がとても煩わしい気持ちになることは間違いありません。

夫からすれば正しい主張を妻にぶつければぶつけるほど、妻は夫から遠ざかりたいという関係になるようです。

 ここで大切な方針を確認しなくてはなりません。正しいことを指摘して、正しい行為をするように結果の実現を妻に求めるのか、妻が戻ってきやすい状況を作るなど家族再生に誘導するのか、どちらを選ぶのかという腹を決めるということです。

 ただ、こう書けばわかりやすいのですが、何が正しいことを指摘して結論を押し付けて逆効果となる行為なのか、実際これを意識して自己抑制することはなかなか難しいことです。

2 夫が現状をリアルに認識すること

 第三者から感じていることを言えば、現実を夫は受け止め切れていないという印象を持ちます。自分が妻から嫌悪されるはずがない、怖がられるはずがないというものが代表的なものです。あれは嘘を言っているのだと思っている人がとても多いです。この気持ちは実はよくわかります。しかし、妻は実際は夫を嫌悪しているし、怖がっています。ある時、ふと、夫は怖い存在だ、いやな存在だと感じてしまうようになるようです。

 子どもを連れて逃げた段階では、何事もなく同居していた時のように打ち解けたような心持ではいないということから出発しなければならないのです。簡単なたとえをすれば、統一教会時代に洗脳されて入信した妻が、夫がサタン側の人間だと信じている場合、本気で夫を嫌悪して怖がっているようなものです。

 だからメールを受けたり、電話をかけられたり、ましてや夫から自分が住んでいる場所を訪問されることは妻にとってたまらない苦痛です。思わず警察を呼ぶということは予めそう指導されているとはいえ、妻にとっては自然な行為です。

 思い込まされたということを甘く考えない方が良いです。事態は自分が考えているよりもっと不合理、不条理なものだとして取り掛かる必要があると思います。統一教会の洗脳から家族を奪還することと同じエネルギーと技術が必要だと構える必要があると思います。

3 夫側の問題点が必然的に生まれる構造

 今度は、子どもを連れて妻が出て行って家に残された夫の主観を見ていきましょう。自分のことがどういう風に見られているのかを知ることはなかなか難しいことです。

 夫からすれば、突然妻と子どもが家からいなくなったわけです。妻は相談機関から、家を出るそぶりを見せないように指導されています。このため、ことさら家を出る直前には、妻によって和やかな家庭が演じられています。問題なく日常生活を送っていたはずだという気持ちになっています。

問題点を認識できない事情は、実際はさほど問題がなかった場合と、問題点を妻が同居中に提示しないために夫からすれば問題があったことに気が付かない場合と二種類あると思います。
この種の事案の離婚訴訟などにおいてよく見られる特徴は、妻は同居中に自分の夫に対する不満などを述べることが無く、改善の提案もしていないということです。訴訟においてさえも妻は言葉にして夫に伝えることが苦手なようです。思い込みDVの場合は、言葉にならないことは当然のことです。存在しなかった事実を主張しなくてはならないからです。なんだか同居中の記憶は嫌な記憶になっているなと感じるのがせいぜいの文章が思い込みDVを疑うべき主張ということになります。はっきりしたDVであれば、弁護士の記述をもって丁寧に聞けばはっきりしたエピソードがいくつも主張できるものです。もっともはっきりしたDVがなくとも離婚を決意する事例は存在します。もしかしたらそれまでをDVだと主張するから無理が生まれるのかもしれません。

 いずれにしても夫は、このような事情から、妻が自分に対して不満があるのか何をどのように不満に感じているのか同居中に知る機会がほとんどない場合が多いようです。連れ去り別居は不意打ちであり、精神的ダメージがカウンターパンチのように大きくなることは当然です。

次に、夫とすれば自分が一人取り残されたということ自体が精神的打撃を受けることです。その上、徐々に、夫はわかってきます。妻が自分を嫌悪したり恐怖を感じたたことを理由として、自分から逃げたのだということを知ることになります。警察から告げられることもあれば、裁判所から申立書が届くことで知ることになる場合もあります。

これは人間にとって精神的な大打撃です。それまで仲間だと思っていた相手から突如敵対されるわけです。夫として、人間として、男性として、父親として、家族として、強烈な否定評価を受けたことになります。暴力を伴わないいじめの究極の形かもしれません。

このような目に遭った人は、消えない強烈な危機意識を持ちます。これが群れを作る人間の自然な心だと私は思います。

危機的意識を持った人間の行動パターンは、大きく二通りあります。このような理不尽な行為のためにうつになりすべてにおいて逃避行動になるパターンと、逆上してしまうパターンです。これが当たり前の人間の反応だと私は思います。

しかし、この当たり前の反応こそが、夫が解決に向けた行動に向かえない最大の原因です。

特に妻の行動に怒りを覚える人が、逆方向に向かわせてしまいます。安心したい妻に対して、理屈や正当性や合理性で否定評価をぶつけてしまい、妻の危機感を募らせてしまっているからです。

本当は行政などの提示した夫と断絶する生活という秩序と元に戻って夫と生活する秩序の間で妻のこころが揺れているにもかかわらず、夫の行動によって妻のこころを行政の提示した方向に強硬に追いやってしまっているということです。

特に夫の再生行動を妨げるものは権利意識です。極端な言い方をすれば権利意識が強すぎて、自分のために周囲が自分の望む結果を実現しなければならないという考えで、自分は言いたいことを言っても良いのだという振る舞いがみられることがあります。例えば、長年の断絶からようやく子どもとの面会にこぎつけようとしているときに、感謝のポーズさえできない理由はこの権利意識ですし、例えば別居親の方から面会をする代わりに子どもとの自由に電話をさせろなどという自分の立場を考えない駆け引きをしようとしてしまいます。客観的には、つまり評価をいれないで事態を見た場合は、妻が子どものために手を差し伸べようとしたところを、子どもが父親に会う利益よりも自分の権利意識の満足を優先して、妻にその手を引っ込めさせるというようなイメージです。

 妻の意識も自由意志が貫かれる合理的なものでは無い状態で連れ去り別居からの離婚手続きをしている可能性がありますが、事件後の夫の意識も出来事に大きく引きずられていて、元の人格とは大きく異なった意思決定をしている可能性があります。自分でもそれは自覚をすることはむずかしいことです。

連れ去り事案は、このように、自然な感覚に任せてしまうと、どんどん妻や子どもが離れていくようになっているものだと決めてかかる必要があります。もしかしたら、こういう制度を作った人たちの狙いもそこになるのかもしれません。

ここで同業者の方々に警鐘を鳴らしたいのですが、夫は自分に何も覚えがない、正当な理由がないのに、行政や裁判所からDV夫と認定されたという気持ちになるわけです。そして、自分が攻め込まれている理不尽さを感じるのですが、そこから自分とともに家族を救う方法が見つかりません。連れ去り別居直前の妻のような、不安や焦燥感を抱いています。精神的には大打撃を受けています。こうなると人間の性格も変わるのです。悪い部分が拡大していくという感じです。ところが弁護士が夫とかかわるのは、事件後です。性格が変わった後だという意識を常に持つ必要があります。

だから夫から言葉で言われていたことに弁護士が従ってばかりいると、弁護士は責任は問われないかもしれませんが、本末転倒な結果になることがあります。子どもとの面会ができないという事実が固まってしまうということです。どこに夫の一番の目的があるかをよく話し合い、それが子どもとの交流や家族再生にあるというのであれば、依頼者の要求が逆効果になるということをしっかり告げるべきです。

また多少のしつこさは大目に見てほしいと思います。あなたが責められていると感じる必要もないことです。但し、あまりに理不尽な事態になったならば、元々はそういう人ではないとしても、弁護士の方がつぶれてしまうので、その時は関係を解消するという選択肢も残しておくことはむしろ必要だと思います。

4 成功事例にみる奪回方法

妻の奪回の方法は、宗教的洗脳の場合でも配偶者暴力相談の冤罪事例でも、原理は全く一緒です。

妻は迷いの程度は、放っておくと夫の元には戻らないという方向にだんだん固まっていくかもしれませんが、自覚をしていないとしても、基本的には配偶者暴力相談センターの言うことと夫との二つの秩序の間で揺れ動いているようです。夫から逃れたとしても、まだ、「夫にすべてを解決してほしい」という気持ちがみられることが多くあります。解決方法はともかく、「自分の苦しみを解決するのは、夫の責任だ」という意識に思えることが少なくありません。

それにもかかわらず、夫は自分が理不尽な攻撃を受け、精神的に大打撃を与えられたという意識がどうしても先行します。自分を守ることを優先してしまうのは生き物としては仕方がないことです。ここで夫が子どもを見ることができ、子どもとの時間が共有できたならば、子どものために頑張ろうという意識を持てるのでしょうけれど、子どもとは一切会えません。どうしても自分を守ろうという意識が優先してしまうことは無理のない自然な流れです。落とし穴がここにあるわけです。

さて、では、どうやって妻を奪回すればよいでしょうか。

最近少しずつ実績が上がってきました。家族再生が成功して妻子と同居を開始した人、妻との復縁は途上だけれど妻との合意の元で子どもとの同居がかなった事例、また、とても面会交流どころか近づけば警察を呼ばれて会話さえ不能だったけれど、調停の合意を拡張変更して子どもを宿泊付きで預かるようになった事例などのご報告をいただくようになってきています。

これ等の変化は、私が調停や裁判という代理人としての活動を終了した後の出来事も多くあります。それにもかかわらず、丁寧にメールや手紙で経過報告をいただくことがあり、大変感激しています。このような極めて善良で礼儀正しく生真面目な夫が、警察や配偶者暴力相談センターから妻を殺す危険があると言われていたのですから、私からすれば噴飯ものだという気持ちはご理解いただけると思います。

成功の秘訣を尋ねると、これまで私が家族再生支援のために書いたことを何度も読まれて自分をコントロールしたということに尽きるのですが、その中でもいくつかピックアップしてまとめをしてみようと思います。何年もかけて書いてきたことなので、どこにどのようなことが書いてあるのかわかりにくいと思いますし。

1)心構え1 相手を誘導することを第一方針とする
総論的心構えというレベルでは、「北風と太陽」と「捨身飢虎(棄身飢虎)」です。

北風と太陽の初出は北風と太陽の本当の意味、あるいは他人に対する優しさと厳しさの具体的意味:弁護士の机の上:SSブログ (ss-blog.jp)
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2015-05-18ですから7年近く前の記事ですね。要は、相手は意思を持った人間であるから、自分の結論を押し付けて実現しようとするのではなく、相手に自分の意思でその結論を出そうとするように誘導することが上策だということです。

危機感があり、焦りがある人は、正しいことだと思う結論を、相手の意思を無視して押し付けようとする傾向になるものです。これでは相手にとっては自分を支配しようとしていると感じてしまいます。相談所で言われたとおりだと感じるという罠にかかるわけです。この自分の気持ちを理性の力で押しとどめるということが頑張りどころです。そして自分が望む結論を相手も相手自身の結論だと思い込んで動くように誘導するよう策を練るわけです。結論に直線的な最短距離は無いと考えた方が良いです。もちろん難しいことです。家族再生を果たした人たちはそのような行動を、私が想定している以上にうまくやったということでしょう。
どんなにそれが正しくても合理的でも、他人に結論を押し付けるということは逆行になりやすいのです。

2)自分を守ろうとする本能を押しとどめる

「捨身飢虎(棄身飢虎)」とは、お釈迦様や聖徳太子(厩戸王)の言葉とされるもので、自分を守ることを止めるということです。守るのをやめるどころか、自らを飢えた虎の餌として差し出すような思い切った気持ちになって行動することによって、難しい局面を脱するという方法論です。これも生き物としての本能と矛盾することですから大変難しいことです。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という題でも書いています。
家族再生を目指すならば、調停でやっていけないこと、心構え(暫定版) 共感チャンネル2:弁護士の机の上:SSブログ (ss-blog.jp) https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2018-09-28

要するに自分が不利益になったとしても、妻の利益、妻の気持ちを考え、これを「尊重し倒す」というようなニュアンスです。夫婦問題に限らずどうも局面を打開できない場合は、局面を打開するために行うべきことと違うことを大事にしてしまっているということが人間にはあるようです。このために解決不能だと考えてしまいます。思い切って、それまで大切にしてしまったことを放り投げると活路が見いだせるという経験は、年配者ならば多くの方が体験していることだと思います。但し、自分を捨てるということを何度も自分に言い聞かせないといけません。つい自分を守るという本能に従ってしまうという難しさがあるからです。

調停などで弁護士が付いていれば、どのようにポージングすればよいかアドバイスをすることができます。その時は心にもない行為だとしても、それから墓場までその姿勢を貫いて家族が円満に同じ時間を送れるならばそれでよいのだろうと思います。そうやって学んでいくということでしょうか。心は後からついてくるものだと私は思います。

ところが、調停が終了した後の面会交流の実施とか、弁護士が入れない事情がある時に困難が増します。本当はここからが勝負だということなのですね。この点で成功した方々の特徴としては

第1に、夫側に被害者感情を持たない事情があったということです。
ある自分の行動と妻の逃亡の関係が理解できた場合です。夫に本当に多少問題行動があった方が、その後はうまくいくというのは皮肉です。
また、あまりにも妻の言動がおかしいため、妻の精神状態が尋常ではないと感じたこと。そして、まともに取り上げることをせずに、子どものためにじっくり、焦らずに結果に向けて誘導したという場合です。極端な例を言えば、妻が幼子を抱えて幼子の首にナイフを突きつけているとしましょう。子どもにナイフを突きつけることは間違ったことだし、不合理なことだ。だからやめるべきだと飛び込んでいって、それがきっかけとなり妻が子どもを刺したならば、全く本末転倒の状態となってしまうということと同じではないでしょうか。妻をなだめて安心させて、子どもからナイフを離させるという行動をとったということになるでしょう。

思い込みDVの場合は後者の心構えが理にかなっていて良いのだと思うのですが、自分の妻の行動が健全な自由意思によって行われていないと考えることもなかなか難しいことです。妻の精神状態のふり幅が大きい方がうまくいくというのも皮肉な話です。

第2に、自分の自然の感情がどういう風に動くかということを予め意識するということです。このために、そのような文章を何度も何度も繰り返し読んで自分を落ち着かせようと努力されたということは押しなべて報告をいただいています。自分の感情を否定するというよりも、人間はそのようなものだという理解をしようと繰り返し努力されているような印象があります。もしかしたらこの辺がコツかもしれません。

第3に、理不尽な現実を直視すること、合理性や正しさに基づいては、自分たちは誰からも手続きをしてもらえないということをきちんと理解しなくてはなりません。どうも、特に男性は「自分が正しければ誰かが自分を助けてくれるはずだ」という幻想を抱きたくなる生き物のようです。少なくとも裁判所は助けてくれないということを先輩方から学ぶべきです。つまり、自分が一人でやらなければならないことだということを意識されていたように感じます。

3)徹底した「大目に見る」という作戦で安心感を持ってもらう

子どもを連れ去る妻は、正義感、責任感が強く、道徳心が旺盛な人が多いようです。だから、面会交流調停が成立したら、決められたことはきちんと守ると言う人がほとんどでした(私の担当事例でも少数の例外あり。但し、間接面会交流というものは守られたためしなし。)。

要するに不安が強いために、秩序や権威を求める気持ちの強い人です。

これが災いして、何か妻が約束違反をすると、妻自身が自己の行為が正当であったという主張しなければないという気持ちになるようです。逆切れ状態というわけです。そこをすかさず(つまり逆切れをする前に)大目に見るメッセージを送るという行動をおっとがしたということが、家族再生に成功している人たちからは共通で報告を受けています。

その日の面会交流を怪しげな理由をつけて(おそらく嘘だと思うような言い訳で)断っても、「そういうこともあるよ。気にしなくてよいよ。この次お願いね。」というメッセージを出せた人は、どんどん面会交流の自由度が上がっていきました。

別の事例では、妻の洗脳が解け始めて、頭では家に戻るべきだと分かったけれど、気持ちが付いていけなくてまだ同居できない、ということに理解を示して、時が来るのを待つことができた人も家族再生に大きく舵を取っています。

それぞれ一生懸命理性を働かせて行動をされています。どうしても被害意識が強くなると、人は疑い深くなり悲観的になり、目の前のことしか考えられなくなるようです。一度面会の約束を破られると、夫としては、妻はもう二度と会わせたくないという強い気持ちがあるに違いないとか、敵意を感じるとか、自分がないがしろにされているという感情で一杯になってしまい、ここで大目に見れば将来的な被害拡大があると感じてしまい、「約束したことだから今日面会させろ、今日でなければ来週面会させろ」と強硬に出てしまうようです。これも人情だと思います。

しかし、子どもだって、月一回2時間の面会よりも、もっと自由に父親と会いたいに決まっています。今日のキャンセルをプラスにして、子どもと父親の共通の希望に向かいましょう。今ダメでも将来的に失地を回復してそれを恒常化させるという大きな目標を立てて、今回の不履行がそのためのステップだと考えられるかどうかが成功のカギということになります。人間ですから、母親もなんとなくおっくうになることはあります。それは、再生に向かっているあかしでもあるようです。本当はここが得難いチャンスなのです。「損して得取れ」ということは家族再生においても真理だと思います。

自分の約束違反を肯定されることによって妻は自分の弱さが肯定されたときちんと理解します。自分の弱さや失敗をカバーしてくれる存在は紛れもない仲間だという意識を持ちやすくなります。夫は実は安心できる存在だという新たな記憶が蓄積していくという効果を狙っているわけです。その反対に失敗が許されないという体験は、面会交流のたびごとに、数日前から緊張を高めてしまい、妻の精神状態がますます悪化することはよく理解しておいてください。合理性や正義を相手に追及しすぎると、相手の精神がおかしくなってしまうということは実際にあることなのです。

大事な考え方は、家族再生と「夫婦という秩序」を新たに二人で形成していくということだと思います。こういう相手の失敗を大目に見て、相手がフォローされる経験を重ねるうちに、夫(元夫)との人間関係が自分が安心できる人間関係で、その人間関係の秩序に貢献するべきかかということを少しずつ納得してもらうことになるはずです。これ「安心の記憶を蓄積させていく」と言います。

4)その他の安心の記憶づくり、感謝と謝罪

妻にとって自分の失敗、欠点、不十分点を嫌がらずにフォローしてくれることは大変ありがたいことです。風邪をひいて動けないときに、さっぱりしたイチゴなどを買ってきて食べさせてくれたり、熱さまシートを取り換えてくれたりしてもらうようなありがたさがあります。

さらに安心感づくりというのは、プラスの行動をしたときにプラスの評価をするということです。主要には感謝の気持ちをこまめに表すということです。これは多少形式的で構いません。男性は言葉に出すということを優先して考えるべきことです。

この場合の感謝というのはありがたいという気持ちを言葉にするのではありません。相手の行動を肯定して、繰り返しやすく誘導するという戦略です。夫には正直な人が多いものだから、感謝もしていないのに感謝の言葉を発することはできないと言う人がいます。子どもと会えないのは妻の勝手な行動ですから面会をするたびにありがとうと言うことは、間違っているというのです。

気持ちはわかるのですが、問題は新しい秩序を作るための行動だということを意識できるかどうかということです。感謝を示すということは相手の行動を肯定するということです。感謝されることによって、相手はどういう場合に自分の行動が肯定されるか学習していくのです。なんとなく敷居が低くなり、低くなった方向へ行動が流れやすくなるということは考えらえないでしょうか。これは自分を捨てるということができれば自然にできるようになることなのです。

夫婦という人間関係においても秩序はあります。人間関係の秩序はもちろん夫または妻が権威を持つということを意味します。しかし、どちらか一方だけが権威を持つということは逆に人間の群れの意識に反することです。ある時は妻が権威を持ち、ある時は夫が権威を持つという風に入れ替わることの方が自然な人間の営みだと考えています。そして、相手の権威を認める分野を広げていき、相手の権威を認めた場合は、相手の行動に文句を言わずにまず従う。その後に反省をするということがあっても良いとは思います。おそらくこれをどちらかが意識的に行うことによって、その夫婦はそういう秩序が形成されていくのだと思います。

謝罪というのは、日常的には、あまり重苦しくしない方が良いです。自分の行動の間違いを認めてそれを表明するということで考えて良いと思います。謝罪の目的をもう一つ付け加えるとした思いやりでしょうか。相手の感情を気遣っているよと言う表明と考えればよいのかもしれません。これも安心の材料としては有効です。

5)味方を増やす 敵を作らない
 
被害感情が強いと、悲観的になる、被害意識を持ちやすくなる、焦燥感が強まる、目の前のことしか考えられなくなるという特徴があると言いました。そうなっていても自分ではなかなかわからないものです。

基本的には今まで述べてきたことを、実践すれば何とか対処ができることも多くなるのですが、どうしても一人では気が付かないことが出てきます。自分を守ろうとどうしてもしてしまうのは人間である意味仕方がありません。自分がしている行動が家族再生の方向とは違う行動だということを指摘してもらう第三者が必要だということです。
そういう場合は自分に対して厳しい意見を言ってくれる味方を作ることが必要です。理想を言えば、調停に臨むときには、自分と代理人だけでなく、調停委員も自分の味方になってもらい、みんなで妻と妻の代理人を説得するという形が有利な陣形なのです。

中には初めから理由もなく夫に敵対的な調停委員もいます(特に男性が多い。)ので、その時は毅然とした対応をしなければなりませんが、それは代理人の弁護士に任せておけばよいと思います。

味方を増やすためには、攻撃的な感情を一切気取られないということが肝心です。人間は戦闘的な場を遠慮したい生き物のようです。無駄に相手を攻撃することは味方を減らすことにしかなりません。また、こちら側が有利に進んでいるのに、言わなくてもいいことを言って味方意識が減退するような行動はしてはなりません。全体的な流れは第三者である弁護士の判断に従うべきです。

さらに、思い通りに進みませんので、本能的な行動に出てしまうことがどうしても出てきてしまいます。誰に憤っているかわからない言動は、聞く側からすれば自分が攻撃されていると感じるものです。味方を増やしている延長線上に相手(妻)との相互理解があると考えた方がよいと思います。

自分の気持ちに寄り添って、自分のお願いをすべてかなえてくれるという人は逆に警戒した方が良いです。本当はそれをすることが、当初の目的に反することであっても依頼者に反対意見を言う面倒を行わないだけだという例が実に多いです。言いたいことを言うことが目的なのか、子どもとの共通の時間を過ごすこと、その延長線上の家族再生を目的にするのか、常に考えて行動する必要があります。

5 残念な注意事項

さて、ここまで長々と、話を進めてきました。その上で申し訳ないのですが、お断りをしなくてはなりません。
上記の方法が実践されれば家族再生に向かうということは、実例が増えてきたことは確かです。なかなかこれが実践できないためにせっかくのチャンスを自分で潰すという事例もあります。しかし、一方で、ある程度戦略通りに事を進めているにもかかわらず、病的に妻の気持ちが変わらないという事例も間違いなくあります(それでも時間の経過に伴って少しずつ改善されている例は多い)。その時々の間に入る人たち、調停委員、裁判官、こちら側代理人、相手方代理人、妻の家族等に影響されるということは残念ながら存在します。私から言わせてもらえば、関係者の意識が子の福祉が最優先になっていないということが最大の問題だと感じています。逆にこれらの人たちが味方になれば、案外あっけなく面会交流は軌道に乗るということが多いのです。こればかりは運が大きく左右するというべきかもしれません。

苦しい言い訳に聞こえると思いますが、それでも、妻の不安を解消する行動は、子どもとの面会交流に確実に良い影響を与えていることは間違いないと私は感じています。これまでの成功例、失敗例を見ていると、妻の不安を解消しようとする行動、妻を攻撃しない行動は子どもたちからは歓迎されているという実感があります。そもそも妻の、不安や焦燥感を抱く病気が発症したり、けがを負うこと自体が不運なことです。これまでの家族の生活の条件が全く変わってしまうこともありうることです。既に発生してしまった家族の問題を無かったことにしようとするより、その問題をできる限り小さくしていこうとする活動は、家族全体にとって利益がある活動であることは間違いないと思います。

それまで一緒に暮らしてお子さんとの毎日を共有していたにもかかわらず、突然それが当たり前ではなくなってしまうということは大変お辛いことです。それでもお子さんにとって、お父さんでなければできないことが必ずあります。案外子どもは、父親の悪口を聞かされ続けても、やがて父親と自由に時間を共有する日を楽しみにしている場合も多いことが事実です。被害感情を抑えて、悲観的な考え、被害的な考え、攻撃的な行動を控えることによって、父親は家族再生を目指し続けた、母親を安心させるように努力したという形を作ることは子どもにとってはとても貴重なことのようです。必ず家族を再生できると言えないことは、私もとてもつらいことです。それでも必ずしもうまくいくわけではないということははっきりとお話しするべきことだと思いますので、最後になりましたが、お話をしておかなければならないと思いました。


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