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国民を精神的に追い込んでいく、日本の学校というシステム 尾木ママを読んで考える。 [事務所生活]

最近やたら忙しい。
震災対応と、公的業務で、事務所にいる時間が少なく、
いれば、打ち合わせ、電話対応、文書作成を
ぎゅうぎゅう押し込めてやっている状態。
次の打ち合わせのお客さんを
待たせてしまっているので、
一つ終われば、間髪いれずに、さあ次という感じ。

しかし、
得てしてこういう場合は、
外の仕事は、あまり密度が濃いわけではなく、
電話が鳴るのを待っていたり、
往復4時間かけて移動をしていたり、
わりと時間があったりする。

ボーっとしていると焦ってくるので、
大好きな新書漁りにいそしむわけです。

今回は尾木ママこと尾木直樹氏の新書

「バカ親って言うな!-モンスターペアレントの謎」(角川oneテーマ21)

「教育破綻が日本を滅ぼす」(ベスト新書)

「子ども格差ー壊れるこどもと教育現場」(角川oneテーマ21)


GWに山形に言った時、テレビを見ていたら尾木ママが出てきて、
何を言うのかなと思ったら、
かなりまともな子育てのアドバイスをしていました。
それなのに、笑えてくるし、
ああ、ちゃんとした普通の先生だったんだなと
本があるなら読みたいなと思っていたら、

実は教育評論家で、私ん好きな新書を多数著しており、
その説明文書を読むと、あれあれ面白そうだと
3冊まとめて買っていたのでした。

上2冊は、アンケートが長くてちょっと飽きるところもあるけれど、
かなり、親近感が持てるし、後半彼?の持論は
迫力があって引き付けられます。

過労死弁護団で報告された学校の先生が
モンスターペアレントの対応などで自殺に追い込まれた事件等
かなり、同じテーマの別角度の研究をされているようで、
なんか身近に感じてしまいました。

モンスターペアレントにしても、
きちんと寄り添って、先ず言い分を聞くことが大事、
孤立感がモンスターペアレントを生む可能性も指摘され、
寄り添うことができれば、
むしろPTAなんかの中心になって活躍する可能性も
言及されています。

そうだよね、そうだよねと、
読んで行けました。

(私だって、どちらかというと子どもの環境を整えるためなら
学校に協力してお役にたちたいもの。
おそらく、潜在的モンスターと思われているんじゃないかしらん。)

それがなぜできないかということで、
評価主義の指摘と、教育委員会の問題が挙げられていました。

私も自分が担当した教師の過労死事件で、
現場の先生が、議会との対応文書の作成までやらされるということが、
どういうことなのか今一つ理解しきれませんでしたが、
教育委員会が議会で質問された時の対応のために、
学校現場から情報を集めていたということだとようやくわかった点もありました。

「子ども格差」は、自殺する子供、いじめる子供、犯罪を犯す子供
その学校、教育委員会側の要因が書かれていて、
アンケート調査の発表は無く、
全編迫力を感じながら一気に読み進めました。

一つ一つの事例で、思わず、アッと言ってしまったり、
顔をしかめてしまったり、
結構衝撃的でした。

要するに成果主義とは、
数字ですべてを表し、
数値に達するように目標をもたせる、
他人と競わせるわけです。
子どもも、学校も、先生も競わせるわけです。

そうすることによって、
学校も、数字を高めることが一義的な行動原理になり、

その象徴的なイベントである全国一斉学力テストで、
知的障害をもった子にテストを受けさせないとか、
事故があっても、カウントすることを恐れて隠すとか、
校長が全国一斉学力テストで、教室を見回り、
間違った回答をしているこどもの答案個所を指さしたり、
全国一斉学力テストが過去問が繰り返される傾向をみて、
過去問だけを繰り返し勉強させるということが
実際にあったわけです。

国民の血税50億円だかかけて、
こういうばかばかしいことが行われていたそうです。

その背景として、
学校の廃校、統合が進められていて、
その対象となったり、序列の劣位にされる恐怖から、
数値を上げようという強烈な動機づけを用意していたわけです

こういう校長に対する追込みを国が推進していたとのことです。
数字を上げるための効率主義をもつように追い込んでいたわけです。
数字がすべてだから、
数字化されていないところは無視するし、
いじめや自殺の負の数字は、
無かったことにして隠し通す。

これじゃあ、学力も上がらなければ、
もともとの教育の定義である「人格の向上」なんて
それは学校ではやっていませんということになってしまう。

子どもたちは、やる気や積極性まで、数字で評価され、
画一的な行動を強制されていくわけです。
無理が来るのは当たり前です。

テレビで民間校長を取り上げたドラマがあり、
すべてに反発しながらも、結局見てしまいました。
結構肯定的に民間校長を取り上げていましたが、

本当の民間校長導入のねらいは、
企業の効率主義、成果主義を、
学校という聖域に根付かせるところにあったと
実際の事件を担当して、尾木ママを読んで、
強く納得できました。

教育理論を勉強していない企業人が、
学校の先生より長けているのは
そりゃあ、数字による競争、
数字に関係しない「無駄」の排除ですからね。

子どもたちは、
常に学校の評価を気にして行動し、
常に誰かに数字で評価されることを意識し続けなければなりません。
そうしないと、就職を控えた高校生は、
3名の推薦枠、2名の推薦枠の校内選考で選ばれず、
正社員の採用の道が閉ざされてしまう。

だから見えないところでいじめを行うし、
絶対に真実は話さない。
先生も、その子の一生を決める数字を左右することだし
自分の数字にもかかわると思うと
いじめを見て見ぬふりをせざるを得ない。
そうさせられているわけです。
いじめのように見えるけど、
心理的にそれを否定して、
無かったことにしたくなる。

真実を認めてしまうと、非正規雇用の道しかない。
悪くするとフリーターが待っている。

国が学校を追い込む、
組合もなく、教師ではない役人あがりの校長が
あるいは民間企業出身の校長が、
追い込まれ慣れている校長が、教師を追い込む
評価対象の数字だけを、数字が上がればいいように追込み
負の数字は隠させる。

教師は、雑務に追われて、
対策を講じる気力もない極限まで疲れさせる
批判的精神も持てず、工夫もうみだす余裕などない。

生徒の数字は、自分の評価の数字となってしまう。
数字と関係ない所でがんばれば、指導力不足とされかねない。

そりゃあ、子供たちは追い込まれますわ。
心のバランスなんて取れません。

普通の国では、年齢が高まれば、
いじめを止める人数の割合が高まるそうですが、
日本では傍観者が増えるという統計もあるそうです。

そりゃあそうだ、
日本では、人格の向上を目的とした
教育というシステムを放棄しているんだから。

ポイントを拾う技術的な生き方を強制されているんだから。
ムチだけの調教ですわ。

生活に余裕がなく、正義を行おうとすると、
なんだこの野郎と足を引っ張られるのも、
お前だけいい格好するなと言われるのももっともだ。

ただ、成果主義の導入を積極的に推進した
小泉、竹中、安部晋三の政策は、
民主党政権によって、一定改善されたそうです。

しかし、これでは、
誰かに生かされている国民が大量製造されてしまう。
自分が自分の人生の主人公という感覚は持ちにくくなるだろうな。



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