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労働者の家族組合結成によって、過労死環境にさらされない権利の確立を [労災事件]

先日、専業主婦の方とお話しする機会があったのですが、
とてつもない衝撃を受けました。

例えて言うと
分厚いカーテンをジャックナイフで切り裂かれて
まばゆい光がそこから一斉に差し込んできて
既に朝が来ていたことを知らされたような感じでした。

どんなお話かというと
自分の夫の働く環境が悪い、
家族との時間もろくにないのに
帰ってくるとイライラしている
働きすぎも心配だけど
家庭もぎすぎすしてくる。

夫に話しても取り合ってくれないし
労働組合も役に立たず、
かえって
文句を言った従業員を中止する始末。

こうなれば、私たち妻たちが
労働組合を作って
会社に申し入れるしかないのではないか

大体こういうお話でした。

これは、解説が必要だと思います。

第1に、過労死防止というのは、
死ななければよいのではないということです。

当たり前のことかもしれませんが、
ここはもっと強調されるべきです。

死なないまでも、
自分の健康を悪くしていたり、
毎日精神的に追い込まれているかもしれません。
死にそうな毎日、職場環境の中で、
無くなられた人は、
案外運が悪いだけ、
(その時の気温とか、風邪を引くなど体調が悪いとか
 体調によって寝付けなかったり
 食事の問題があったりとか)
逆に言うと、
無くならなかった人が運が良かっただけ
ということがありそうです。

大事なことは、
このような運まかせで
肝心の過労死環境を放置しては、
無くなる人が減らないということです。

また、死ななければよいってもんじゃないということは
死ななくても、
健康や精神面で、苦しい毎日を送っている人がいるってことです。
死なないからって感謝するわけにはいかないということです。

第2に、過労死環境は
労働者本人の心身の健康を蝕むだけでなく、
配偶者や子、親など家族に悪影響を与えているということです。

金があって衣食住が足りていれば良いってもんじゃないわけです。
そもそも、働くために家政婦を雇ったのか
家族と人生を楽しく過ごすために働くのか
その回答が怪しくなっていると思います。
人間の人生において、
家族がいかにかけがえのないシステムなのか
全く顧みられていないように思われます。

労働者が、過労死環境にさらされてないことは
家族の権利でもあるわけです。

第3に、労働者はいわば洗脳されており、
自分たちが過労死環境にさらされているという自覚がありません。

残業当たり前、残業手当がつかないのが当たり前、
休日出勤当たり前、
ノルマが達成できなければ家に持ちかえるのも当たり前、
同僚と仕事以外の会話をしないのが社会人
会議の時も無駄口は叩かず、否定するなら対案を出すのが当たり前、
取引相手の気分感情よりマニュアルに従うのが当たり前
自分より弱い者は、多少悪どい方法でも
情けをかけないことが当たり前
下請や非正規雇用は、安くたたいて当たり前
人格を否定するような叱責も指導。
会社の経営が上向かなければ
リストラ解雇も当たり前。

それに反することを言おうものなら
「甘い」と叱責されるわけです。

私から言わせれば
会社ということで労働者に甘え過ぎだ
としか思えません。

会社の中だけで通用するような話を
(本来それも間違っていると思いますが)
家庭や友人関係、社会の中でも
堂々と主張したりするわけです。
上司から厳しく指導されたように
得々と語るわけです。

人間は、仲間の役に立ちたいという
本能的な要求があります。
そのために命を投げ打つこともあります。

この、ヒューマニズム本能ともいうものを
会社は、利益追求のために借用しているわけです。
それを利用されている自覚がないから、
自分たちが、
本来さらされてはならない過労死環境にさらされていることを
自覚できないのです。

だから、専業主婦は、夫の過労死環境を
自らの手で改善するしかないということになります。

第4に、労働組合がないか役に立たないことが多い

どんなにまじめな労働組合でも
自分たちの働く環境を優先するわけではないようです。

安全保障法制は反対しても
自分たちの過労死環境を、人間として当然な職場環境に変える
という取り組みを熱心にしているのか疑問がある組合もあります。

そうすると、
自分で過労死環境に気が付いた人が一人で改善を求めても
職場の中に居づらくなるだけで
改善にはつながらないということも多いでしょう。

家族が乗り込むということは結構あるのですが、
改善されたケースとされないケースは半々くらいですね。

あいつのかみさんはということで
浮いてしまうことはよくあることです。

そうだとすると家族は団結しなければなりません。

第5に、もしかするとこれが一番大きいかもしれませんが、
家族が団結するということです。

今の世の中、フェミニズムというと
やれ、家事参加はだめだとか、
手伝うという言葉は何事だとか、
ともすれば、女性の敵は夫だというような
印象を受ける主張が多くあります。

しかし、根本の家族の分断を勧めるような主張は
男も女も孤立させ、
何よりも子どもたちの健全な成長が阻害されます。

私がインドアフェミニズムと批判する次第です。

フェミニズムの出発は、
社会の不合理不平等を
女性の視点からえぐり出して批判し、
改善していくところにあるはずです。

このような男女の対立は、
過労死環境と言う
人間の根本を阻害する不合理を
助長させるだけです。

家族の中で、「自分」と「相手」を対立させるのではなく
「自分たち」の幸せを阻害する環境を改善していく
ということが画期的だと思うのです。

家庭の中で犯人を探す必要がないことが多いのです。

第6 労働者の家族組合の活動対象
とは言いつつ、家族が何でもかんでも
職場に口を出すわけにはいかないでしょう。
また、口を出す必要もないのです。

人が人間扱いされていないことがあれば
それを改善してもらえばよいのです。

36協定も防災の必要もなく残業をさせることは
そもそも刑罰の対象として法律で禁止されていますし、
割増賃金を支払わないことも
同様に刑罰を持って禁止されています。

このような刑罰で禁止されていることをやっている場合
役所や裁判所を待ってはいられませんので
労働者の家族組合が団体交渉を行うというのは合理的でしょう。

また、危険業務に、安全対策もなしにやらなければならない
というのも、人間性を尊重していません。

理由もなく、人間を衆人環視の中で長時間叱責するということも
時と場合によっては殺人行為だと思います。
名誉棄損や侮辱にわたる言動もだめでしょう。

要するに、人間として尊重されていない扱いがだめなのです。

こんな人権侵害行為を放置する企業は
外部の力で、改善しなければならないのです。

職場内の人権侵害があるところには
労働者の家族組合が介入する必要があるようです。

労働者の家族組合は企業別にする必要はありません。
産業別に分ける必要すらないでしょう。
職場内の人間が尊重されない事情があれば、
すかさず団体交渉を申し入れることになるでしょう。

第7 労働者の家族組合は権利か?

現在は権利ではないかもしれません。
しかし、これが人間が人間として生きていくために必要なら
権利として認められるべきだと思います。

そもそも権利というのは、
誰かが善意で与えるものではありません。
もともと労働者の団結権も
国が警察などで弾圧してきたものを
労働者の正当性の確信から
憲法上の権利となったわけです。

団体交渉に関しては国の助成も
制度化されているようになったほどです。

当事者が、自分たちの行動は正しい
国も認めるべきだ
ということから権利になるわけです。

もっとも、
私一人がいきり立ったって権利にはなりません。

ただ、これはそう遠くない将来、
権利として認められるようになる
というような気がします。

全く正しいのではないかということを
開設したつもりなのでしょうがいかがでしょうか。



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