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何もしないのが怖い、何かしないと不安になる、気が付くと何かしている症候群の考察 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

先日、過労自死や
うつ病になりかかるときの
回復するための一つの有効な方法として、
「何もしない時間」を紹介しました。

おそらく飲酒をしてもだめだと思います。

そうすることによって、
客観的な自分の変調を自覚できるようになる
ということがあるようなのです。
自分の置かれている状況が、
理不尽であり、努力してもしょうがない
離脱することこそ正解だという
考えにたどり着くことができる条件のようなものかもしれません。

ところが、まとまった期間会社を休むどころか、
何もしない時間があることで不安になり、
何かしなければいけないということで、
やることをわざわざ探して何かをしている
ということが、私だけでなく、
世の中一般的にもあるのではないかと
にらみはじめたわけです。

休日に家でぼーっとしていると、
部屋の片づけをしなければならないのではないかとか
誰かに叱られるのではないかと落ち着かなくなったり、

じっとバスの窓から風景を見ていられなくなり、
スマホをいじりだしてみたりとか、
歩いていても、風景を楽しむことがなく
スマホに手が行ってしまったりとかですね。

昼休みだって、
誰かと一緒にいなければいけない状況だったり、
一人でいると不安になったり
ということがあるようです。

旅をしても、行き当たりばったりというのが許せなくて、
綿密にスケジュールを立てて、
予定消化に全力を挙げてみたりとか。


これでは、自分と向き合うことができません。
落ち着くということができないわけです。

実際は、何もしていないときの方が脳が活発に活動しており、
何かしていると、複雑な思考をする脳の部分が
停止ないし低下していたりする可能性もあるのです。

このような「あそび」がないと集中ができなくなり、
そのことの先を推測するというクリエイティブな作業をするための思考が
回りにくくなるという可能性です。

どこからくるのか。

一つにインターネットやパソコンという環境があるため
何かをすることが容易であり、
何かをすることをあきらめることができにくいということがあるようです。

メールなどで、四六時中いろんな人から
結局用事を言い渡されると、
メールを見ないと不安になるということもあるかもしれません。

用事がたまっていってしまったりしますね。
こちらの都合を聞かないで、
都合の良いときになんて言っても
いつも心に引っかかっているわけです。

このメールって、
一体、誰がどのようなコンセンサスで使っているか
不明であるうえ、
なんか、メールに返信を義務付ける風潮があるのですが、
たまに来る手紙に返信を書かなければ失礼かもしれませんが、
むやみやたらとくるメールにいちいち返信しなければならない
というと、本当にパンクしてしまいます。

携帯電話というのも
おそらく、何もしないことを許さないと思います。
ラインとかメッセージもそうなのでしょうが、
家族団らんの、何もしない時間を奪っていいということはないはずです。
その時間に大きな価値があると思うので
極端に言えば、ノイローゼにする要因になるものです。

世の中の風潮で、SNS等の「ちょっといい話」で、
要領よくふるまうこと、効率よくふるまうことが称賛されます。
全然感心しない話でも
やらせなのでしょう、絶賛のコメントが寄せられますが、
これも、ある種の洗脳だと気を付けるべきだと思います。

昼休みはぼーっとする。
通勤、通学は、歩くこと、その時その時のかけがえのない風景
一生に一度の日の天気や気温などをぼーっと感じること。
勤務時間以外のメールなどは開かない。
携帯電話には出ない。どこかにしまっておく。
休日は、のんびり過ごす。
食事の時は、他に何かをしない。近くに仕事道具を置かない。

徹底安息を戒律で定めた宗教を作る必要があるように思われます。

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