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精神的成熟とはなにか。家族の在り方に照らして考えてみる。 [家事]

医学雑誌の特集等を見ていると、
会社に調和できずに、出社できなくなるような事例では、
その労働者の精神的未成熟が問題とされているようです。

しかし、私は、労災事件を担当していて、
労働者から話を聞くと、
なんぼなんでもその上司はだめでしょう。
という感想を持ってしまいます。

精神的未成熟なのは、労働者ではなく、上司の方
あるいは会社の方ではないかとつい思ってしまいます。

もちろんケースバイケースということはあると思います。
労働者側が極端に精神的に大人になり切れなくて
社会の最低限度のルールも守れないというような場合です。

でも、そういう未成熟な精神状態なら、採用面接でわかるはずです。
わかっていれば本来採用しなかったのではないかという疑問も生じます。
そのための採用面接ではないかと。

さて、
そこで言う精神的な成熟とか、未熟ということですが、
これはどういうことでしょう。

例えば、15歳くらいになると自我が芽生えると言います。
自我が芽生えなければ精神的に成熟していないということになるのでしょうか。

自我とは、要するに自分と他人とを区別するということです。

自我が芽生えない最たるものは赤ん坊ですね。

赤ん坊は自分と他人の区別がつきませんから、
排泄の不快さや、空腹のひもじい思い、
暑い寒い等々
相手に、自分の要求を押し付けてきます。

もっとも、親も、通常は、面倒を見ること自体はうれしいので、
要求が押し付けられたという風に感じることはありません。

客観的に見れば、
赤ん坊は不快を取り除くなどの結論を要求するだけです。
自分の感情だけを優先するということになります。

自分と他人の区別ということの、
精神的な観点からの意味あいはそういうことでしょう。

精神的に成熟していくとどうなるでしょう。

自分と親は別の人間だということになり、

例えば
自分としては、このゲーム機を買ってもらいたいが、
親の経済的な事情もあるので、
要求を控えた方が良いのではないかとか。

勉強に差し障ると思って買ってもらえないのではないかと思えば、
試験勉強を頑張ってみたりするわけです。

結論をただ押し付けるのではなく、
相手の意思に働きかけて、結論を誘導することが
結論にたどり着くためには必要であるということを理解します。


精神的に未熟であれば、
買って、買ってと泣くだけなわけです。

ところで、精神的に成熟する必要性とはどこにあるのでしょうか。

おそらく、主として親の庇護から離れた社会活動をするために、
働くとか、学ぶとかですね。
他者と調和して存在するためなのではないかと思われます。

自分の要求だけで、
他人の迷惑を考えることができなければ、
社会の中で孤立していく可能性が高くなります。

また、精神的成熟がなければ
結婚もできないでしょう。

問題はここなんです。

家庭の中で、
相手に要求するのは良いのです。
現状に甘んじないで、よりよい人生を歩もうと
努力している二人は尊敬できます。

問題は、おそらく要求の仕方と要求事項なのだと思います。

結果だけを求めるという要求の仕方は問題があるのでしょう。

もっと小遣いよこせとか
もっと給料入れろとか、
もっと家にいろとか、

要求自体が間違っていないとしても、
相手の感情を全く無視して結果だけ要求するというのは、
もしかすると、赤ん坊と同じ程度の
精神的成熟度なのかもしれません。

言われた方の気持ちを考えて、
相手を思いやったうえで、
相手を不快にさせたり、困惑させたり、怒らせないで
結論に誘導する
というのが精神的に成熟した大人のやり方なのでしょう。

要求事項にも精神的成熟度が関係することがありそうです。
もっと家にいる時間を長くしろ
一見もっともですが、
およそ一人の外出を許さない状況だとやりすぎですね。

自分が外で過ごしても文句を言うな
ということに関しても、
家族をほったらかして、自分の生命維持に必要な
食事や睡眠以外は不在にする
ということも極端ですよね。

自分が何かをしないことが
家族をどのような思いにするか
考えようとしないということは
精神的に未成熟ということなのだと思います。


良く見られるのは、
自分は正しいはずだという想いが強いと
相手がそれによってどのように考えるか
という視点が欠落してしまうということです。

例えば、妻(どっちでもよいけど)が、段取りが悪くて
荷物を取りに行くのが遅くなり、
子どもの食事が少々遅くなったとします。

いろいろな夫がいますよね。
段取りが悪いことを怒鳴る人
ねちねち文句をいう人
上から目線で教育的さとしをする人
罰を与えようとする人。

この時、効率だったり、合理性だったりに
重きを置いてしまい、
妻の感情を考えることをしなくなるとすると、

妻という家族の仲間の感情よりも
合理性、効率ということを優先することになってしまう、
ということに気が付かないことが多くあるようです。

さらに、子どもの前でそれらをやってしまうと
妻の面目もつぶれてしまいます。

妻と夫と逆のパターンももちろんあります。

ついつい、うっかり洗面所を水浸しにしてしまい、
急ぎの用事のため洗面所から一時的に離れたところを
たまたま妻は洗面所に通りかかるようにできていて
水浸しで出て行ったことを怒るわけです。

どうしたの?と聞くことは、実際は大変難しく、
自分に後始末しろと言っているのかしらと
つい思ってしまい、
相手の気持ちを考えずに感情を爆発させたりすることがあります。
何回も言っているじゃないの。

「汚した人が後始末するべきだ。」
という絶対的真理を旗印に
相手を責めるわけです。

それはそれで正しい。

問題は、その絶対的真理と
夫の居心地の悪さの
どちらを優先するかという問題だとおもうのです。

結局、自分が損をしたくないという気持ちが
家庭の中でも起きてしまうと
家庭がぎすぎすしたものになってしまいます。

意外にも
多くの人たちが、
正しさや合理性を我慢して、
相手を責めない、
やれやれとか思いながら、
我慢している人たちが多くいます。

もしかすると、
この人たちの精神的成熟度は高いのかもしれません。

少なくとも、
自分が常に馬鹿にされているのではないかとおびえながら
相手の些細な言動に文句をつけて
相手を日々、心理的に圧迫し、
そしてそれに気が付かない人たちより、
精神的成熟度は高いのかもしれません。

もう一つ、
精神的に未熟な人は、
自分の感情が最優先です。
ということは、
二人の間に不具合があっても、
自分が悪いのではないかという発想に立つことはありません。
自分の行動を修正して、相手との仲を
良好なものにしようという発想がありません。

今の不具合を自分以外の、相手に原因を求めます。
あるいは、相手を応援したり、肯定したりする人たちに
原因を求めます。

決して解決する方法の無い泥沼で苦しんでしまうわけです。

そして、全く関係のない人に
わずかな関連をよすがに
極端な話、男だから、女だからというくらいの関連で
攻撃したり、不満をぶつけたりするわけです。

こう考えていくと、
精神的成熟を求めていくことは、
自分が無駄に傷つかず、
みんなが幸せになるための
人間が身につけるべきものなのかもしれません。

少なくとも、合理性や効率を追及するよりも
大切なことだと思います。

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