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心の折れない方法は過労死させる方法かも。逃げても良いんだという選択肢こそ有効 [労災事件]

「心が折れない方法」が大流行です。

しかし、この考えは、大変危険で、
むしろ、過労死を出す危険があります。

言葉のまやかしの典型例です。

「心」という実態はありません。
心というのは、その人の環境に対応した
脳を中心とした体の反応です。

「心が折れる」というのも
何か心という実態が傷つくのではなく
環境が過酷である為、
これ以上頑張れないという状態で
反応すらできないという状態です。

これ以上頑張れないのですから
休むしかないし、休めばいいわけです。

あるいは
過酷な環境から離脱すればよいわけです。

レジリエンス等と言う言葉は、
少なくない割合で、
会社の業績が悪くなっても
心を折らないで頑張りきる
という文脈で使われる危険があります。

過酷な労働状況を放置して
なおも頑張れという文脈なわけです。

もっと創意工夫をして頑張れと
今までやったことのない試みをしろと
頑張りの最後の一滴まで会社に奉仕しろという
文脈で使われていることを
冷静に見極めるべきです。

過労死をする人たちは
この要請にこたえてしまう人たちです。
まじめで、責任感が強いのですが、
強すぎるわけです。

環境が過酷だけれど、
自分がここで逃げてしまっては
会社全体がうまくゆかなくなる。
途中で投げ出してしまうと
自分もだめになりそうだ
そういう考えが身についている人たちです。

自分や自分の家族のために
途中で投げ出すという選択肢こそ
そういう人たちには必要です。

心が折れるような環境を改善することが
全うな人間のやるべきことです。

また、自分の限界が来たなら、
それ以上前に進まないということこそ、
動物として自然であるわけです。

それにもかかわらず進むことに、
何か理由があるのでしょうか。
例えば自分の家族を助けるためであれば、
自分が倒れても、傷ついても私は応援するでしょう。

しかし、そこで、仕事をやめないで過労死するより、
仕事をやめて、
生活条件が低下しても
生き続けることの方が
家族を不幸にしないことです。

何百人という過労死遺族を見ていて
強く実感します。

今吉少し不自由かけることの方が
家族を亡くして苦しむことよりも
家族にとってはプラスのお釣りにあふれています。

強い心というのは、
過酷な環境でも頑張るという無茶な心ではなく、
一度逃げても、したたかに這い上がる心です。
負けることを受け入れる心です。

自分と家族の将来的展望を冷静に持つことができて、
合理的な交代を選択できる勇気を持つこと
そういうことだと思います。

逃げる選択肢を提起しないレジリエンスなんていうのは
大変危険な洗脳だと思います。

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