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自閉症の優位性から見た現代の日本社会、企業が停滞している原因 「自閉症の世界」ブルーバックス感想文5 [事務所生活]

自閉症ばかりをとりあげていると、
どうやら本当にキリがなくなりそうなので、
中間まとめをして、離れることとします。

<自閉症の優位性1 理解できないことは行動原理にならない。>

例えば、いわゆる普通の人は、
「空気を読む」ということをして、
大勢の意見に従って行動をすることができます。
自分はよく理解できていないのに、
みんながこうだからと言って「右ならえ」ができるのです。

自閉症の人も「空気を読む」ことはできるようなのですが、
それに従うことができないということが多いようです。
分からなくても「とりあえず協調」することができない
協調を拒否する閾値が低いともいえるでしょうし、
協調の閾値が高いともいえるでしょう。

こういう人がふさわしい職業としては、
法律家、特に裁判官ということになるようです。
事件の本質を見て、納得のゆく判断をする
決して事件とは関係のない
上司の考えとか、出世とか
内閣の意向とかを関係なく判断をするのは、
空気を読まない人がふさわしいと思います。

物理、化学、数学などの研究も
見返りを求めるとどうしても、真理から遠ざかるので、
自閉症の傾向のある人がうってつけということになります。

実は、江戸時代までに日本でも和算という学問があり、
例えば三角形や四角形の中に納まる複数の円の直径の算出を
漢数字で計算して、
問題が解けたということで、
絵馬に書いて神社に奉納していたそうです。
世間の評価や物質的な見返りのためにしていたのではなく、
真理の探求だけが目的だったということになります。
まさに神にわかってもらえばそれで十分
という神との対話に喜びを得ていたのかもしれません。

和算は、中には棚田(たなだ)の設計が三角関数の理解を前提としていたといわれるように、
実務に応用していた節もあるようです。

電化製品や自動車など、
人が思いつかない発明をするのも、
見返りを求める体制で行っているのであれば、
単なる偶然を待っていることと同じだと思います。

今の日本が、江戸時代と比べても
そういった独創性に乏しく、経済が苦戦しているのも、
無駄に上司に協調することを求め過ぎた結果ではないか
というのは言い過ぎなのでしょうか。

そして、昔は、いわゆる普通の人が理解できない人も
「変わり者」という社会の中にポジションがあった
という側面もあるように思うのですが、どうでしょう。

考えてみれば、江戸時代の職人の
徒弟制度というのは、
まさに自閉症者が、
一人の人格主体として尊重されるためには
極めて有効な制度だったのかもしれません。

いずれにしても現代日本は、
それまでの歴史の中で重用されていた自閉症傾向のある人を
社会や企業が受け入れなくなった、
重要視しなくなったのではないか
それが衰退の原因であり、
これを是正しなければ、復活はあり得ないのではないか
とにらんでいるところです。

そういう意味ではこのブログも自閉症的だと
胸を張って言いたいところです。


<自閉症の優位性2 見過ごさない>

これは自閉症の人がみんなそうだというのは少し酷でして
処理能力が突出して長けた人ということになります。

自閉症の人は、感じたままに音、映像を認識します。
これまでも言ってきましたので、
ざっくりと言いますと。

いわゆる普通の人たちは、
音にしても意識しないで、要、不要を区別し、
不要な音を意識の外に追いやってしまうのです。
自閉症の人は、
すべてが聞こえてしまうので、
肝心の話し相手の声が相対的に聞こえにくくなる
ということらしいのです。

映像も、スーパーなんかも色の洪水になってしまって、
すべてを意識せざるを得なくなっているようです。

ここで、「感覚」についての補足ですが、
なぜ感覚があるかというと、主として
危険を察知して、危険を回避するためにあるわけです。

いわゆる普通の人が、神経を集中するべきか否かを
無意識に判断しているのは、
その他の音は、危険が無い(対応する必要が無い)と
無意識に判断していることになります。
でもそれが本当に正しいのか、対応する必要が無いのか
については、実際はよくわかりません。
むしろ、相手との話に夢中であったばかりに
危険に気が付かなかったということを
思い当たる人もいらっしゃると思います。

あまりにも多くの音が聞こえてしまうので、
すべてに意識を向けなければならないので、
かなり疲れてしまうことなのですが、
中には超人的な人がいて、
すべての音を聞き分ける人もいるとすれば
例えば聖徳太子ということでしょうね。

聖徳太子のエピソードから逆に考えてみれば、
一度にたくさんの音が聞こえてしまうということは、
複数の人から同時に話しかけられて、
回答をしなければならない状態というと
わかりやすいかもしれません。

聖徳太子なら良いでしょうが。

もう一段階脱線すると、
これらの音がすべて聞こえても、
それをありのままに受け止めて、
いちいち反応をしない、
危険対応という感覚の機能を
意識的に放棄するということが
「禅」ということになるかもしれません。
体を「無意識」=人体という生理的メカニズムに解放してあげるということかもしれません。

もちろん、もしかしたらということですが。


意識の外におかないということで
ふさわしい職業が、点検ということになります。
精密機械の最終点検ということもあるのですが、
会計もそのひとつかもしれません。


もし、同時多発的な感覚があっても、
それを処理することができれば、
侵襲に気が付きやすいということにもなるのかも
しれません。


自閉症の優位性の小まとめ

価値観の問題ですが、
自閉症傾向のある人だけだと、
組織ががたがたといびつな動き方をするのかもしれません。
簡単に言うと生産性というかスピード感が阻害される
というデメリットがあるでしょう。

ただ、生産性やスピード感だけが正しいこととして
重視され過ぎてはいないでしょうか。

わかりやすく(と思うのですが)たとえ話をすると、
「東京から盛岡まで移動する。」という場合、
早く盛岡に到達することに価値を置くなら新幹線に乗っていく
ということが正しいわけです。

しかし、
桜の開花状況を確認しながら行くとか
地酒の違いを鑑賞する
方言の違いを聴き比べてみる
というのであれば、
各駅停車で行くとか、路線バスの旅が正しいわけです。

どこかの企業や社会の現段階が
「既定路線を維持するだけで、
これから数十年間安泰が約束されている」
というのならば新幹線で行けばよいですが、
そんな企業なんて一つもないと思います。

新幹線と各駅停車を併用する
ということが、
今の世の中求められているはずなのです。

極めて精緻な仕事をしたり、
独創的なアイデアを出したりするためには、
自閉症傾向のある人を採用したり、
敢えて自閉症傾向のスタイルにする必要があり、
そのためのデメリットに目をつぶるということが
どうしても必要だと思います。

メリットデメリットを
いかに要領よく組み合わせるかということが肝要です。

適材適所ということですね。

現代は、
歩留まりを極力減らす、経費を減らす
という内向きの戦略が流行しているようです。

上に立つ人が、自分の地位に自信がなく、
汲々(きゅうきゅう)としている場合、
自分の理解の範囲内で組織が動くことを求めてしまうようです。
その結果、組織全体が平板化して、
悪く言えば、クローンばかりになってしまう。
個性をなくすことをしているくせに
今の若い者は個性がないなんて笑えないことを
言っている人もいるかもしれません。

何よりも、クローンの一番のデメリットは
一つだめになれば、
あっという間に全体がだめになってしまう
という恐ろしいことになることです。

もしかしたら、保険の掛け金を惜しんでかけないで
後は野となれ山となれという状態なのかもしれません。



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