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How to love our enemies 汝の敵の愛し方 [自死(自殺)・不明死、葛藤]



前回の記事では、
敵とは、
自分の仲間の中における自分の立場を危うくする存在
と定義しました。

愛そうとするだけで、
交感神経のある程度の低下を期待できるので、
それだけでも役に立つ思考技術だとも言いました。

しかし、敵を愛するということは簡単なことではありません。

もう一つ、愛する意味について考える必要がありそうです。

日常的に愛するという言葉は、
「気が付いていたらいつの間にか好きになっていた」
というような自発的な感情として語られると思います。

しかし、敵は、
自分の人間関係を危うくする存在ですから、
けがをさせられたり、命を脅かされることと同じで、
生き物として、
好ましい感情が自然にわいてくるということはありえません。
生き物の特徴である
生きようとする意欲を持つことは、
生きるための障害を取り除こうとすることこそ自然な感情です。

その障害を好ましいと思うことは、
むしろ不道徳なことだと思います。

おそらく、キリストの説く愛、アガペーは、
そのような自然な自発的感情ではなく、
能動的な行為であると思います。
愛とは、努力を伴う思考作業だと思います。

最低限の条件として、
相手の存在を否定しないことになるのではないでしょうか。

愛とは、相手が人間として存在することを
承認することが出発点だと思います。

ここで、大人の思考、合理的思考として
行わなければならないことがあります。

敵だと思う相手は、
自分と独立して存在するのだということです。

相手から嫌な思いをさせられると、
ついつい、自分と相手の関係性だけで
相手が存在するように考えてしまいます。
相手が自分に嫌な思いをさせる理由を
自分の存在や自分と相手の関係性に求めてしまうのです。

敵である相手が自分から独立して存在するという考えは、
相手の自分に対する敵対行為は、
先ず、相手自身の状態の反映かもしれない
と考えることができます。

何か、別に理由があるのではないか
と考えることを提案します。

特に、相手の自分に対する妨害行動が
怒りや憎しみを伴っている場合は、
相手が何らかの不安を抱いている場合です。

先ず、自分の存在を脅かす出来事を感じた場合、
人間に限らず多くの動物は、
不安を感じます。

その次に、不安の解消可能性の主観的判断に応じて、
怒り、
憎悪、
恐怖、
絶望

不安解消方法を実行できる場合、
怒りを感じ、不安の原因を攻撃することによって
不安を解消しようとします。

直ちに不安の原因を除去できなくても
いずれ攻撃によって不安を解消できるかもしれない
と思うと憎悪を感じます。

自分の力では不安を解消できない、
不安から逃げなければならない場合は
恐怖を感じます。

逃げることもできない場合は
絶望を感じるほかありません。

怒りの特徴の一つが、
根本的な不安に怒りが向かわないということがあります。
怒りの根本的原因は、
国家だったり、社会だったり、会社だったり制度だったり、
とても太刀打ちできないことが多いからです。

大雑把に言って、
怒りの80%以上は八つ当たりではないかと感じています。

例えば、あなたが道を歩いていて肩がぶつかり、
相手からにらまれたとしても、
彼の根本的不安は、
貴方がよけなかったことではなく、
上司が自分を公平に見てくれないことだったり、
自分の妻が言いがかりみたいなことで喧嘩を売ってきたことだったり、
再就職先が見つからないことだったりします。

自分が、他人から大事にされていない
だから、あなたと肩がぶつかったことも、
貴方という不特定多数人の一人が
やはり自分を尊重していないと
自分は馬鹿にされる存在だと
勝手にいじけていることの反映である可能性があるわけです。

怒りは、このように、
それ自体では、何かが解決しないどころか
ますます自分を窮地に追い詰めることもあります。

でも、
怒っているとき、誰かを攻撃しているとき、
一時的に不安が解消ないし緩和されるので、
追い込まれている人ほど怒りやすくなるものです。

さて、
他人の怒りと出会ったならば
最初に行うことは、
その人は、あなたにとって大切にするべき人間関係にある人か否か
という判断をすることです。

道で肩がぶつかったような人であれば、
何ら大切にするべき人ではないので、
貴方はこの人との関係が悪くなる心配をする必要がありません。
早急にこの人との関係を切り、その場から離脱することを目指しましょう。

やるべきことは形式的なことです。
謝罪をするなど、
敵意のないこと、ぶつかる意図がなかったことを示しましょう。
これを誠実に行うことがエチケットというやつです。

それでも相手がグダグダいうようだったら、
誰かに助けを求め、
相手に勝てると思わせない工夫をすることです。
つまり、誰かに助けを求めるということです。

次に、敵だと思う相手が
継続的な人間関係を作らなければならない人である場合です。

この場合でも、特に家族以外であれば、
最終的には、人間関係から離脱をする選択肢もある
ということを意識することは大切です。

しかし、第1次的には、
相手の不安の根源を見極めることでしょう。
相手と自分の関係の文脈で事態を理解しようとしないで、
先ずは、相手には何らかの不安があり、
その不安を解消しようとしているという
上から目線で全体を見る
という思考作業が有効だと思います。

それから先は、先の事例と共通します。
即ち孤立しないこと。
仲間に相談することです。
どうしても自分は、相手の悪意を感じると
自分を守ろうとしますから、
自分と相手の関係に原因を求めようとします。
だから、危険意識を感じない第三者の
視点を利用するということです。

だから、その相談相手は、
相手との対立をあおるような人は失格です。

そうして、相手に敵意のないことを示します。
挨拶というものはそういうものです。
返事を返さなくても
堂々と挨拶を続けること、
そうしながら自分の仲間を増やすことです。

仲間は、その現場になくてもかまいません。
一番有効な仲間は家庭にいます。
家族を大切にするということは、
とても大切なことなのです。

ただ、それでも解決しない場合は、
専門家の視点を導入する必要があります。

この時、現段階では、職業はあまりあてになりません。
職場や学校等トラブルの専門家でなくてはなりません。

問題は、家族の中に敵がいると感じる場合です。

しかし、基本的な作業は同じです。
先ず、相手が何について不安を感じているのか、
それは解消するべきなのか、
その人間関係を断ち切ることを決断するべきなのか、
一緒に考えることです。

そうして、自分は敵意がないということを示すことです。

家族以外の第三者が、
相手に働きかけて
自分に対する怒りの感情を作り出している場合があります。

その作り出された怒りを抱いた相手に
こちらも怒りを向けては
解決しなくなります。

怒りを作り出した相手が誰なのか
どうしたら怒りが錯覚であるのかを
相手が理解するのか
考えるべきでしょう。

それが解決の第一歩です。


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