SSブログ

【労務管理の専門家向け】使えないパワハラ防止法に頼らずに、経営者にパワハラ防止の意識づけをさせる方法と経営戦略上の意義 [労務管理・労働環境]

パワハラ防止法と呼ばれるようになった法律があります。
旧名称は雇用対策法で、高度成長期に成立した法律ですが、
去年(2018年)から「総合施策推進法」と呼ばれるようになった
「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」
という長ったらしい名称の法律です。

厚生労働省が、このたびこの法律の指針案を発表しました。
パワハラに該当する例を示したのですが、
パワハラに該当するという事例が限定的になっていて
パワハラに該当しない例がわざわざ書かれているものでした。
これでは国がパワハラをする会社の言い訳を用意したようなもので
パワハラ防止の実効性がないという批判が浴びせられています。

罰則規定があるわけではないのだから
ここまで厳密に定義づけをする必要はないのです。

何のためにパワハラを防止するかということが徹底していないのでしょうね。

この中途半端な政策になっていしまった根本原因は
本来労働者の健康と命を守る法律を作って定めればよかったのに
労働力の流動化を図ることを主目的にした既存の法律に
パワハラ防止を組み入れられたところにあるわけです。

元の法律ができた時代は昭和の時代です。
昭和の終わりころから国の政策は様変わりしていきました。

元々は、
労働者に充実した生活と賃金を保障し
自立自助の生活を確立させ、
それを基本として社会保障を組み立てていく
という社会政策という政策があり、
労働政策はその根幹をなすものでした。

ところが、労働政策自体が後退し
労働市場における需要と供給のミスマッチの解消させる政策に移行しました。
労働力が足りない企業がいる一方失業者もいるという状況をなくすために
労働者が来ない企業に労働者をあっせんするという
労働力流動化政策が主流になってしまったのです。

労働者の賃金を基盤とした社会保険という建付けも崩れてしまったことから
社会保障政策が行き当たりばったりになっていくようになりました。

労働市場政策も、
不利な労働条件の会社には就職せずに、有利な企業の募集を待つ
という需要と供給の一致という資本主義の自由市場の原理を壊してしまい、
不利な労働条件だとしてもとにかく雇用を促進する
という政策に変更になったわけです。

思えば過労死や過労自死、メンタルヘルス、ブラック企業の問題が多発するのは
このような労働市場の市場原理を壊したところに原因があるのかもしれません。
自由主義経済が機能していないのです。

このような流れの法律ですから
労働者の健康や安全を守るためのパワハラ防止というよりも
企業に労働力を向かわせて定着させるという
労働力流動化という目的での法律だと考えたほうが理解しやすいでしょう。

本来パワハラによって過労自死をする例も多いのだから
労働者の身体生命の安全を保障する法律を作るべきであるが
もともとそういう法律ではないのです。

それでも労働者の企業への定着のための
パワハラ防止のない企業を作るということも
日本において必要なことですから、
その目的を達成できる法律にしてもらわないと困るのですが
それができていないわけです。不徹底なのです。
きちんとしたパワハラ対策の政策がないことで危機感を抱いているのは、
どうやら労働者、労働組合、その関係の弁護士よりも
大河内一男先生の言葉をお借りすると「総資本」の観点に立つ人たちのようです。
総合的な観点から理性的に企業の発展を考える立場というような意味です。

そういう観点に立つ人はどういう人たち化というと
プロの労務管理、企業法務の専門家の先生方です。

私は、この先生方と、年に1,2度労働法の勉強会をしています。
テーマのリクエストをいただき
私がテーマに沿って実務的な実態と法解釈の現状をリポートして
ディスカッションをするわけです。
まあ、実務的な現状について教えを乞うわけです。

今回は数個のお題をいただきました。いろいろな分野がありました。
労働基準法のレアな条文に関する実務的問題点ついては、
結構私が裁判などで実際にその条文が問題になる事件を担当しているので
お話しすることがたくさんあるため、レポートも楽なのです。
しかし、今年のお題の筆頭は
「パワハラ防止をいかに企業に定着させるか」というお題で
これまでの中でも一番難しいお題になっていました。

労務管理の最前線でご活躍なさっている先生方にとって
働き方改革も踏まえて
パワハラ防止が最も切実な問題だということです。

パワハラ防止の理念を唄うだけならばいくらでも誰でもできるでしょう。
しかし、企業経営者と直接接する先生方に対して、
実務的に役に立つ方策でなければ意味のない時間になってしまうので
苦労しているわけです。
でもとても楽しい苦労です。

そして例によって、このブログで悩みをそのままこうやって書き連ね
論点を整理して、話す内容を
組み立てていこうというそういう寸法です。

これらの先生方は、
企業経営者の言いなりになったのでは仕事になりません。
そういう経営コンサルタントも世界的に暗躍しています。
GE等の労務管理の成功例を劣化させた案を
高額な報酬で企業に押し付け
基準日まで業績を上げてさっさと立ち去る手法を使う人たちです。
こういう手法は短期的には有効ですが、
長期的に見た場合はさまざまな不具合が発生することがあり、
かえって企業を倒産に向かわせる場合もあります。

資本主義の理性というべき先生方は
もちろんこういう手法は取りません。
クライアントを本当に大切にして
信頼を勝ち取られています。

今や、企業経営上問題が起きれば
経営に直結し、訴訟なども起こされる時代です。
そういうことにならないための仕事なので、

近視眼的になりがちな企業経営者と時に対峙しながら、
企業が打つべき方策を客観的に見極めて
本当にやらなければならないことは何か
ということを真摯に考えて企業に提案されていらっしゃっています。

そういう意味で、本来あるべき国家的な視点に立った
総労働という言葉を思い出したわけです。

時にこういう本物の労務管理の専門家の先生方が
法律や通達に期待するのはどういうことでしょう。

それは企業が安心して最低限のルールを守るようにすることです。
長時間労働や無理な労働をさせない手段です。
「これは法律で決まっています。罰則もあります。
 だから、ほかの企業も守っているので、守らなければなりません。」
ということを言える政策です。

こうして最低限のルールを設定してもらい
企業にとってのマイナスを作らないようにすることができるわけです。
例えば長時間労働を制限して
これ以上働かせてはならないということができる、
そうやって過労死を防ぎ、企業にとってのマイナスを防止するのです。

企業にとってのマイナスとは
例えば過労死、過労自死などが起きてしまったことを考えるとわかりやすいです。

莫大な損害賠償義務、訴訟の負担が企業に発生します。
同僚労働者がその企業で働くことに疑問を持ったり
働くことのモチベーションの低下によって生産力の低下が起きることです。
このままでは早死にするということでの退職、転職がおこり
優秀な人材が出て行ってしまうことです。

そして風評被害ですが、
就職をしようとする労働者がいなくなるだけでなく、
取引先との関係でも
過労死が多い職場ということで
忌み嫌われるということがあります。

しかし、当該企業はなかなかそれに気が付きにくい。
しかし、いつの間にか取引先が離れて行ってしまっています。
それらの行きつく先は、端的に倒産です。
実際過労死を出した企業で、支店が営業所に規模縮小
なんてことはよくあることです。

企業の理性を体現する人たちは
パワハラを本気で無くしたいと思っているのです。

だからパワハラ防止法に期待している専門家は驚くほど少ないのです。
というか、使えない法律なのだから驚くに値しないことかもしれません。

この法律や指針の問題点は、
企業は切実にパワハラをなくしたいと思っているのに
その切実さがないということです。
パワハラの企業にとってのマイナス事情があるのに
国は他人事だと考えているのではないかと
労務管理の専門家は思っています。

なぜパワハラが起きるかが検討されていないのも
本気度が足りないからでしょう。

パワハラが起きる現場は特徴があるようです。
一言で言って無理にも生産性を上げなければならないとか
売り上げを伸ばさなければならないとされている現場です。

しかしながら、そのノウハウ、コーチング技術がないために
根性論が幅を利かせる傾向になってしまうのです。

どうしてそういう現場ができてしまったかというと
そこでの活動スタイルが確立した時点では
おそらく合理的な活動スタイルだったのでしょう。
ところが環境の変化によって
かつてのスタイルでは対応できなくなったという事情がありそうです。

パワハラのやり玉にあがるのは優秀で責任感のある従業員です。
その人をたきつければ数字が上がるということで
その人を集中して「叱咤激励」するのです。
パワハラの犠牲者になって
優秀な人から順番に企業から離れていくという事態に陥ります。

もう一つの傾向として、
同僚に対する要求度が高い職場でパワハラが起こりやすいとされています。
生死を共にする自衛官、警察官、消防職員が典型です。
人の変わり果てた姿を見る職業だということも
同僚を大切にできなくなる理由なのかもしれません。
しかし、それ以上にそういう危険な職場であるにもかかわらず、
定員割れで無理な割り当てがされている職場でもあります。
職場の不満を上官に言えない階級制度があるため
自分よりも弱いものに八つ当たりをしているという可能性もありそうです。
現場労働者に甘えている現場なんです。

もちろん、経営者や上司の個性にも原因がある場合も多くあります。
きちんとしたシステムがなく
ワンマン経営者の思い付きに幹部クラスが振り回されて文句を言えない職場ですね。

目標に達せなければ時間をかけてやらせるという一辺倒な職場です。
時間内に課題を終わらせるという発想がない職場です。
学生時代の美術の時間で、確かに上手なのだけれど
細部にこだわって授業時間に絵を完成させずに
ずいぶん経ってから絵を完成させ提出する人がいましたが
そんな感じの上司が、従業員にそれを強制するわけです。

無駄な様式美を追求する職場もありますね。
結果が出ればよいのに、伝統的な手順を踏むことを要求するような職場です。
それで馬鹿みたいに時間を浪費していることがよく目につきます。
結果を出すことよりも、職場内での上下関係が優先されるような職場ですね。

いずれにしてもパワハラ職場は、優秀な人から辞めていき
優秀な人が入ってこない
その結果ますます定員割れとなり、生産性も落ちて
ますますパワハラ、長時間労働となり、
ますます優秀な人が減っていくという悪循環が起きるわけです。

こういう実態のあるところに
中途半端な法律とか、抜け穴だらけの通達をしめすということは
切実にパワハラを終わりにするという姿勢がない
誠実に生産性を上げるという気概もない。
そう受け止められるのです。

これでは労務管理の専門家が企業経営者に対して
どんなにパワハラ防止対策の必要性を説いても
「よそでもやっているのだろう」
「抜け道をちゃんと用意しておけ」ということしか発想として出てこないのでしょう。
だから使えない法律なのです。

国の方法論がこのようにまじめな労務管理の足を引っ張るものなのに
パワハラは禁止ですという結果だけを要求しているようなものです。
できないと「なんでできないんだ」と責めるばかり
こういうことがパワハラの本質なのですが
この法律自体がパワハラになってしまっています。

この結果パワハラ防止対策は。
企業にとっては、生産の足かせとしか受け止められず、
できるだけこの法律の制限を回避しようとして
抜け道や工夫ばかり考えるようになるわけです。


だから、プロの労務管理専門家たちは
法律に変わるパワハラ防止の方法を必死に模索しています。

パワハラ防止の企業サイドの方法論の総論は、
パワハラを防止することが企業の利益であるということ
不必要な経費を軽減して、費用をかけずに生産性を上げる
企業スタイルの刷新の絶好のチャンス
あるいは企業再生のチャンスだという
プラスのモチベーションを高めることだと思っています。

パワハラを容認する企業は倒産する
パワハラ防止をそれだけでなく企業戦略として位置づけることによって
これから伸びるチャンスとするということです。

これを方便としてではなく、
現実的な企業戦略にできるかがカギになるでしょう。

以下、そのプラスの例を考えてみるのですが。
専門家の先生と積極的に意見交換をしたい
これをたたき台にして
実務的に直結するアイデアに高めていければ幸いです。


一つは、ビジネススタイルの見直しの機会にするということです。
パワハラ事案が出てしまう企業は
いろいろな事情で自分たちのやり方を振り返る余裕がありません。

前例を踏襲することに汲々としている企業です。
しかし、どの企業であっても、企業を取り巻く環境は
刻々と変化をしている。
労働者の意識が変化しているならば顧客の意識も当然変化しています。
意識の変化、環境の変化に合わせて企業活動の変化ができなければ
当然企業の存在意義がなくなってゆきます。

環境の変化に対応する方法が見つけられずに
単に労働者にプラスアルファーの労働を求めてしのごうとするとき
パワーハラスメントが起きるわけです。

例えばエリアが拡大したとか
競合店がなくなって仕事が増えたのに
人数も変えず、やり方も変えない。

逆に競合店が増えたのに
それに合わせた戦略を立てられず
労働者の頑張りの強化だけに期待する。
成績が伸びないのは当然なのに
パワハラでしのごうとする。

このような環境と企業活動のミスマッチに気が付かない。

時代的変化への対応の関連では、
経営者交代の時です。
新経営者がパワハラというか強圧的になることがよくあります。
従業員から信頼されている先代が引退し
二世たちがやるときに
先代が苦労して勝ち取ってきた信頼と尊敬がなく
そのことが自分でもわかり不安になるのですが、
謙虚な気持ちもないものだから
先代に対して忠誠をつくしたような態度をとらない労働者を
力で屈服させようとする。

やり方もうまくいかないし
比較されるのが嫌だからでしょうか無理に新しいことをしようとして
外部のコンサルなどの意見を聞いて
「合理化」を狙って、労働者の既得権に手を付け
例えば退職金を払わないとかいうことを強行して
訴訟に負け
そういうことの繰り返しで
企業自体が消滅する。

業種が一つ消滅した例もあるくらいです。

取引相手の窓口は、具体的担当者、従業員なのです。
多少無理な付き合いも、顔見知りの顔を立て行いますが、
無表情の見知らぬ人間の新たな要求は
最初から鼻もかけないのは当たり前です。
それがわからないのです。

経営者の発想を変える必要があります。

その方法論を考えてみましょう。

まず、最初にする経営訓練として、
労働者の気分感情を考えるということが
とても良い訓練となります。

人の快、不快はある程度共通です。
労働者の環境が変化しているならば
労働者の感情のリサーチは顧客のリサーチにもつながります。
労働者の要求を理解することを通じて
ビジネスチャンスも見えてくるかもしれません。。

発想の転換の第2は
使用者と労働者の関係についてのイメージの転換です。

使用者、被用者という感覚は
現代企業としては生き残れないようです。
対立していたのでは生産性も低くなります。

使用者の言いなりに労働者を働かそうという発想は
労働者をロボットに置き換えても成り立つ企業以外はアウトということになりそうです。

企業とは
労働者の能力を発揮する場を提供しすることだということです。
使用者は労働者の活動について協力体制を敷いてバックアップする
これが特に中小企業で必要な発想である。

労働者が、自分の日々の活動から
企業の在り方を判断し、検討し、提案していく。
生産性を上げることが自分の喜びになるような
活動スタイルを作っていく戦略が実務に入り始めています。

その労働者の傾向に合わせた自主的ルールができていく
無駄な、不合理なシステムは改定されていくというわけです。
下手なコンサルタントをつけるよりも生産性は上がってゆくようです。

そのためには、従業員が意見を自由に述べることができる環境を
使用者が整備する必要があります。
意見を制限したり旧来のやり方に固執したりする上司を
使用者がジョーカーとして穏便に制して、
若手労働者等の新鮮な意見を尊重する制度を作るわけです。
自分の意見に基づいて会社が動き出すということは
従業員にとってもとてつもないモチベーションがあがりますし、
責任をもってやりとげようとする。

パワハラなんてマイナスなだけな職場を作るだけだということが
よくわかってくるでしょう。

服務規律は労働者にゆだねたほうが合理的で
遵守意識が高まるようです。
無駄な無理な拘束をしないことこそ
モチベーションを上げる特効薬なのですが、
経営者の発想ではなかなか難しいのです。

これらのゼロの先のプラスを目指すならば
政府が著した指針の類型なんて
当たり前のこんこんちきのことであり、
足りなすぎると笑って読み飛ばすようになるでしょう。
パワハラをしないことは当たり前として、その先、
むしろ、厚生労働省が示した
「パワハラに該当しないという例」をしないで済むような労務管理
これを実現する職場をつくるということが
この厳しい状況で生き残るための指針にされなければ
企業は生き残れないでしょうし、
それが実現する職場は
いいことづくめが予定されていくということになるでしょう。

もう少し、日本経済の実情を踏まえた法律や国家政策を
行ってほしいものです。





nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。