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プロフェッショナルな弁護士とは、依頼者の敵を尊敬することができる弁護士ではないかと考えてみる [事務所生活]



1 プロフェッショナルとは

ここでいうプロフェッショナルという意味を話し出すと長くなるので
泣く泣く割愛します。

ただ
牧師が宗教的に人を導き幸せを運ぶ仕事であり
医師が人の病気やけがを治し幸せを運ぶ仕事であるように
弁護士は人々の紛争に介入し
法律その他のツールで紛争を解決するならば
やはり幸せを運ぶ仕事であるはずです。
それがプロフェッショナルの正確な意味だと思うのです。

依頼者の願いをかなえるために助力する
という仕事であるべきです。
それは依頼者を尊敬しなければ
様々な意味で困難になるはずです。

2 依頼者を尊敬しないことによる実務的な弊害

依頼者を人間として尊重しなければ
依頼者の言葉や
その時に置かれた状況への依頼者の反応に左右され、
後は依頼者がそう言ったからそうしたのだ
という言い訳ばかりが出てきてしまいます。

あるいは
通常はこういうケースはこう処理するのだという
人間の心とは関係の無いマニュアル的な処理をしてしまうでしょう。

家族関係や友人関係など
本来壊さなくてもよい関係にくさびを打つこともあるかもしれません。

むしろ弁護士が入ることで紛争を大きくしたり
長引かせたりして
逆に依頼者を苦しめたりするわけです。
これでは何のために高額な費用を支払って
弁護士に依頼したのかわからなくなります。

3 尊敬するという表現でよいのか 尊敬できない場合はどうするか

依頼者を「尊敬する」という表現に違和感を持つ方もいるかもしれません。
「敬意を表する」とか
「尊重する」という言葉の方が受け入れやすいかもしれません。
しかし、私はそれでは意味が伝わらないと思っています。
具体的にどうしたらよいかが見えてきません。
端的に尊敬するべきです。

極端な話をすれば弁護士の依頼者には
犯罪者もいるわけです。
もちろんその行為は尊敬できるものではありません。

第三者から見れば私利私欲に走って行動した結果
紛争になったのではないかと思われるケースもあるでしょう。

それらの行為も尊敬しなければならない
と言っているわけではありません。

問題は人間とは何かということにあるのかもしれません。

例えば犯罪はその人間の本質なのか
私利私欲に走ることがその人間の本質なのか
そういうことを考えればわかると思います。

思考を進めるための補助線としては
人間は誤りを起こすものだということです。
また、人間の感情や行動は、置かれた環境の影響を受けるということです。
ここでいう環境とは、経験や記憶という過去も含まれます。

人間の意思や人格など一貫しているものではないと思います。
かなりあやふやな便りのないものであると感じます。

その人間の弱点、その人の弱点をとやかく言わないで
人間性を信じること
それに応じた対応をすること
それが尊敬するということの意味することの一つなのではないか
と考えています。

人間を根本的に尊敬し
その人のために役に立とうという気持になると
なぜ誤りを起こしたか
なぜ自分の利益を追求しすぎたか
ということが初めて見えてきます。

紛争の解決の方法も見えてくるのだと思います。

私がお話ししているのは精神論ではなく
ある意味実務的な技術論である
ということがお分かりになってきたかと思います。

そうだとすると人間を「愛する」
と言う方が言葉としてはあっているように思われるかもしれませんが、
「尊敬する」の方が私には具体的な方法が見えるような気がするのです。

また、人間は様々な性格、人格が共存していることに価値がある
群としての強さが保障されるという理解も重要だと思います。
自分ができないことをできるということに
無条件に尊敬するべきだと思うのです。

4 依頼者の敵を尊敬するとは

依頼者が被害者で、敵が加害者であれば
依頼者が敵を憎むことは当然であり、
依頼者に相手を尊敬しなさいということには
さすがに無理のある場合が多いと思います。

但し、弁護士まで依頼者の心に寄り添って
敵を憎んでいたら
弁護士業務が不十分なものになると思うのです。

決して宗教的な意味合いのことを言おうとしているのではありません。
あくまでも依頼者の利益のための技術論です。

相手の行動が間違っているというなら
相手方の立場から、相手の立場に立って
何をどうするべきだったと主張することが
最も説得力があると思います。

依頼者側の立場だけで考えてしまうと
結局要求めいたことになってしまい
双方言いっぱなしになってしまうことは
良く経験しているところです。

双方の利益状況と感情を十分考察すること
その結果、なすべき主張も見えてくるし、
和解の譲歩を引き出す可能性も大きくなるし
和解の機運も作っていけるわけです。

裁判の流れや交渉を待っているのではなく
こちらがイニシアチブを取って事態をコントロールすることも
可能になるかもしれません。

こだわりのポイントが双方によってだいぶ違う場合は
本来和解のチャンスです
こちらはこの点はいくらでも譲歩できるけれど
ここは譲れない
でも相手はその譲歩を重大に感じるはずだ
ということで、
和解が成立することも実際はあるのです。

相手が悪い奴だとか憎むべき人間だととらえていると
せっかくのチャンスを見過ごしてしまいがちになると思うのです。

当事者は要求した結果が実現しないと
こちらだけが損をしていると思うことは当然です。
しかし、実際は相手もダメージを受けているものです。
相手の心情、状態を弁護士が分析して
一つの可能性としてアドバイスするということも
自分の依頼者を無駄な葛藤の中にとどめておかないですむ
一つの方法にもなります。

相手を尊敬することによって
少なくとも弁護士に損はありません。
依頼者にもメリットの方が大きい
特に紛争を鎮めるという観点からは
必須の対応だと思えているのです。

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