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コロナ禍によって、DV、児童虐待の加害者にされる危険、加害者になる危険が増大している。虐待しない方法ではなく優しくする方法を実行して家族でコロナ禍を利用して幸せになろう! [進化心理学、生理学、対人関係学]



目次
1 コロナ禍では、過敏な不安を招き、被害者意識が増大する
  日本赤十字社の見解
2 これまでのDVの思い込みの構造と、コロナ禍のDV対策が無駄に加害者を作る要因 二項対立的な対策の光と影
3 加害者になることをきちんと警戒する必要性 悲惨な思いをするのは大人だけど、重大な影響を受けるのは子どもであるということを理解する
4 不安をあおることをしないために
 1)総論 「責めない、笑わない、批判しない」
 2)無駄な正義感を排除する
 3)無駄な合理主義を排除する
 4)無駄な責任感を排除する
 5)無駄な目的遂行主義を排除する
5 その先の共感を示すということ
6 幸せになるということ

本文
1 コロナ禍では、過敏な不安を招き、被害者意識が増大する
  新型コロナウイルスのように、目に見えないものによって自分の身体生命が脅かされることの不安による負担は、人間の思考力をゆがめてしまいます。この不安から差別が生まれるということについて、日本赤十字社は令和2年3月26日付でわかりやすく説明しています。
 「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!~負のスパイラルを断ち切るために~」http://www.jrc.or.jp/activity/saigai/news/200326_006124.html?fbclid=IwAR3uhvMWBQYQmv1XmMp4wpc1uUvz3GGS_t4l0fJRYTayxznZtYwaBc8yNGU

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  ここでは、不安から、対策を取らない人たちに対する嫌悪感が生まれ、その人たちを遠ざけようとする意識から差別攻撃が生まれるという説明がなされています。
  対人関係学的な考え方は、もうちょっと人間は論理的ではない思考をしているという説明です。
  人間は何らかの不安を感じると、その不安を解消したいという要求が生まれます。この不安解消要求にもとづいて逃げたり、戦ったりして危険を無くそうとするわけです。ところが、不安を解消する方法がなく、不安にさらされ続けてしまうと、思考力が著しく低下してしまいます。人間の考える力は案外簡単に限界を迎えてしまうようです。その結果、やみくもに危険を感じやすくなります。あれもこれも自分の危険になるのではないかと感じ易くなるわけです。この過剰な不安状態が続くと、不安解消要求はさらに強くなります。もう何でも良いから、一と記だけでも良いから不安から解消されたくなり、不安解消が最大のテーマになってしまいます。やみくもに引きこもり、引きこもりになったり、精神的に外部をシャットアウトしてしまうケースもあります。これがやみくもに逃げるパターンですね。もう一つのパターンがやみくもに怒るパターンです。自分よりも弱い者を攻撃して、ひと時の安心を得ようとしてしまうというパターンです。いわば八つ当たりです。
  怒りが生まれるパターンは、2種類のどちらかであることがほとんどです。一つは、勝てる相手であると判断した時で、もう一つは仲間を守ろうとする時です。
  コロナに無警戒の人たちでも、自分と関係の無い場所で、それほど害のあることをしていない人たちもいます。自分一人でその人たちを見ても、直ちに強い怒りにはならない人の方が多いのではないでしょうか。それが、無警戒であることに否定的な報道がなされ、コメンテーターの否定的意見が行われると、勝てるという意識から、怒りがわいてくるようです。それに、自分がそれを我慢しているのにやっている人がいるという不満が怒りを倍増させます。子どもや年寄りや病人を守るという意識がさらに怒りを募らせ、攻撃や差別が完成するという仕組みになります。
  誰かを攻撃することでひと時の安心を得ようとして怒る。これは日本赤十字社の言うとおりです。一人で注意しても防ぐことができず、死者もいるということはコロナ不安が慢性して、不安解消要求を高まらせることになります。自分にとって危険があるのではないかという不安が過剰になり、他者から逃避するという行動が増えるとともに、被害者意識から誰かを攻撃する行動も増えてゆくということをご理解ください。

2 これまでのDVの思い込みの構造と、コロナ禍のDV対策が無駄に冤罪加害者を作る要因 

  この慢性的不安と不安解消要求の過剰な高まりは、あらゆる変化を自分の危険であると把握しやすくなる危険があります。つい、誰か強い者に自分を守ってもらおうという意識が強くなります。夫婦間に実際はDVがない事例で、自分はDVを受けているということを思い込み、子どもを連れて夫の元から去っていくという思い込みDVの「連れ去り行為(外務省の用語)」は、このようにして始まります。コロナ不安がなくても、原因不明の不安障害、産後うつ、甲状腺ホルモンの乱れがある場合、このような被害者意識が事実を超えて高まることがあります。コロナ禍がなくても不安の種があるものなのです。
  そもそも夫婦間に起因しない不安が、夫のDVという言葉を獲得する過程はある程度解明されています。理由のない不安から強い者に自分を守ってもらおうという意識から、不安の強い人たちは、積極的に地方自治体の相談窓口や警察などに相談に行きます。こういう相談機関は、後に説明するように、先ずDVがあるだろうという先入観で、相談を受けます。通常の夫婦は、いろいろな意見の対立があり、それを解決する方法を知らないし。解決するサポーターがいない孤立婚の状態です。些細な夫婦喧嘩や行き違いがあるものです。また、家庭の貧困がある場合、現代日本では責任はほぼすべて夫の責任であるというジェンダーバイアスのかかった評価がなされます。そうすると、相談を受けた方は、「あなたはDVを受けています。」といとも簡単に断定するのです。「このままではDVが過激になっていってしまう。命の危険があるから必ず子どもを連れて家から出ていかなければならない」ということを簡単に言ってしまいます。妻は、自分の理由のない漠然とした不安は夫からモラルハラスメント受けていることが原因だと言われるわけです。そうすると、不安に対する言葉を獲得し、妻の不安は夫に対する嫌悪と恐怖に固定化し、大きくなっていくようです。
  今回のコロナ禍に対応するあるDV相談マニュアルを見ました。これらの危険が顕著にみられるものです。特徴は、一人のDV被害者も見逃さないという決意が表れているものです。そのために、えん罪DV加害者が生まれてもやむを得ない、子どもが無駄に犠牲になることも全く考慮されていないものです。以下、何点か見てみましょう。
  ① 客観的に明らかな暴力・暴言が存在しないように思える場合でも安易にDVがないと判断しないようにしてください。
  これが本当に記載されているのです。結局、相談者は自分の判断をするな、DVがあると思い込めと言っているようなものです。これを法律家が行っているのですから情けない。それを真に受けて相談に乗るのですから恐ろしい話です。どうして、相談を受ける側が客観的に暴力・暴言がないと判断したにもかかわらず、他人の家庭に介入できるのか考えてみてほしいと思います。暴力も有害な言動もなければDVではないのに、それでもDVと判断するなというのであれば、論理性も何もありません。その場合は端的に他人の家に口を出すべきではないのです。
  なぜ、このように何でもかんでもDVにしてしまうか、後述する思想問題とは別に、善意にもとづく要因もあります。それは、実際の相談者が目の前で苦しんでいるからです。何とか助けてあげたい、気持ちを軽くしてあげたいと思うわけです。しかし、解決方法としてDV対策しか引き出しがない。DVでなければ何もする方法が思いつかない。だから、支援したいという要求を満たすためには無理矢理DVにもっていくしかないわけです。これは無意識に行われているようです。DV以外に解決の引き出しを持たなければなりません。これを述べるのが本稿の目的でもあります。
  ② 被害者本人が被害の認識がないから、被害を自覚できるようサポートする。
  では、被害とは何なのでしょう。被害者が被害と思わないことにもかかわらず客観的被害だと言えるのはどういう場合なのでしょうか。考えてみればわからなくなります。確かに被害者は自分が被害を受けているということはわからないことがあります。しかし、実際に苦しんでいるし、苦しみから解放されたいという切実な要求もあります。こういうことは書いてありません。そうすると、相談を受けたものの価値観で、「それは被害だ。」ということを断定する危険があることになります。結局は、相談を受ける方の価値観という主観的な問題になるのです。そして、その相談を受ける人間の少なくない割合で、家族解体思想を持っている人がいます。男は金を入れて、生活は女が子どもと行うという極端なジェンダーバイアスを抱いている人たちさえもいます。その人たちが、リーダー的役割をはたしていて、普通の家庭の許容範囲が極端に狭くなっているような印象もあります。
  この他にも批判したいことはあります。反対当事者から事情を聴かないで、精神的に不安定な人の話だけからDVを認定すること、DVの解決方法が逃避行動しか用意されていないこと、それから、些細なかすり傷でも写真を撮っておけという指示があります。DVと無関係な写真が良く裁判でも出てきます。無関係な写真を出してしまうと取り返しのつかない不利益生まれてしまいますが、こういう指示のためだったのかと理解できました。
  夫に原因がなくても、こうやって思い込みDVは作られるのです。コロナ禍の中で、この傾向は強化されています。思い込みDVの加害者になるということは、実際にありうることなのです。
  妻は、夫が家にいるという変化を、過剰な不安の蔓延から自分に対する危険だととらえてしまいます。行政などの相談機関は、DVと言わなければならない相談員が増員され、マニュアルで強化されています。つい、妻が行政などに相談をすれば、日常的な些細なことをとらえられて夫であるあなたのDVだと断定されてしまいます。気が付かないうちに妻と子どもたちが家から消えているということは、他人事ではないのです。あなたが明確な暴力や暴言がなくても、あなたはDV夫にされてしまいかねません。証拠として自分で転んだ擦り傷や鉄アレルギーの字のような反応の写真が提出されるのです。最悪なケースでは、些細なことで傷害罪で逮捕されたり、自分の家なのに近づくことを禁止されたり、家の周りを散歩することも禁止されることになります。コロナがなくてもそうやって苦しんでいる人たちがたくさんいるのです。

3 加害者になることをきちんと警戒する必要性 悲惨な思いをするのは大人だけど、重大な影響を受けるのは子どもであるということを理解する
  思い込みDVは激増するでしょう。あなたは誰もいないがらんとした家に一人でいなければなりません。妻の実家に行こうとして近づくと大量の警察官に取り囲まれて取調室に入れられ、覚えのない暴力をしない旨の誓約書を書かせられたりすることもあります。妻が帰ってきたかと思うと警察官が同行して、荷物を引き取りに来ているのに、声もかけられず話し合いもできない、あるいは事故に巻き込まれているのではないかと警察に捜索願を出そうとすると、あたかも自分が原因のように無事だから探すな、探した場合にはストーカー警告を出す等と犯人扱いをされるのです。これらはすべて実際に起きたことです。そうして、自覚がないまま接近禁止が裁判所から命令されたり、離婚調停が始まったりします。子どもに会えないということが寂しいだけでなく、不安や孤立感を増大させ、想像以上の苦しみとなります。実際、このような人たちは、孤立感、絶望感から自死する人たちが多くいます。統計的な資料はありませんが、SNSで知り合った人たちが毎年何人か自死で命を無くしています。
  しかし、最大の犠牲者は子どもたちです。父親から離されるという不安は大人が想像するより強烈です。父親がいなくなれば、今度は母親もいなくなるのではないかという心理が働いてしまいます。目の前にいる母親がいなくなる不安の与えるストレスはすさまじく、母親にしがみつこうと必死になる子どももいます。それまで自分と一緒に学校生活を送っていた友達が不意にいなくなることもかなりのストレスです。それまでの安定した人間関係が知らないうちに崩壊しているのですから、極めて不安定な状態になります。それでも、唯一の肉親である母親に心配をかけたくないために、不安を表現することを自ら禁じます。これは後々成長を阻害する深刻な弊害です。また、父親が悪いためにこうなったという考えは、自我の確立する時期に、自分は悪い父親と良い母親の子どもだという意識を持たせ、自分に対する評価を低下させたり、自分という人間を自覚することを妨げたりします。子どもたちの深刻な影響は一生続く可能性があります。
  およそ人の親であれば、他人事だと思わずに、コロナ禍の中で無用の家族分離が行われ、その最大の犠牲者は我が子になるという危険をきちんと自覚するべきです。何としてもコロナから家族を守らなければなりません。
  また、DV問題だけでなく、児童虐待問題も無駄に子どもを分離する危険があります。相談を受けた限りでは、そのような傾向を持つ地域があるようです。親が弱者である場合、つまり、アジア系の在留外国人である場合、生活保護を受給している場合、地域とのつながりが弱い場合、子ども父親と離婚して子どもの血のつながりのない男性と同居している場合などは、警戒する必要があると思います。これらが複数組み合わさると、とても危険です。

4 不安をあおることをしないために
 1)総論 「責めない、笑わない、批判しない」
   出発にはコロナの不安があるということが第1に考えなければなりません。これは仕方がないことです。あなたが理論的に、やることをやっているから心配しすぎる必要がないと判断していても、それでも不安になるということは人間である限りありうることなのです。
   確かに、荒唐無稽とも思われる心配している家族の後ろ向きの発言を聞くとイライラするものです。そういう無駄な不安をしないでほしいと思うことは人情です。その結論は理解できます。しかし、そのためにも、「そんな無意味な不安を言うことはやめろ。そんなことを言っても仕方ないだろう。こっちが暗くなってしまう。」ということを言うことはメリットがなくデメリットばかりです。言われた方は、自分の不安を否定された、自分という人格を笑われたと感じますから、コロナに対する不安が無くならないばかりか、あなたから馬鹿にされるという不安が付け加えられるだけのことになるからです。
   むしろ、「そうだね不安だね。何とかなるといいね。」と感情に同調することによって、感情を共有できたという感覚を持つことができ、自分も肯定されたと感じ、仲間意識も生まれ、不安が軽減します。これによって、後ろ向きの発言が少なくなるわけです。いやだったら肯定する。これがポイントです。
   コロナ不安に、人格否定不安が加わることで不安があおられるわけです。そうだとすると、人格否定感を解消することによって、不安が少なくなり、その結果、思い込みDVの危険からみんなを守ることができるようになるのではないでしょうか。
   人格否定不安は、あなたから自分が尊重されていると思うことによって解消されます。どんなことがあっても、あなたから自分は見捨てられないという実感を持つことです。失敗しても、弱点があっても、不十分なことがあってもあなたが自分を否定しないということが、見捨てられないという実感を強くします。つまり、やるべきことは家族の失敗、弱点、不十分点を責めない、笑わない、批判しないということです。
   でも実際はこれは意外と難しいことです。私たちがこれができない要因を挙げてみます。簡単には考えない方が良いと思います。私は、10の否定行為があるとすれば、3割はこれをしないということから始めるべきで完璧を最初から求めることは無理だと考えています。また、3割成功するだけで、家族のあなたに対する感覚は天と地ほどの違いが生まれると確信しています。
 2)無駄な正義感を排除する
   家族に対して、無駄な正義感を発揮している人はとても多くいます。公衆道徳を守ることは当たり前なのです。これはそうだと思います。しかし、それが守れない場合もあるわけです。例えば自動車からティッシュペーパーを捨てる行為があると思います。これは公衆道徳違反です。これに対して、理由も聞かずに怒りだすということがやめるべきことです。もしかしたら自動車に蜘蛛かゴキブリがいて、必死になってティッシュペーパーで捕獲して車外に排除したかもしれません。もしかしたらもう十分備蓄したマスクを打っているからと言って買ってしまったかもしれません。
   つい正義感の強すぎる人は、家族に対してイラついて激しく叱責をするということをしてしまいます。しかし、家族の弱点は、別の家族がフォローするものです。別の解決方法をあなたが考えるべきですし、小さな不正義をした感情に共感をしてから次の指示をするということも考えるべきです。
   先ず叱責するのではなく、先ず共感を示し仲間であるということを示すそうしてからあなたの望む結論を出す方法を考えるということです。不安を口にするな式の結果だけを押し付ける行動はメリットがなく、デメリットしかありません。
   寛容とはこういうことです。家族は家族の犯罪を隠しても仕方がない、家族をかくまっても仕方がないという考え方こそ、日本の刑法の考え方なのです。
 3)無駄な合理主義を排除する
   現代人は、エリートと呼ばれる人ほど、無意識に合理性を追求しようとしてしまうようです。極端な話、娯楽でもこの合理性を追求したくなるようです。花見をするにしても回る順番を気にするとか、食事をどこでするのが合理的かなどと考えてしまうようです。また、のんびり回ることを追求して例えばスマホをいじることを禁止するなどの言動があったりするようです。ゲームにまで口を出す人もいます。どうも、会社等で、合理的な行動を追求することが身にしみついてしまっていて、不合理な行動を見ると我慢ができないようです。
   花見の順番なんてどうでもよいことで、また日常の家事についても厳格に行う必要性のある家事なんてそうそうありません。こういう普通の価値観、行動基準からすれば、夫などから不意にやり方を否定されることはたまったものではありません。要するに、何が合理的か突き詰めて考えれば、それは統一した結論が出るかもしれません。しかし、日常家事なんて、そこまで突き詰めて行っていたら毎日のルーチンなんてできないのです。
   例えば毎日の掃除とか片付けとか、買い物とか、通常妻が行っていることに、合理性や正義の観点から口出しするべきではないということが結果を出すための一番の方法ということになるのではないでしょうか。通常その時間にいない夫は、妻の補助、言われたとおり動く体制を作っておくことが最善の方法なのだと思います。そして文句言わない。短期間だけやるなら良いのですが、それを継続してやっている場合は労働の質も変わってくるのです。会社の場合でさえもこれが合理的な労務管理です。
 4)無駄な責任感を排除する
   過労死を研究していると責任感の強い人は他人にも責任感を要求することがあるようです。これは、普通の人はたまったものではありません。過ぎ息苦しくなり、あなたという存在が苦痛になるでしょう。
   それから、トンチンカンな責任感というのもあります。例えば生活の苦しさを訴えると、「自分の稼ぎが悪いと言われている。」と被害者意識が生まれて、つい反論したり、口封じのための行動をしてしまう行動に出てしまう人がいます。「そうだねえ。」とのんびり構えてから行動した方がよいわけです。ある程度の鈍感力や無責任を意識した方がちょうどよい男性がとても多くいます。あなたを責めるわけでもなくした発言であなたが不愉快になったら、家族はあなたが突然切れだす人だと感じてしまい、何を話しても怒られると思い、話をしたくなくなります。自分のことを責められているわけではないということをまず考えるべきです。そしてもう一歩先に足を踏み出しましょう。なんか文句を言われたからと言って、いちいち怒らないということですね。これやってみると、案外楽に生きられますよ。
5)無駄な目的遂行主義を排除する
   仕事をしていると、仕事は目的をもって行いますから、家庭の中でも何らかの目的を果たそうとしてしまいます。無駄な合理主義もここから出てくることが多いかもしれません。花見をする場合も、より多くの桜を見ようという目的を自分勝手に設定していることがあります。スーパーマーケットをはしごしようというような場合も、より効率よく物を買い、刺身や肉を腐らせないためにはどうするかなんてことを考えて合理性を追求しようとするのかもしれません。目的遂行主義は、男の悪弊です。
   どうでも良いのです。視覚野に飛び込んできた桜の数なんてどうでもよい。極端な話、桜を見上げないで、屋台のたこ焼きを食べて楽しければそれでよいではありませんか。あなたからわけのわからな小言を言われなくて、楽しい思いをしたという記憶が残ればそれでよいのです。また、多少もたもたしたからといったって、肉や魚はそんなに簡単に腐りません。思い通り売り場を回って満足すればそれでよいのです。あなたが重たい荷物を率先してもってあげたりした方がよほど楽しいのです。カーステレオで自分の好きな曲を流してもらえたらそれも楽しいわけです。
   どうしても狩りをしていたホモサピエンスのオスは、小動物をしとめるという目的で集団活動をしてきたので、合理性を追求することや他者への干渉をすること、集団が目標を持つことにならされ続けてきました。ところがメスは、特定の目的を別に持つことよりも群を分裂させないことに力を注いできました。ここを男性は理化しなければなりません。無駄な正義感、無駄な合理性、見当違いの責任感を持つのが男性なのだと言い聞かせる必要性があるようです。家族の行動の仕切りは、女性に主導権をゆだねることが進化生物学的には正しいということになります。主導権をゆだねた以上は文句を言わない。これが封建時代の男の義務でもありました。
   子育てだって、結局はけんかしても一番良い方法をというよりは、母親の納得する方法を父親がセーブする方に回るというのが合理的かもしれません。いずれにしても、子ども次第ということが結局は子育てが終わることにわかることです。あの子育てをめぐっての果てしないけん制のしあいは何だったのかと気が付いた時は子育ては終わっています。 
   男性向けに表現すると、男性は家庭の外に向かって何らかの目的を持ちたがる、しかし女性は家庭が円満であることそれ自体が目的だというと理解しやすいかもしれません。家庭なんて、進化生物学的にも生理学的にも、活動によって高まった神経を鎮めるためのユニットです。だから、家庭のことは女性にゆだねるべきだということなのです。

5 その先の共感を示すということ
  共感を示すことを軽視するのが男です。言わなくてもわかるだろうとか、共感を示すことが恥ずかしいとかいう事情があるわけです。子どもが母親に対する態度ならそれでよいでしょう。しかし、大人と子どもの違いは、子どもは大人に世話になるということですが、大人は子どもを含めて仲間の世話をすることなのです。
  家族の弱点を責めない、笑わない、批判しないということは必須ですが、その先に足を進めましょう。共感を示すということです。共感するということではないことがポイントです。相手の気持ちはわからないし、必ずしも自然に共感することができるわけではありません。ここで無駄に固く考える必要はありません。家族と言っても相手の心なんてわからないものです。同じ気持ちになるなんてファンタジーの話だと割り切りましょう。心がわからなくても、同じ気持ちにならなくてもできることが共感を示すということです。
  子どもがけんかしたということで共感できなくても、子どもから話を聞きだしてけんかをしたくなる感情をえぐり出して、「なるほどそれなら怒りたくなるなあ」と共感を示すことが有効です。共感を示してからだと、その後の指導が効果が上がります。
  相手の感情が存在したことは客観的事実です。それに根拠があるかどうかは話は別です。感情の存在自体を否定しない。これが共感の根本です。「あなたからすれば、それは怒るだろうな。」、「こういうふうに考えていたなら、心細くなるのもうなずけるねえ。」等と言うことを言葉に出すこと。言葉に出すことが大切です。
  言葉に出すことができても、目が思いっきりイラついていたら台無しになる子とは、案外自覚されていません。
  これだけで、相手は自分を否定されていない、尊重されている、自分は見捨てられないだろうと思うことができるようです。これは結構江戸時代や戦前に、男がせっせと行ってきたことのようです。最近の男性ができなくなってきたようです。誰かから誤解を与えられて、間違った知識を植え付けられている可能性があります。
6 幸せになるということ
  思い込みDVは、必ずしも妻に責任がある場合だけではありません。夫が無駄に家族に心理的圧迫を与えているならそれをやめればよいだけの話です。そこでもう一つ寛容なことは、「これくらいのことで心理的圧迫を受けるのはおかしい。」という考えは捨てるということです。これは狩りをするチームの在り方という男性特有の横並び意識です。家族の調和を優先する考え方は、その人の現状に合わせた対応をするということです。
  どうすればうまくいくのか。どうすれば心理的圧迫を与えないようになるのか。答えは、これまで繰り返し述べてきた考え方にあります。つまり、「心理的圧迫を与えないためにはどうするか。」という発想の先の「家族を幸せにするためにはどうするか。」という段階に発想を先に進めることです。
  「幸せにする。」ということはどうすればよいのか。それは人さまざまで家族と言えども違うのではないかと思われるかもしれません。しかし、家族というユニットでできる相手を幸せにするということは明確にあります。それは、家族という仲間から、自分は尊重されていると実感してもらうことです。自分はこの家族からは見捨てられることはないという実感です。
  そのためには、家族の失敗、欠点、不十分点を責めない、笑わない、批判しないということが基本であり、さらに共感を示すことです。あとは個人の事由にゆだねられていることを尊重するということでしょうか。
  このように、家族を尊重するということに気づいた家族の誰かが行動に出れば、家族は心地よい思いになるでしょう。そうすればよいのかということがわかるとまねをするのが人間です。あなたに幸せが返ってくるはずです。
  私は、人間が言葉もない時代から群れを作ってきた方法を研究している者です。その結論としては、人間は群れから孤立することをとても恐れる動物だということが一つの理由になっているということでした。そうだとすると、群から孤立する心配がないということは、人間が幸せを感じる一つの事情だということになるはずです。
  人間は200万年前から今のような心を持っていると言われています。そのころは、今のコロナに比較できないほど恐怖を抱いてきたはずです。それでも、人間は群れを作り続けて生き延びてきました。私たちもコロナくらいで家族を失うことはありませんし、家族を守って生き延びていく可能性が人間である以上あるはずだと確信しています。家族の中にいることによって安心し、家族のために行動することによって不安を軽減してきた人間は信じられる生き物だと思っています。

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仙台のH

ブログをいつも拝見させて頂いてます。とても有益な情報をありがとうございます。私は今まさにコロナ禍を良い意味で利用し元妻と関係をより良くしています。毎月の養育費の他に国よりも早く支援金を送金して、元妻の不安を払拭させました。必要な物資も元妻から連絡があれば翌日には発送していました。私と置き去りにしていった長男の近況も普段より多くメールで知らせました。元妻も自身と連れ去った次男の近況を教えてくれました。元妻にここまで寛容になれたのも先生のブログのおかげです。本当にありがとうございます。

私が離婚問題で苦しんでいた時は先生のブログがとても励みになりました。今も何度も繰り返し読んでいます。特に「もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について」の記事を励みにしてます。心に迷いが生じた時に読み返しています。

今後も先生のブログを楽しみにしています。
by 仙台のH (2020-05-18 20:55) 

ドイホー

ありがとうございます。お元気そうで何よりです。それにしても、コミュニケーションが徐々に深まりつつあるようですね。私もうれしくなってしまいます。また近況を教えていただければ幸いです。皆さんに還元させてください。
by ドイホー (2020-05-19 15:12) 

仙台のH

いつもブログを楽しく読ませて頂いてます。本の紹介ありがとうございます。早速本を購入して読みました。「離婚の新常識!」と言うキャッチフレーズがズバッと来ました。と言うのも既に私も実行、実現していたからです。当時、周りは正論を相手にぶつける人ばかりで何が正しいのか分からず大変でした。例えば「元妻が勝手に出て行ったのだから婚費も慰謝料も払う必要は無い」など。しかし周りに惑わされず私の信念を貫き全て払って正解でした。
本の感想は1ページ読むごとに当時を振り返りなかなか進みませんでした(笑)しかし全部読んでとても素晴らしい本でした。離婚問題で苦しんでいた時に読みたかったです。
ヒステリックな元妻に寛容になれたのも先生のブログのお陰ですが、本当に辛い葛藤がありました。しかし子供の幸せを考えれば考えるほど元妻との関係修復が重要と考えられる様になりました。元妻はヒステリーを毎月起こしていましたが、それでも敬意と尊敬が必要と分かりました。元妻は最愛の子供を死ぬ程痛い思いをして産んでくれたのです。感謝する事は当然なのですがすっかり忘れてしまい、それがいつの間にか産んで当たり前、育てて当たり前になってしまっていました。家事、育児を積極的に協力する夫はいい夫だと勘違いもする様になってしまっていました。これでは離婚は当然と思います。社会も夫婦関係も凄いスピードで変化をしています。私は離婚した夫婦でも子の幸せを一番に考えられ、その後も子の為に協力できる時代になれると楽観視してます。もちろん例外もありますが。先生が頻繁にブログに書かれる「相手のことを考えられる力」と「理不尽な事も受け入れられる寛容さ」を今後も大切にしていきたいです。
by 仙台のH (2020-09-04 00:09) 

ドイホー

いつもありがとうございます。今回も貴重なコメントをいただきました。私が100回記事を書くよりも強烈な説得力で、圧巻です。一言では言えないご苦労もあったし、今も続いてらっしゃることと思います。少しでも分かり合える日が来ることをお祈りすることしかできません。今後ともご指導いただければ幸いです。
by ドイホー (2020-09-07 08:44) 

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