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正しい夫が妻から疎まれる理由。男性脳と女性脳とは何か  違いを認めれば、楽しく人生を過ごすことができる。 [進化心理学、生理学、対人関係学]



男性脳と女性脳という言葉がはやりのようです。
でもぴんと来ないことも多いと思います。
男性だと必ずこう考えるとか、こう考えないと女性ではない
というものではないと思います。
ただ、大まかな傾向というのはあり、
この違いを頭に入れておくと
私たちの生活は無駄な争いをしなくて済むようになり、
お互いを理解し、尊重できるようになると思います。

なぜ違いが生じるかについては200万年前に
人間の心が生まれたころの生活様式にありますが、
興味がある人は最後に記載しますので読んでください。

ではさっそく、事例をあげて考えてみましょう

【事例:妻と妻の母の買い物に同行する夫編】

ある日曜日、妻の母である姑が同窓会用の服を買うということで、妻が子どもを連れて姑とデパートに行くことになりました。子どもが小さいということと、どうせ食料など重い荷物も買うのだろうということで、夫は車を出しがてら、買い物に同行することになりました。家族円満を志す夫は、こういう時に貢献しようという気持ちです。
ところが、いつものとおり出発をぐずぐずしていたため、デパートに到着したのは11時半ころになってしまっていました。妻と姑はさっそく服売り場に行けばよいものを、入り口に入ったところの小物売り場で品定めを始めようとしています。
夫は提案しました。昼時になれば食堂は混んでいてなかなか入れないし、食事が出てくるのも遅いので、先に食事を済ませてしまいましょう。そうして、ゆっくり買い物をしてはどうですか。夫は、「それは良い提案だ」とすぐに受け入れられると思って、そう言いました。
ところが、妻も姑もきょとんとして、なぜそう言うことを言うのだろうというという表情をしています。夫は、少し口調を強くして、再度提案をしました。ようやく、妻がとりなすようなことを言って、食堂で食事を始めました。

【問題提起】

なぜ、夫の合理的な提案に対して、
妻と姑の反応が鈍かったのでしょうか。

【結論】

夫の買い物の目的と、妻と姑の買い物の目的は別だったからです。

【解説】

夫は、買い物と食事をするのだから、より良いものを買い、より快適に食事をするという目的を設定し、目的に最も適した行動をすることが、当然であるという発想になっています。極端に言えば目的に直結する行動が善だという態度であり、目的を達する観点からは回り道であれば悪だという態度です。
妻と姑にとって、買い物をする目的は、主としては代金を出して物を購入することではありません。食事についても、短時間で栄養を補給することではないのです。実は、買うかどうかはそれほど深刻に考えておらず、デパートで品定めをすることを楽しむということが大きな目的であり、それこそが買い物なのです。食事にしても、おなかがすけばイライラするかもしれませんが、みんなで待つならそれもまた楽しいという考えなのです。
夫にはそういう知識はありませんでした。同窓会の服を買うという目的にまっしぐらに進まなければならないと固く考えてしまっています。無駄に時間をかけて食事をすることは不合理だという価値観も譲れません。それこそが男性脳の傾向です。その発想に立って、合理的でないと言って妻と姑の行動を悪く言えば批判していたことになります。夫からすれば自分の行動提起は正しく合理的で、優れている。妻と姑の行動は、計画性が無く不合理で、劣っている。そう思っているのです。
しかし、妻と姑は、楽しく品定めをしているのに、なんて無粋な男なのでしょうと感じるし、むきになって先に食事をするべきだと力説している男を持て余し、なんだか怖い人だねという感想を持ってしまいます。なんだか馬鹿にされているような気もしますので、不愉快にもなります。

【さらなる解説】

男性脳は、このように、一つの目的に対してまっすぐに進もうとします。直線距離を歩むことが正しいし、それをするべきだという考えです。
これに対して女性脳は、仲間と円満に過ごすことが目的だというとわかりやすいかもしれません。一緒に何かをすることを楽しみたいということに比重があるわけです。
どちらが正しいということはないと思います。それにもかかわらず、自分の価値観が絶対だということで、その価値観に反する行動を否定評価してしまうと、相手は不愉快な思いをします。こういうことが何度も続いていくと、相手は自分が否定されたような気持ちになっていきます。自分の行動のどこが否定されているかわからないから、自分という人格が否定されているような気持ちになっていきます。相手の顔色をうかがいながら生活することに息苦しさも感じていくでしょう。自分のことを自分で決められないという不自由感、拘束されている感覚が強くなっていきます。そうして価値観の違いを度外視した否定行動が、強い言葉を伴ったり、暴力的な行動を伴ってしまうと、それが大したことの無い口調、暴力であったとしても、恐怖の感情が起きていきます。

【ではどうすればよいの。行動を改めるのはどっち】

結論から言えば、家庭の中では、女性脳に従うべきです。
男性脳は、付録で説明する通り、狩りをするために合理的な思考パターンです。目的のためには、自分の自由を制限することも当たり前、楽しんでなあなあでやっていたのでは、小動物も必死に逃げるため狩ることはできません。狩りをするにあたってとても都合がよい思考パターンです。
女性脳は、子育てをしながら群れを守ることに適した思考パターンです。喧嘩をしない、頭数を減らさない、そうやって自分たちを守り子育てをする。家庭ではこのパターンが適しているのはよくわかると思います。
仕事の場合、今でも、企業間競争が厳しくて真剣勝負で臨まなければならず、不合理な行動は禁止されていると思います。しかし、家庭では、そんな合理性を追求して、何事も緊張感をもって行動しなければならない事情はありません。むしろ、家庭は緊張を緩和させることが求められています。家族がそろうことで安心して過ごすことこそ家庭の役割です。男性脳から見て不合理だ、失敗だ、欠点だと思っても、それで楽しく生活できるならば不合理でも、失敗でも、欠点でもないのです。
本当は職場でも、少し男性脳が優位に立ちすぎていると思います。人間の仲間がもつ癒しの機能を否定して、全力で緊張を高めていたのでは、長続きしません。深刻なフィードバックも起きてしまい、結局は生産性も上がらないのですが、これはまた別の問題ですね。

【男性脳は、男性の責任ではなく社会によって強化されている】

目的に向かってまっしぐらということは、もともと男性の遺伝的な脳の傾向ですが、現在は、男女の社会的役割があまり変わらなくなったので、必ずしも合理的なものではなくなっています。そのため本来であれば、それほど思考傾向は出ないはずで、実際、女性の中にも男性脳的な発想をする人が多くなっていると感じます。
でも、年々男性脳がもてはやされる傾向になっているような感覚があり、危機感すら感じるところです。男性脳が陥りやすい危険とは、目的至上主義になり、目的に反する行動を徹底的に否定する。一人一人を目的達成の貢献度で優劣を作る。劣後の評価を受けた人間を、感情と人格のある一人の人間として扱わない。誰かを否定しても、否定が合理的であったり、目的の観点からの正義であったりすれば非難されない。例えば経済的目的に貢献しない、生産性の低い人間は切り捨てる。そういった傾向は男性脳が悪用されているように感じるのです。
われわれ日本人の多くは、まず受験という目的にまっしぐらに努力させられます。これは男女共通です。目的にまっすぐであることによって成果が上がりますから、友達などとの調和や親睦よりも優先させられることにならされていきます。特に受験競争や就職戦線に勝ち残った人たちは、そのような考えこそが正しかったという教訓を学び取ってしまいます。
さらに、職場でも、先ほど述べたように企業の生き残りのために、無駄を排除し、徹底的な合理性を求められます。企業の価値観に反した行動をとると、始末書を書かせられたり処分されたり、解雇されたりするわけです。
こうやって、生き残るためにということで男性脳的傾向を、生まれた後で社会から押し付けられているような気がします。
そうして、一つの価値観を疑わない人間がつくられて、価値観になじまない人間を、価値観に反するということで否定し、排除する。そういう危険があるように思えるのです。殺伐とした緊張持続社会が生まれてしまうでしょう。
社会を和ませるためにも、家庭を笑いのあふれる空間にするためにも、男性脳の過剰な働きを止める必要がありそうです。
では、どうすればよいか。もしあなたが男性で奥さんがいて、奥さんがいつも不合理な行動をして、自分はいつもイライラしているというなら幸いです。奥さんの行動にイライラしない、眉を寄せないで、何が彼女の価値基準なのかよく観察して理解するようにすることで、この難問の解決を達成することができます。大丈夫です。おそらく奥さんの価値観の方が家庭では正しいのです。
また、対人関係で悩む方、学校、職場、男女関係で自分のみの所仕方がよくわからない方であれば、あなたが人気者になり、人間関係を少しまろやかにするためには、男性脳的行動を抑えて、女性脳的行動を意識的に入れていく、それが成功の秘訣です。
特定の価値観から、その人に欠点がある、不十分なことがある、致命的な失敗だという評価をしない、させないということが女性脳なのでしょう。
もっと女性脳が優位な社会、家庭になることが求められていると思います。

【付録、男性脳と女性脳が合理的であった時代】

 人間の心が生まれた200万年前の狩猟採集の時代にヒントがありそうです。男性はチームを組んで、イノシシなどの小動物を狩りしたそうです。その間女性は子育てをしながら植物を採取していたようです。どちらかというと男性は、狩りチームの一部となり、動物を狩るという目的のもと、合理性を追求しながら目的達成に集中していたということになります。女性は、一人一人がそれぞれ食べられる植物を探しておそらく協力して刈り取って群れにもっていったのでしょう。
 ここから男性は、目的のもとに結束して目的完遂というところに価値をおく傾向が生まれたというとわかりやすいと思います。女性は、目的遂行というよりも、群れを守るという意識ですから、群れの他者との調和、群れの平和に価値観がより重く置かれるということもわかりやすいと思います。
 人間は、男性的な目的のもとで、自分をチームの一部として動かすという緊張感を長く持続させるように人間の体の仕組みはできていないようです。夕方には群れに復帰して緊張感を緩和させていたようです。群れの中では、調和の技術もノウハウも女性が上ですから、女性に従って行動していたのだと思います。屈強な男性たちが命がけで狩りをしてきても、群れの中では女性の尻に敷かれ、指図されてその通り動いている図を想像すると、なんだか笑えてきますよね。「ええ、そうなの、従わなくてはいけないの」という表情をしていたのか、「何でも言ってくれ、俺はできるぞう」と喜んでやっていたのか、どちらなのかを考えても面白いと思います。
学説では、当時は完全平等で、狩りが上手な人が偉いという意識はなかったそうです。偉ぶる人は、偉ぶったということを理由に、みんなから攻撃されたのではないかと考えられているそうです。
 元々、男性の思考パターンは狩りの場合にのみ有効で、家庭では女性脳に従ってきたのだとすると、現代においても人間の在り方は、これが自然だということになりそうな気もします。

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