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被害者の心理 1 被害者は自ら損を選択し、拡大被害が生まれる [進化心理学、生理学、対人関係学]

被害者の心理 1 被害者は自ら損を選択し、拡大被害が生まれる

信じていた人に裏切られた場合。あるいは、公平や正義を期待した存在に自分が理由もなく不利益を与えられる場合のその被害者の心理についてのお話です。
詐欺を受けた被害者、気が付かないうちにパワハラを受けていた被害者、あるいはいじめにあっている被害者、そして妻に子どもを連れ去られて、行政や警察が連れ去り行為に加担していることを知った夫等、弁護士はよく被害者と一緒に行動をすることになります。

最近強く気になっているのは、被害者が、例えば裁判や調停で、感情に任せて行動をして単純に損をする選択をする傾向にあるということです。

第1に、感情的になりすぎて、些細なことで怒りをあらわにするということ。逆に他人の感情を顧みずに、論理的に間違っていることをいたずらにただ主張することです。

なぜこれが損になるかというかお話しします。本当は被害を受けなければこんな正確でなかったと思うのです。被害を受けたから、感じ方や行動パターンが変わるのが人間です(1)。それなのに、例えば離婚関係の調停の中で、相手の上げ足をとり、相手の弱さを無視して、すべて理屈通りに行動しなければならないと強硬に主張してしまう、調停委員のわずかな言葉も無視できず徹底的に抗議してしまう。時に大声をあげてしまう。長時間演説をしてしまう。こういうことをやってしまうのですが、それも被害を受けたから行うことなのです(2)。それを調停委員や、あるいはその人の代理人が理解できませんから、
「ああ、同居しているときからこういうことをやっていたのだろうな。こういう人と同居していたら毎日が苦しいだろうな。奥さんが離婚したくなっても仕方がないだろうな。」と自然に感じてしまうのです。ただでさえ、男性はジェンダーバイアスと戦わなければならないのに、その偏見を自分の行動で後押ししている形になってしまいます。その結果、なかなか親身になって調停を進めてもらえません。
ここまで読んで、それでは調停はだめだろうと感じた方は、重篤な被害者心理を抱いていらっしゃいます。現実を踏まえて活動することができなくなっています。

第2に、実利をとることに目が向かず、相手方を攻撃すること、相手方の主張の矛盾を指摘することに神経が向いてしまう。

例えば財産分与で、子ども名義の銀行口座を共有財産として価値を分配するのか、妻の特有財産だとして妻に与えてこちらは取り分を放棄するかという議論があったとします。妻側はあきらめて共有財産だから、例えば80万円の口座残高だから、40万円を引き渡すと主張しているとしましょう。ところが、調停が始まる前では、この口座は、妻が「自分の元々あったたんす貯金を子ども名義でためていたのだから私のものだ。」とか言っていたような事情があったそうです。夫は既に逆上していますから、「あの時自分のものだって言って威張っていたくせに、今度は違うことを言っている。言っていることが矛盾だ。妻の特有財産だと主張する。」なんて言ってしまって、自分が40万円損をすることに気が付かないのです。割と単純化してお話ししていますし、ご自分のことでないので、読んでいる皆さんは、「なんでそんな馬鹿なことを言うのだろう。」と理解できないかもしれませんが、実際の離婚事件ではよくあることです。本当は、「妻が結婚前からためていたお金だから特有財産でよいよ。」という気持ちならば代理人もそうですかというのですが、そうではないようです。また、説明してもよくわかられません。
典型的に、自分で自分の損に向かってしまっているのです。

第3は、他人に対して高度な支援を期待してしまう・要求度が高くなる(3)

こういう現象も目につきます。被害者は自分が誰からも支援を受けられていない孤立した状況だと感じやすくなっています(4)。例えばいじめ事件やパワハラ事件でも、勇気を出して助けの手を差し伸べている人が必ずいて、その事実について被害者もきちんと認識しているのです。しかし、自分が支援されているとか、その人が自分を助けようとしているという評価ができない。このために孤立感が深まっていきます。支援をしようとしている人は、支援が正当に評価されず、自分が逆にいじめなどの対象にされてしまう危険を冒して手を差し伸べているにもかかわらず、反応がなされないために、はしごを外されたような気持ちになってしまいます。どんどん本当に孤立していってしまいます。

第4は、他人を信じられなくなり、自分の仲間を攻撃するようになる

例えば家族、例えば代理人弁護士など、「自分を助ける仲間」というカテゴリーの人は仲間だという認識はあるのです。しかし、要求度が高いということと関連するのでしょうが、些細なミスを重大なことのようにあげつらって攻撃してしまいます。これは攻撃的になるというよりも、些細なミスも命取りになるのではないかという不安が強くなっているのだと思います(5)。そうして、あれこれと自分が仲間に対して命令をするようになってしまいます。
客観的にみていると、そのさ指図やその抗議で、事件解決や自分の要求を通すことの大事なポイントが見失われてしまったり、逆効果になっていることが多いのですが、他人に任せるということができない。ついつい自分がやってしまって、失敗することがあります。

また、仲間さえも心理的に離れて行ってしまいます。大きく観た場合に利益に反する行動につながります。

第5 他人の気持ちを考えられないため、仲間を攻撃してしまう。

信じられないという心の問題もありますが、相手の心という複雑なことに対して配慮をすることができなくなります(6)。相手から見れば、「被害者だからといって、何をやっても許されるわけではないぞ。」という気持ちになってしまいます。客観的には相手に失礼なことをやっていても、本人は相手に迷惑をかけているということに気が付いていないのです。「自分と同じ気持ちでいるはず、いなくてはならないから、自分の言っていることは相手も当然なこととして受け止めるはずだ。」というくらいの気持ちでいるようです。

相手の活動を妨害している結果になることもあります。こういう場合、悪意が無いからといって、聞き流すことができないことがあるのはやむを得ません。

第6 正義に敏感になり、日常的に攻撃モードになっていることに気が付かない。

これは少し上級者ということになります。自分の被害が、自分と加害者の関係の中で完結しているものではなく、社会的背景があることに気が付くようになります。そうすると、社会的活動をするようになっていくものです。それは良いのですが、社会の色々な不正に対しても、うやむやにすることができなくなり、例えば行政に、例えば警察に攻撃を仕掛けていくということが出てきてしまいます。ところが、攻撃をする相手は社会そのものではなく具体的な個人ですから、攻撃している本人以外の人から見ると、かなりケンがあるというのでしょうか、うっかり話しかけると攻撃されるのではないかというような漠然とした印象を持ってしまいます。これは大変損です。話しかければ賛同してくれますが、徐々に近づかれなくなってしまうということが起きます。本人悪い人ではないし、間違ったことは言っていないので、大変損です。
社会的な働きかけは大勢で行わなければなりませんので、結果を出すためには、こういう状態になっているということを意識して、アプローチを工夫する必要がどうしても出てきます。
正しいことを言っているから、相手をとことん攻撃する、手を緩めないということがウリの政党の支持が拡大していかない理由がここにあると思います。一般の人、被害者以外の人は、人と人が争うのを見ることも嫌がるし、正しいことで追いつめられる人を見ることも嫌がるものなのです。大切なことはアプローチの方法だということです。

第7 仲間に依存してしまう結果、仲間以外を攻撃してしまっている

被害者は、自分の被害を説明することが辛いです。被害を受けたときに気持ちになるでしょうし、それを説明しなければ分かってもらえないということも辛いところです。だから、同じ被害を受けた仲間や支援者の中にいることがとても心地よいわけです。言葉に出さなくても分かってくれるということだから当たり前ですよね。だから同じ被害を受けた仲間は助けたくなるし、守りたくなるのも当然のことですし、人間らしい感情だと思います。
仲間が誰かと対立していたり、あるいは仲間が誰かにケンカを売っていたりしても、仲間を守りたくなり、支援する行動をしてしまいます。どうしても、「それはやめた方が良いよ」とか「もう少し穏便に意見表明した方が良いよ」というような相手の行動を部分的にでも否定することをしにくくなります。
その結果、仲間は自分の行動が支持されていると思って行動をエスカレートする等の弊害が生じ、支援者も相手からその仲間と一緒に攻撃を受けている加害者集団の一員だという扱いを受けてしまいます。
また、同じ被害者というくくりはあまり正確ではありません。実は被害の内容は人それぞれ全く違うからです。自分よりましな相手のましな部分にどうしても目が行ってしまうものです。元々被害に敏感になっているため、仲間の善意の言動も自分を攻撃しているように過敏に反応してしまうこともあるようです(7)。
「誰かを支持することが誰かを攻撃することになってしまう。」実はこれが人間がなかなか争いがやめられず、不合理な被害にあう人が生まれる根本原因だと私は考えています(8)。そうやって被害者になったのに、今度は別の誰かに対する加害者になってしまっている。そして被害が拡大していく。これは悲劇だと思います。
そして、そのような被害者を利用しようとする人たちもいます。迫害されていればされているほど、自分たちに救いの手を差し伸べてくれる人はありがたいです。はっきりと恩着せがましいくらいに支援しているという人に対して依存してしまいますので、第三者から見ると、なんでこんな見え透いた人に従うのだと理解できない人に対してもです。明らかな嘘を言って、被害者を利用して、第三者から見れば被害者を危険な目にあわせて、自分の利益を得ている人たちもいます。また、善意の人も、善意ではなくても被害者の利益になる人もいるにはいるのです。ここの見極めは大変難しいところです。




文中のカッコ内の数字は、後に利用するためのもので、今回については意味がありません。すいません。

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