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【骨抜きにならない共同親権制度を創設する運動において留意するべきこと(前編)】 反対者の「論理」を踏まえた、私の考える「何を主張するべきか」。 [弁護士会 民主主義 人権]


<共同親権制度は、ほぼ外圧頼みという現状なので、選択的共同親権制度という骨抜きに着地させられる危険性が高いこと 当事者の奮闘が求められているという客観的な状態であること>

現在、法務省において離婚後の共同親権制度が議論されています。国の制度ですから世論の支持が必要になります。過労死等防止法の制定の際は、過労死防止に表立って反対する人はいませんでした。県議会や市議会でも全会派一致で制定を促進する決議があげられました。遺族の方々を中心として、少数派にならないように、多数派になることを意識して運動をされていました。政権与党(安倍総裁の自民党)の分厚い支持、法案推進の方針を勝ち取り、法律は制定されました。
ところが、共同親権制度創設には、少数者ですが表立った根強い反対派がいます。また、「単独親権をやめて共同親権にする」ということには、「過労死防止」という誰でも賛同されやすいものと違って、多くの国民にとってわかりにくいスローガンです。
共同親権制定には外圧がありますから、言葉の上では「共同親権」という言葉が入る制度ができるとは思います。実践的な問題は、言葉では「共同親権」とはつくけれども、例えば「選択的共同親権」制度ということで骨抜きの制度が作られてしまう危険をどう克服するかというところにあると思います。
選択的共同親権制度とは、夫婦の双方が合意すれば共同親権になるけれど、一方が拒否すればこれまで通りの単独親権制度とするという方法です。これでは、現状とそれほど変わりはないでしょう。様々な政治家のこれまでの発言からすると、「落としどころ」として、選択的共同親権制度が、数年前から検討されていたのではないかと感じる事情がたくさん見られます。これでは、一方的な連れ去り別居をして、子どもの監護を排他的に継続し、離婚をして親権を取得し、そのまま子どもを他方の親と遮断するという行動が、親権制度が変わっても維持されてしまうことでしょう。制度創設は、なかなか難しいことですから、今のタイミングで選択的共同親権制度となってしまったらその後に修正することは当面難しいと覚悟をする必要があると思います。
今、親権制度について知識があり、子どものための制度であるということを知っている人はどれだけいるでしょうか。かなり絶望的だと思います。共同親権制度を主張するべきである常日頃子どもの権利を主張している人たちの推進の主張も知りません。私が不案内なだけかもしれませんが、子どもの権利を一番無視する連れ去りや単独親権について何も言わないことが不思議でなりません。当たり前の、世界レベルの共同親権制度とするためには、結局当事者の方々の頑張りがとても重要だということになります。
私ごときが、運動論をお話しすることはいささか出しゃばりすぎかもしれません。しかし、当事者の方々のそばで運動を見ている者として、また自分も別の分野で同じような立場に苦しんでいるということから、色々見えることがありました。また自分の図々しい性格からも、これは私でなければ言えないことだなあと思いました。変な使命感からこの記事を書くことにしました。

<世論形成のためにという視点が必須 反対派の弱点>

先ず、情勢分析をすることが大切です。先に述べました通り、法案成立の推進力は今は外圧が中心です。これは強力な推進力です。ところが国内の反対派の力が大きくなれば、こちらに配慮して国は何とか外圧をかわそうとすると思います。その場合は、翻訳しにくい日本語を屈指して選択的共同親権とするという方法をとるでしょう。だから、今は反対派との切り結びが重要にはなると思います。ただ、ここでいう「切り結び」というのは、どちらが世論の多数を獲得するかということです。この観点からの一番の誤った行動は反対派を直接攻撃すること、例えば論破しつくそうとすることです。(論破しようとするほど、多数が離れていく仕組みについては後編で。)
先に、反対派とどう切り結ぶか、直接対決するような場面ではどのようなことを心掛けることが戦略上有効かということについての私の考えをお話しします。
共同親権制度の目的は、子どもの利益の推進です。ご案内の通り諸外国では離婚は自由ではなく、裁判所などの関与を経て、子どもの養育方針を確立させて初めて離婚が認められるという法制度をとっています。子どもの利益を度外視して離婚は認められないのです。日本だけが、世界の常識とは異なり、大人が自分たちで勝手に離婚ができるという制度となっています。他国と比べて日本ではまだ子どもの権利、子どもの利益ということの検討が圧倒的に遅れているということが言えます。だから、外国は、日本に共同親権制度を作ることは人権問題だから、圧力をかけても内政干渉ではないという考えをとっています。
では、共同親権反対派は、どのような理由で反対するのでしょうか。子どもの利益になることならば、反対する理由はないはずです。実は反対派は、私から言わせてもらうと、争点となっている離婚後の子どもの利益という観点では何も考えていない、少なくとも争点については主張が無いといってよいでしょう。あくまでも、母親という大人の利益を理由に反対していると私には感じられます。「DV夫」から女性を解放するためには、離婚後も子どもについてDV夫と話をしなくてはならなくなる共同親権制度は創設してはならないという意見が主たる理由ではないでしょうか。
つまり、反対派の最大の弱点は、子どもの利益を促進するための制度を作ろうという時に、それは大人の利益にならないから反対だというところにあります。正面切った議論を回避しているわけです。
こちらとしては、大人の利益も考えましょうというおおらかな態度で良いわけです。共同親権としたうえで、例外的なDVの問題は例外的な対応をして女性を苦しめないようにしましょうということで良いわけです。但し、子どものためには、それでも一緒に暮らしていない親との交流が有益であるとされているので、その例外措置をどのようなものにするかについては細やかな制度設計が必要だということになります。
ところが、反対派は子どもの利益をどうはかるかということについて、定見はないようです。制度には必ずメリットデメリットが両方ありますから、デメリットを述べることはよいのですが、それではメリットがないことをどう手当てするかということを述べるべきですが述べません。極めて無責任な態度だと批判されなければなりません。まさに争点そらしで、かみ合わない議論を敢えてしているということになります。意見表明できない子どもの利益を無視しているわけです。「子どもの利益をどう図るか」という問いに対して答えないのですから、「ご飯食べた」という質問に対して「ご飯は食べていない」(パンを食べたから)というご飯論法と本質的には変わらないと思います。
さらに反対派はDV夫からの解放を言うのですが、離婚の原因の多くは、実際はDVと言えるようなことではありません。圧倒的多数の子どもたちは、親がDVをしているわけではないのに一人の親とは会わせてもらえないのです。親が家から追放されていることも日本には多く残っています。通常家から追い出されて子どもが会えなくなるのは母親です。単独親権を残存させることは、子どもと一方の親を断絶させることにつながっています。それにもかかわらず、圧倒的少数の事例であるDV離婚のために、それ以外の大多数の子どもが親に会えない、親を慕うことができないという親子の断絶の中で成長することを余儀なくされているわけです。反対派、この悲劇を継続させる結果になるということが、私からすれば大きな弱点だと思うのです。離婚するほど嫌だとしても、子どものために我慢してもらうしかないと思います。もっとも野放しにするわけではなく、主として行政が、話し合いの場の設定など安心して協議ができる人的物的支援をする必要があると思います。このシステムは、本来離婚前から活用できるようにして、離婚自体を減らすことが本当の子どもの支援だと思っています。支援がとてもできないような、面会が重度の損害をもたらすような、そんな激しいDVがあった離婚というのは、極めて少数であるということが私の実務家としての実感です。
大事なことは、大人の利益をいうことはよい。けれど、制度の目的である子どもの利益をどのように考えるかにこたえるべきだということなのです。ここを言えない反対派の論拠が貧弱であるということが反対派の最大の弱点です。どこの国でも共同親権制度を創設するにあたって、子どもの利益とDV被害をどのように調整するかということが十分議論をされています。その論議の結果、どこの国も共同親権制度を創設しているのです。DV被害はどこの国でも共同親権制度の問題の所在とはなっていますが、制度を創設しない理由にはなっていないのです。
さて、ではどうするか。反対派を批判すれば、共同親権制度が推進されるかというと、これは必ずしもそうではありません。ここが大事なところです。批判はそれがどんなに正当なものであっても、第三者は正当な批判を支持するとは限りません。むしろ批判すればするほど、第三者は引いていきます。ここが大事です。
誰かが誰かを批判することは、第三者からすれば、それを見聞きすることは抵抗があるものです。むしろすんなり共感できにくくなります。感情を交えないで純粋に議論を進めようとしても、第三者は意見の対立自体に不穏な空気を感じて引いてしまいます。ましてや、被害者ともなれば、感情を交えないで議論をすることは、自分ではできているつもりでいても、客観的にはできていません。感情が勝るのは当然ですし、感情が勝ると反射的に相手の弱点をこれでもかと突きたくなるのも自然なことです。
相手の批判に重点を置かないことが大切です。あくまでも共同親権制度は、子どもの利益のために必要なことだということを、一般の人に向けて静かに語っていくことです。そして世論を少しでも共同親権は必要かなという方向に誘導して、外圧に結び付ける。これしかないと思います。
そのためには、ひとまず感情は棚上げして、共同親権と子どもの利益について勉強しなくてはなりません。

以下、後編に続きます。




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