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コロナ禍の経験を活かす リモートワーク、自宅勤務増でDVが増えなかった理由と家族コミュニケーションで本当に必要なもの そしてDVとは何なのか [家事]




年が明けてコロナ禍3年目となりました。思えば一昨年、コロナ禍が始まり、リモートワーク、自宅勤務という勤務体系が増加し、夫が家庭にいる時間が長くなるという変化が生まれました。その際、夫によるDVが増加すると警鐘を鳴らした人たちがいました。新聞なども夫による家庭内暴力の特集を組んだくらいです。
しかし、実際はDVは増えず、現在では自宅勤務とDVを結び付ける議論自体がなくなりました。われらが仙台弁護士会の所管委員会も、そのような警鐘が鳴らされたことで、本当にDVが増えているのだろうかということで昨年特別電話相談などを実施し、実態把握に努めたところ、コロナ禍によるDV相談は増えなかったということが結論だったそうです。

本記事は、どうしてDVは増えなかったのかということの理由を説明します。

理由の一つは予想自体が特定の思想に基づく政治活動であったということ、これは幾分皮肉めいた話になりますが、大切なことなので敢えてお話しすることとしました。
理由の二つ目は、対人関係学的考察で、そもそも現在喧伝されているDVは夫が妻を支配しようとして行われているのではなく、卑近な言い方をすれば仲良くしたいために攻撃してしまうというものであること、あわせて、家族相互に安心感が生まれるコミュニケーションとは質だけでなく量の問題が重要であることをお話ししていきたいと思います。

先ず、第一の理由は、「家庭時間の増加でDVが増える」という主張は、科学的根拠のある見通しではなく、DV相談の需要が高くなるから予算をよこせという政治活動だったということです。コロナ禍で人々の不安が高まっているだろうと当て込んで、「その不安の原因は、夫のDVです。」という決まり文句を言って離婚に誘導するという、いつも個人個人の女性に対して行っている手法をマクロ的に行ったというだけのことです。かなり宣伝活動を行って相談を募集していましたから一定件数相談は増えたと思いますが、詳細を見れば、予算や相談員の増加に見合った相談件数も増えておらず、DV案件が増えたわけではないということは現場の実感のようです。それでも、昨年、文部科学省の審議会である「児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議」という機関では、たった2回のリモート会議を行い、報告書をあげています。その中で、コロナ禍である令和2年の児童生徒の時の原因のトップが受験以外の進路問題と健康問題であり、コロナ前は1番だった家族問題という原因が後退したにもかかわらず、増えた原因についての分析を行わず、夫が自宅にいる時間が長くなったので生徒の自死が増えたというような報告書を出しています。こういう何が何でも夫が家庭の癌だという考え方が滑稽であり、政治的な主張に過ぎないということがわかりやすくなりました。この会議は、増加傾向にある児童生徒の自死予防よりも、家族解体という主張を優先しているわけです。子どもの自死問題について真面目に考える機関が文科省内に存在しないことの象徴として注目されることでしょう。こんなやっつけ仕事の審議会にも税金が使われているわけです。

コロナ禍でDVが増えなかった第2の理由こそ重要です。
但し、冷静に先入観なく考えてみれば、極めて当たり前のことです。つまり、一緒にいる時間が長くなったので、仲良くなった。これだけの話なのです。現代社会では、これが当たり前のことではなくなっているということが問題です。一緒にいると仲良くなるということの意味、構造を理解することは、いま求められていることだと思います。

1)家族解体主義者の考えるDVの原因 男性の支配欲求

「家庭時間の増加でDVが増える」という主張の極端な理由を述べるのは、家族解体主義を主張する人たちです。家族解体主義とは、「家族というものは女性を支配する装置であり、女性は妻として母として家族に支配されてきた。だから、女性の幸せのためには家庭から女性を解放しなくてはならない。」という考えを本当に言っています。この考え方では、「男性は、女性を支配しようという性質がある。」とされてしまいます。だから、長時間夫婦が一緒にいるということは、即ち、「男性が女性を支配しようとする時間が長くなる。」ということになるわけです。だから支配の手段であるDVが増えるという考え方なのです。これが新聞などで、取り上げられて特集まで組まれているということです。また、文科省の審議会で税金を使って、子どもの自死予防よりも優先して取り上げられていることなのです。家族解体主義は、一部の際物思想ではなく、マスコミや国家機関に浸透している考え方だと私は考えています。

2)対人関係学の考えるDVの原因 孤立化防止の防衛活動 知識不足

家族解体主義の対極として、対人関係学の考え方があります。ほとんどのDVとされる事案は、関係を継続したいという欲求を原因として、自分が相手から否定評価されること、相手から愛想をつかされることを極度に恐れて、相手の自分に対する否定評価を打ち消すために、相手を否定してしまうという矛盾が原因で起きているというものです。
だから、自分が家族の一員、夫婦のパートナーとして安心できているならば、攻撃的感情は起こらない。という考え方です。男性に特有の現象ではないということになります。

ところが現代社会は、おそらく物心ついてからずうっと、自分が否定評価されることに不安にさらされて、自分を守ることが私たちの多くの、大きなテーマにされてしまっているようです。例えば職場でも、自分に落ち度があるとは思われないことで叱責され、責任を取らされ、あるいはわけのわからない理由で評価を下げられ、または正当な評価をされず、気をはりつめて周囲の中に溶け込まないと孤立してしまうという不安にさらされ続けているのではないでしょうか。自分がよかれと思ってこつこつ行ってきた努力も、誰かの気まぐれで一瞬にしてなかったことにされてしまう。こういうことが起きている世の中だと思います。常に自分を守ろうとしている意識は、家庭の中に帰ってきてもなかなか消えません。子どもの無邪気な言葉でさえも、自分を否定評価しているのではないかと、おびえて、腹が立って、本気になって否定しようとしているということはないでしょうか。そこには、冷静な思考はありません。「自分が不当に否定されている。→ 自分を守らなければならない。 → 否定評価こそ否定する。」という条件反射的な短絡的な行動です。余裕がないのです。

つい大きな声で反論してしまう。
つい、言葉を選ばないで反論してしまう。
つい手が出てしまう。(これは現代のDV主張では驚くほど少ないです。)
自分が上司から叱責された内容よりもはるかに落ち度が大きいことをやってるのに誰からも否定されないから、教えてやる。という心理もよく見られます。

これらは、職場の影響を家庭に持ち込むという事例です。このように家庭自体に原因が無くても、家庭に中で不安が起きてしまう事例は多くあります。職場の影響のほかには、子どもたちは学校での出来事ですし、大人の場合は体調の変化から不安が生じることも特別なことではありません。

前々回の記事に書いたとおり、私は現代の夫婦は、相手に対して依存傾向が強く、相手から否定評価されたり離別を切り出されたりすることについて、過敏に反応してしまうという傾向があると感じています。

この不安に基づく反射的な反撃は、相手方は攻撃している意識はありませんから、とても驚くとともに、相手が先に自分を攻撃してきたという意識になりますから、やはり反撃しようとするのは無理のないことになってしまいます。家族の間に怒りが生まれ、新たな、裏付けのある不安が生まれてしまいます。

この一連の流れの中のどこを切り取るかで変わるのかもしれませんが、当事者にとっては理由のある反撃としてしか意識できませんが、善意の第三者が後から見ればもったいないいさかいであることがとても多いわけです。

3)それでは、なぜコロナ禍でDVは増えなかったのか むしろ減ったのか

家族解体主義者の「男性は支配しようとする性別である」という差別的な考えに基づけば、コロナ禍でDVが増えるはずです。これが統計的に増えていないむしろ減っているということであれば、「DVが巧妙化して相談ができなくなっている」のだというのかもしれません。そうであれば、従来のDV相談をやめて予算を削り、その分でもっと被害実態をあぶりだす方法をとるべきです。また、家族時間が長くなるとDVが巧妙化するという論法もよくわからない論法です。端的にDVは増えなかった、現代日本の男性に無茶な支配欲に基づく行動は一般的ではなかったとすることが無理のない解釈でしょう。

対人関係学的解釈では、支配欲と言われていたものは、実は関係性を維持するという欲求であり、これがDVとされるものの原因になっているという考え方では、「家庭時間が長くなったために不安を感じるきっかけが少なくなった」だからいさかいが減ったという流れが認められなければなりません。そんなことがありうるのでしょうか。

実はここが、今回一番言いたかったことで、私がコロナから学んだことなのです。
つまり、「家族コミュニケーションの一つの重要な方法は、一緒にいることによってお互いに安心感を持つこと」ということだということです。

これまで私は、時間軸の変化をあまり考慮せず、同じ時間軸で生活を続けることを前提に、コミュニケーションの「質」を高めることに重点を置いて提案してきました。しかし、コロナ禍の人間関係の研究を見ると、質とともに、コミュニケーションの「量」もコミュニケーション効果を高めるということが報告され始めているのです。しかも、一緒にいるということはまさに近くにいるということで、インターネットなどを間に挟まないで、「一緒にいる」ということのようなのです。

家族という人間関係の特徴は、毎日関係が継続していくというところにあります。特に、昼間の仕事や学校や他人との関係という緊張を余儀なくされている人間関係の時間を過ごした後の、緊張を緩めて、食事や睡眠を共有する時間を共に過ごすという関係にあります。
どうやら、一緒にいるということだけで、しかも、リラックスしてよい時間を一緒にいるということだけで、人間は一緒にいる相手に安心感を持つようです。人間の根源的要求である「特定の人間関係の中で安心していたい。」という要求が満足されるようです。

それから、毎日関係が継続するということは、毎日かかわり方の変化が生じ、新しいルールの小さな変更に全員が対応していっていることが起きているようです。こういうことが起きているためか、日々、新たな安心の記憶が生まれていくようです。

そして、リモートワークによって自宅にいる時間が延びれば伸びるほど、ストレスフルな職場などの関係から遠ざかり、自分を守るという緊張感が緩められていくようです。そうすると家族に対する八つ当たりの要素が生まれる機会も少なくなっていくようです。

このような日々刻々と積み上げられていく新しい安心の記憶と、外部的なストレスフルの出来事が減るために、外部の緊張の時間と、内部の緊張緩和の時間が意識の上でもはっきりと区別できるようになるのではないでしょうか。ひとたび、自分の不安の高まりが減り、家族への安心感が高まっていけば、家族から何か言われたとしても、それは自分に対する評価を下げるような危険な意識を持つ必要を感じられなくなると思います。無駄な反撃が起きる理由が少なくなっていく。相乗効果で家庭内が安心できる方向に動いていっているのではないでしょうか。

安心できる仲間と一緒にいる時間が長くなれば、単純に共鳴力、共感力も高まっていくでしょうし、この人のために貢献したいという気持ちも高くなるというのが対人関係学の主張でもあります。

4)コロナ禍が過ぎても安心できる家庭を維持するために

①一緒に過ごす時間が長くなったことで家族の状態がどうなったかを各自が検証する。
 今、私の仮説を述べました。これは一般論ですから、各御家庭に必ずしもきれいに当てはまることは無いかもしれません。どうぞ、それぞれの方々が自分の時間について考えていただきたいと思います。

②良かったと思う経験を意識し、記憶する
 これまでと比べて、良かったと思うことをピックアップしていただきたいと思います。自分が感情的になる時間が少なくなったとか、家族の自分に対する発言、自分が家族に貢献できたと感じること、家族の表情の変化、家族のために使用としたこと等小さなことの積み重ねを記憶されて、コロナ禍が終わって過重労働が始まっても、できることをできるだけ維持することを考えるというのはどうでしょう。
 特にご自分がしたことで、ご家族が喜ばれたことはしっかり記憶しましょう。

③コロナ禍以前の、自分の間違いをあぶりだしましょう。そして、それがコロナ禍が終わったときの自分が犯しやすい失敗だということを予め知っていれば、失敗しにくくなりますし、失敗してもすぐに気が付いて謝ること、訂正することができると思います。



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