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罪悪感の弊害 防衛機制としての片親疎外 夫婦喧嘩その他 [進化心理学、生理学、対人関係学]

罪悪感の弊害 防衛機制としての片親疎外 夫婦喧嘩その他

1 罪悪感の本質
2 罪悪感の発動ポイント
3 罪悪感に耐えられない人間
4 罪悪感から逃れようとする時の問題
   犯罪
   片親疎外
   その他

1 罪悪感の本質

罪悪感を抱くと、落ち着かない気持ちになります。何とかしなくてはならないという気持ちになるわけです。端的に言うと不安になるわけです。
罪悪感を抱く理由が実はここにあります。
つまり、罪悪感の原因を突き止めて罪悪感を抱かなくするために、行動を修正するきっかけになるわけです。結果として、良い行動ができることになります。罪悪感があったために、人間は悪い行動をすることについて、自分で自分を野放しにしないで抑制することができた、だから生き残ることができたということになりそうです。逆に言うと、罪悪感を持てない個体は淘汰されてしまったのだと思います。つまり罪悪感は進化の過程で人類が獲得したということが本質だと思うのです。

2 罪悪感の発動ポイント

では、どんな場合に罪悪感を発動するのでしょう。対人関係学では、他者との関係で自分の立場が危うくなる場面で罪悪感が発動されると考えています。つまり、法律や道徳などルールを守らない行動をした場合、誰かに迷惑をかけた時、誰かから非難されそうなことをした時などです。もっと対人関係学的に言えば、自分が自分の群れから追放される危険を持つ行動をした時ということになるのですが、これはなかなか自覚できる話ではなく、原理論理の話です。

つまり、群れの仲間として否定評価されるような行動を自分がした場合に、罪悪感を抱いて行動を修正するとか、罪悪感を抱くことになることを予想してそのことをすることを我慢したりするということです。

この結果、人間ははっきりしたルールを作る以前から群れを作ることができて、他の動物の中で生き残ることができたと考えるわけです。

3 人間は罪悪感に耐えられない

現在生存している私たちは基本的には、罪悪感を抱いて群れにとどまり続けた人間の子孫ですから、罪悪感を抱くと不安になり、何とか解決をしようとします。そういう心を持っているわけです。

罪悪感を抱いても行動を修正しなければ、生存の役に立ちません。強い力で人間に行動修正をしたくさせます。罪悪感は行動を強制修正する装置だということも言えます。ただ、それだけに罪悪感を解消できなければ、不安は持続しますし、解決欲求はどんどん強くなってしまいます。

本来、罪悪感を抱いた原因を探り当てて、その原因を解消するような行動をとって罪悪感を解消するということがノーマルで合理的な行動だということになります。おそらく100人程度の単一の群れで生活していた場合は、それが十分可能だったのだと思います。

ところが現代では、出会う人間の数は多いですし、群れも、家庭、学校、職場、ボランティアなど無数にあります。例えば、学校でみんなで次の授業をさぼろうという話になっても、親の顔がちらついて授業をさぼっては申し訳ないという罪悪感を抱くということはありますよね。しかし、自分だけ授業に出てしまうと友達との関係で罪悪感を抱いてしまうこともあります。群れと群れの間で罪悪感を解消する方法が見つからないということは、結構あるわけです。子どもの学校の卒業を祝おうと約束していたのに、急な残業をしなくてはならなくなるとかということもあることでしょうね。

4 罪悪感から逃れようとする時の問題

罪悪感を抱きながら生きていく人もいるでしょう。まじめで責任感が強い人は罪悪感に無防備になっていて、何とか解消する方法があるはずだ、群れと群れとの板挟みを合理的に解決する方法があるはずだ、頑張ればできるはずだという姿勢に立つからこそ、苦しむわけです。

要領の良い人になると、理屈をつけて罪悪感を解消しようとしています。
学校の例で言えば、「自分で進学を希望した以上授業に出るのが本則であり、友達の約束自体が不道徳で守る必要がない。」と割り切る人、「学校での友人関係こそが財産になる。授業を一回くらいさぼったとしても、天秤にかければ自分にとって得になる。」と考える人。会社の例は、皆さんも良く直面している問題かもしれません。約束を破った家族に対して、「仕方がないじゃないか」と言って素通りしようとする人が多いかもしれません。

実際は、罪悪感に向き合い続けることができず、あえて罪悪感から目をそらさないためには、相当の意志の力が必要ではないでしょうか。無意識のうちに言い訳を作って罪悪感を抱かないようにしようとか、軽減しようとすることを、人間は自然に行っていることが多いです。自分を罪悪感で苦しませないための心理的なメカニズムが発動されているわけです。

<犯罪者の合理化>
自分を守るということを言い訳にして犯罪を実行する人たちがいます。実際にそのような経験を再三したことが多いのですが、「誰かに温情をかけると自分が壊滅的に苦しんでしまう。こう言う人は損をさせても良い、だから自分の犯罪は、違法だけど自分は気にしない。」ということを言う人もいました。一見するとパーソナリティに問題があって他人の苦しみを理解しないのではないかと思う人でも、きちんと罪悪感を抱いていて言い訳をしていたことになります。今気が付きました。

<親から分離された子どもの片親疎外>

児童相談所に保護された経験を持つ人から話を聞いたり、一方の親に連れ去られて久しぶりにもう一人の親と面会した子どもの様子を見たりしていると、親から引き離された子どもは、その親と一緒に生活しないことに罪悪感を抱いていることがわかります。

要領の悪いというか、まじめで責任感や正義感が強い子どもは、罪悪感をいつまでも引きずっていくようです。親から分離されて育った子どもは自尊心が低くなることが指摘されていますが、こういうところにも原因があるのではないでしょうか。育てた人がどんなに立派な素晴らしい人であったとしても、自尊心の低下が起こるには理由があるように感じました。

子どもは自分でもあまり罪悪感を自覚しておらず、その場その場では、周囲の人と協調していて楽しそうに行動しています。しかし、子どもたちを見ていると、やっぱり孤立感や罪悪感を抱いていたのだなと強く感じる瞬間があるのです。これは顕在化しないだけに対処が難しいのだと思います。

但し、そんな子どもでももう一人の親と会い、その親が満面の笑顔で迎える場合は子どもの罪悪感は一挙に氷解します。親にしがみついて大泣きして泣き止まない子、ずうっと何をしても楽しそうに笑顔を続ける子、年齢に応じた表現方法で、長年の懸案事項が一気に解決した安心感を爆発させる姿は、言葉にできません。

子どももそんなまじめというか要領が悪いというか、そういうタイプの子どもだけではなく、自分を防衛するための理屈を作る子どもたちもいます。一番多いのが、「会えない親が悪いから自分が被害を受けているのだ。その親は親として不適当な人間なのだ」というものです。子どもの性格によっては、どうしても必要な心のバランスのとり方のようです。自分の周囲の大人に対しても、その親と「会いたくない」というわけです。積極的に会いえない親の悪口を自分から言う理由もそういうところにあるのかもしれません。同居中に厳しいしつけをしていた親に対しては、特にそのような言い訳を自分にしている場合があるように思われます。言い訳がしやすいのだと思います。片親疎外(子どもが親のうちの一人に対して拒否的な行動をすること)が深刻になる原因には子どもの一緒に住んでいないという罪悪感もあるのかもしれません。

<その他>
罪悪感が高じてしまうと、罪悪感の原因になった問題を解決しようという合理的な解決を考える余裕がなくなります。とにかく罪悪感だけは何とか解消したいという逆転現象が起きてしまいます。特に人間関係と人間関係の間に入ってしまい、こちらを立てればあちらが立たぬという状態にある場合は、逆転現象が起きやすいようです。冷静に考えればどちらにも角を立てない方法があるのかもしれませんが、このようなジレンマに苦しむときは冷静な思考が起こりにくくなるようです。

こうなってしまうと直感的な行動になってしまいます。反撃されないほうに不利益を押し付けるということが出てきてしまいます。先ほどの会社と家族の約束を例にとりましょう。会社の上司には逆らえないとなると、会社の用事を優先することになるでしょう。家族に対しては罪悪感があるようです。罪悪感を消すことだけを考えてしまうので、家族から文句を言われる前に、「外で働いて苦労している」という恩着せがましいセリフを吐くことをしてしまいます。家族に約束を守れなかったことを丁寧に説明することをしないで、「文句を言うな」みたいなことを言ってしまいます。あれは、罪悪感を解消しようとするからこそ感情的な言葉遣いになるわけです。罪悪感の解消以外の、例えば家族の気持ちなんていのも考えられなくなるわけです。言われた家族の方は、約束は守られないし、なんだかわからないけれど怒られてしまうしで踏んだり蹴ったりになるわけです。

妻が友人と結構いい値段のランチに行くという場合、自分だけ贅沢して夫に申し訳ないと罪悪感が発動されてしまいます。妻はメンタル面や情報取得面の効用を説明して堂々と家計を使えばよいのですが、罪悪感から「こんな時々しかないランチごときに妻をびくびくさせないで済む稼ぎをしろ」等と余計なことを言ってしまうわけです。夫から何か言われることが嫌で先制攻撃をするという説明が一般的ですが、私は罪悪感が一役買っていると思うのです。

罪悪感を抱きやすい人は、良く言えばまじめな人、悪く言えば要領の悪い人です。でも、それだけ相手を大切に考えている人だということは確実に言える人です。その点が理解できれば、先制攻撃や八つ当たりにもう少し寛容になれると思うのです。しかし、罪悪感を抱いているということは自分でもなかなか自覚できないところが難しいポイントかもしれません。

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