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勝手に書評 「子どものデジタル脳完全回復プログラム」飛鳥新社 スマホが脳の発達を阻害し、キレやすくなったり、引きこもるようになる生理学的構造 それでも動画に子守をさせますか?低学年の学級崩壊と発達障害と誤診される行動傾向の正体。 [進化心理学、生理学、対人関係学]

今一緒にお仕事をしている心理学の学者さんから紹介された本です。簡単に言うと、スマホを使うと切れやすい子どもができてしまうということなのですが、その意味を知るとかなり恐ろしいです。

この本を買った同じ日に、依頼者の娘さんが通う小学校低学年の教室が荒れていて、ランドセルの中身を教室でぶちまける子、机を振り回す子、授業中うろうろ歩き回る子どもたちがいるカオスな状態だということを聞いたばかりでした。
その時は、食品添加物が原因かねえなんて言っていたのです。その後、外での仕事だったので、本屋で購入し、この本を読んでみたら、ぴたりと符合することばかり書いてありました。影響されやすい私は、デジタルスクリーンが原因だと、硬く信じ込んでしまいました。

まず、カオスな学級崩壊の原因としては、ADHDのような発達障害が指摘されがちです。しかし、どうしてこんなに発達障害を持つ子どもたちが急激に増えたのかということの説明が付きません。
食品添加物が最近急激に増えたということも聞きません。
他方、すぐに学校の責任にしたがる人たちもいるわけですが、この学級崩壊の多発は、担任が原因ということでは、やはり説明がつかないと思います。

デジタルスクリーンシンドロームということであれば、発達障害やその他の小児精神病の急激な増加の原因として、スマホやインターネットの急激な普及ということはつじつまが合うような気がするのです。

具体的には本書をお読みいただくとして、ポイントとなりそうで、あまり詳しく書いていない問題について勝手に解説します。
本書は認知科学の基礎をお持ちの方はよりよく理解できると思うのですが、逆に認知科学の入門書としても適切な内容になっています。

① 無意識・無自覚の反応、②過覚醒(戦うか逃げるか)状態、③脳(前頭葉)の発達、④依存の構造について説明します。

<無意識・無自覚の反応>
大人だって、SNSをやっていますし、インターネットでのロールプレイングゲームをやっているわけです。「これらのデジタルスクリーンを利用しても、特に影響が感じられない、弊害なんて宗教的な話だ。」とぼんやり思っている人も多いと思うのです。私もそうでしたもの。

しかし、この本を読んで自分を振り返ってみると、のめりこんでやっていた時には、なんとなくいつもイライラしていたし、自分を守ろうと過剰な反応をしていたというように思えてきました。「のんびりと鷹揚に、そして寛容に」という人生とは真逆な状態です。

脳の影響というのは少しずつしか出てこないし、自分としてはその場では自分の行動は正しいと思っているわけですから、なかなかその弊害を自覚できないということが特徴だと思います。

怖いのは今の子どもたちは、生まれたときからデジタルスクリーンがあるため、無いときと比較しようがないということです。生まれながらにデジタルスクリーンを使っていて、その影響があるならば、その影響として出てきた症状は、生まれつきの症状だと思われてしまうということが起きていると述べられています。

<過覚醒 戦うか逃げるか>

この言葉が何回も本には出てきます。拙著「イライラ多めの相談者・依頼者とのコミュニケーション術」(遠見書房)も、この過覚醒をテーマとして書いています。

人間に限らず、動物全般は、危険に備える体の仕組みがあるわけです。目、耳、鼻などで、何らかの外部の事情をキャッチし、脳の中でそれの意味を瞬時に評価して、危険だという結論になれば、前頭葉から信号が副腎等に送られ、心臓の動きなどを変化させて身体を動かしやすいように生理的変化を起こします。そしてその生理的変化に少し遅れて、意識は危険を感じるようです。

この生理的変化が起きると、筋肉を動かしやすくなります。走って逃げる場合も、戦って相手を倒して危険を逃れる場合も、どちらにも共通して必要な生理的変化です。

この変化の仕組みは危険をまぬかれるためには合理的です。

問題は、生理的な変化が起きるだけでなく、意識の上の変化も起きるわけです。逃げる場合には恐怖を感じますし、戦う場合には怒りを感じています。また、こうなると、思考は停滞し、二者択一的な考え方、悲観的な考え方に変わってしまいます。

これも確実に危険をまぬかれるための合理的な変化です。

ンで問題は、
生命身体の危険に対してこれでよいのです。
ところが対人関係的な危険も人間は感じてしまい、その時もこの過覚醒の症状が出てしまうということが厄介なことなのです。

対人関係の不具合があっても、例えば会社で上司から叱責されるときも、この過覚醒の症状が出てしまい、逃げるか戦うかという反応を示してしまいます。しかし、対人関係の危険では筋肉を使って危険を回避するということはありません。また、意識の変容によって思考力が低下してしまうと、良いことは何もありません。かえって人間関係を悪くするような発言をすることはよくあることでしょう。対人関係的危険を感じたときの仕組みが、結局は過覚醒になってしまうというのは実際は不合理なのですが仕方がありません。

さて、デジタルスクリーンは、特にゲームでは恐怖やスリルを疑似体験します。体験は疑似体験ですが、脳は危険があったときに準じた反応をしてしまい、過覚醒状態は実際に起きてしまっているわけです。扁桃体は副腎などに信号を送りっぱなしになってしまいます。この状態は、危険が終わればすぐに元に戻るかというそうではありません。危険が去った後でしばらくドキドキが続くことは体験していることと思われます。デジタルスクリーンでもしばらくは過覚醒状態が続くわけです。

だから、今デジタルスクリーンを利用していなくても影響が残っているということがあるようです。

SNSでは恐怖やスリルをあまり感じることはないのですが、対人関係的な危機感は良く感じることだと思います。返信をしなければならないという強迫観念も対人関係的危機感の関係で過覚醒になっていると言えるでしょう。やはり過覚醒になるようです。また、情報の内容だけでなく、光が目を通して脳に入ってくるということも過覚醒を引き起こす原因になるようです。

デジタルスクリーンを見ていると、自己防衛意識が高くなり、ささいなことで自分が攻撃されているように感じてしまい、人によっては他者にかかわりたくなくなり引きこもり状態になり、人によっては他者をしょっちゅう攻撃するようになってしまうようです。常に自分を守ろうという意識を持たされてしまうという危険があるようです。

<脳(前頭葉)の発達>

この本を読んでいて面白いなあと思うことはたくさんあるのですが、特に驚いたのは、今述べた、過覚醒の場合の意識の変容について説明がなされていたことです。

脳は、古い脳(つまり動物として生きるために必要な脳)と新しい脳(人間として生きるために必要な脳、群れを作る脳)と二種類に分けることができるそうです。古い脳は脳の奥の方にあり、新しい脳は脳の表面の方にあります。通常時は、新しい方も古い方もバランスを取って活動をしているのですが、危険を認知し、過覚醒の段階では、新しい脳の近くを流れていて栄養分を送っていた血液が、古い脳の方に多く流れるようになり、この結果新しい脳の活動が低下してしまうというのです。

人間がまだ人間として成立していない時代、危険と言えば生命身体の危険だけですから古い脳は、逃げるか戦うかということだけ考えればうまくいったわけです。ところが人間となり群れを作るようになれば、新しい脳によって、感情を制御して群れとして仲間を尊重して生きていかなければ生きていけません。

ところが、危険を感じると古い脳の部分だけが活動しやすくなるということですから、高度な複雑な思考ができなくなってしまうということだから、私の「危険を感じると思考力が低下する」という考えが大脳生理学的に裏付けられたということになるわけです。

デジタルスクリーンを利用して危険を感じて生理的変化が起きているため、実際は危険がないのに、危険があるときの意識の変容、脳内の変化が起きてしまっており、様々な問題行動が起きると説明できると思いました。

本書は、対人関係的危険という概念を補助線にひけば、かなり理解しやすくなります。

また、脳の成長の観点について、少し説明します。
人間の脳の成長は、一斉に行われるのではなく、まず古い脳から成長が始まります。危険を感じる仕組みが完成する古い脳の成長は10代の思春期ころにピークとなるようです。一方仲間の中で協調するための仕組みの新しい脳の完成は20代後半と言われているようです。

まず危険を感じて、ああ、大丈夫なんだと感じるという時間的、発達的な流れなのでしょう。その方が生存には有利なのだと思います。反抗期があることや、中学生や高校生がむやみにキレているのも、危険は感じやすいのだけれど、新しい脳が完成していないので、実際は危険ではないのだと理解しずらい時期があるということです。

デジタルスクリーンは、協調をする脳の発達を阻害するわけですから、やたら危険を感じやすく、相手にキレやすくなったり、むやみにひこもったりするようになる行動傾向が、本来ある程度新しい脳が発達してくるべき時期でも収まらないということなのだろうと思います。授業中にうろうろ歩き回ったら、他人から変な目で見られるからやめようというのも新しい脳の力ですから、その脳の動きを封じられれば学級崩壊が起こるのは当然だということになるのではないでしょうか。

但し、このようなデジタルスクリーンの影響は、デトックスをすることで改善され、正常な発達を再開するようです。発達障害だけでなく、双極性障害その他の精神科診断を受けた子どもたちが、デトックス(デジタルスクリーン利用を完全にやめること)によって問題行動が消失した、元の優秀な成績に戻ったという事例が多数報告されています。

<依存性の話>

依存症と言えば、薬物依存が典型的だと思います。薬物依存がどうやって起こるのかということの説明を試みてみます。
まず、薬物を体内に摂取すると、血管を通ってその薬物が脳に到達します。そうすると脳のある部分をその薬物が刺激し、多幸感を抱いてしまいます。これ何のためにこういう仕組みがあるかというと、例えば200万年前の狩猟採集時代に、外敵から身を守りながらようやく食料を獲得できたとなると、脳の報酬系が刺激され多幸感を抱くので、脳はまたこの感覚を感じたいということで、また同じことをしようとする、そうすると、食料を取ることに喜びをえて、その過程に苦難があっても食料を獲得しようと努力するようになるわけです。腹減って探して食べて腹を満たすというだけではなく、見つけることで喜びを得たいということで死ななくて済むという仕組みだと思うのです。

だから、報酬系を刺激される事情を覚えてしまい、同じことを繰り返すためのシステムだということができるのではないでしょうか。

すると、麻薬を体内に入れると報酬系が刺激されるとわかれば、また麻薬を摂取しようとすることは体の仕組みから当然行われることです。これは脳の報酬系を直接刺激してしまうので、その多幸感を味わうというアイデアを制御することはなかなかできることではないようです。これが外敵から身を守ってという面倒なことがあれば、断念するということもあるのでしょうが、麻薬を使えば多幸感を味わえるということであれば、断念しようという気も起きにくくなるのだと思います。

あとは麻薬を手に入れられるかどうかですが、麻薬さえ手に入れれば多幸感を味わえるということであれば、どんなことをしても麻薬を手に入れようとしてしまうわけです。

麻薬には副作用があり、体力がなくなるとか、思考力が無くなるとか、あるいは覚醒時体に苦痛を感じたり、不快感を感じたりするようになります。そうすると、いつまでも多幸感に浸っていたいということで、麻薬が切れないように麻薬を使用し続けてしまうということが起きるわけです。また、身体が薬に馴れてきてしまいますから、より強い薬をより大量に服用してしまう傾向にあるの理由があるということです。

デジタルスクリーンも、光の作用その他によって報酬系を直接刺激して、脳に多幸感を感じさせるようです。報酬系は繰り返し行うための脳の仕組みですから、デジタルスクリーンの使用がやめられなくなるということです。そうして、使用をやめられなくなる。だから、麻薬と同じ依存の原理なのだという説明がなされています。

使えば使うほど、過覚醒の症状が大きくなっていき、他者との協調という感覚が薄れていくという副作用も大きくなっていくのでしょう。

デジタルスクリーンは大変便利な道具です。言葉がわからない年齢の子どもであっても、興味を引いて見入ってしまうからです。子どもにデジタルスクリーンを見せているうちに、大人の用事をしたいということはよくわかります。よくわかるのですが、その弊害についても知らないと後で大変なことになるということがこの本に書いてあります。

小さなお子さんをお持ちの方々は必読書だと思い、ご紹介した次第です。

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