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子の連れ去りは、警察、区役所をはじめとする役所が税金を使って不可欠な役割を果たしているということ 親権制度以上に深刻な問題がなぜ議論されないのか 連れ去りの本当の闇がなぜか語られない件 [弁護士会 民主主義 人権]


先日(令和4年6月26日)、フジテレビで共同親権についての議論が放送されました。櫻井よしこさんの言説は一部の隙も無くさえわたっていたといえるでしょう。しかし、それだけに伝えることの難しさを身にしみて感じました。つまり、子連れ別居の親子引き離しの闇はもっともっと深いと言いたいのです。これは、番組の論点とはずれるところです。ここまで言及してしまえば、肝心な情報提供もできなくなります。それはわかります。私が言いたいのは、共同親権になったところで、このような問題が放置されてしまうと日本の親子関係はさらに崩壊していくということです。

結論を言えば、連れ去り親子引き離しの最も重要な役割を果たしているのが国や地方自治体という役所だということです。ヒステリックな当事者の行為によってだけでは連れ去りは可能になりません。役所が連れ去りの不可欠の役割を果たしているという事実こそ国民に知らせなくてはならないことのはずです。なぜかこの点を強調する人が少ないということを指摘したいと思います。

<妻が相談する前から「被害者」と「加害者」が色分けされている>
例えば、日本という国は、DV相談を行った女性を「被害者」と公的文書で呼び、その相手を「加害者」と呼ぶのです。驚くべきことに、実際にDVが行われたかどうかということは問題にしていません。相談があっただけで裏付けの検討をせずに、相談者が被害者、相談者のパートナーが加害者と呼ばれるようになるのです。総務省の平成25年10月18日付の事務連絡文書で、日本語の加害者という意味で使ってはいないとはっきりと各自治体に説明されています。

この「加害者」という呼称は、警察署や区役所でも引き継がれて用いられます。

国がこの日本語と整合しない用語を何年たっても改めないということは、これは意図的な言葉遣いということだと評価されなくてはなりません。言葉が独り歩きをする流れを作っているのです。

<相談時>
あるケースでは、精神科クリニックを2件掛け持ちして、それぞれから統合失調症の薬の処方を重複して受けていた妻が、警察に夫のDVを相談に行きました。もしかしたら妻が言った暴力は実際にその妻が受けた暴力かもしれません。ただ、この妻は再婚をしていました。妻が受けた暴力は、当時の夫からではなく、10年も前の初婚の時の夫の行為でした。連れ去り当時の夫に暴力が無かったことは、裁判所で確定しています。妻の言葉は幻想による可能性があると裁判所によって正当に認定されたのです。

それでも警察は、妻の言葉だけで当時の夫が暴力をふるったということにしました。本当は暴力なんて振るわれていなかったのですから妻は、夫の元に帰ろうとするわけです。警察官は、夫の元に帰ろうとする妻を2時間かけて子を連れ去って逃げるように説得しました。「このまま一緒にいたら殺されることになる。」、「DVは一生治らない」と説得したとある報告書でその警察官は得意気に述べています。

その結果専業主婦だった妻は夫名義の預金を全部おろしたうえ、夫名義の借金までして、子どもを連れて出て行きました。その後子どもは父親に会えていません。経済的に夫の稼いだ結果である財産をすべて自由に使える立場の妻がDV被害者だという警察の認定は実にばかばかしいものです。ちなみに警察は、このような被害を夫から知らされても、妻を窃盗罪や横領罪で立件することをはしないとはっきりと夫に宣言しました。子どもからは引き離されるし、財産は一切保護されないし、夫は精神的恐慌に陥りました。

おそらく、役所にはDV保護の目標数値みたいなものがあって、DV保護をすることで評価が上がるということから、少しでもそれっぽいものをDVとして「保護」しようとする前のめりの体制ができているのでしょう。行政改革以来、行政は民間企業と同じような原理で行動するようになってしまっています。但し民間経済のように自由競争原理による売り上げの増加が目標ではなく、国民の税金で作られる予算をいかに自分の部署に多く配分を受けるかという目標を持たされているのかもしれません。

もちろんこのような行政の論理だけではなく、警察官になろうというくらいの人ですから正義感や、弱者保護の理念の旺盛な方々です。力弱い女性というジェンダーバイアスをかけられていて、女性が虐待されているという言葉が成立しそうだとなると、途端に正義感に火が付きやすいのでしょう。疑わしい点があったとしても、「ちょっとまてよ」という歯止めをかけることがなかなか難しいことには理由があります。私が言いたいのは、警察官に問題があるのではなく、このような職務上「正義」を求められている人たち、加害者と被害者に色分けしなくては職務が遂行しずらい職種にDVの有無の判断をさせる仕組みに問題があるということです。実際にはDVの有無を判断しないで行動をさせようとしているのです。

<夫が気が付いて行動をすると>

妻が突然子どもを連れて家を出て行くなんて、全く予想もしないことです。その日は突然起こります。誰もいない家に帰ってきた夫は、いつも通り妻の携帯に連絡を試みますが、誰も出ません。まず思いつくことは、妻は子どもを連れて実家に戻ったのではないかということです。夫は、妻子の安否もわからずに心配ですから、そこが他県であっても妻の実家に、仕事で疲れ切った体を奮い立たせていくわけです。そこで待っていることは、大勢の警察官に取り囲まれることです。実際に何人か数えた人はいませんが、あと少しで子どもに会えると思っていた矢先に、気が付くと何台かのパトカーに進路をふさがれて、わらわらと警察官が寄ってくるそうです。ものすごい人数に感じられるようです。

そのまま警察署に連れていかれることも多いようです。そこで、「二度と暴力を振るいません」という誓約書を書かさられた人、書かされそうになり「今後も」という文字を追加して書いた人様々です。これまで、いざとなったら自分の味方だと思っていて疑ったこともなかった警察が、自分を犯罪者扱いしていることを目の当たりにして、精神的にひどく動揺しない人はいないようです。私だって、こういう状況であれば暴力をふるってもいないのに暴力を振るわないという誓約書を書いてしまうと思います。

子どもの安否を確かめに必死になって他県まで行ったある人は警察官に呼び止められ、今度この辺を歩いたらストーカー警告を出すと脅かされました。ストーカー警告を警察署長から出されると言われて、平然としている人間はいません。それでも会いに行けば前科が付くわけです。公務員などは失職する事態まで考えなければなりません。

この実際のケースも暴力などはなく、公務員の夫が妻の浪費に対して注意しただけで妻が子どもを連れて家を出て行った事案でした。妻は、裁判所でも一貫して夫の自分に対しての暴力や虐待は主張しませんでした。浪費が裁判所にばれてしまうからでしょう。夫の子どもに対する虐待を離婚理由にしました。しかし、面会のたびに子どもは大はしゃぎしていますから、それも事実ではなかったことを子どもが教えてくれました。慰謝料の話は一切出ませんでした。このような事案でも警察官は、父親が子どもを心配して会いに来ることに対して、ストーカーだ、違法行為だと宣言して、子どもに会わせない行動をとったのです。どうして、子どもや夫の心配を犠牲にしてまで、この事例では自分勝手な妻の連れ去りを税金を使って保護しなくてはならないのでしょう。

この夫が公務員だったということもあり、また警察から犯罪者扱いを受けたということで、かなりのダメージを受けてしまい、精神的に妻子に会いに行こうとする気力がわかない状態になりました。うつになりかけていました。精神科治療で何とか持ちこたえることができました。仕事中の不注意も多くなり、この人もかなり大きなけがもしました。昨日まで楽しく一緒に暮らしていた子どもを連れ去られるということは、このような当たり前のダメージを受けることなのです。

元妻に、儀礼的な手紙を出しただけでストーカー警告を受けた事例もあります。転居届にあった「お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。」という文面が「義務なき行為を強制した」というのです。

子どもが二人いて、別居に際して父親と母親で、合意によって兄弟を別々に育てていたにもかかわらず、警察が父親を説得して父親が育てていた子どもを強引に手放させたという事例もありました。このケースも妻は一貫して夫の暴力を主張しませんでした。それでも警察は、何が何でもDV保護事案にしたかったようです。

荷物を取りに妻が家に戻ったときに警察官2名が同行して家に入り、話もさせない事例もありました。自宅に警察官が入り込むということは、とてもショッキングなことのようです。

まだまだ事例はたくさんあります。妻は、役所などに相談に行くと、すぐに警察を呼ぶように指導されているようです。現行犯逮捕されるような事例はこれまでは一件も聞いていません。
日本においては、連れ去りを成立させている多くの事例で、警察官が連れ去りを誘導し、子どもとの引き離しを完成させている事例が実に多いのです。裁判所の関与もないままに、警察官が妻の望むままに、強制的に父親と子どもを引き離しているということなのです。

警察は、一方の保護法益を守るということにはとても優れた機関であり、なくてはならない機関です。しかし、一方を保護すると他方の利益が害されるという民事紛争に介入することは鍛えられていません。被害者加害者の用語は、警察が本来の被害者保護の意識で行動しやすくしていると思います。だから警察が、一方の言い分だけで他方の利益を害し、精神的ダメージを与えるということは、制度設計に問題が明らかにあるということです。

<連れ去り後の公務員による暴言マニュアル>

その前提として、役所などの配偶者暴力相談においても、何の裏付けもなく相談を受けて、相談票に被害者として相談者の氏名、加害者としてその夫の氏名が記載されたカードを作成し、それが役所を超えて流通するわけです。

あるケースでは、連れ去られた子どもが父親の元に帰ってきました。連れ去り時にその子どもの保険証を妻が持って行ってしまったので、病院を受診できずに困ってしまい区役所に相談に行きました。区役所には、この夫はDV「加害者」であるという内部連絡があったようです。役人は、健康保険証に妻の住所が記載されているために夫が妻を探そうとして保険証を取得しようと思ったのでしょう、役人はマニュアル通り「あなたと話すことは一切ない。」と決然と夫に対して言い放ちました。これを読んでいる方々は馬鹿なんじゃないかと思うでしょう。しかし、役所の職員ですからそれなりの学歴もあるわけです。そういうマニュアルに従ったのです。子どもの不利益は、単なる夫の口実だ、DVの手段だとしか思えないように洗脳されていたということです。この話を聞いた私は、本庁に怒鳴り込んで、子どもの健康はどうでもよいのかと猛抗議をしました。そもそもこのケースは、子どもが妻の居住先から帰ってきて、妻の居場所が妻の実家だということは先刻承知なわけです。住民票上の住所が知られても何も弊害はありません。そうしたところ、役所が妻を説得してくれて、保険証を夫に預けて事なきを得たということがありました。弁護士がいなかったら、子どもは自費でしか病院にかかれず、結局早期治療ができない深刻な事態も生まれたことでしょう。

このエピソードは、日本のDV保護政策を象徴していると思います。つまり、あるかないかわからない妻の被害に「寄り添い」、妻の利益を確保することだけを優先しているわけです。単に相談をした被害者の夫と言うだけで、夫は妻を殺しかねない凶暴な男だと思い込まされているのです。被害者である妻を守ろうという正義感と、凶暴な男に体を張って立ち向かわなくてはならないという恐怖で、役人も葛藤が高まり、子どもの福祉をリアルに考えるという冷静な思考が停止し合理的な行動ができなくなって、マニュアル通りの行動をなぞるしかできなくなっている。これが実態なのだと思います。

これが横行するのは、夫の言い分を行政も警察もどこも聞かず、妻の言い分だけで被害者と加害者に色分けをしているところに原因があることが明白です。また、日本の夫の大多数はどこかの国のようにすぐに妻を殺すという凶暴な夫だけだという馬鹿な洗脳に染まりきっているということです。この結果、事実に基づいた適切な行動をすることができず、常に最悪の事態に備えた行動を行って、あとから行動を怠った批判をかわすということが主目的だということです。

これまで多くの事実が積み重ねられてきましたが、妻が夫の暴力があるということを言わなくても、警察は身体的暴力が無ければできない「保護」やそれ以上のことをやってしまっているということも重大な問題です。組織があればノルマがあるということでしょうか。

行政や警察という対立する当事者の間に立って双方に目を向けて物事を判断することが職務ではない人にそのような判断をさせる(判断をさせない)ことが構造的に問題があるということなのです。

<「正義感」を持つ裁判官は任務を果たせないという矛盾>

しかし、そのように対立する当事者の間に入って物事を冷静に判断する職務であるはずの裁判所においても、妻の不安定な精神状態を肯定して、一方的な判断をすることがないとは言えないように感じているところです。

これが大きな闇のもう一つの闇というか、もう一段深い闇なのかもしれません。
裁判所の場合もやはり正義感が冷静さを奪っているということと、それまで夫の保護の下で暮らしていた女性が孤立に直面しているという弱者保護の観点から、冷静な見方ができなくなるのだと思います。

つまりここでも「加害者」という用語が予断を与えているわけです。どこまで行っても加害者と被害者です。

あるケースでは、夫の月収が6万円くらいだと認定した裁判所が、婚姻費用として夫に月額4万円の支払いを命じた例はその典型だと思います。月2万円でどうやって生活しろと言うのでしょうか。できないことを命じても誰も得をすることはありません。裁判官の正義感も、実際にはこういうものです。とてもリアルな人間の生活には興味関心があるようには思えません。私には無茶苦茶にしか思われません。これが裁判所の人権感覚なのでしょう。

肝心なことは、こうやって国家、公共団体丸抱えで子どもの連れ去りを行っているのが日本という国だということです。これらの事案の圧倒的多数は暴力のない事案です。

それどころか、多くの事案では、妻の不安やイライラが、主として夫には関係のないところで起きているということを現場からはどうしても伝えたいことです。

そしてその一番の被害者は、自分の血を分けた親の一人が、何も裏付けなく暴力人間だとして色分けされて、自分に会いに来なくなったと思い、何とかその寂しい気持ちを合理化しないと生きていけない子どもたちなのです。独りの親を寄ってたかって攻撃するという構図は、それはやがて子どもにとっては、自分が攻撃されたという記憶にすり替わる危険をもっと考えなければならないと思います。

嫌な話、聞いていて気が重い話かもしれません。話している方は怒りに任せて書いているので、そうでもないのです。それに、タイミングが悪ければどこのご家庭でも家族崩壊は起きる可能性があると思っています。私は常に自分のこととして考えています。もっともっと実態についての情報を提供していかなければならないと思っています。



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