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傾聴、受容,共感 刑事弁護、高葛藤者法律相談に活かすカウンセリングの基礎技法 話を聞く態度について [故事、ことわざ、熟語対人関係学]


カウンセラーがクライアントから話を聞く態度として、一般に
傾聴
受容
共感
というポイントがあるようです。

正確には専門書などをお読みいただくとして、弁護士業務に応用がきくようにそれぞれの概念を私なりに整理してみますと

傾聴は、話を聞く態度で、主に相手から見える外形的な態度ということになると思います。受容は、心構えとでも言いますか。どちらかというと、聴く方の先入観を排したり、自然な反発や反応を排除したりという感じでしょうか。共感は、傾聴と受容を基盤として、相手方に対して自分の理解を示すということになろうかと思います。

定義的には、
「傾聴」とは、深く相手の話に耳を傾け、その人に焦点を当てて、相手の存在そのものを知ろうとすることである。表情、姿勢、ジャスチャー、感情、考え、話しの内容、沈黙さえも十分に観察し、その意味を考えていく。

「受容」とは、無条件の積極的関心をもつこと言う。相手の感情が否定的な感情であったとしても、そのままを受け入れることが必要である。

「共感的理解」とは、クライエントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じ取ることであるが、クライエントの感情と同化するのではなく、クライアントの感情として自分の感情とは切り離してとらえ、クライエントの感情に振り回されないようにすることである。

と言われているようです。

傾聴とはどう傾聴するかということで、具体的な着眼点の例示がされていることは面白いですね。もっとも、通常の法律相談であれば、文字的な情報を正確に聴取することの方が大切です。ところが、法律的解決よりも、葛藤や感情の解決にもウエイトが置かれると、こういう文字的ではないノンバーバルコミュニケーションが重要になることは、意識した方が良いと感じました。感情が高ぶっている人は、言葉とは違うところに問題の所在があるということが少なくありません。自分からは話すことができないけれど聞いてほしいというサインを見逃してはならないということかもしれません。

弁護士が一番嫌うのは、相談者の沈黙かもしれません。弁護士の業務を機械的に考えると沈黙は情報が入ってこないので仕事にならないからです。ところが、相手の感情や葛藤等を知ろうとしていれば、沈黙の意味についても考えるという発想に立てます。

傾聴の効果として、相手が自分の話を熱心に聴こうとしているということを外形から見て取れます。自分の話を聞こうとすることは、自分について知りたがっている人がいるということです。だから自分にも人間としての価値があるという意識になり自尊感情が芽生えていくとのことでした。これは確かに信頼関係の基礎になるだろうなと実感できます。

受容と傾聴の違いも難しいし、受容と共感の違いも結構難しいと感じました。

ここでは受容については、聴く方の心構えという整理をしたのは、私なりにそれぞれの関係性を考えた結果です。

受容できない場面をお話しすると受容とは何かがわかってくるかもしれません。例えば弁護士が、自分の子どもをわき見運転していた運転手の自動車で引かれて長期入院を余儀なくされたことがあるとします。そうすると、交通事故を起こした被疑者と面談する場合に、その被疑者や被疑者の話を受容できなくなるというのです。個人的事情から受容できないような犯罪類型があれば、罪名を聞いて弁護を引き受けないということはありうることですし、被疑者被告人のためには引き受けない方が良いのかもしれません。

ただ、通常は、刑事事件という犯罪を犯した人であることは間違いありません。道徳心や正義感の強すぎる人が、一見身勝手と思える動機を聴いたり、安易に犯罪を行っていることにいちいち反発していたのでは、刑事弁護に向いていないのかもしれません。しかし、弁護士は、家で犯罪報道などをテレビで観て「許せん」と憤っていても、被疑者被告人には親身になるというタイプの人が多いので面白いところです。

また、葛藤の強い人の相談会では、恨みとか憎しみが強く、否定的感情があけすけに言葉に乗せられます。聴く方が感情的に反発したり、うんざりする場合も実際にはありうることです。しかし、よくよく話を聞いてみると、もしかしたら自分も同じような感情になってしまうような出来事だったのかもしれないという感覚が生まれてくることがあります。そうすると、その人のフェイク的な言葉と伝えたい言葉が色分けされてきて、人を試すようなフェイク的言葉をかき分けながらその人が真に伝えたい言葉を掘り出すという作業ができるようになります。

受容の条件として、相談担当者自身が自分を受容する必要があると言われています。自分の欠点や挫折を受け入れることによって、相談をする人を受け入れるようになれるというのです。

でももう一つ受容の条件として必要なことは、その人と自分は同じ人間であり、双方が特殊な人間ではなく、同じ条件であれば同じ反応をするのだろうという感覚というか人間観があることが受容が可能となる条件で、弁護士としては意識しなければならないところなのだと感じます。

共感については、これまでも何度か取り上げてきましたから、メモ的に羅列して終わります。

感情を追体験してしまうと、弁護士の仕事ができない。理性的にこういう環境にあると、こういう感情や行動に出てしまう(人間だから)という意味での共感にとどめるべきこと。

その人の犯罪に至る経緯や、葛藤の高まりに至る過程について、自分の理解を人間として自然な流れになっていることを確認すること。そして修正していくこと。

自分勝手に解釈しないで、可能な限り質問をしてみること。「こうだよねえ」ということだけでなく「こうではないものね」ということを述べて、相談者が担当者に対して、自分のことを理解しようとしてくれている、自分のことを理解してくれている、自分の行動や感情の肯定できる部分があることを認めてくれている。自分が否定されるだけの人間ではないことを認めていてくれている。自分は回復や立ち直りができると考えてくれていると感じていただくことが共感の作用として期待できる。

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