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良い悪いというヒステリックな感情論よりも、痴漢被害防止を優先させるべきだと思う 自衛措置を呼びかける警察を支持する理由 [弁護士会 民主主義 人権]



先日、地元紙に「痴漢啓発に無意識の偏見 警察『薄着は注意』、自衛を強調?」という記事が載った。しかも1面トップの記事だった。

わたしなりに記事を要約すると、「痴漢被害に遭うのは被害者が悪いのではなく、加害者が悪い。自衛を強調すると、痴漢に遭ったのは被害者が悪いからだと言っているようなものだ。また、鉄道警察の統計から夏は痴漢被害の件数が減っているので、薄着と痴漢は因果関係が無い。」というような内容である。

かなり概念の整理ができていなくて混乱している記事が一面になったものだなあと正直驚いた。また、ミスリードをして実害が生まれなければよいなと心配になった。

各命題を検討してみよう。
「痴漢被害は、加害者が悪いのであって被害者が悪いわけではない。」
この命題は全く正しい。強制わいせつ事件の弁護で、被害者の落ち度を主張する機会はめったにないだろう。良い悪いで言ったら、悪いのは犯罪者である。

「外では挑発的な服装をしないとか、夜間の独り歩きをしないことは、痴漢被害予防に効果がある。」
これも正しい。

路上での強制わいせつ事件は、夜間に行われやすい。犯人は女性にいくつかの幻想を持っていることが多く、相手が女性一人であれば力づくで思いを遂げることができると信じている節がある。周囲に歩行者がいるならば、強制わいせつ事件を起こすということはまれである。当たり前のことだ。

ここで、「夏に電車の痴漢被害が少ない」という統計について考えてみる。おそらく無意識に、「夏は女性は薄着になる。」、「夏に痴漢が少なくなるということは、薄着になっても痴漢は増えないでむしろ減る。」「だから痴漢と薄着は関係が無い。」という論理を組み立てているのだろう。

しかし、その論法が正しいのであれば、夏に痴漢が減るならば「女性が薄着になるほど痴漢被害は少なくなる」ということが論理的帰結になるはずであるが、さすがにそうは言わない。「薄着と痴漢は関係が無い」というのにとどめる。自分の論理に無理があることをうすうす自覚している可能性がある。即ち、夏に痴漢が減る理由をきちんと考える必要があるということである。一つの可能性として、学生、生徒の夏季休業期間になるため、車内の人口が減り目立つため痴漢がしにくくなるということと、被害者が混んだ電車に乗らなくなるということが関係しているのではないだろうか。

だれでも思いつく「論理」ではあるが、確証バイアスがかかると自分の結論に合わせて現象を解釈してしまうということの典型例ではないだろうか。

痴漢は公共交通機関内だけで起きるものではなく、深刻な被害は路上や自宅で起きる。深夜に偶然見かけた女性を何キロもつけてきて路上で襲ったという事件もあった。その時目についた女性が複数人いる場合は、服装はターゲットを絞る一つの要素になるようだ。

被害防止を優先するならば、できる限り自衛の措置を講じるべきであると私は思う。夜間の独り歩きをしないということが最も効果があることは間違いない。できるだけ夜間は外出しない。どうしても外出しなければならない場合は誰かに同行してもらうようにする。家族がバス停などまで迎えに行く等の方法を勧める必要は大きいと思う。

確かに、伝え方によって、被害者をさらに苦しめるということはあるだろう。しかし、そのために、自衛の策を提案しないということはやってはならないことだ。特に警察が自衛の呼びかけをしないことや、マスコミが薄着をした方が痴漢は減るというミスリードを誘うような伝え方をすることは大問題ではないかと思う。

どうも「ジェンダーの視点」という言葉が出てくると、「では私が悪いというのか」というヒステリックな主張が出てきやすいように感じている。今回の根本問題は痴漢被害防止にするべきではないのだろうか。

女性が痴漢被害に遭う危険を高めてまでジェンダーの視点を導入するべきだというならば、はっきりとそのように主張するべきである。

私が考える「ジェンダーの視点」からすると、どうして深夜に単独行動をしなくてはならないかということを考えるべきだということである。昭和60年に労働基準法が改悪されて、女性の深夜労働が違法ではなくなった。生活のために深夜に帰宅する女性が生まれ、当たり前のように深夜に帰宅する女性が増えた。これは雇用機会均等法と抱き合わせに改悪された。つまり、このような女性保護があるために女性は会社で出世ができないのだ、だから女性保護を廃止して女性の地位を向上させるというものだった。

平成、令和と進み、どれだけ女性保護の切り捨ての恩恵を受けている人がいるのだろうか。単に安い労働力を深夜帯も活用できるという主としてグローバル企業だけが喜んでいるのではないだろうか。

女性保護は女性の出世を妨げるものではなく、男性と対等に働くためのツールだったはずなのに女性も体力的事情が捨象されて、男性と同じ物差しで評価されるようになってしまったわけだ。

昨今、本末転倒で非論理的な主張があまりにも目に付くようになったような気がする。

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