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妻が子どもを連れて出て行った時の夫に対するサポートの見落としがちな取り返しのつかなくなるポイント [家事]



妻が子どもを連れて出て行った直後は、夫は呆然としますし、何が起きたのかという実感もあまりない状態だと言います。警察や行政が自分を否定評価しているという実感を持つ出来事が起きるたびに、不安や恐れの気持ちが高まっていくようです。ここまでが前回の記事です。

ところが、弁護士から受任通知が届いたり、家庭裁判所から通知が来ることによって、妻が自分と離婚をしたいと考えていることを知ります。家庭裁判所の通知に同封された申立書に記載されている「離婚をしたい理由」を読んで、記載してある事実に心当たりが無かったり、針小棒大な書き方をしているのを読めばなおさらなのですが、不安や恐れが急激に怒りに変わってしまうことが少なくありません。但し、怒りに転化しないで、そのまま不安や恐れが増大し、慢性化してしまう場合もあります。

不安や恐れが慢性化して、睡眠不足や拒食、過食になるような場合で、抑うつ状態になっている場合は精神科の治療が必要なことが多くあります。精神的体力を作っておかないと、離婚の手続きも投げやりになってしまい、真実ではない事実に基づいて手続きが進んでしまい、後で取り返しがつかないことになることがあるからです。ここで失敗して後々子どもとの面会を望んでも極めて不利になっていたということがありました。

しかし、もう一つの怒りが優位になってしまうことも問題です。依頼者の方が、本当はどうしたいのかということを冷静に考えて、決めた方向に向かって手続きに対応していくこと、あるいは手続きをリードしていくことが上策だということになるのですが、方向性を決めることができなかったり、自分の本心とは違う方向に向かってしまったりすることが一番の落とし穴になります。

本当は、家族再生を願っているという場合が一番大きな問題になります。

私の事務所にご相談にいらっしゃる方々は、妻からかなりひどい目にあっていても、やはりまた親子で一緒に暮らしたいという希望を持つ場合が少なくありません。妻の行動について私が分析して解説していく中で、これまで不条理に思えていた妻の仕打ちにも原因があることであり、妻の行動についても見方が変わったという方が多いのですが、そのことも再出発の希望を後押ししているのかもしれません。それでも、私から「本当にやり直しても大丈夫か」ということを尋ねることもあります。

それでも、夫は、家族で生活をしていきたいという意思を持つことが多いのです。

妻の行動について、私でさえ「それはひどい。」、「それは妻に改めてもらいたい。」と激しく思うのですから、一般の方は、他人ごとながらその人の妻に対して怒りがわいてくることは無理がありません。

事案を聴けば、特に第三者からすれば、妻に対して怒りの感情を持つことは自然なことだと思います。問題は怒りの感情を持った後のことです。攻撃的にならない夫は不自然だと思うことも一般の方ならば仕方がないことかもしれません。だから善意で、怒ることを自然に勧めてしまったり、怒りを妻に向けるような雰囲気を作ってしまったりすることが多いようです。

結局は、ここでも「あなたは悪くない。」という形の支援が起きてしまっているのです。

また、様々なインターネット情報を検索すると、どうしても怒りを掻き立てるような方向での投稿が多いとのことです。当事者は自然に怒りの感情に同機してしまうことになりがちです。

ただ、怒ることを止めることは無理でも、怒りの感情のまま行動することは、家族再生を目指すならば絶対にしてはならないことです。

子どもとの面会交流とその先にある家族再生の実現のためには、「妻が夫といることに安心できるようにすること」が鉄則です。そのためには、平等とか、道徳とか、禁反言とかあるいは正義すらも有害な物差しになります。相手の感情を尊重して不安や焦燥感を抱かせないという物差しで自分の行動を評価して、妻にとって夫の存在自体が居心地のよいものに戻す方向の行動をすることが必要なのです。

妻に対する怒りに基づく行動は、常に逆効果になるわけです。
家族再生、あるいは面会交流を遠ざける行為を自ら行うことになってしまいます。

そうすると、家族再生を志す人に対するサポートをする者としては、依頼者である夫の自然な感情に基づく行動に対しては、厳しく警告をすることこそがその役割になります。当事者の方も、頭ではわかっても、感情は理性よりも早く動きだしてしまうものですから、ついつい怒りに任せた行動を選択しようとするのも自然なことなのです。だから第三者がサポートをするわけです。

このことを理解しない第三者からすると、こういったサポートは当事者の心情に寄り添っていないとか、感情を理解しないように映るようです。打ち合わせの時は理解できても、例えば帰宅して友人や両親などと話して、「やっぱり打ち合わせは無かったことにしたい」などということもよくあることです。しかし、その行動をしてしまうと相手をおびえさせてしまい、あるいは怒らせてしまうだけで、いずれにしても夫と近くにいることを妻が拒否する方向にしか働かない上に、家族再生にあたっても離婚訴訟上もメリットがないということがよくあります。だから、メリットはないし目標に逆行することになりますよと言わなければ職務放棄になってしまいます。言い方の問題はもちろんありますが、自然な感情に対してストップをかけるのですから、構造的に反発を受けることは必然的に生じることだと私は思います。

実際に一度離婚をして、面会交流を発展させて後に再婚した事例では、怒りと失望の両方の感情に揺れ動きながら、何度も同じ話を繰り返しながら、妻を安心させる行動に終始して、それが見事に当たって、どんどん心が近づいて行ったわけですが、そこに行くまでにはかなり激しい論争になりました。こちらとしてもかなり気が重く、辛い時間だったわけですが、彼はやり切りました。代理人は離婚と面会交流まででしたが、その後度々連絡をいただいて、再生が進んだ様子をご報告いただいています。

もう一つのケースは、奥さんが一時的に精神的に明らかに異常をきたしていたケースです。夫がそれをよく理解して、奥さんの言動をまともに取り合わないで、ひたすら安心させて、こちらのケースは離婚を回避したまま再同居となりました。
結局奥さんの病的な不安や焦燥感に寄り添った「支援者」たちが「あなたは悪くない、悪いのは夫だ」ということを繰り返し述べることによって、妻は夫から逃れることで不安や焦燥感を解消しようとして別居に踏み切ったようです。別居をしても、夫から何ら攻撃や批判をされず、おそらく精神状態(厳密に言えば精神に影響を与える身体状態)が回復していく過程だということもあったのだと思います、どんどん「支援者」たちから勧められた自分の行動に疑問を持ち始め、少しずつ夫の方に心を寄せて行ったようです。夫も、奥さんのペースを辛抱強く待ち続けて行って、試し期間を経て再同居となりました。

二つのケースとも、ご自分の自然な感情に反した行動をすることができた結果、家族再生の目的を達することができたということになります。

弁護士がそこに関与する場合は、夫からすれば事件後に知り合った人間ということで、理論的にはわかるけれど、感情に反する行動ばかりしろと言っているようなものなので、どうしてもアドバイスが心で受け入れられがたいということです。これに対して、同じことを言っても、友人からアドバイスをもらうことがとても有益です。

その友人が、夫に対して言ったことは、「何があったとしても、君が彼女に対してそんな攻撃的になってしまってよいのか。人が変わったようになってはいないか。」というようなことだったらしいです。それを聞いた夫が、妻を憎んで攻撃的になっている自分に気が付いたというのです。それで「はっ」として、家族再生という目標を固めたと言います。似たようなアドバイスを受けたというケースを最近も一件聞きました。

心理学的にはメタ認知に成功したということなのでしょう。その友人は、夫からして、おそらく長く続いた、大切な人だったのでしょう。夫は、その友人との関係で「自分」とは何か(自己概念)ということをはぐくんでいたのかもしれません。結局その友人の存在自体によって、彼は精神的な不安定さもだいぶ軽減されたようです。下手な弁護士や、カウンセラーよりも、こういう存在の友人がいることがどれだけ有益なのか計り知れません。また一般の方なのに視点がとても鋭い人だと思います。友人にも本人にも、その関係にも感動しました。

「とてもかなわない」という気持ちを持てた自分にも少しほっとしました。


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