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自分の大切な人との仲を壊さないために、相手の気持ちを考えて行動をするための工夫 現代版黄金律構築の必要性7 シリーズを振り返る [家事]



大人の発達障害の人の中には、自分の言動が相手を傷つけたり、怒らせたりすることに気が付かない人がいるということを驚きをもって発見しました。自分では悪気はないのに、いやむしろ相手に良かれと思って、相手に働きかければかけるほど、相手が自分を嫌い、離れていってしまうわけです。考えてみると、これは切ない話だと思いました。

さらに思いを巡らせると、発達障害が無くても、その時の状態、環境から、相手の気持ちを考えて行動することができなくなることがあることにも気が付きました。そういった環境が一時的なものであればそれほど大きな影響はないのかもしれませんが、例えば職場の問題など長くその悪しき環境にいなければならない場合は、例えば家族など自分の大切な人間関係に影響が出てしまい離婚等の家族崩壊の原因になってしまうわけです。

ただ、相手の気持ちを考えて行動するということは、ちょっとの工夫、知識があればできるのではないかということも考えました。今回、シリーズの最後に、自分が相手の気持ちを考えないで行動することを事前に防ぎ、大切な人との仲を壊さないためにどうしたらよいかを考えてみました。

1 大切な人が誰かをはっきりと認識する。

 守るべきものが誰との関係なのかはっきり自覚するべきです。私たちは、なかなか改めて考えることがありませんが、実に様々な人間関係に所属しています。家族や学校、職場、地域、社会、通勤電車、お店の店員と客、客同士、あるいはSNSの「友達」等々、あるいは国家や社会と自分との関連を強く意識する人もいると思います。

そして人間は、困ったことに、放っておくと、どの人間関係でも自分が安定してその関係にいることを歓迎されて、その関係の他者から尊重されていることを求めてしまうようです。そしてその自分の求めをかなえようとする努力をしてしまうようです。

  しかし、そのようなありとあらゆる人との関係を大切にすることは不可能だと思います。力を入れて大切にする人間関係を絞らないと、本来大切にするべき人間関係が手薄になったり、他の人間関係の悪い影響で大切な人間関係の人に八つ当たりをしてしまったりということが出てくることがあります。きちんと大切な人間関係については特別扱いをして、大切さに応じた行動をするべきです。

例えば相手が嫌がるだろうなと思えば行動をしたりやめたり、こういう言い方をしたら傷つかないのではないかと行動の内容を変えたりということをしなければ、気が付いたら自分がのけ者になっているということがどの人間関係でも起こりうることだと思っています。

私が大切にするべきだと思う人間関係は家族であり、その中でも夫婦です。我々は家族という存在は必ずそばにいるものであって、どんな場合でも離れないものという意識を持っていると簡単に考えているようです。あるいは考えることもしないという方が正確かもしれません。家族が壊れるということに無頓着なようです。しかし、例えば、夫婦の相手も長く合わないでいるような場合は他人に戻ってしまうということや、他の人と家族になってしまうということもありうることです。相手の年齢も変化していきますが、これに伴って考え方や感じ方も変化していきます。ずうっと同じように接していたつもりでも、相手からすると不満が蓄積していたということは、離婚事件では定番になっています。夫婦は案外壊れやすいということが夫婦を大切にするべきだと考える第1の理由です。
 
 第2の理由は夫婦の仲が壊れると精神的ダメージが大きいということです。夫婦の一方が自分を嫌い、自分とは一緒にいられないということを突然突き付けられた場合、他の人間関係が壊れる以上に人間の精神的なダメージは極めて重いものになります。日本の社会環境では、離婚に伴って、子どもとの交流も失われることが多くあります。夫婦が壊れるということを想定しないで私たちは生活していますが、気が付かないうちに自分にとって大切な存在になっているのです。

第3は、生理学的にも、夜に帰ってくる家庭において、自分が尊重されていると実感できることが、心身の健康の基盤になっていることから、夫婦、家庭の人間関係を大切にして居心地をよくすることが理にかなっているという理由もあります。

2 「相手のやってほしいことをやるという第1法則」でいこう
  現代版黄金律は、
・ 相手のしてほしいことをしてあげよう(第1法則)
・ 相手のしてほしくないことはしないでおこう(第2法則)
というものです。

相手との仲を壊したくないということが勝ってしまうと、「相手のしてほしくないことをしないでおこう」ということばかり考えてしまいそうです。しかし、これはなかなか難しいことです。つまり考えを巡らせて、相手のしてほしくないことをしないことをしても、何かしているかわからないことから相手が気が付かないことが多いために、エネルギーは使うけれどプラス効果があまり期待できないと言えるのではないでしょうか。

むしろ「相手のしてほしいことをしてあげる」ということに力点を置くべきだと思います。これならば、相手の気持ちを考えることが苦手な人でも、できそうです。そして、それが実は相手が嫌なことならば反応がすぐに出ますので、修正が効きやすいです。

加えて、こちらが相手のしてほしいことを探して、やろうとしている姿勢を示すことで、相手は自分が尊重されていると感じることができます。10回のうち3回ヒットを打てば、残り7回が空振りに終わったって、相手からすればこちらの姿勢を感じ取ることができて印象が良いはずです。自分のために他人が何かをしてくれるということはとても嬉しいことだです。

多少恩着せがましく言うのはむしろ推奨しますが、「あなたが喜ぶのではないかと思って」という言葉は必ずつけましょう。
  
 3 一緒にいる時間、会話の時間を増やそう

   結局、会わなくなっていくと他人に戻っていくということのようです。ただ一緒にいるということも大切ですが、話をするということがポイントが高いようです。
   会話の内容はどうでもよいです。当たり障りのない話ができるということも大人としてのスキルかもしれません。相手が話しているときにじっと聞くこと、共感できる部分や賛成できる部分は、すかさず肯定のあいづちをうつこと、先ず必ずそこから始めること、そして安直に結論を出そうとしないことなどでしょうね。こういう人間同士が結びつきを強める会話は女性の方が上手なようです。

4 睡眠時間を確保する等体調管理をしよう

睡眠時間が短いと、だんだん思考能力は低下してゆきます。それだけで、失言をするようになりますので、相手の感情を考えるという複雑なことはできにくくなることは当然です。

思考力が落ちる内科疾患もありますので、健康診断は定期的にうけるということも大切なようです。一日6時間半から7時間の睡眠時間を確保しましょう。

特に何事もないはずのご夫婦が深刻な仲たがいをしたということがありました。10年前のことでしたが、結局それから二人の間の亀裂が大きくなり離婚になりました。そのころ二人の間に何があったかはわかりませんが、奥さんの方がうつ病の副作用を持つことで有名な薬を長期間服用していたことだけは確かでした。

5 大切でもない人間関係は整理すること

例えば、特に必要もないのにSNSで発信をしていて、その発信をめぐって物議が起きて、逆に批判の書き込みが多くなり、イライラして家族に八つ当たりをするということになれば、それは本末転倒だと思います。

人間の脳は、一つの群れに所属するためにふさわしい仕様になっていますから、複数の人間関係に同時に所属することは負担が大きいようです。SNSなんて実生活には必要がないのに、依存になり家族に向き合う時間が無くなれば有害でしかありません。中止してみたら、自分には何の弊害も無かったことに気が付く人がちらほら多くなっています。

特に夫婦問題に悪影響が出るのは、職場の人間関係です。パワハラを受けてしまい、八つ当たりを家族にぶつけるとか、パワハラを忘れようと深酒をしたり、パチンコで時間をつぶして家庭がぎくしゃくしていることは本当に多いと実感しています。簡単に仕事をやめるということはできませんが、家族とよく話し合い、場合によっては退職をするという選択も、大切な人との今後を見据えると考えなければならない場面が多くあるように思われます。

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「アドバイスのパラドクス」 夫婦間紛争に見る同居中の夫婦に見る典型的なすれ違い3 [家事]



最近ぼつぼつといろいろなところで言われるようになりました。
例えば妻が職場の人間関係で悩んでいて、上司の横暴に苦戦しているなんて話を聞きますと、夫は例えば「上司の上司に対して事実関係報告してみたら」とか、「直接そういうことは言わないでくださいと対決したら」とか、「労働基準監督署に相談に行こう。一緒に行ってあげる。」等というアドバイスをしてしまいます。

そうやって妻の悩みに貢献していたのに、妻からは「夫は何も話を聞いてくれなかった。」等と離婚訴訟で主張してこられることが結構あります。夫は、解決目的志向ですから、解決に役に立つ情報を提供したいしするわけです。どうして適切なアドバイスをするという役割を発揮した自分が「話を聞かない」と責められるのかわかりません。

このように改善のアドバイスをしたならば、逆に「話を聞いてくれない」と言わるとか、反発されて改善につながらないということを「アドバイスのパラドクス」という言い方をしてみました。

では、妻は、何を求めていたのでしょうか。どういう夫からのリアクションを求めていたのでしょう。どうやらこういうことだということをまとめてみました。

根本は、「自分は被害を受けている人間であるからそのような人間として扱われたい」というところにあるようです。少し表現は悪いのですが、精神的ダメージを受けているとき、自分がヒロインとして扱われたいという願望が生まれてきてしまうのかもしれません。でもヒロインとして扱ってほしいという内容は、それほど大それたことではないようです。

1)自分が話したいだけ話させてほしい。少し間ができても、そっちから話し始めないでほしい。
2)新しい情報はいらない。それよりも、自分が被害を受けているということが理解できたということを自分に最大限伝えてほしい。

具体的には
→ ①じっと話を聞く。「確かに」、「そうだね。」というような②相槌を中心にする。それをしないままで、自分もこう思うという言葉の言いかえはそれほど効果はない。自分のこととして怒りだすのも、多くの場合はパラドクスの要因になる。

案外聴く方も忍耐が必要であるようです。ただ聞くのがつらい理由としては、
・ うまい解決方法を早くアドバイスしてあげたい。
・ どうして苦しんでいるのかを解説してあげたい。
・ 自分の経験を伝えてあげたい。
・ 仲間を苦しめられた自分の怒りを表明したい
・ それほど大したことではないと励ましたい。
善意の気持ちということになるはずです。しかし、こういうことは、少し冷静になってから、改めて相手の意向に従って話す方が良いようです。

また相手の話をさえぎりたくなる原因として、聞いていることが堪えられず(理由はいろいろあるでしょうけれど)、話をさえぎりたいという気持ちがでる場合も結構あるようです。辛い話を聞くだけということもつらいようです。何とか励ましたいという気持ちが、話す方からすれば自分の話を聞くことを拒否しているととらえられることがあるようです。

ダメ押しをしておきますと、
妻は、自分の発した言葉を正確な情報として相手に伝達したいわけではなく、自分の話が自分が大事にされたい人から聞いてもらい、否定されないという時間を求めているということらしいのです。

これができてから、
「なるほどそういう状況であれば、誰でもそういう気持ちになるよね」
とか
「私も同じようなことを経験したけれどその話をするかい?」
とか
「苦しいんだね。」、「辛いんだね。」、「悲しいんだね。」とか、相手の感情や言いたくても言葉に出ないところを正確に言い当ててあげる。
ということを発言するかどうかを慎重に検討を始めるということになろうかと思います。あくまでも相手の心情の確認ということになるかもしれません。

矛盾するかもしれませんが、難しく考えないことも大切だと思います。
つまり、世間では、「こういう場合は共感を示すことが大事なのよ」とかいう途中下車的なアドバイスが多いです。しかし、共感を示すとか言われても、なかなか共感をしたり共感を示したりすることは難しいことです。肝心なことは、

相手からすると、それが自分の気持ちに対しての共感だと感じられなければマイナス効果になってしまう

ということです。それよりも先に言ったことを実践するということが良いようです。被害意識がありますから、この世の中で、今は一番尊重されるべき人間は私だという主人公として扱うということなのですが、自分なりに考えずに、①黙って聞く、②最小限の相槌を打って話す内容を短く肯定していく。こういう具体的なことを先ず心掛けるべきであるようです。被害者として扱われたことに満足してからそれ以上の「言いかえ」や「言語化」の話をするべきだということがポイントなのでしょう。

こういう過敏な状態のときには、具体的アドバイスは、さらにそのあとに回す必要があり、相手がアドバイスを求めてきたときにお話をするということがコツのようです。

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謝らない妻と謝らせたい夫 夫婦間紛争に見る同居中の夫婦の典型的な行き違い 2 [家事]



離婚の相談を受けているとよくある夫側からの相談例というか愚痴のようなものとして、

「妻は明らかに自分が悪いと思っていても絶対に謝らない。」

というものがあります。あまりにもこのような訴えが多いものですから、最近私は、「あなたの奥さんだけでなく女性一般が夫にはあまり謝るということをしないようですよ。」ということも多いです。

おそらく奥さんご本人に尋ねると
そんなことは無い。私の方がいつも謝っているとおっしゃると思うのです。

おそらく夫からすると
「謝るべきところで謝らない。」
ということを言っていると考えるとどちらの言い分も本当なのだろうと思います。

ここで謝るということの意味を考えてみましょう。

1)自分が相手に迷惑をかけた事実を認める。(自分の行為が否定評価されることを認める)
2)再発を防止を約束する。
謝罪という行為は、この二つの要素からなりたっています。
(なお、反省というためには、1)と2)の間に、「自分が否定的評価をした原因を述べる」という要素を交えて3要素が必要です。謝罪会見などが炎上する理由は、この3要素がきちんと述べられていないところにあります。)

この1)と2)をきちんと表明することで、相手は、自分は迷惑をこうむったけれど、それは自分が否定評価されて攻撃をされたのではなく、自分と仲間であり続けたいと願っているという謝罪者の気持ちを受取って、
安心するわけです。

夫が妻に謝罪をしろと強く求めるときは、安心したいわけです。夫が妻との関係に不安を持っているといえるでしょう。(これらの感情はストレートには見えてきませんから、謝罪の代わりに安心しなさいよといっても状況は好転しません。)

特に妻との関係で不安を持つべき要素がなくても、謝罪にこだわる場合は、夫が正義や道徳に過剰に敏感になっているからかもしれません。職場などで不合理な扱いを受けて、自分に自信が無くなっている状態(自分がその人間関係に安心できない事情が続いている状態)であるかもしれません。

それでは、妻が謝れば夫も安心するなら謝ればよいではないかと思うのですが、妻は謝りません。どうしてでしょうか。

夫の話しから推測すると謝らない理由としては
①謝るほどのことではない
②自分だけが悪いわけではない
③謝ることで夫の自分の否定評価が定着するのが嫌だ
等がありそうです。

①謝るほどではないということ、自分は何をしても謝る立場ではないと考えているとそれは困ります。しかし、わざとやったんではないし、夫には大してダメージは無かったのだから、夫婦の間でわざわざ謝るなんて他人行儀なことをしなくても良いじゃないか。と考えることは確かにありそうです。

ただ、そういう考えならば、そういうべきなのだと思います。
「わざとやったわけではない。偶然そうなっただけだ。自分は悪意はない。」ということを言うことで謝罪の要素は盛り込まれるわけです。夫は不満は残りながら安心することができると思います。

人間関係とは、このように「相手に安心してもらう、そのために会話をする」ということのルーティーンだと思うといろいろなことがうまくいくように思われます。

② 自分だけが悪いわけではない。むしろ相手に原因がある。と考えることもよくあることです。この場合も、「こっちも悪かったけれど・・・」ということできちんと説明することが、サービスではないかと思います。再発防止を提案するのも良いですね。

③ 否定評価の定着の心配ということは厄介です。謝ってほしいという夫側の人間関係への不安と、謝りたくないという妻側の人間関係の不安が正面衝突しているからです。とくに納得できない否定評価の烙印はとても悔しくて寛容になれないこともよくわかります。
→ それでも迷惑をかけた事実を認めて、再発防止を約束するということは、逆に人間としての評価を上げることだと考える。
→ 相手に安心してもらうことによって、関係は強くなると考える。
→ むしろ謝罪を受けたい側が、このことだけ謝ってもらえればそれでよいと謝りやすい方向に誘導する。

それぞれのしでかした内容と程度、そして相手の性格を考えて、お二人の解決方法を確立することが大切でしょう。要は相手を安心させることだということです。

そして、相手が謝罪したならば、それは大いに尊敬しましょう。また、自分との仲を大切にしているということで感謝しても良いと思います。また、安心したことを伝えるべきです。
・ 謝罪があればそれ以上追及しない。
・ 謝罪に対して、「いいよいいよ」とか、「ありがとう」とか、「こっちこそごめん」とかというフォローは必須であると考えましょう。
こういう態度をとると、誤っても悪いことは起きないということを学習して、今後も謝りやすい環境を作ることになるからです。緊張感も減ってミス(謝るべきこと)も減ると思います。

安心感を与えるということは人間関係にある以上、仲間の果たすべき役割のようです。これをするのが人間の生きている意味だと考えるべきだと言ってもどうやら言い過ぎではないように思えてきています。

なお、事案をイメージ付きやすいように、夫だ妻だと言って説明してきましたが、当然のことながら逆もまた真です。夫が謝らないということだって、多くあるわけです。性別の属性ではないと思うのですが、もしかしたら謝るべきポイントが違うということがあるのかもしれません。

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夫婦間紛争に見る同居中の夫婦の典型的な行き違い 1 買い物編 [家事]


離婚事件など夫婦間紛争によく表れる男女の行き違いについて紹介します。少し極端にして説明しています。女性だから、男性だから必ずこうなるというものではありません。どちらが正しいとか優れているという話ではないことも読めばお分かりになると思います。双方が相手の行動にイラっときたときに、「もしかしてこういうことかもしれない」と理解して、暖かく見守ることができればという思いで書いています。

1 買い物編
<夫の不満>
 妻は、店に行くと、無計画に入り口から店内を無駄にくまなく歩く。それほど必要でもないものを、「安くなっていたから」、「最後の一つだから」ということで買ってしまう。買った後で家での置く場所を考えない。食べ物を腐らせてしまう。また、本当に必要なものを買う時間、吟味する時間が無くなってしまう。入口の商品に目が行ってしまって、目的の売り場になかなかたどり着かない。どうしてさっさと買い物を済ませて次の場所に移動できないのだろう。段取りができない。

<夫の不満の理由>
 買い物というのは、ある商品、あるいは、用途に適した商品を買う行為である。何か他の物を見ることをしてはならないとは言わないが、先ず目的の商品を購入してから他の商品を見るならわかるが、あまりにも無計画に行動してしまう。これでは時間を無駄にするし、計画の無かったものを買ってしまうとお金も無駄になってしまう。何よりも目的の商品を選ぶ時間が少なくなってしまい、何のためにわざわざ店まで来たのかわからなくなる。

<夫がこういうことを言うときの妻の反応>

おそらくですけれど、妻たちは、頭では夫の主張はわかるのですが、決してその通りにしようとは思わないでしょう。

「言っていることはわかるけれど、賛成はできない。」

という態度を示されることが多いのではないでしょうか。典型的な男女の行動目的の違いが表れているところだと思います。

男性は商品の購入という結果に向かって行動しているのですが、極端に言えば女性は店内を見て回るということ自体に楽しみを見出しているようです。言い方を変えたら、男性はその店にいることはそれほど楽しいわけではなく必要があるからその店にいるということになります。女性はその店にいる時間自体も楽しもうという傾向があるようです。いろいろな商品があるのを見ること、お得な商品を手に入れてお得な気分になりたいこと、商品を見ながらあれこれ評価したいこと等、その時間を楽しもうとしているようです。だから、せっかくこのように楽しいところに来たのに、どうして機械的な行動をしなくてはならないのか夫の主張が不思議でなりません。せっかちな人だ、心の余裕のない人だということになりそうです。

買いすぎたり、いらないものを買ったとしても、全く使えないようなガラクタ(夫の趣味に使う高価なグッズ)を買ったりしているわけではないですから、自分の行動がそれほど悪いことだとは思っていないようです。買いすぎて野菜などがダメになったとしても、経費の範囲であり、仕方のないことだくらいに考えているようです。つまり、商品は無駄だが、買った行為自体は、レジャーだとかストレス発散だとか、役に立つ行為だったという評価になるようです。

子どもが生まれる前ならば、夫も見て見ぬふりをしたりしているのですが、子どもが生まれた後であると、子どもが腐ったもの、カビの生えたものを食べてしまう危険があって、妻の食品ロスにはますます不寛容になってしまうようです。

<一つの提案>
夫が、買い物の目的が商品購入が90%だと考えていても、妻が95%がその時間を楽しもうとしているならば、買い物がそういうものだと割り切ることが平和な家庭を作るコツかもしれません。旅行に行ったり、テーマパークに行ったり、スポーツや音楽の鑑賞をするよりも安くつくわけですから、多少無駄があってもプラマイで言えばプラスになると考えることもできるかもしれません。無駄を責めないで、当初の目的の買い物をすることを夫が忘れずにいて、「うん、そろそろあの商品を見に行かなくちゃね。」と優しく言えれば、しっかり者で頼りがいがあると言われるわけです。

それから不思議なことは、紛争になるご夫婦は、買い物中一緒に行動する確率が高いようです。時間を決めて別行動をするという約束をして、妻があれこれ品定めをしている間、夫がベンチでくつろいだり本を読んだりすると、そばで文句を言われるよりは、妻は心行くまで品定めを楽しむことができるから、双方ストレスにならないということもあるようです。「楽しかった」と妻が言えば、「それはよかったね」と言っておけば円満な家庭が実現するわけです。

また、程度の問題はありますが、賞味期限切れの食材は、多くのご家庭で発生してしまいます。確かに無駄です。しかし、それは必要悪ないし経費として考えるべきなのでしょう。「こういうことあるよね」と言って双方が感情的にならず、静かにゴミ箱に入れることと、目くじらを立てて無駄になったことをなじることで、どちらが将来の無駄の再発を防止できるでしょうか。おそらく、無駄を出した責任が妻にあり今後このような無駄を作るなというよりも、優しく処理した方が、将来に向けての無駄は防止できるのではないでしょうか。「改善アドバイスのパラドクス」という感じでしょうか。こうするべきだからこうしろとアドバイスするよりも、「わたしたち」が無駄を作ったから、寂しく捨てるほうが、無駄を作らないモチベーションが上がるということです。改善提案は、妻に限らず、結論を押し付ける指図であるように受け止められることが多いので、それ自体がストレスになってしまいます。肝心の「何をするべきか」ということが記憶に定着しないという副作用を起こしがちです。だから、改善をアドバイスをした方が改善が進まないという矛盾が生まれるわけです。


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連れ去り別居の本をみんなで作りたい [家事]



本の構成サンプル

第1部 連れ去り行為の実態

  序 連れ去り事例

  1 公文書などから明らかになる配偶者暴力相談の実態
      特徴は裏付けが何もない
       それなのに被害と妻の命の危険を認定し
       逃亡を促す

  2 連れ去りと警察の関与
      実際の逮捕事例とマスコミ報道
      警察署で任意の事情聴取を受けた事例
      ストーカー警告を受けた事例

  3 連れ去られた子どもの状態
      「自分」形成してきて、これからも形成に寄与すべきすべてを奪われていること

  4 取り残された夫の心理
      事例紹介
      自死のレポート

  5 連れ去りと裁判所
      保護命令の問題点 法律要件の逸脱
      裁判所の特別警備員の配置
      調停の理念に反した敵対的構造
      婚姻費用分担調停、財産分与の闇
         実際の住宅ローンが支払額の査定にカウントされない
         そもそも連れ去り事例で婚姻費用分担は妥当か
      面会交流が実現しない

第2部 子の連れ去りが生まれる原因

  1 連れ去り事例に多く見られる妻の疾患と体調不良
      共通要素は原因が無くても不安を抱く状態にあること
      配偶者暴力相談に依存してしまう心理

  2 離婚による単独親権というゴール

  3 合理性を主張できない日本社会の構造
      日本における子どもの人権を尊重する文化的土壌の未成熟
      実態が反映されない二項対立的な法制度と運用
      「DV」バイアスと確証バイアス
      国民のコンセンサスが無いままに進められている政策

  4 孤立家族社会と実家の役割の変貌

第3部 対策と予防

  1 対策編(裁判前) 
   帰宅して妻と子がいなくなったときにするべきこと
      警察との対応
      児童相談所との対応
      裁判所から保護命令が届いたら
      やってはいけないことと気の持ち方

  2 対策編(親子の交流、家族再生への挑戦)
      方針の想起の確立
      調停の利用方法
      書面作成の方法
      相手に何をアッピールするか
    

  3 予防編
   1)最悪の事態とは何かを知る
   2)家族の不安に対する対処の必要性
   3)家族の不安に対処する習慣とは



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片づけられない妻の子の連れ去り 癒しを求める心が子を連れて別居に向かう構造 大人の発達障害とミュンヒハウゼン症候群 [家事]



相変わらず、警察や行政が関与して妻が子どもを連れて別居するという相談が寄せられてきます。むしろここ1,2年警察の関与が増えてきているようにも感じます。

各事例の共通点は、ちょっとした身体接触や全く存在しない暴行を理由に、夫を警察署に任意で連れてゆき、あるいは出頭を求め、警察署で事情聴取をするという事案です。妻の方には傷一つ、痣一つありません。夫とは関係のない傷がいつの間にかできているというケースもありました。全く妻の話だけで警察が夫を暴行犯の容疑者扱いをするのです。恐ろしい話です。そして子どもの前の夫婦喧嘩は児童虐待だとして、子どもを児童相談所に一時保護させてしまうのです。一つのパターンが確立されているような印象すら受けます。

相談者の中には、「先に言ったもの勝ち」だと嘆く人もいますが、間違っています。男性が先に言っても、女性は容疑者扱いされません。むしろこれまでの経験からすると、夫が妻の暴力が危険になってきた(包丁やハサミを持ち出すことが典型例です)ので子どもの安全のために110番すると、逆に警察は妻の方を保護してしまうことがありました。結局警察は夫に告げずに妻と子どもを別の場所に隔離してしまいました。ある事例では、子どもがその意に反して警察によって母親とともに家から話されてしまい、母親の元で監禁状態のように身柄を拘束されてしまい、数か月を経てようやく命からがら逃げだして交番に駆け込んだという事例がありました。さすがにそこまですれば警察も母親の元に戻すということはせずに父親の元に子どもを送り届けてくれました。

その事例は、医師から妻は統合失調症疑いとされた事案でした。なるほど幻覚、幻聴のエピソードもあったのですが、詳しい話はできませんが、ある程度了解可能な幻覚、幻聴だったので、統合失調とは違うのじゃないかなと私は考えています。以下の複数の事案と共通の問題だと思っています。

この事例も、家の中の妻のテリトリーがごみ屋敷状態になっていました。

片づけられない妻の連れ去りは、比較的大きな割合を占めます。冷蔵庫には買いすぎた食材が放置されていますし、床には物が散乱していてケースにしまうということがありません。野菜が腐っているケースも多いです。

多いのは働いていないか、あるいは、仕事をしても人間関係が原因で長続きしないケースです。

そして多くが、自分で自分が片付けられないことが世間的に否定評価をされるということをよく知っています。夫が自分で片付けようとしただけで包丁を持ち出したという事案もありました。夫が面と向かって責めなくても、常に夫から責められているという意識を持ちますし、自分を夫が否定評価していると感じています。片付けのことについて何か言おうとすると、逆切れするのですが、そのことで自分が責められていると過敏になっているとすればよく理解できると思います。

それがわかっていながら、片付けるということができないようです。もちろん夫に協力してもらって片付けるという発想もありません。

夫からも夫の親族からも、あるいはママ友からも、地域からも自分は馬鹿にされているという気まずい毎日を送っているようです。苦しんでいるのです。

だから、役所に行って、あるいは警察に行って

「夫から暴力を受けているのではないですか。」、「精神的虐待を受けているのではないですか。」、「大変お辛いですね。」、「あなたは悪くありません。」、「それは夫のDVですよ。」等と気遣われてしまうと、たいへん救われるようです。ちやほやされるということに馴れていないので中毒症状が起きてしまうようです。

夫が自分に暴力をふるうとか、暴言を吐くと言えばちやほやしてもらえるので、どんどん嘘の話をしだすことがあるようです。また警察も、こんな調子で話しているにもかかわらず、疑わないで、夫を任意で事情聴取をするのです。この事情聴取は慎重に対応する必要があります。きちんと無実を説明するためにはコツがあります。安直に構えていた私の依頼者にきちんとレクチャーをして、暴力をふるっていないことがわかる事情をきちんと説明するように念を押しました。それでも書類送検されました。安直に話を合わせていたら逮捕され、どうなっていたかわかりません。その時は、不起訴になりました。検察と警察では大分温度差があるというか、警察はかなり無理をするなあという印象を受けました。妻の話だけで、それが本当だとしても暴行罪を立件できないのではないかと思われるような身体接触の事案で任意とはいえ警察署まで同行を促して事情徴収をするとは無茶苦茶な話です。

こういう片付けられない妻の夫は、概ねあきらめていて、あまり注意をしません。しかし、子どもの衛生面の問題もあるので片づけをしようとすると逆上して被害意識が強くなります。夫からすると我慢しているのに言いがかりをつけられて怒られるものですから、それは反論もしたくなります。そうすると、妻に対する暴言だ、精神的虐待だ、子どもに対する精神的虐待だと言って、警察が事情聴取をする、書類送検をする、中には罰金刑を課せられた人もいるのではないでしょうか。

とにかく片づけられない妻は、いつもは、家庭でも、PTAでも職場でも、生きづらさを感じ続けているようです。実家の親族以外に他人と打ち解けて話すということもあまりないようです。

だから、ちやほやされることがとても癒されるようです。「自分は悪くない。悪いのは夫だ。」と言われれば、自分は悪くなかったのだ。夫が悪かったのだ。自分が苦しんでいたのは夫に原因があったのだ。ということになることはわかりやすいことだと思います。たとえ、その無責任にちやほやしている人たちが、真実を知らないで話しているとしても、片付けられない妻、誰からも肯定されないと思い込んでいる妻は、それは癒されることだと思います。まるで薬物の効果が切れることを恐れて、ありもしない夫の暴力や虐待を説明するのでしょう。

聞いている側はつじつまの合わないことを言っていると感じても、「虐待されている妻は記憶が曖昧になり、自分が受けている虐待をうまく説明することができない。つじつまが合わないから嘘だと疑うことは被害者に寄り添っていないことだ。」と洗脳されていますから、先ず妻が言っていることが本当だということを前提に行動をします。

さらに、家庭の中の小さな暴力も見逃さないということから、例えば満員電車で体がぶつかったような偶発的で軽微な身体接触でも、「暴行罪」という容疑をかけ立件の可能性を探すわけです。投げやりになってすべて認められた場合は起訴される確率が高くなると頭の中に入れておいてください。できるだけ早く虚偽DV、思い込みDVに理解のある弁護士に相談をしてアドバイスを受けることをお勧めします。

ミュンヒハウゼンという精神疾患があります。病気でもないのに病気のふりをして同情を集める症状があります。私は代理ミュンヒハウゼン症候群という子どもが病気で看病が大変だと嘘をついて人々から同情を扱う事例は見たことがありますが、ミュンヒハウゼン症候群はみたことがありません。おそらくちやほやされることを求めて虚偽の夫の暴行、暴言を言う妻はミュンヒハウゼン症候群の基準を満たすのではないでしょうか。そして、ミュンヒハウゼン症候群の本質が対人関係の中で尊重して暮らしたい、安心したいという要求を病的に抱えて起きるということにあるのではないかと考えされられるケースです。

それを誘導しているのは、事実関係を吟味にしない公的な相談機関にあるということがまた大問題だと思っています。

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思い込みDV  ホームページリニューアル原稿シリーズ [家事]


1 概念
2 二つの原因
3 子連れ別居等の問題等思い込みDVによる問題行動
4 対策

1 概念
  「思い込みDV」とは主として妻が夫に対して、本当はDVが無いのにDVがあると思い込み、夫が自分に対して攻撃的だとか、嫌っているとか、低い評価をしているという強固な被害意識を抱いてしまうこと。妻は夫に本当に強い恐怖感情や嫌悪感、拒否感情を抱いている。自分の不貞を成就するためや使い込み等の露呈を防ぐことを目的とした「でっちあげDV」とは区別される。しかし、境界があいまいな場合も少なくない。

2 二つの原因 生物学的要因と第三者の吹込み
  第1の「生物学的原因」とは、出産によるホルモンバランスの変化、内分泌系の疾患、精神疾患が多く、薬の副作用や頭部外傷、傷害なども原因となる。パワハラ、セクハラ、クレーム対応など職場でのストレスも影響となる可能性もある。それぞれの事情によって機序は微妙に異なるが、理由もなく不安が生じてしまい、夫との関係に安心感を持てなくなるという特徴がある。過去の安心の記憶(家族旅行や団欒の楽しかった記憶)も失われてしまい、あらゆることを被害的に受け止め直してしまい、夫と一緒にいることに不安や焦燥感を感じてしまう。また、自分だけが損をしているという感覚が生まれていることも多い。

  第2の「第三者の吹込み」は、男女参画系の行政組織(警察、配偶者暴力相談センター等)や妻の実家、友人、精神科以外の医師等から行われることが多い。生物学的要因から被害的な意識になっている妻の感情を無責任に肯定された上、その不安や焦燥感の原因を夫の行動が原因であると指摘される。夫と一緒にいることが危険であり、離婚をすることを勧められる。離婚調停等において、妻が夫のDVによる離婚を主張する際、これ等の第三者から「それは夫のDVだと言われた」と報告するので家庭裁判所では第三者の存在が知られることになる。第三者の吹込みによって妻の不安解消要求はさらに高まり、不安解消のためというのであれば、希望の光が差し込んだように、夫が原因であるということに飛びついてしまう。

  「思い込みDV」の背景としては、妻が夫に対して強い期待を抱いている場合がみられる。夫に自分の不安を解決してほしいという強い期待がある場合や、夫から別離を切り出されることの被害妄想的な不安がある場合が少なくない。

3 子連れ別居等の思い込みDVによる問題行動
  思い込みDVと行政が結び付いた場合、妻は子どもを連れて家を出て行方をくらますか、実家での生活を始める。妻の避難先のシェルターでは、保護命令の申立用紙一式が準備され、保護命令を申し立てるよう働きかけることがある。さらには、法テラスを使って離婚調停を申し立てることがシェルター利用の条件のように言われる場合がある。さらには、元々の生物学的要因から精神的に不安定になっていることも多いためか、精神科の受診を強く求められて薬の服用を義務付けされることもある。

  行政や裁判所までも、「夫からDVを受けていなければ妻がこのような行動をするはずが無い」という単純な思い込みから、無意識に夫のDVの存在を前提とした行動をとることが少なくない。

  思い込みDVの元となる生物学的要因が放置されることになるので、家族再生には困難が伴うことが多く、面会交流についても強固に拒否をすることが少なくない。

4 対策
  対策の第一歩が夫の意識改革である。それが思い込みDVであって、妻の人格の問題ではなく、妻の夫に対する悪意を持った攻撃ではないということを理解しなければならない。ただ、頭で理解をしても感情が追い付かないことがむしろ当然であるかもしれない。

  思い込みDVの根本には、理由のない漠然とした不安がある。妻の安心感を取り戻すべく働きかけることが王道である。

  妻が子どもを連れて夫の元に戻った例を見ると、妻の生物学的要因が自然経過で解決したこと(産後うつの症状は出産後2年程度で収まることが多いとのこと)、夫が妻の不安の解消に徹したこと、妻が自分の支援者に対しての疑問が強くなった等の要因があった。
  また、別居後、離婚後の妻の支援者が、夫に対して公平な見方を示す場合、妻の嫌悪感や恐怖感が著しく減少し、必要以上の警戒感が解かれ、面会交流の自由度が拡大することが確認されている。

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離婚事件、面会交流事件の私の戦略 ホームページのリニューアル原稿 [家事]

<前の記事の続き>
そういうわけで、具体的に私に頼めばどういうプランがあるかということを
ホームページ掲げることが必要なのだと理解しました。

例えばこういう文章をすぐにみられるようにする、そして多少大雑把でも
短い文章で記載することが大切なのだろうと思います。

長々とした説明は、このブログ記事に任せることとしましょうか。
まだ長いでしょうか。


<サンプル>
家族再生のための戦略 私の方法論 面会交流が実現し、家族再生に進むために

夫婦の争いになってしまうと、双方が感情的になってしまうことは誰しも経験していることだと思います。どうしても、双方が自分にとって不合理なことが起きていて、自分を守らなければならないと考えていると、つい相手の感情を逆なでするようなことを言い合ってしまい、感情対立がエスカレートするだけです。これでは、いつまでたっても冷静な話し合いはできず、戦略が立てらえません。

どちらかが冷静になって成り行きをコントロールしなければ家族は崩壊に向かってしまいます。それを防ぐためには、感情対立の根元である「自分」を守るということを一度やめなければなりません。「自分を守る」という無意識の行動から、「自分たち家族を立て直す」という意識的行動に切り替えることがとても有効です。

つまり、「自分を含めた家族全員の状態」がどうなっているかという大きな視点で物事を見るように意識することです。例えば「現在夫である自分は妻から不合理な攻撃を受けている。不合理な攻撃を受けた自分は悔しいし頭にきている。一方妻は自分を攻撃しているが、その理由が考えてみれば自分ではよく理解ができない。何か原因があるに違いない。その原因はなんだろう。妻は事実にないことや針小棒大なことを言っているが、よくよく考えるとやっぱりおかしい。また、ずいぶん不安を感じていることは間違いがなさそうだ。不安を感じるようになった原因は何か。自分かそれ以外か。また、二人の間に挟まれて、友達からも家からも、自分からも引き離された子どもはかわいそうな思いをしているな。子どもや家族にとってベストの方法はこうだ。ベストの方法に近づくためにはこうだ。」という考え方をすることが解決を強力に進めます。

しかし、自分が今不合理な攻撃をされているのに、このように自分を守らず自分たちを守るということは感情的に難しいことです。結局ここができるかできないかが、面会交流が進むか否かの分水嶺になることが多いようです。それがわかっていても、つい自分だけを守ろうとするのが、私たち人間のようです。

つまり、家族全体の視点を意識的に持つということで打開する可能性が飛躍的に高まることはわかっているのですが、自分だけを守る視点を捨てて家族全体の視点を持つということはそう簡単なことではないということです。

私が行う第1は、家族全体の視点を持ち続けるお手伝いをすることです。

一般に思い込みDVの事案は、同居親が感情的になっていることの根元に、漠然とした不安があることが大きいです。この不安を解消するために夫を攻撃するという図式がかなりの割合の離婚紛争事案に見られます。丹念に事実関係を整理しながら、同居親の不安を解消するアプローチを進めていきます。但し、どうしても同居親の不安が軽減できず裁判になってしまうこともありますので、注意深く進めていく必要もあり難しいところです。この微妙な判断とアプローチが私がお手伝いをする第2点目です。

結局は、家族というチームを作ることで不安が小さくなるか、離婚することで不安を小さくするかという選択を同居親に求めていくことになります。別居親は目に見えない相手と同居親の安心感をめぐって綱引きをしている状態だとイメージを作っていただきたいと思います。

第3点目は、味方を増やしていき、みんなで同居親を励ましていくことです。魔法にかかっているわけではないので一度に覚醒するということは無く、少しずつ陣地を広げていくというペースでいくしかありません。

相手と面会交流が実施できるまでの信頼関係を築き、その延長線上にさらなる家族再生があるという構えでいることが肝要であるようです。

成功例から導かれたこのような大きな3つの流れを作ることが私の戦略です。

ご注意いただきたいことは、それぞれのご家庭には個性があります。相手の状態を正しく分析して個別の事情に対応していくことが大切であることは間違いありません。

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【面会交流調停では何を行うのか】面会交流調停手続きで、同居親の感情的な理由で面会が実施できないならば家庭裁判所の存在意義が問われるということ。 [家事]


両親が別居するということは、子どもにとってみれば、両親のうちの一方と暮らし他方とは別居状態になることです。親子が会えない場合に、子どもと定期的な面会を行うために家庭裁判所に申し立てるのが面会交流調停です。

この面会交流がなかなかうまく話し合いが進まず、結局子どもが別居親に会えないことも少なくないのです。別居親との面会は子どもの権利です。離婚等による自尊心低下を防止する等子どもの健全な成長に役に立つことなので制度化されています。

それにもかかわらず、家庭裁判所における面会交流が進まないのはどうしてでしょう。率直に言って、同居している親が、元夫、あるいは元妻に子どもを会わせたくないという感情が強いことが原因です。

離婚を申し立てる方も離婚を申し立てられた方も、相手に対して強い攻撃的感情を抱くことはある程度やむを得ないのですが、面会は別居親のために行うのではなく子どものために行うのですから、そこは感情をセーブしなければならないということが理屈です。

しかし、実際は感情的になってしまっている。さてどうするかということが面会交流調停と言っても過言ではないと思います。

<病的な拒否感情>

頑なに面会交流を拒否する場合は、同居親が別居親に対して強烈な「被害意識」を持っている場合です。
「どうしてあんな奴に子どもを会わせてやらなければならないのだ」という言葉が、男性の同居親からも女性の同居親からも聞かれることが多いです。

頭では子どものために面会が必要だとわかっていても、感情が付いていかないということが多くの実態ではないでしょうか。

被害感情がどこから来るのかについては、実はなかなか難しいことが多いです。
夫から暴力を受けていて、面会交流などを通じて夫が近づくことが怖くてたまらなくて拒否するというケースがありますが、このケースでは、被害感情が攻撃的には表れないことが多いようです。妻が不貞をしたという場合には男性の被害感情が大きくなり頑固に会わせないと主張し続けることもあります。

しかし、攻撃的になる被害感情の出どこが、実はよくわからないということが圧倒的多数だというのが実感です。例えば、多くの事例で、つい半年までは妻から夫に相談事を持ち掛けていたり、家族で旅行や外食をして楽しそうに写真に納まっていたりするのです。それなのに例えばその半年後とかに妻の被害的感情や攻撃的感情が収まらなくなり子どもを連れて別居するという事案が、むしろ多く、これが面会交流の実現しにくい事案になっています。

この不可解さを検討していくと、多くの事案で、妻側から精神疾患の診断書が出たり、精神書状に影響を与える疾病の治療をしていたり、副作用のある薬を服用する疾病の治療歴が出されたり、それから子どもを産んで2年以内だという事情があったりするのです。また、子どもを連れて出て行く直前に配偶者暴力センターや警察に相談していたということを妻側から述べられることも多くあります。実際にはDVが無いのに、DVがあったと思い込む要因のある事案です。この思い込みDVの事案が、最も頑固な被害感情があり、かつ攻撃的な対応をしてくる事案でもあります。

<悪手のサンプル>
ここで慣れない人は、「子ども健全な成長のために面会交流は実施しなければならないことになっている。実施しないことは不正義だ。」と正論を声高に主張するようです。しかしその正論が相手に伝われば、ますます同居親が感情的になるだけです。

感情的になっているのが同居親で、それを何とか調停委員が説得しているにもかかわらず、説得内容があまり開示されませんから調停委員がきちんと説得していないと思って調停委員に食って掛かってしまうと、まさに結果を出さないことへの非難になってしまい、調停委員さえも「なんでこちらが責められるのだ」ということで、やる気を失うということにもなりかねません。

まさにイソップ童話の「北風と太陽」の話の北風の強引さが功を奏さなかったみたいなことをしてしまっているわけです。

面会交流調停でやるべきことは、「同居親に面会をしても良いかな」と思わせる作戦です。自分からコートを脱ぐように仕向けるという作戦をとるしかないということが現段階での結論です。

<やっかいな思い込みDVの事案の特徴>

思い込みDVの場合の、妻側の言い分には特徴があります。
・ 夫の加害について、具体的な内容が主張されない。
・ 具体性があっても断片的であり、前後の脈絡が無い。(そこだけ切り離せば、理由のない虐待があったように聞こえてしまう。都合の悪いことを言わないというのではなく、実際に記憶が欠落しているという印象があるケースが多い。)
・ 具体的な事実が述べられていても、あからさまな針小棒大な脚色がある。(客観的事実に適合しない。二つのエピソードがつながってしまっている等)。
・ 誰かから(相談担当、医師、教育関係者等)からそれはDVだと言われた。
こんなところが主なものです。

身に覚えのないことや脚色が激しいことを主張されますので、夫側は怒りを抑えることができなくなってしまいます。つい、「それは違う」ということに力点を置いて、別居親側も相手を攻撃するような主張になる危険があるわけです。

放っておけば、自然に悪手として挙げた主張をしてしまいかねません。これは理由があることなのです。だからこそ、弁護士や調停委員会は、子どもの利益を最優先して仕事をしなければなりません。

<調停で何を一番に心がけるか むしろDV事案の場合>

基本的に面会交流調停の場合は、同居親を安心させることに努めることになります。同居親の被害感情を駄々洩れのように肯定して寄り添ってしまうと、子どもを会わせなくても良いのだという気持ちが強くなっていきますから、これはだめです。また、離婚調停が合わせて行われることも多いので、妻の主張が事実ではないところは認めてはなりません。ずいぶん後から子どもにとって悪い事態を生むこともありました。否定するところは否定しながらも同居親を刺激しないということですから、面会交流調停はかなり高度の思考を巡らせて言動に配慮して進めなければなりません。かなり難しい活動になります。

先ず安心を勝ち取って充実した定期的かつ発展的な面会交流を実現した事例を紹介します。実際にDVみたいな、精神的ダメージを夫が妻に与えた事例です。

保護命令が出された直後に、面会交流調停を申し立てた事案です。実際は暴力は無かったのですが、暴力を受けたと同じような精神的ダメージを妻が負ったケースでした(もちろん保護命令が出されたこと自体が間違っていた事案です)。別居親である夫は言い訳をしないでひたすら謝り続けました。妻が子どもを連れて立ち去ったことについても、妻を決して責めませんでした。妻からの離婚請求でさえも受け入れました。この徹底した無抵抗作戦は、そう簡単にできるものではありませんが、父親は頑張りぬきました。結果として、離婚が成立して数か月で宿泊付き面会が実現し、そのあとは子どもたちが父親の元に訪問する形での面会も実現し、現在では共同養育のような形になっているとのことです。

この事例では、起きた事実関係に争いが少なく、夫も十分に反省していたので、何とか安心させることに徹することができたのかもしれません。それでも、一緒に暮らしていたわが子とある日ある時突然に会えなくなるのですから、落ち着いて戦略を練って理性的に活動をするなんてことは簡単ではありません。代理人と本人の高度の信頼関係の中で、ぎりぎりの状態で打ち合わせをしていたということが実際です。

<やっかいな思い込みDVの事案>

やっかいなのは、むしろ本当はDVが無かった事案かもしれません。夫の側も理由もわからず一方的に子どもと引き離されて、自分が子どもに近づくといちいち警察が呼ばれるわけですから、理性的に行動することはなかなか難しいのはよく理解できます。また、具体的な出来事がありませんから、そのことについて謝罪をして、類似のことをやらないようにしてということがなかなかできません。

妻の側も何か理由があって、夫に対して被害意識が強くなったのではなく、自然と被害意識が生まれてきて、そのあとでいろいろな出来事を被害的に記憶の改変が起きるという事情がありますから、安心させるということは極めて難航します。

<面会交流調停でやるべきこと>

とにかく悪手を打たないことです。「会わせるべきだから会わせなさい。」ということで強硬に押していっても話にはなりません。中には裁判所で極めてヒステリックに逆上するとか、泣き出して手が付けられないようなこともあるわけです。

ここで最悪なのは、同居親が感情的になっているので調停が進められないとして取り下げを迫る調停委員の存在です。面会交流調停の多くの困難事案では、同居親は精神症状が先行している病的な状態です。強烈な感情的状態というのは、面会交流調停にはつきものだと言ってよいと思います。元々感情的になる事件類型なのに、「感情的で収拾がつかないから調停が成り立たない」では、面会交流調停という制度を設けた意味がありません。

感情を鎮める手立てを講じることを徹底しなくてはなりません。

<どこに寄り添って、どこに寄り添わないか>

まさかこんなことは無いと信じたいとは思いますが、最悪の聞き取りは以下のとおりです。

「なるほど、お子さんを会わせたくないのですね。それ相応のことを申立人が下のだから罰を受けるべきだというのですね。わかります。そういう事実を経験されたら会わせたくないですよね。そもそも離婚するくらいですから、会わせたくないのは当たり前ですよね。わかりますわかります。」

「でも、面会交流は子どもの利益なのだから頑張りましょう。」

これではだめです。どうダメかというと、妻からすると、自分の話を感情も事実関係も話して、共感を示していたはずなのに、どうして会わせないという結論だけが否定されるのかわからない。結局自分の話を聞いたふりをして聞いていなかった、適当に相槌を打っていたのだという意識になってしまうからです。

また、駄々洩れのように共感を示してしまうことをきちんと自覚していると、「会わせてみたらいかがですか」という問題提起ができかねるということもあるのではないかと思っています。

共感を示す部分と示してはいけない部分をきちっと分ける必要が先ずあります。その上で、示す共感は、感情的(情動的)共感ではなく認知的共感です。あるいは共感ではなく、承認ということかもしれません。

共感を示すないし承認する部分はどこでしょうか。少しややこしくなるのですが、子どもと同居する妻の「感情の存在」です。子どもを元夫に「会わせたくない」という感情は、実際に存在するのですから、これを否定していては何も始まりません。「いいやあなたは会わせたくないと思っていない。」と字で書くとバカげていることがわかりますが、結構こういうやり取りは気が付かないだけで実際にはあります。

会わせたくないという感情はある、しかし、子どもにとっては別居親と会った方が良い、それではどうするかという流れになるほかありません。

一番肯定や共感してはならない部分は、妻側が主張するこういう事実が存在したという客観的事実についてです。実際には主張通りの事実があったということは少ないです。特に夫の行動について、ニュアンスや順番、あるいは時期を含めて妻側が主張する通りの事実ではないことが多くあります。また、第三者はそれが事実であるかどうかはわからないことです。

ここで軽々と妻がった事実が存在したということを前提に、その後の話に共感を示していたら、その事実がいつの間にか妻の言うとおりに存在してしまうことになってしまいます。そうすると、実際ではない作られた夫像が独り歩きを始めてしまいます。

こういう妻の話が真実であることを前提とした調停委員のアプローチがなされることはしょっちゅう感じるところです。そのことが事実であるとして話を進める場合は、必ず夫から見た事実を確認することが鉄則です。そしてどちらが真実かが曖昧であるならば、その事実を真実だという前提を自分の心から排除する必要があります。

典型的なダメな事情聴取は、専業主婦の妻からの話で、夫が毎月の小遣いを2万円しかくれない、経済的DVだと訴えられて、「それはひどいね。」と言ってしまう場合です。実際の話は、妻に家計を預けていたら月の半ばで使い切ってしまい、残り半月の暮らしが成り立たないことが続いたので、夫が家計を管理していた事案です。夫の賃金が手取りで20万円弱で、電気高熱水道費や子どもの教育費などはすべて夫の口座から引き落としになっているし、食材については毎週家族で出かけて購入し、夫が支払うということでした。それでも夫は子どものために月2万円強の積み立てをしながら生活していました。4万円というのはまさに専業主婦の妻の小遣いで、少し多いかなというくらいを渡していたということが実態でした。この事例は実際にあって、夫の小遣いは昼食代込みで5千円でした。

「それはひどいね。」という調停委員の発言は、夫の低賃金を第三者の立場であざ笑ったことになってしまいました。

また妻から子細に話を聞かなければ、妻が本気でそのような事実があったと確信しているかどうかもわかりません。

例を挙げてみましょう。
①1年半前に家のリビングで夫婦喧嘩があった。
②リビングには灯油のストーブがあった。
③夫が口論の上で激高してストーブを蹴っ飛ばした。
④高熱のストーブが転がった先に赤ん坊がいた。
と妻が主張して、乱暴者の夫とは危ないし怖いから一緒に住めない、子どもを会わせることは危険だからできないという結論の理由としたとします。

しかし、
A)それから1年以上一緒に住んでいたとしたら、今は怖いと言っているけれど、別居するまではどうだったのかを聞く必要があります。
B)そもそも、どういう前後関係で口論となり、ストーブを蹴っ飛ばすことになったのかの流れを聞く必要があります。
C)ストーブと赤ん坊の位置関係を聞く必要があります。

そうすると、口論してストーブを蹴っ飛ばしたのが1月のことで、その時はストーブに八つ当たりをする程度で実際は転がしてはいなかったけれど、6月にストーブをしまっていない時にストーブにつまずいて火のついていないストーブを倒してしまったこと、ストーブが転がった方向に子どもはいたけれど危険なほど距離が無かったわけではなく、子どもも面白がって笑っていた。等の事情が出てくるかもしれません。

こういう記憶の混乱は、思い込みDVを抱くような精神状態の場合度々見られることです。

もう一つ例を挙げてみます。
①ある日ある時自分は布団を敷いていない寝室の畳の上に夫から倒された
②夫は自分にのしかかり押さえつけていた
③その後どうなったか覚えていない

こういう主張が実際に調停でなされたことがありました。類似の出来事を主張する妻も複数います。妻は畳に転がるまでのいきさつを覚えていないようでした。実際は、本人が何か叫びながらはだしで部屋から庭に飛び出そうとしていました。
薬の副作用のように突発的な行動をしてしまったわけです。
怖くなった夫が妻が外に飛び出すのを制止し、身体を抱えて逆方向に力を入れたため、勢い余って妻と夫は転倒した。夫はまた飛び出すのではないかと思って寝ころんだ妻を上から押さえつけたということが複数の事案で実在します。その後、妻が落ち着いたので手を離したということでした。

「本当にそういうことがあったの?」と疑ってかかる必要はありません。しかし、普段から乱暴なことをしない人がある日ある時乱暴なことをしたというのであれば、何があったのかということを突っ込んで尋ねることは普通の会話だと思います。

また、よく理解できなかったことについて聞き返すことは悪いことではありません。「大事なところだと思うのだけれど、よく呑み込めなかったので、もう一度お話ししてもらっていいですか。私の呑み込めない理由は、どういう順番でそういうことが起きたかということかもしれません。」と尋ねれば、言っている方も興味を持って聴いてくれているなと感じることが通常です。

感情の存在を肯定した上で、感情が生まれる原因を一つ一つ丁寧に、リアルな実態把握をお互いに行う過程の中で、「もし実行するならば、どのような条件を付ければ、少しでも安心した面会交流になるでしょうか。」という問題提起は行わなければなりません。

面会交流調停は、妻のカウンセリングが目的ではないからです。あくまでも子どもを自分の親に会わせることが子どもの利益になるから行われるわけです。

そこで少しずつ、歪んだ認識を伸ばしていく必要があります。
例えば冒頭に掲げた「どうしてあんな奴に子どもを会わせて喜ばせなければならないのだ。」ということについても、「喜ぶ結果になることは悔しいでしょうね。子どもが父親に会うということは父親も子どもに会うことになるので、そこはどうしようもないですね。」ということを繰り返し告げていく必要があると思います。

別居親による子どもの連れ去りを筆頭に、子どもを通じて自分の現状を聞き出すのではないか、子どもに自分の悪口を吹き込まれるのではないか等不安はいくらでも出てくるのが面会交流調停です。つきものなので仕方がないのです。

ここについては、そういうことをしないこと、そういうことをしない可能性が高くなることがあるならばそれをすること、例えば第三者を立ち会わせるとか、入り口が一つしかない施設で面会させるとか、誓約させるとか調停条項に入れるとか、きちんと教育すること、つまり裁判所から親の悪口を子どもに吹き込むことは子どもにとって精神的な混乱となることやもう面会したくなくなることをきっちりと教えることで、不安を軽減していく工夫をしていく必要があります。単純にそんなことはしませんよと言っても効果は無いようです。

調停委員会は、同居親の感情以外の面会阻害事由が無ければ、あくまでも面会を実現するという立場から同居親の不安を解消していく働きかけを意識的に行わなければ子どもの利益ははかれないということを自覚する必要があります。

<別居親側の代理人の仕事>

実は、同居親を安心させるという目的意識を持てるのは、調停委員ではなく別居親の代理人だと思います。別居親の葛藤を解消することはできませんが、できるだけ調停委員の前では葛藤を見せない。もちろん妻の悪口を言わせないということが第一です。つまり、調停委員とチームを組んで、同居親の面会交流を促していくという構図を作ることが理想です。

ただ、そういう法の趣旨を理解せずに、表面的な同居親の感情に寄り添ってしまう調停委員は高確率で現れますから、そういう場合は毅然とした態度を示す必要があると思います。あまりにも理不尽な調停委員の態度が改まらない場合は、調停委員会のトップである裁判官と話をするべきだと思います。子どもを別居親に会わせるのだという不退転の決意を言葉に出すことも必要なことがあります。「子どもの健全な成長をあきらめるわけにはいかないのだ。」ということですね。

さて、同居親である妻の情報を一番持っているのは、ほかならぬ夫であることは間違いありません。妻がどういう性格で、どうしたら安心するかを夫と打ち合わせをする必要があります。何が引っかかっていて、何をどうすれば気持ちが揺れるのかということです。

また、必要以上に敵対しているわけではないということを、事実として作り、妻に伝える作業は必要になると思います。尊敬している部分、感謝している出来事については積極的に伝える努力をしています。

「この別居親が面会交流をしても悪いことは起きないだろうな。」と調停委員に感じさせることこそ一番の情報提供かもしれません。

そのような情報提供を含めて、別居親側は調停委員に必要な情報を提供しながら、一緒に説得の方法を考えていくということです。ここで正論をそのままいうことにメリットはあまりありません。あくまでも面会実現という結果に誘導していくためにはどうしたらよいかという視点が必要です。

時間厳守とか、乱暴にしないとか、悪口を言わないなどということは、別居親は初めからそういうつもりですから改めて条項にする必要を感じないものですが、言葉あることによって同居親が安心しますので、思いつく限り誓約していくべきです。それでも、自分の手を縛ることにはならないので、どんどん誓約するべきです。

具体的な面会交流の場所とか、方法とかのプランがあれば具体的なイメージを提案していくことも相手の不安を緩和することに役立つようです。

また、最初から十分な面会交流が確立するわけではありません。最初はリモートでの面会ということは結構あります。それで調停を終わりにするわけにはいかないです。でもそういう同居親が受け入れやすい方法で試していきながら、面会に対する強大な抵抗感を少しずつ緩和させていくということは有効な方法だということが最近の教訓です。

「できる範囲でよいから試しにやってみよう」ということから始めることを、調停委員が提案しなければ子どもは健全な成長の機会を失うことになってしまいます。

同居親の代理人が立ち会えば面会させてみるというならば、大変お時間を取らせてしまいますが、できるだけ面会に立ち会っていただきたいと私からもお願いします。仙台弁護士会は、妻側の代理人として毎月日曜日に面会に立ち会ったり、妻のいる場所から子どもを預かって面会場所まで運んであげる心優しい弁護士がたくさんいます。頭が下がります。中には同居親の代理人の事案を複数持っていて、日曜日の過程の時間を犠牲にしている猛者もいらっしゃいます。この弁護士たちと同じ弁護士会というだけで、私は誇らしく感じるわけです。

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【面会交流事例報告】 10年ぶりの父子の再会と4年ぶりの祖母との再会 祖父母と孫の面会交流の有効性 [家事]



弁護士が立ち会って長期間会うことができなかった親子が面会するということがあります。弁護士としては余計なことを考えずに、淡々に段取りをすませて、後は親子の邪魔をしないということがコツです。

ただ、長期間会えなかったけれど、せっかく会えることになったのだから、これからも継続して交流を続けてほしいので、いくつか事前にアドバイスをすることが必要にはなります。
試行面会マニュアル 別居親がやるべきこととやってはいけないこと
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2021-08-11
この記事の第4章に書いています。第1から3は飛ばして構いません。

むしろ、弁護士が苦労するのは、面会を実現するまでの活動です。

<10年ぶりの親子の面会の事例>

これは、別居から1年くらいしてから代理人になり面会交流の調停をはじめました。全く進展が無かったこと、今後も進展が見込まれないこと、間に入ってくれる共通の知人が現れたことから、さっさと調停を取り下げました。その知人さんの計らいで夫の代理人である私は奥さんと知り合いになりました。もちろん夫の代理人であることは伝えてありますし、知っています。奥さん側の相談に乗るような形で、接触する機会を増やしていきました。やがてお子さんとイベントで一緒になる機会を知人さんと私で作り、信頼関係を作り、毎年のクリスマスプレゼントの仲介から始まり、誕生日プレゼントの仲介などをするようになりました。

色々あった事案ですが、同居していた母親は子どもに対して父親の悪口などは言わなかったようですし、父親は全部自分が悪いというように考えが変わっていきましたので、後は母親の負の記憶だけが問題だったのかもしれません。10年たった今でも二人が顔を合わせることは困難なのですが、子どもは父親に会うことができました。生まれたばかりの時に別離していたので、初めて会う人みたいなものですが、子どもは興味津々で、前日に質問事項をメモしてそれに沿って質問をしていました。父親は紛れもなく父親としてお子さんに対応していました。

お子さんにとっては、自分にも父親がいるという実感を持てたみたいで、その表情からは充実感を見て取れました。

淡々と報告することにとどめようと思いましたがひとこと言わせていただければと思います。子どもと会えなくなった親御さんに言いたいことです。

決してあきらめてはならないということです。

できるだけ早い段階から、子どもの利益を中心に考える協力者についてもらい、相手を責めることなく粘り強く機会を作るようにするということです。相手は責められなければ、つまり子どもを連れて離れたことを責めなければ、自分を攻撃する必要性が一つなくなるのです。そうして粘り強く会う機会を働きかけていくということが大切です。

親はあきらめればそれでよいかもしれませんが、子どもあきらめるわけにはゆきません。確かに、子どもが成長する姿に立ち会えなくなることは取り返しのつかない損害です。しかし、子どもの方は、「自分にはもうひとり親がいる。その親に自分は愛されているはずだ。親と会ってみたい。」という気持ちでいるようです。親があきらめてしまうと、子どもも自分についてあきらめてしまうようになることがあります。自分に自信が持てず、自分なんて価値のない存在だと思うようになることもあります。但し、それからでも面会を実行することによって、自信を取り戻し、継続的に交流することによって大きな世界に羽ばたいた実例もあります。子どもにとっては、同居していない親も、間違いなくかけがえのない存在だと実感します。

<4年ぶりに祖母と面会した事例>

結局夫婦は離婚することになりました。この問題が生じる前からお子さんと私は面識があった珍しいケースです。それだけに不可解な離婚事件でありました。離婚を突き付けられた当事者の方々が、理解不能状態になって激しく混乱することが多いのですが、私の何倍も理解不能であり、答えを求めているということになるのでしょう。その不可解さの一端を垣間見ることができた事例です。

どうしても母親は父親に子どもを面会させることに抵抗があり、父親との面会交流はいまだ実現していません。それほど元夫に対する妻の負の感情は継続しているのです。しかし、祖母と孫は、父母が同居中から一緒に生活していた時期もあり、良好な関係でした。母親と夫の母との関係は私は知りませんでした。

面会場所には子どもと母親がいて、そこに祖母が訪れるというパターンでした。ここで感心するのは女性というのは、人間関係を潤滑にすることを生まれながらにして会得しているのだなあということです。これが、夫が子どもを連れ去って、妻の父親が面会に来たとしましょう。表立ってバチバチになるか、無言でバチバチになるかはともかく、不穏な空気になるのは間違いないと思うのです。私がどちらかならばきっとそうなるでしょう。なんせ自分の子どもと離婚した上に孫を取り上げた人間ですからね。

しかし、祖母は孫の母親に声をかけ、無沙汰をわび、面会に関する感謝を自然と口にしていました。男の方だと、口を酸っぱくして行っても感謝なんて口にしないと言う人が多いように感じます。理屈はどうであれ、原因を作ったのは自分ではないとしても、はるばる面会地まで来ていただいたということに感謝してもおかしくないのですが、なかなか口にすることができないのが男性のようです。

母親の方も無沙汰をわび、様々なことに感謝を述べ子どもを祖母のそばに行かせようとします。二人とも如才ないふるまいが素晴らしいと感じました。当たり前のように気が利いたプレゼント交換なども行われ、女性ってとても素晴らしいです。口を酸っぱくしても・・いややめておきましょう。

最初緊張していた子どもも、すぐに打ち解けたようです。私は黒子に徹して、勝手に驚いたり、感動したり、涙ぐんだりしていました。気配を消すことに専念していました。何も関与しなくても極めて良好に面会が進んでいきました。

<祖父母と孫の交流の有効性と手段の創設の必要性>

実は、最初の事例でも、祖母との面会交流が父親との面会交流に先駆けて行われていました。

子どもの母親にとっても、元夫と子どもとの面会交流や元夫との接触というのは精神的にしんどいようです。父親との面会交流にこだわることは、まさに同居元妻に面会交流をするかしないか二者択一を迫り、高いハードルを与え続けることなのかもしれません。しかし、夫の母であれば、離婚や別居の原因に深く関与していない限り、数段も抵抗感は小さくなるようです。全く無いというわけではありません。

子どもが父親側と接触するという具合に大きく考えれば、比較的実現しやすいという利点が一つあります。父親ではなくても父親側の人間と接触することは子どもにとって安心感が生まれるようです。

一つには自分には母親(同居親)以外にも多くの人間から大事にされているということを実感できるという効果です。

一つには父親(別居親)側が自分たちが父親と同居していないことに絶対的な怒りを抱いておらず、父親側の人間を会うことを許してくれた、また母親側も許してくれたという安心感を抱くことです。子どもにとっては、自分に何ら責任が無いにもかかわらず、一方の親と同居していないことに罪悪感を抱いていることが多いです。

もちろん別居親と会うことがより効果的ですが、別居親側の人間と会うことも大きな効果がありそうです。

そして、同居親側からも元配偶者との距離の近い人と接触することによって、元配偶者に対して抱くストレスに馴れが生まれるという効果もあるようです。次は元配偶者と子ども合わせてみようかという気持ちの突破口にもなりうる様です。突破口が大げさだとすると、風穴をあけるというか。

別居親にとっても、自分がそこまで嫌われていないという少しの安心感と、自分も子どもと会えるようになるかもしれないという希望が生まれるわけです。

裁判所では、祖父母の孫に対する面会交流を認めようとしない傾向があります。そのような話し合い自体が消極的です。審判によって裁判所が面会を命じる手続き無いということも大きな原因のようです。祖父母は面会を請求する権利が無いなどと言われることもあります。

実は両親に事情があり、実質的に祖父母に育てられたようなものだという子どもたちはたくさんいます。人間としての最初の信頼関係が祖父母との間に作られたと言っても過言ではない場合もあるのです。それにもかかわらず、両親離婚や片親との死別を契機に、子どもがそれまで当たり前のように自分のそばにいた一方の祖父母とも会えなくなってしまうと、子どもの精神的安定のよりどころが奪われてしまうことにならないでしょうか。

実際に祖父母と面会することは、実例を見る限り、子どもにとって良い効果があるようです。監護権の問題にしないで、扶養の問題とすればもう少し方法が切り開かれるかもしれません。しかし、祖父母と子どもの面会についての効果についての知見が裁判所にはないので、一筋縄にはいかないでしょう。ぜひ祖父母に接触する子どもの心理的効果について調査をしてほしいと思っています。

無条件に愛されるという経験は、どうしても祖父母の方が親よりも子どもに与えられることではないかと私は思います。無責任なかわいがりということも時には必要なことなのだと思うのです。どちらが良いかということではなく両方経験することが有効だということです。

ぜひ子どもの健全な成長のために、孫が祖父母に面会できる手段を創設していただきたいと思います。

あるいは法律や家庭裁判所に期待してはならないのかもしれません。祖父母と孫との交流も強硬手段ではなく、相手を誘導していく形で粘り強く働き替える必要があるのでしょうか。しかし、私たち中高年には時間があまり残されていません。


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